公開中コメント一覧

1,597ページ中 106ページ目を表示(合計47,900件)    1 ... 102 | 103 | 104 | 105 | 106 | 107 | 108 | 109 | 110 ... 1597    [前のページ] [次のページ]  
▼番号書き込み日時書き込みURL点数
コメント
53,6922024-03-14 18:24:36/road/r257_miogo/main4.html [コメント一覧]10
よかった
53,6912024-03-14 18:03:52/road/abura/main5.html [コメント一覧]10
よかった
53,6902024-03-14 17:37:07/road/tatikawa/main6.html [コメント一覧]10
書名:京阪一日の行樂
出版:1923.2
https://dl.ndl.go.jp/pid/1899392/1/168
>由良は洲本から二里半ほどある。
>要塞として詳しく書くことは許されてゐないが、地形はかなりに優秀で、風景もまた捨て難いところがある。
>港から南に生石岬を迂回し、嶮しい海岸の路を進むと、三里で、灘村がある。

旧道に関する記載が少ないのは、「要塞として詳しく書くことは許されていない」ためかもしれませんね……


るくす
53,6892024-03-14 15:11:37/road/tatikawa/main6.html [コメント一覧]10
伊能大図
https://www.inopedia.tokyo/02dataRm/inoh_map_check/daizu/138.pdf

今回の探索とは直接関係ないですが、伊能忠敬も測量時にこの辺りを通過してるんですね。(当然と言えば当然ですが)


書名:伊能忠敬
出版:1917
https://dl.ndl.go.jp/pid/1874853/1/99
>三月五日岩屋より淡路沿岸の實測をはじめ東海岸を南下し洲本、由良を經て南海岸に至り附屬島嶼をも測り進んで福良より鳴戶岬までの測量を遂げ西海岸の測定はこれを歸路に讓り三月十六日を以て阿波撫養に渡れり。

サラッと書かれてますが、岩室から鳴門までの淡路島東岸~南岸を、10日あまりで踏破して測量してるんですね……


日刊建設工業新聞 連載 「伊能忠敬の足跡をたどる」
第32回:淡路島
https://www.jsurvey.jp/press/kougyou-inou32.jpg
>淡路島の測量は、阿波藩の藩を挙げた支援のもとに行われた

阿波藩の支援があったとはいえ、この険峻をよくもまぁ……
ホント凄いですねぇ……



るくす
53,6882024-03-14 12:14:44/tunnel/kuramata/main2.html [コメント一覧]10
机上調査編を極めて興味深く読みました。「かつて住民から熱望されたモノ」が、着工が遅かったことや、お役所でよく見られる総花的投資で完成が遅くなり、出来た頃には時代遅れになってもう住民にはあまり望まれていないものとなっていた、というのは、鉄道の赤字ローカル線建設にも通じていて、道路でもこのような事例が見られるんだな、と思いました。
53,6872024-03-13 23:02:28/tunnel/karausi/main2.html [コメント一覧]10
いつもお疲れ様です。若気の至りで、ミニ八甲田山雪中行軍をやってしまいましたかね。(^^; 「行きたい!」と思ったら、つい行ってしまうこともあると思いますが、ご安全に。。
53,6862024-03-13 22:48:40/koneta/koneta_161.html [コメント一覧]10
いつもお疲れ様です。??石が落ちない… いやあ、長考で考えたら頭痛が痛くなる難しい難問でした。(;^ω^)
53,6852024-03-13 22:36:03/road/ypr37_sumise/main3.html [コメント一覧]10
いつもお疲れ様です。早川「町」ということは、かつては10000人前後の住民がいたということですよね。現在はズンどまりでも、昔ははるか山越え交易ルートの中継地点だったのでしょうかね… 生き埋め軌道といえば、平成ひとケタくらいまで、福岡市の西新~六本松の道路に、大昔の西鉄市内電車のレールが舗装の割れ目からちょいちょい見えていましたが… さすがに念入りに生き埋めにしたかなぁ…??(^-^;
53,6842024-03-13 22:29:33/road/sabukawa/main6.html [コメント一覧]9
よかった
53,6832024-03-13 22:12:17/road/r45_rasho/main2.html [コメント一覧]10
いつもお疲れ様です。確かに、国道45号線を通ったとき、おもしろい地名が多いと思いました。不自然な「あ」といえば、高校生のころやっていたアメリカATARI製のレーシングゲームで、「また さいこうの ラップ ア」というのがありましたね。英語版を日本語にするとき、アメリカ人が「a lapのaはどこに入れるんだべ?? 最後に入れとくべか!」と思ったとかなんとか…(笑)
53,6822024-03-13 22:07:44/road/tatikawa/main6.html [コメント一覧]10
橋に使われてるガードレールのデザイン的に実は中津川集落側から小屋の辺りまでは阪神淡路大震災前まで通れたのかな?
53,6812024-03-13 21:46:55/road/tatikawa/main6.html [コメント一覧]10
最後の最後に現れた岩盤は、ズレて隆起した断層なのかしら。日本構造線は紀淡海峡では東西方向の断層なので、南北にずれている感じは阪神淡路大震災の原因断層である野島断層の尻尾なのかな~。

でもちょっと南過ぎるかな。
53,6802024-03-13 21:35:24/road/tpr236_nagashi/main3.html [コメント一覧]8
よかった
53,6792024-03-13 16:20:05/road/komuro/main4.html [コメント一覧]9
よかった
53,6782024-03-13 16:15:08/road/suyama/main5.html [コメント一覧]9
よかった
53,6772024-03-13 15:13:44/road/raiden1/main8.html [コメント一覧]9
よかった
53,6762024-03-13 13:42:21/road/raiden2/main9.html [コメント一覧]10
よかった
53,6752024-03-13 11:53:00/road/npr187/main2.html [コメント一覧]10
よかった
53,6742024-03-13 11:42:57/rail/koumyo/main3.html [コメント一覧]10
阿蔵隧道の山王口、幼稚園の頃、妹とよく遊んでました。栗の林を抜け、沢蟹と遊んで、山ゆりを摘んで、突き当たりが廃トンネルでした。天竜市を離れ40年以上になりますが、長年、あのトンネルは何処にあったんだろう、なんだったんだろうとずっと気になってました。昨年探しに行ってみたのですが見つけられませんでした。すごく懐かしいです。その頃の思い出が蘇ります。本当にありがとうございます♪
53,6732024-03-13 11:42:21/mini/245/main2.html [コメント一覧]10
えーそれってできたら、みんなあが(大勢)便利になるがやったら、可能性もあるやなしや。2023年は、外郭も圏央道もできちゅうけどね。一般人のためやのうて、企業の流通のため大型車両をスムーズに通行させるためやき、どうなるろうかね。
53,6722024-03-13 08:33:33/road/ypr60/main6.html [コメント一覧]10
難しい
53,6712024-03-13 01:18:06/road/tatikawa/main6.html [コメント一覧]5
> 様な一枚岩なんだが、地中に隠されていた中央構造線の断層面だったりするのだろうか。
> 専門外だから全く見当違いなことを書いているかも知れない

はい。まさしく全くの見当違いです。
53,6702024-03-12 23:01:32/road/tadaisi/main6.html [コメント一覧]10
関西してほしい
53,6692024-03-12 22:13:28/road/aotowa/main8.html [コメント一覧]9
よかった
53,6682024-03-12 19:56:58/road/kakumagawa/main8.html [コメント一覧]10
よかった
53,6672024-03-12 19:05:40/road/miharayama/main4.html [コメント一覧]10
さみしい
53,6662024-03-12 18:50:06/road/wpr213/main8.html [コメント一覧]9
よかった
53,6652024-03-12 17:11:08/road/amano/main2.html [コメント一覧]9
よかった
53,6642024-03-12 14:19:23/road/tatikawa/main5.html [コメント一覧]10
旧道の記載を国会図書館で探していたらこんな記述がありました。


書名:国立公園紀行 第1編 (瀬戸内海・大山)
出版:1954
https://dl.ndl.go.jp/pid/2986167/1/37
>海から100メートル余の高い道を歩きながら、なお、見上げるような山腹に家があった。

「灘海岸の道」というキャプションの写真が載っていますが、由良から阿万までの灘海岸全体に、こんな小道が通っていたみたいですね。

https://dl.ndl.go.jp/pid/2986167/1/36
>上灘方面はことに道路が波に洗われ、自転車さえ通ずることができず、嶮崖に架けた丸木橋や、危険な小道をたどるより方法がない。
>船上から、くずれ落ちた道路のけわしさを望見することができた。

桟橋ですらなく、丸木橋で繋げた部分もあったとは……やはり道を作るには、淡路島南岸は相当過酷な環境なんですねぇ……


るくす
53,6632024-03-12 12:42:50/mini/246/main2.html [コメント一覧]10
おつー。地名と隧道をあたまに置いてひたすらに、目を往復させ、たどりつかん。人は文字だけでも、視覚化できる。それに写真があれば、ひたすらに心が走る。会議録またまたいや、これから何度もみるはめに。。。。

1,597ページ中 106ページ目を表示(合計47,900件)    1 ... 102 | 103 | 104 | 105 | 106 | 107 | 108 | 109 | 110 ... 1597    [前のページ] [次のページ]  

この画面の説明