http://yamaiga.com/road/ganshouji/ の公開中コメント一覧

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コメント
60,4112026-07-09 12:08:02/road/ganshouji/main5.html10
読了!
57,7732025-10-18 19:14:17/road/ganshouji/main5.html10
三度すみません。
https://umap.openstreetmap.fr/ja/map/map_313350
このサイトで岩井寺及び子隣の小字名が載っているのですが、ともに牛ケ谷がありますね。
データ元は 角川日本地名大事典22ん静岡県p1433〜 とのこと。
また岩井寺砦の所在地が岩井寺牛ヶ谷のようです。(岩井寺は岩井寺堂山)
三地区境がまさしく牛ヶ谷隧道の直上になるのでこの峠を挟んだ2つの谷が牛ヶ谷ってことなんでしょうか。
57,7702025-10-18 13:26:11/road/ganshouji/main5.html10
牛ヶ谷の追加情報ですが
栗原川(くりはらがわ)
[延長]2,400m
[起点]掛川市大字子隣字市道200番の1の6地先の牛ヶ谷端
[終点]上小笠川への合流点
起点は牛ヶ谷橋のところです。

また掛川市の道路供用開始調書に
路線番号7234 234号線
供用開始区間
高瀬字東山1046−16番地先
高瀬字牛ケ谷1061−1番地先
高瀬1061-1は岩井寺隧道の南、道沿いに40mくらい行った東側。
高瀬1046-16はさらに南、開削した新道との合流の東側の土地です。
57,7642025-10-17 23:24:54/road/ganshouji/main5.html10
2万分の1地形図の牛ヶ谷隧道の南の集落に高瀬牛ヶ谷の表記があります。
この谷が牛ヶ谷なら諸々整合性がとれますね。
道との遭遇では「うしがたに」と読んでたようですが、「谷」は「や」と読む地名が多い土地ですので「うしがや」かと。
まあ住民に聞けばすぐわかるわかると思いますが。

ところで掛川大坂往還ですが大正5年測量同8年発行の地形図にて高瀬-小貫間にトンネルが掘られて高瀬-能ヶ坂間に新道ができてます。
この道は達路で佐束-能ヶ坂間が聯路なので重要度が高いように見えます。
ところが昭和22年発行の地形図ではそれぞれ幅員が2m以上と3m以上の表記で逆転しています。
その後、トンネルは昭和30年測量発行の地形図までは存在し、昭和31年測量33年発行の地形図には開削されています。
いつ誰が掘ったのか?寸法は?名称は?設置意図は掛川大坂往還のはずだけど県道だったことがあるのか?
ほとんどに何もわかりません。現状分かるのは今は市道であることぐらいです。
56,3552025-03-19 22:09:51/road/ganshouji/main5.html10
私は佐束の出身で、祖父から子供の頃に掛川に出る際に岩井寺隧道の上を通った事があると聞いたことがあります。
祖父は昭和一桁生まれなので隧道は開通済みだしどう言うことかな?と疑問に思っていましたが、今回の記事を見て納得が行きました。
祖父が子供の頃は明治生まれの方もたくさんご健在だったでしょうし、牛ヶ谷の地道やさらに古い切り通しも地域住民にはまだ知られていたんでしょうね。
ちなみに昭和30年代生まれの父は牛ヶ谷の地道のことは知りませんでした。
55,7302024-12-28 19:29:15/road/ganshouji/main5.html10
数年前に亡くなった父が子隣出身でした。私も、小学生の頃までは、毎年新年のあいさつに生家に行っていました。すでにそれからかれこれ40年以上たっていますが、父が存命中なら何か聞けたかも、と思うと少し残念です。
55,7292024-12-28 19:10:18/road/ganshouji/main5.html10
ヨッキさんのレポートを拝見していていつも思うのですが、人間の営みってすごいですよね。もちろん貴殿のご努力にも頭が下がります。お安全に!
55,7042024-12-26 01:48:46/road/ganshouji/main5.html10
このような隧道達はどこから見つけて来られるのでしょうか…?
私も界隈は異なりますが、かなり変なところまで知っている身なので…
情報の探し方のコツ等あれば教えて欲しいです!
55,5692024-11-23 02:37:08/road/ganshouji/main5.html10
「名前を取り戻した」という締めくくりの言葉にうるっときました。物理的にも歴史的にも風化の途上にあった隧道を丹念な調査で復元したこのレポート,鬼籍に入られた牛ヶ谷隧道の当時の関係者がもし知ったら,きっと大いに労われた心地になるのではないでしょうか。
55,3632024-10-29 03:47:18/road/ganshouji/main5.html10
泣けた
55,1512024-09-25 13:20:34/road/ganshouji/main5.html10
浜松勤務の時に旧隧道三兄弟は見に行ったんですが、あの山の中に旧旧隧道が潜んでいたとは驚きです。激熱レポート、ありがとうございました。こそばゆい
54,9452024-09-07 09:51:28/road/ganshouji/main5.html10
すばらしいな〜

隧道もレポートも。
54,9402024-09-06 13:53:42/road/ganshouji/main5.html10
天然の起伏を鷹揚に乗りこなす茶畑

と綴るよっきのセンスに惚れるわー。
54,9192024-09-03 16:22:02/road/ganshouji/main5.html10
地道は洞道などと並んで隧道以前のトンネルを指す単語ですね!
明治初期の頃は
洞道(とうどう)自然にできた通行可能な横穴
地道(ちどう)人工的に作った洞道
隧道(ずいどう)人工的な通路(縦横構わず)
という認識だったようです。
また、巡回紀行の読み方ですが、「その費用いまだ全く償わざる」は隧道工事に携わった者に払われるはずの賃金が払われていないという意味でしょう。だからこそ、聊か金円を寄附して「その労を慰す」ことにしたわけです。
道路通行費や地域の利益の事を指すなら「この地域の未来の発展を願って」的な事を書くでしょうしね
54,8972024-08-30 20:39:09/road/ganshouji/main5.html10
いやいやいや、岩井寺隧道(旧)発見、これ以上でっかくできんだろうwの文字サイズで喜んじょったねえ。こちらも、
思わず独り言で すげええーー とゆうとりました。
そんなに危険度もなく、笹藪が突破できそうな方なら、旧旧道も行けそうやし。面白かった。
54,8922024-08-30 01:29:10/road/ganshouji/main5.html10
テスト
54,8302024-08-23 16:54:00/road/ganshouji/main5.html10
中国語にも「地道」で隧道を指す用法がありますので、この地道も漢語由来かも知れません。
現代中国語での「地道」は、一般的な交通目的の隧道というよりは、鉱業・軍事目的等で即席で掘った地下通路みたいな意味で使われる事が多いですけどね。
一般的な交通用のトンネルは普通、「隧道」と呼びます。
ところで気になるのは、この地道は「ちどう」と読んでいたのか、「じみち」と読んでいたのかですね…。
通用度についてですが、そもそも近世以前には「交通目的で人工的に掘った穴」なんて概念自体が一般的では無かったでしょう。
橋は昔からいくらでもあったでしょうが、隧道はそうではないでしょう。
概念自体が一般的でなければそれを指す言葉も何れにせよあまり一般的ではなかったのではないでしょうか。
一般的でないからこそ昔は隧道を指す色々な表現が乱立して一定しなかったのかなと感じます。
54,8282024-08-23 04:59:48/road/ganshouji/main5.html7
現地の土地勘が全くないので正直難しすぎて困惑するレポートでした。
私の理解力が乏しいだけですが…
何度か読み直せば徐々に味が出てくるのかもしれませんが、またの機会にしておきます。
54,8072024-08-21 01:36:15/road/ganshouji/main5.html10
> 名前を取り戻した「牛ヶ谷の地道」
おお、なんだか千と千尋的な。
勝手な個人的な印象ですが、ヨッキさんって道の陰陽師みたいな?
実質的に数知れぬ道を看取ってきてらっしゃると思いますし。
なので例えばヨッキさんに「これは非道い」と宣告された道は... 道でなくなります
54,8062024-08-21 00:00:54/road/ganshouji/main5.html10
最近広告の方針を変えたというツイートを見かけて久々に拝見しましたが机上調査編はヨッキれんさんならではの濃くアツい内容でとてもよかったです。これは最近意識されている動画系探索者や道系blogで真似できない代物だと思います。頑張ってください
54,8022024-08-20 21:22:09/road/ganshouji/main5.html10
完結に際して、1点質問します。「牛ヶ谷」の訓み(よみ)は何でしょうか?
54,7992024-08-19 17:47:21/road/ganshouji/main5.html10
これらの隧道建設の背景としては、陰陽連絡などの理由のほか、内陸から海辺への商業路などを当初緒も負い描いていましたが、どうやら戦国時代にさかのぼるように思えてきました。掛川城、高天神城といえば徳川武田といった武将の勢力の境界、砦跡も残っている…こうした城同士の連絡路が時代が変わって峠の下にトンネルを通すことになったのではないか?と…
54,7942024-08-18 09:43:17/road/ganshouji/main5.html10
最近の地図と古地図を、カーソルオンでチェンジできるトコがありますが、位置合わせが大変そうだなあと見ています。
54,7932024-08-18 01:33:52/road/ganshouji/main5.html10
すみません、不躾にもド素人が横から失礼致します…。
和田隧道(仮)跡地の切り通しの底が二段になっている点につきまして、ヨッキ様は上の段が隧道跡と推理されていましたが、牛ヶ谷と同じように上の段が古い切り通し、下の段が隧道で上下に重なるように同時期に存在しており、その後まとめて現在の深い切り通しになった…という可能性はありませんでしょうか?
和田隧道のスペックが出てきた今、あらためて第2回の62年の航空写真を見ると、隧道と疑った道の切れ目が28mもあるように見えなくて…(せいぜい10m?)。
実はあの道は木の陰で途切れているように見えるだけの上の段の切り通しで、その地下に長い隧道が潜んでいたとすると、76年の写真に切り通しが見えるにも関わらず隧道が近年まであったかも知れないこととの辻褄も合う気がするのですが。
54,7922024-08-17 21:46:24/road/ganshouji/main5.html10
文献は1度読んではいオシマイではなくて、時間をおいてから2度3度と読むと、新たな発見がある。
この世には埋もれていて発掘されていない文献や記述が、まだまだ山ほどあるに違いない。
54,7902024-08-17 20:07:34/road/ganshouji/main5.html10
いつも思いますが、机上調査がすごい。
54,7882024-08-17 15:31:07/road/ganshouji/main5.html10
国会図書館の電子閲覧が個人でも利用可能になって更に本文検索があるおかげで、必要な文献を見つけ出しやすくなりましたね。
54,7872024-08-17 08:37:06/road/ganshouji/main5.html10
レポートの価値が高いのでクラウドファンディングなどでカラー本で出版してほしいです!古い記事内の他ブログのリンク切れや公開中止レポートも勿体ない。
後世で価値が上がると思います。
54,7862024-08-17 03:30:48/road/ganshouji/main5.html10
「e−地図かけがわ」でも、「地道」北の栗原川に架かる橋を「牛ヶ谷橋」と表記していることが、「牛ヶ谷」が隧道付近の地名であることの傍証になるでしょう。
54,7842024-08-17 01:34:04/road/ganshouji/main5.html10
「牛ヶ谷の地道」の名称について、そのまま「牛ヶ谷隧道」としている資料もありました。
隧道の開削世話人になった鈴木さんという方も、報徳社の関係者みたいですねぇ……

名称:鈴木良平小伝
出版:昭和11
https://dl.ndl.go.jp/pid/1104658/1/14
明治十年
八月、父ト力ヲ協セ高�鸞蔀譱肇吠齷�社ヲ結ブ

明治十一年
十二月、牛ヶ谷隧道開削世話係ニ擧ゲラル


名称:北巨摩郡誌
出版:1915年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1877638/1/354
遠江國報��社訓導(山梨縣米作改良巡回教師)鈴木良平


るくす

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