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コメント
51,2882023-01-09 04:33:19/rail/kido/main9.html [コメント一覧]10
読みごたてたっぷりの記事でした。ありがとうございました。
51,2872023-01-08 16:26:19/koneta/koneta_126.html [コメント一覧]8
先日わたらせ渓谷鉄道に乗車し、この旧道を対岸から眺めました。レポでは崩壊にはあまり触れられていませんが、数か所で道幅を埋め尽くすほどの崩落があるなーと思って見てました。ネットの掛かった露頭もかなり崩れていました。
51,2862023-01-08 11:04:17/road/r343_sasanoda/main6.html [コメント一覧]10
1980年代。私は一関市(大東)を離れ神奈川県川崎市で会社勤めをしておりました。その会社の社員旅行で静岡県の河津町から天城峠(国道414号)までボンネットバス(伊豆の踊り子号)に乗って行くと途中にループ橋が有りました。河津七滝ループ橋と言う二重螺旋の橋です。その時、ふっと自分が幼少児だった頃の思い出が蘇りました。笹ノ田の旧道(砂利道)を母とボンネットバスに乗り矢作の叔父の家に往き来していた頃の思い出です。その当時から二十数年後の今、笹ノ田にループを建設中である事。そして自分は今、伊豆の山の中で一足早くループ橋を渡ろうとしている事。しかも昔懐かしいボンネットバスで車種もメーカーも同じ。そんな事を頭に過りながら天城のループ橋を渡った事があった事を道路レポートの記事を拝見しながら思い出しました。今回、当レポートに何通か報告させて頂きましたが、どんな道にも喜怒哀楽的な思い出が沢山、人其々にあるんだと思います。道路を作った人の話し。仕事や旅行で通行した時の思い出。祝い事。親しかった人との別れ。悲しい。悔しい。日常生活。愛する人との思い出など様々な思い出である事でしよう。矢作の梅木から大原の中島まで間ですが旧道を通行した事がある方なら、まだまだいっぱい思い出話が必ずあるはずです。歴史に埋もれ忘れ去られて行く旧道や廃道など見るとなんか悲しい思いが今まではしていましたが、道路レポートの記述者の貴殿が笹ノ田の旧道を取り上げて下さったお陰で数々の懐かしい思い出が甦りました。本当にありがとう御座いました。
51,2852023-01-08 07:03:40/rail/kido/main9.html [コメント一覧]10
キドガワキドウに対抗するのはエドガワランポ

これだけの濃い内容の記事が復活して、本当に良かった。
前半と後半のキュウテンチョッカぶりが素晴らしい。
51,2842023-01-07 16:04:31/rail/kido/main9.html [コメント一覧]10
「橋脚台の上面に深い孔が掘り、木造橋脚を埋め込む」構造ですが、現在のように「鉄筋」の入っていない、更に当時の品質の安定しないコンクリートでは、ちょっとした歪みでも、簡単に亀裂が入り崩壊する恐れがあり、信頼性が低かったと思われます。
また、乾燥による「反り」が避けられない木造では、必ず「遊び」が必要ではないかと思います。
昔の日本家屋の土台を思い出して下さい。
小さな「土台石」の上に「柱を乗せてあるだけ」で、固定されてなかったはずです。
「反りや歪み」を計算に入れた一種の「生活の知恵」だと思います。
ひいては、阪神大震災以降に話題となった「免震構造」的役割も担っていたのではという話も聞いた事があります。
「昔からの知恵や経験則」も馬鹿に出来ないということでしょうか。
51,2832023-01-07 14:39:48/hen/main1.html [コメント一覧]10
いつも面白いです!
これからも変なものを上げてください!
sより
51,2822023-01-07 12:45:52/road/nippara/main11.html [コメント一覧]9
坂道大変だと思います
51,2812023-01-07 10:46:11/road/r343_sasanoda/main6.html [コメント一覧]10
最後の写真の所の手前、右側に昭和38年に県南バス株式会社大東営業所が開設されました。(八幡神社参道入口の左側で現在は建設会社の残土置き場)其までは、大原には戦前から戦後直後まで地元資本による大原乗合自動車と言う会社があり大原と摺沢駅の間に木炭バスを走らせて降りました。摺沢と大原の途中にある大森峠の坂では木炭バスのパワーでは登りきる事ができず乗客がバスから降りて後ろから押した事も在ったようです。ディゼール機関を搭載したバスが走るには昭和38年の県南バスの営業所開設まで待つしか有りませんでした。一方、笹ノ田峠を越えた気仙地方では昭和24年4月に県南バス株式会社が大船渡に営業所を開設。同年5月には陸前高田に出張所を開設しました。この頃に、今泉街道では道路の拡張や修繕などの工事が行われ矢作町の坂下や小黒山でも工事が行われました。この時、工事を請け負ったのが盛岡の建設会社で飯場が坂下に在りました。(現国道343号坂下トンネルを出た所の写真の右側に民家が写っている手前)昔、馬を入れていた納屋みたいな建物を改装して飯場にしました。当時、お昼頃になると賄いの、おばさんが大声で近くで働いていた作業員に向かってご飯だぁようて叫んでいたそうです。又、その頃になると、坂下や小黒山でも電灯線を引く事になり、館木に行く沢沿いに有った坂下や小黒山の共有林から地区民総出で木を切り出したそうです。切り出した木は乾燥させタールを塗って電柱に使用したそうです。
51,2802023-01-07 08:22:20/rail/kido/main9.html [コメント一覧]10
やっぱり机上調査は面白い。
51,2792023-01-07 06:00:50/rail/kido/main9.html [コメント一覧]10
おもしろかったです。
路盤に辿り着けなかったので、再訪してみます。
上流編期待してます!
51,2782023-01-07 00:14:08/rail/kido/main9.html [コメント一覧]10
長過ぎる道程でしたが遂に完結しましたね。
楽しく拝読いたしました。
51,2772023-01-06 23:43:00/rail/kido/main9.html [コメント一覧]10
川内村にそんな歴史があったとは。初めて知ることが多かったです。今でも、ちょっと経路は違うようですが、小野→小白井→坂シ内とバスが走っていることもり、交通手段が変わっても維持されていくところもあるのだな、とも感じたところです。
51,2762023-01-06 19:01:37/rail/kido/main9.html [コメント一覧]10
うーん、最終回のような写真(画像)の質では、執筆をためらう気持ちも判るような気がします。
もっといい、鮮明な画像資料にならないかと、再探索の機会を伺うなどして色々と思案したのではないかと勝手に想像しています。
他の探索のレポでもこの様な理由で一旦保留している物もあるのでは?
たとえ今回の様な悪条件での撮影画像でも、それを補って余りある机上調査があるので気になりませんよ。
むしろ臨場感が増して過酷な探索風景が想像されて良いです。(探索した本人はたまったもんじゃないでしょうけど)
51,2752023-01-06 18:09:59/rail/kido/main9.html [コメント一覧]10
壮大な物語の一ページですね。
51,2742023-01-06 16:39:40/rail/kido/main9.html [コメント一覧]10
とても興味深い内容でした
51,2732023-01-06 15:47:09/rail/kido/main9.html [コメント一覧]10
よくぞ完結戴きました.
51,2722023-01-06 12:15:06/road/spr23/main5.html [コメント一覧]10
言葉の表現の仕方が面白かったし、ドキドキするし、本当最高でした
51,2712023-01-06 11:17:42/road/r343_sasanoda/main6.html [コメント一覧]10
レポート1 の二又から世田米迄の県道246について、この道路は二又の白糸の滝手前と生出地区の約500M位が対面通行出来る道幅ですが後は車一台が通れる位の道幅しか有りません。生出の平坦地を過ぎると急カーブ急勾配の上り坂で4キロ位走ると峠の頂上で陸前高田と住田町の境となり車が止まれる駐車出来るスペースが有ります。ここから条件が良ければ北西方向に早池峰山をの望むことが出来ます。ここの峠の名前を折壁峠と言います。折壁とは、アイヌ語で切り立った崖が有る所と言う意味です。そして、ここから下り坂に成ります。勿論、急勾配急カーブの連続で車が一台通れる位の道幅しか有りません。しかし、この道路には楽しみも沢山有ります。まずは、野生動物に会える確率が高いです。鹿、カモシカ、タヌキ、キツネなど出没します。また、運が良ければ山親父、熊さんに会えます。さらに春になれば山菜が採れます。また秋に成れば紅葉も綺麗です。峠から下ると民家が数件ある所に出て国道と合流します。この国道は種山ヶ原を通り水沢に行く道路です。尚、冬季は生出と大股の間は通行止に成ります。話しは代わって、生出地区に閉校した小学校が有ります。ここは、東日本大震災の後、臨時の陸前高田市博物館となりました。高田市内にあった博物館は津波に呑まれて貴重な文化遺産が流出しました。泥だらけに成った貴重な資料や展示物そして保管物の修復を生出の閉校した小学校で行ったのです。秋篠宮殿下が陸前高田に慰問に来られた時に生出の博物館にも来られ修復作業を御見学しました。ここ生出地区の方も津波の犠牲に成った方が何人もいます。合掌。
51,2702023-01-05 15:08:51/tunnel/jukkoku/main3.html [コメント一覧]10
最後が面白かったです
51,2692023-01-05 13:52:25/road/r343_sasanoda/main6.html [コメント一覧]10
2 中平〜坂下の大正時代に竣工した橋の名前は小松倉橋です。私の母が結婚する前、未だうら若き乙女?の時に近隣のお姉さんと自転車に2人乗りをして玉砂利にハンドルを取られコケて膝をがたくった(怪我をした)所です。尚、2023年1月時点、小松倉橋は通行止と成ってます。
51,2682023-01-05 09:27:29/rail/asama/main4.html [コメント一覧]10
私、乗り鉄の鉄道ファンですが、中学1年生の時に友達と一緒に朝熊山のケーブルカー跡を見てきた経験あるんですが、登山道を選んでしまい失敗でした。
 こんなに凄い遺構が残ってたなんて・・。(今あったら、まあまあスゴイ人気スポットになっていたかも・・。それだけに廃止が惜しまれます!)
 ただ頂上駅跡のところまで何とか辿り着き、駅舎跡の屋上から、私達も展望を楽しみました。
 そういえば危険を感じたのでホームすら探検しませんでした。
 しかし、今回は「山さ行がねがさん」が実際に行ってくれて、この記事をアップしてもらったために、私も実際に行ったような気分になりましたが、あえて私もリベンジで再度廃線軌道跡そのものを登って自分自身で体感したいように強く思いました。
 動画アップありがとうございました。
51,2672023-01-05 01:47:10/rail/kido/main9.html [コメント一覧]10
いつも楽しく読ませていただいております。
51,2662023-01-04 22:16:05/rail/kido/main9.html [コメント一覧]8
見事な森林鉄道橋の遺構ですね!
51,2652023-01-04 21:29:38/rail/kido/main9.html [コメント一覧]10
読んでてワクワクします。
51,2642023-01-04 11:58:28/tunnel/kurosawa.html [コメント一覧]10
2012年9月のストビュー見るときれーに直されてますね。廃道感皆無。
51,2632023-01-03 16:43:56/road/r343_sasanoda/main6.html [コメント一覧]10
坂下トンネルの写真の所を左側に入ると旧道です。直ぐにトンネル出た所に出ます。このトンネルの上の稜線を地元では熊の背(くまのせ)と呼んでます。理由は熊が屈んだ時の背中が丸なったときの形が似ているからです。
51,2622023-01-03 04:26:51/rail/kasuge/main4.html [コメント一覧]7
様々な事情で執筆停止しているものと思われますが、このレポに限らず中断しているレポについて逐一情報発信するのも大変でしょうから一つ提案が。
レポの概要欄(見出しにあるヤツ)に「再調査中につき中断しています」とか「データ破損につき執筆保留中です」など、一言現状を書き込めばイライラする人が少なくなると思いますのでご検討頂ければ。
他のコメントにもあったけど、これを書き込めば最低限の誠意は示せると思いますよ。
51,2612023-01-03 01:56:40/road/sabukawa/main6.html [コメント一覧]10
自分も一昔前のことを調べていますが、情報が現在に伝わっていない昔の出来事を色々な角度から解き明かしていくのはロマンがあります。
今後の調べものをする時の手法として参考になりました。
函館には先月観光に行ったばかりでしたので興味深く読ませていただきました。
51,2602023-01-02 20:06:34/rail/kido/main8.html [コメント一覧]10
未完成の  レポートが  完結すると  とても  うれしい
51,2592023-01-02 15:52:55/road/r343_sasanoda/main6.html [コメント一覧]10
仙婆巖には気仙風土記に書かれている様に仙婆巖の崖の上から幼子が落とされ亡くなったと言う余りにも悲しい言い伝えが有ります。レポートの写真、一番目の所の梅木トンネルをくぐり出て左側を見ると大きな洞窟の入口があります。昔、ここから犬を入れたら何日か後に、気仙沼の神明崎の所に傷だらけになって出たと言う言い伝えが有ります。又、洞窟内を流れる川で赤い魚を見ると亡くなると言う話しも有ります。以上、これら今日まで伝わる昔話です。話しは代わって、太平洋戦争の時の出来事です。昭和20年3月、沖縄に米軍が上陸し6月に沖縄が陥落して、いよいよ本土上陸となったある日、矢作町青年団が仙婆巖の洞窟内に軍事関係の作業所を設置するため資材の搬入をしていた時、三陸沖に展開していたアメリカ海軍機動部隊の空母から発艦した艦載機に人の出入りが見つかり洞窟の入口付近に小型爆弾を投下されましたが幸いにも死傷者は有りませんでした。陸前高田では昭和20年7月15日と8月9日、10日に空襲を受けており気仙川に架かる姉歯橋が銃撃され橋のトラスト鉄骨に穴が開きました。又、10機位の編隊機による銃撃が行われ市内では死傷者が出ました。又、笹ノ田峠を越えた大原山口でも太平洋戦争の時の話しが有ります。今の山口会館の所に昔は山口農業組合の作業所と呼ばれ中におしゃれな洋風の手摺が付いたニ階建ての建物が有りました。昭和20年の夏、7月か8月のある日、大人と12〜13歳位の子供は田畑で作業をし幼い子供たちは作業所の庭で遊んでいたその時です遠方に挑む室根山の方からキーンと言う音が聞こえ室根山の右側を折壁方向から超低空飛行で払川、藤ケ崎、そして山口の作業所の真上を飛んで行ったそうです。田畑で農作業をしていた大人や子供は直ぐに逃げ隠れたそうです。又作業所で遊んでいた幼子も全員無事でした。この8月は10日に一関の駅前が空襲され32発の爆弾の投下と艦載機による機銃射撃によって34名の方が亡くなるなど長閑な田園が広がるこの地域も戦争とは無縁では有りませんでした。話しは代わって、旧道が一ヶ所増えましたので報告します。国道343号大原バイパスの開通及び、大原山口地区の田畑の基盤整備により大原山口下一ノ通の現国道343号と県道大原折壁線の交差点の右側(山口会館方向から現、大原小学校方向に向かって)の道路法面下に遮断された国道=旧道長さ30M位が発生しましたので報告します。

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