http://yamaiga.com/road/setoguti/ の公開中コメント一覧

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コメント
40,1842019-01-02 00:20:40/road/setoguti/main.html9
険阻な渓谷のそばに、またも見える暗がり、期待するしかないですね
40,1832019-01-01 17:47:00/road/setoguti/main.html10
初心者にも見付け易い場所ですね。清津峡なら何度か行ったことありますし,この道も通ってます!今度行ったら見てみます!!
40,1812019-01-01 01:30:28/road/setoguti/main.html10
短い第1トンネルが起点側だとすれば屈折部が怪しいように思いましたが、ストレートブー(舌が回らない)を見ると穴沢付近で作りが変わっているようなので、やはり柏崎側が第1トンネルなのでしょうね。次回あたり旧道から穴沢を見上げたり登ったりする展開があるでしょうか。「立派な片洞門」そばのスチール桟橋にも違和感があります。坑口前工事用地の遺物だと思いますが、上から見ても必要だったのかどうか微妙な感じです。平成最後のあけまして。次の元号は「恵子」だそうです(拡散希望)。
40,1802018-12-31 14:27:37/road/setoguti/main.html9
フォーマルとでもいうべき、整えられた廃道の入り口。あなたの訪問を待ってましたよん。
40,1792018-12-31 13:12:47/road/setoguti/main.html9
知ってる場所です。とんでもない って 半分埋もれてるアレかな? なんでああいう状態になったのか、ヨッキ氏の考察に期待してます。
40,1772018-12-31 03:28:36/road/setoguti/main.html10
1階部分がRCの3階建て……屋根も丈夫そうで、全戸道路に雪を落とさない向きに傾斜させています。豪雪地帯なんでしょうねぇ。こういうおうちはお高いですよ。「清津峡トンネル」は船橋市や御代田町の施設が東京や軽井沢を名乗るのと似たようなものでしょうね。藤沢や茅ヶ崎もいつの間にか湘南になりました。よいお年を思変えくださいませ。
40,1762018-12-31 01:03:46/road/setoguti/main.html9
来年もよっき氏と良い廃との出会いを祈って。良いお年を。
40,1732018-12-30 21:08:01/road/setoguti/main.html9
ストビューで見たら西側に新しくて管理放棄された感じのトンネルがありますね。清津峡ホテルせとぐちの奥の方ですね。氷菓の千反田えるでは無いですがちょっと気になります。
40,1722018-12-30 20:46:35/road/setoguti/main.html8
なんでしょう、最近のヨッキさんの文章は「気分」をダイレクトに伝えるのがとても上手くなっているように感じます今回だと>うわー気持ちわりぃ! (訳:良い!)分かる分かるー!いや、こちらが数々のレポを読むうちに飼い馴らされてるだけかも知れませんがw
40,1712018-12-30 20:26:41/road/setoguti/main.html8
あけましておめでとうございます。
38,3222021-05-10 18:47:28/road/setoguti/main6.html9
戻るのも確定なんだから、行きに瀬戸口隧道でリュックを置いてけば良かったのでは?そして昭和16年に瀬戸峡から清津峡にしれっと変更されてしまったw
36,9022020-11-19 23:41:08/road/setoguti/main6.html10
読み終わった後、しばらく涙が止まらなかった
36,6522020-10-20 07:32:31/road/setoguti/main6.html10
いつも貴君の探検ならぬ調査には感動するばかりです。ありがとうございます。私は新潟滞在中、清津峡には訪れなかったが秋山渓谷には行きました。今から40年前です。私は只見渓谷には訪れてませんでしたが、1980〜1985年に駐在した新潟市期間中に只見渓谷に行けば良かったと思うばかりです。只見線は一部不通区間も残しては居ますが新潟県では最大に美しい所で有ります。只見渓谷の村道も豪雪の時代にはどうやって克服していたかを知りたい所です。確かに新潟は一年の12月から翌年の4月上旬まで雪に悩まされ特に12月上旬のカミナリがなる頃は大雪の警告とも言われる程翌日には必ず雪が降った物です。お陰で不通タイヤからスノータイヤに取り替えるのも4本で25分もあれば充分に出来る様に慣らされました。雪と戦う新潟県はそれが日常化してましたし冬には車にスコップとチェーン四つ、木片数個、手袋、帽子ーそして毛布二枚は必需品でした。
33,7302019-12-19 05:58:31/road/setoguti/main6.html10
地元民です。時々ドライブがてら通る道ですが、気軽に車で通れる今の道路にここまで過酷な歴史が隠されていたのですね。まったく想像だにせずトンネルで通過してしまっていました。
33,1472019-10-12 23:15:50/road/setoguti/main6.html9
(´Д`)ノ こんばんはー
32,9982019-09-23 23:57:52/road/setoguti/main6.html10
地元の者ですが、昭和33年生まれの母がこのサイトを見て「6歳くらいの時バスに乗って、ここを通って土倉という集落へ行った覚えがある。」という事を言いました。さらに当時はこの先の葎沢(むぐりざわ)という集落までしかバスが行っておらず、そこから夜の山道を延々と歩いて峠まで登っていったそうです。免許を取ってからもこのトンネルを通っていたため、対向車のライトが見えると入り口や内部の少し広くなっていた場所ですれ違いをしたそうです。今は冬でも快適に峠越えが出来るのも先人たちの知恵や努力の積み重ねがあるおかげという事を改めて思いました。
32,8112019-08-29 10:30:53/road/setoguti/main6.html10
素晴らしい、ケガには気を付けてください
32,6792019-08-19 18:29:49/road/setoguti/main6.html10
歴史的な背景まで記してあり楽しく読ませていただきました。
32,6092019-08-15 04:33:10/road/setoguti/main6.html10
温暖な地域に住んでいるため、雪中隧道の記事は何度か読んでいても最初からピンとこないのが正直なところでしたが相当厳しい場所であったことが伝わってきました。
32,4832019-08-01 22:17:01/road/setoguti/main6.html10
よく調べていて歓心しました
32,2162019-06-25 13:28:32/road/setoguti/main6.html10
小学校低学年だった昭和50年代後半にテレビで見た、冬は閉ざされる村や分校まで2時間歩いて通学する小学生はこういう場所だったのではないかと思いました。それから、観光地の一極集中のところは、本当にそう思います。
32,1812019-06-19 08:54:21/road/setoguti/main6.html9
昨夜の地震で被害に遭われた方に、お見舞い申し上げます。ここの片洞門辺りは、大丈夫だったんでしょうか。
31,9922019-05-28 02:24:19/road/setoguti/main6.html10
今回もよかった。東京在住で秋山郷(長野県)に釣りに行くときに関越越後湯沢から十二峠〜津南を経由する際に何度も通っているところでした。渓流釣り解禁の5月でもまだ雪がところどころ残っていることも多く、十二峠から先は結構気を遣うところです。津南から長野県に入るころには間違いなく雪が残っていますが。津南までも怖いところというのが理解できました。単に酷道・廃道ということではなく、その歴史までレポートは、非常に深く、読み手に感銘を与えるものです。労力は大変でしょうが、『机上調査編』も結構楽しみにしています。先に行くか?、先に調べるか?私は、公私ともに現場主義なので、まずは行ってみる!そんなライフワークを応援しています。
31,9592019-05-21 21:08:51/road/setoguti/main6.html10
原付ツーリングで通った場所(おいらん淵)を調べていたら、このサイトにたどり着きました就活中の男子大学生です。今や何の苦労も無く通過できるトンネルの陰には、先人のかけた数々の努力と多大な犠牲があったのですね… 廃道になったことで地元の方でさえ忘れかけていたその道の物語を、身体を張って発掘するヨッキれんさんには畏れ入るばかりです。これからもお身体に気を付けて廃道探検なさってください。山行が読んで応援してます!
31,8342019-05-08 15:17:10/road/setoguti/main6.html10
雪害との斗い。アツいぜ!BY道東民
31,8262019-05-07 14:53:28/road/setoguti/main6.html10
机上調査が重厚鬼気迫るものがある
31,8192019-05-06 12:02:49/road/setoguti/main6.html10
清津峡のレポート、ありがとうございます。私は、今から30年ほど前(平成2年〜4年まで)仕事で旧十日町市に住んでいました。仕事で時々、R353(十二峠)を通ることがありましたが、カーブも多く狭い危険な道で、トラックの通行量も多く、あまり通りたくない道でした。職場の先輩から、「この道は自衛隊が作った」と聞いていましたが半信半疑でした。今回、疑問が解けました。まさか、自衛隊どころか旧陸軍まで関係するとは思っていませんでした。トンネル周辺の様子(もう少し旧道がはっきり残っていたと思います)や、清津峡ホテルなど懐かしいです。
31,7972019-05-04 17:14:14/road/setoguti/main6.html10
15000文字は長かったが読後感は最高に良かった。雪中隧道の話になると山古志や栃折が思い出されてうるっときた。
31,7892019-05-03 22:58:38/road/setoguti/main6.html10
へつり道は危険すぎて少ししか利用されなかったんですね。軍隊は単に爆破演習がしたかっただけじゃないの?
31,7682019-05-01 23:17:14/road/setoguti/main6.html10
写真29は岩盤の爆破のシーンを撮影したものでしょうかね。

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