http://yamaiga.com/road/kodakumi/ の公開中コメント一覧

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コメント
59,7622026-03-26 01:16:37/road/kodakumi/main15.html10
誰も触れてないけど、* 川の中にいる *は和賀計画の* かべの中にいる * のセルフオマージュでしょ?
58,2092025-12-27 11:20:29/road/kodakumi/main15.html10
読んだ後の満足感だと、このレポがトップですね。廃道まで行かない、いわゆる原点回帰的な林道走破&考察、何十年も前の人々の温もり、それらが合わさった完成度の高い記事だと思います。
このレポートを4年ぶりに読み返したのですが、やっぱり今読んでもそう感じます。
58,1102025-12-15 15:52:16/road/kodakumi/main15.html10
紀伊半島の古道にも似た風景が素敵でした。ダムをウォークスルーする道は激レア過ぎて憧れます。
さて、3度も登場した出合橋ですが、「人と人が出会う」の漢字と違うなと思って検索したところ、「出合」は川の合流地点を特に指すことがあるようです。
「この橋は川の合流地点だよー」と知らせる意図があった考えると、この地域の土木関係者が川を強く意識していたのかなとも思いました。

西日本在住者としては、山道にシダはつきものなので、よっきさんが東日本との植生の違いに驚くのが逆に新鮮でした。
57,3892025-08-17 18:18:58/road/kodakumi/main15.html10
廃道に興味がありそうな人に、導入として教えるのにバランスが良いレポート。
57,1572025-07-22 05:59:28/road/kodakumi/main15.html10
此処のように存在を広く拡散したことにより却って封鎖を早めてしまった面はあるかも。
触発された人達が押し寄せたらメンテナンスの人達にも支障が出るのでね。何よりも事故があったら困るでね。
押し寄せてくる皆がヨッキ氏レベルの技量があるわけもなく。
57,1552025-07-21 19:21:25/road/kodakumi/main15.html10
クルマ詳し過ぎる人大杉!
まさか軽トラまで裾野広げてるカーマニアなんて少ないと思っていたから…
51,5332023-03-16 20:48:51/road/kodakumi/main15.html10
山行がの中でもこのレポートはインパクト、読み応え、読後感とも優れていて心地よいネタの1つだと思います。
51,5172023-03-10 17:14:16/road/kodakumi/main15.html10
もしかしたらすでに把握されているかもしれませんが、、、
樫山小匠線の樫山集落側終点(起点?)の切り通し直前を川岸に降りると、対岸に渡る旧道の木橋が残っています。
樫山小匠線の旧道かとも思いましたが、かかっていたであろう対岸には橋台の残骸以外に道跡がまったくなく、どういうルートをとっていたのか謎です。水没が進んだ現況の確認とあわせて、いつか再訪していただければ嬉しいです。
https://ibb.co/pdv2Ktb
51,4042023-02-10 08:59:41/road/kodakumi/main15.html10
うーん、いい!
双子橋の風景はまさに理想の山間道路のそれだし、各集落跡とそれを結ぶ道も山間でほそぼそと生きた人々の生活が浮かびます。
私の中では山行がの道路レポートの最優秀風景賞です!(最優秀探索賞は例の"291号線")
なおクジヤ平の由来ですが、「ク」は古語で窪んだ場所を意味し漢字で書くと「窪」となります。「クチ」はそのまま「窪地」で、山が窪んだ地、すなわち何かしらの理由で山れて窪地になった場所の意と推察されます。ヤはそのまま谷、平もそのまま平らな場所の意。よって直訳すれば「山中の窪んだ場所の谷部の平らな場所」約分(?)すると「山中の平になった部分」となります。
東日本では古くから平らな地形をタイラと呼んでいましたが、西日本では平安時代以降のことです。西日本では古くはナラ、ヒラ、ピラなどと名付けていました。よって、地名とは危険な場所を示すために名付けられたという地名学によればクジヤ平は当初は崖の崩れた場所を示すために窪地と呼ばれ、次いでその付近の谷部を示すために窪地谷と呼ばれ、時が経ち崖の崩れた跡も平にならされて人が住み着くようになってから窪地谷平という集落名になったのでしょう。樫山よりも狭く、また先に廃村になったのもこの地名を考慮すればうなずけます。
51,3262023-01-20 20:18:26/road/kodakumi/main15.html10
海からもそう遠くない場所での山林。本当に山奥に感じました。
私も山林は大好きですが、ここまでの山道は勇気がでず行ったことがありません。

また和歌山県の山林話を期待してます。

現在は小匠ダムのトンネルは通行止めらしいです。
51,2512022-12-31 23:03:34/road/kodakumi/main15.html9
この前山手川の近くまでダムの方からマウンテンバイクで行きました。途中水中を通り崖崩れもあり途中で帰ってきました
51,2202022-12-22 00:08:49/road/kodakumi/main15.html9
この前山手川の近くまでダムの方からマウンテンバイクで行きました。途中水中を通り崖崩れもあり途中で帰ってきました
50,8532022-10-17 22:35:31/road/kodakumi/main15.html10
何回読んでも楽しいレポです
(序盤の水没林道自転車走行はスリリングですが・・・)
49,0402022-01-09 20:44:42/road/kodakumi/main15.html9
高野編の「map22」と「map23」が逆になっています。実際であればリンクを逆に貼る必要があります。
48,6722021-11-16 00:28:43/road/kodakumi/main15.html10
先日11月13日に林道樫山線をクルマで高池側から登っていき樫山集落に行ってきました行った理由は昭和43年頃にNHKで放送された新日本紀の「紀南」で樫山地区を紹介しているのを再放送で見て限界集落の実態を知ることとなり以前から現況を知りたいと思っていた場所だったからです現在でも元住民の関係者が時々は訪れているのではと思えるように見受けられました高池側から来て最初の左手の家の倉庫はほぼ全壊、他の家もだいぶ損傷が激しくなっていましたが外壁が水色の家は時々手入れに来ておられるのかあまり痛みは見受けられませんでした道中にあった"双子橋"ですが私もそこが気になり立ち止まって同じように撮影しました樫山集落を訪問した際小匠からの道が気になっていたところにこのレポートの存在を知るに至り驚愕の実態を知ることとなりました小匠ダムや廃車体、植林された状態の集落跡等とても興味深かったですまた読み手を惹き付ける内容になっておりぶっ続けで食い入るように拝見させてもらいましたまた樫山集落へ小匠から行きたいと思ったのですが、他の方のコメントでどうもあの"ギロチンの門"がもう閉まってしまっているような状態らしいので小森川の方からトンネルを抜け高野集落側から向かってみたいな等と考えています
48,6372021-11-10 22:08:45/road/kodakumi/main15.html10
2021年10月に探索しました。水没道路の路面は2カ所ほど崩壊してました、水量の少ない時ならイケルかも?
47,9662021-07-06 09:09:48/road/kodakumi/main15.html9
「クジヤ平」の地名の由来について「鍛治屋」が訛ったものだろうと推測されていましたが、串本町に鬮野川(クジノカワ)、那智勝浦町に狗子ノ川(クジノカワ)という地名がありまして、おそらくクジヤ平もこのクジだと考えます。「鬮」はおみくじの「くじ」で、近くに神社があって神事が執り行われていることが由来とされているようで、そう考えるとこのクジヤ平も山手川集落の神社で神事が行われているが故にこの地名になったと考えると合点がいきます。個人的には鯨が訛ってクジになったという言説もこの地方っぽくて好きですが、この山中ではその線は薄そうです。
47,7792021-06-01 23:03:59/road/kodakumi/main15.html9
2021年5月段階で、小匠防災堰堤の基部を通り抜ける道は例のギロチンが降りた状態で封鎖されていました。左岸に堰堤の突端を越える道が新たにつけられていましたが、わざわざ防災堰堤の基部に穴を開けてまで交通を維持する価値がないと判断されたのでしょうか。また、小匠堰堤から1つめのトンネルには2018年時点で存在しなかった「全面通行止 那智勝浦町」の看板が設置されていました。その先の道路水没区間は、以前より土砂が堆積したせいか?2018年時点では平水時には水面上だった道が沈没していました。さらに、高野道の分岐以降はオフロードバイクでも通過を躊躇するような路肩・法面の崩壊も多数……これらの出来事から考えるに……路肩の崩壊、土砂による太田川水位の上昇、それに伴う水没状況の悪化などから那智勝浦町として「住人、利用者がほとんどない状態でこの道を維持する価値はない」と公式に判断されて全面通行止の看板設置+小匠防災堰堤のギロチン永久閉鎖に至ったのではないかと愚考します。いずれにせよ、この道の消費期限はもう残り僅かなのかもしれませんね。
47,5132021-04-30 04:02:34/road/kodakumi/main15.html10
樫山集落が無住となった年は、「き坊の棲みか」によれば> 樫山分校は1975年に生徒数0となり休校、> 樫山部落が無人となった1988年に廃校となっているとありますので、昭和63年、昭和とともに消えたと言えるでしょうF生
47,5032021-04-25 10:59:05/road/kodakumi/main15.html10
NHK新日本紀行、昭和43年放送分に樫山集落と分校、その生徒が映っておりました。BSプレミアムで放送されていたものを見ていたら偶然発見!新しい先生が赴任すること、生徒が1名であることが触れられていました。時期から考えて、この「新しい先生」は寺嶋氏のことで間違いないでしょう。
46,4432020-12-13 22:33:33/road/kodakumi/main15.html10
このレポート拝読した勢いで「炭焼きと魚」読みました。この筆者ってあの水没してしまう道を何度も車で往復していたってことですよね。昔の人ってどうしてこうもタフなのでしょうか。
41,2842019-05-23 15:38:16/road/kodakumi/main15.html10
このレポートと直接関係ないので減点はしないが、広告入れる位置はもうちょっと考えて欲しい。いくらなんでも締めの一文と「完結」の間に5個も6個も広告挟まるとか萎えるなんてもんじゃない。広告に混じって出てくるレポートの紹介も同様。広告や宣伝で得る以上の大きな損をしていると思う。別に広告を入れるなと言うつもりは毛頭ないがもう少しやり方があるであろう。
41,1302019-05-07 01:25:23/road/kodakumi/main15.html10
https://yamaiga.com/road/kodakumi/main10.htmlに出てきた2台目の廃車体ですが、ホンダのTN360に見えます。初代は1967年〜1970年の生産ですから、時期的にもおかしくないでしょう。
41,0152019-04-22 22:11:11/road/kodakumi/main15.html10
廃村山手平、最高ですね。いつかあの鳥居マークを探検したいです。
40,8932019-04-04 00:47:35/road/kodakumi/main15.html10
とても興味深く拝読いたしました。現在の道の状況だけではなく、過去の歴史まで知る事ができ色々な意味での追体験をさせて頂きました。過去の風景を想像しながらの旅、とても楽しいものだと思います。ありがとうございました。
40,7992019-03-23 01:31:08/road/kodakumi/main15.html10
河中走行最高!読んでるだけでプルプルしたよ!
39,5002018-10-08 01:27:44/road/kodakumi/main15.html10
楽しく拝読いたしました。地蔵の道標は 右 たかの で良いと思います。左 しんミち山手ノ川とまり と読みたいところですが(ま は万の字)…
39,3362018-09-14 11:00:05/road/kodakumi/main15.html10
グレート
38,4742021-06-01 23:03:59/road/kodakumi/main15.html9
2021年5月段階で、小匠防災堰堤の基部を通り抜ける道は例のギロチンが降りた状態で封鎖されていました。左岸に堰堤の突端を越える道が新たにつけられていましたが、わざわざ防災堰堤の基部に穴を開けてまで交通を維持する価値がないと判断されたのでしょうか。また、小匠堰堤から1つめのトンネルには2018年時点で存在しなかった「全面通行止 那智勝浦町」の看板が設置されていました。その先の道路水没区間は、以前より土砂が堆積したせいか?2018年時点では平水時には水面上だった道が沈没していました。さらに、高野道の分岐以降はオフロードバイクでも通過を躊躇するような路肩・法面の崩壊も多数……これらの出来事から考えるに……路肩の崩壊、土砂による太田川水位の上昇、それに伴う水没状況の悪化などから那智勝浦町として「住人、利用者がほとんどない状態でこの道を維持する価値はない」と公式に判断されて全面通行止の看板設置+小匠防災堰堤のギロチン永久閉鎖に至ったのではないかと愚考します。いずれにせよ、この道の消費期限はもう残り僅かなのかもしれませんね。
38,2082021-04-30 04:02:34/road/kodakumi/main15.html10
樫山集落が無住となった年は、「き坊の棲みか」によれば> 樫山分校は1975年に生徒数0となり休校、> 樫山部落が無人となった1988年に廃校となっているとありますので、昭和63年、昭和とともに消えたと言えるでしょうF生

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