http://yamaiga.com/road/suyama/ の公開中コメント一覧

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コメント
56,2072025-02-24 23:44:44/road/suyama/main5.html10
ツーリングルートの側にこんな道が!
楽しく読みました
53,6782024-03-13 16:15:08/road/suyama/main5.html9
よかった
53,2242024-01-02 00:05:05/road/suyama/main5.html10
いつもお疲れ様です。信仰のルートは、今では考えられないほど重要ルートだったようですね。四国八十八か所巡りルートも、いまだに古道を巡る人がいるので、刈り払いなどが半分ボランティアで続いています。(^^)
51,9622023-06-28 22:47:27/road/suyama/main5.html10
人間の足と言うものは優秀やねえ。舗装が無くても、急勾配でも、最短距離で行こうとする。そして未舗装の車道を通行した車達に敬意を表する。昔同乗して、通ったけど、がったんがったんで、石やら何やら蹴り飛ばす騒音と揺れでろくに話しもできんよ。昔のタイヤは性能が悪いし、四輪駆動もないし。ぬかるみから抜け出す用に板を乗せてたよ。
51,4072023-02-11 11:43:28/road/suyama/main5.html10
市道巣山線の廃止の件はWeb記事にも掲載されていましたね。3月の議会に提出だそうです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230209/k10013975971000.html
51,4002023-02-09 21:59:49/road/suyama/main5.html10
先ほどのNHK報道番組で、この路線の橋梁調査の経費削減のために、新城市が市道廃止するというニュースが出ていました
48,6972021-11-22 15:43:56/road/suyama/main5.html10
三遠南信地域の内、特に奥三河〜北遠〜南信エリア(所謂天竜奥三河国定公園周辺)は地形ゆえに酷道・険道・死道・廃道や様々な遺構があって面白いですよね。しかしこの記事で天浜線や明知線のルーツといえる遠美線の話題が出るとは思いませんでした!!浜松市北区引佐町渋川といえば、数年前まで遠鉄バスが44渋川線として浜松駅から毎時1本程度大型路線バスを走らせていましたが、現在は44伊平線として引佐連絡路手前の伊平までに短縮(伊平以北はデマンドタクシー化)してしまい寂しくなりました…
48,3242021-09-13 22:11:57/road/suyama/main5.html10
【強いて言えば「旧八昇峠」だが、いまいちピンとこないのは、そもそも八昇峠の由来が分からないからだろう。】→新道の峠を見ると、、、8回大きく曲がりながら登っているようで、それで八昇峠?なんて想像しながら楽しく読みました。なにも目立つものがない一つの峠と旧道から古人の見た風景を想像しながら進む感性にいつも興奮しております。
47,9952021-07-21 18:31:00/road/suyama/main5.html10
地元が近くなので楽しく読ませていただきました。こんなS字カーブのばかりの道を自動車が通っていたのですね。
46,6762021-01-11 18:23:40/road/suyama/main5.html10
本日、昔の峠まて古道を辿って行ってきました。古道麓の入り口は、弘法岩の直上を通っています。流石に名のある旧街道で、全般に古道として道幅は広く、ヨッキ様も体感した地形の通り、巨岩の合間をつづら折りで登る、スリルとダイナミックさもある、秀逸な古道でした。橋や遺構は乏しいてすが、旧道と同じ気品が古道にもある印象です。ヨッキ様も機会があれば、お試しください。以下は、補足点。・弘法岩奥の祠は道なき沢を遡りましたが見つからず。・途中の崖の中腹のお地蔵様の隣に、もう一体石仏有り。文政7年の表記有り。・電話線に引っかかった樹木はまだ有り。
46,5912021-01-04 21:18:44/road/suyama/main5.html10
細川~巣山線が大工事の末39年3月に峠越えの荷物運搬可能な道路として再開通させたが、何せ坂がキツく切り返しの大きな道だけにより坂の少ない阿寺経由を選択された事でこの細川線の使用が徐々に減った事は事実である。せっかく物資運搬用に5メ-た-にまで広げたのが不幸な結果となった。江戸時代の運搬は殆どが裏街道利用の通行人が主で背中に荷物を背負う行商人の他牛車を引っ張る方としてはたとえ遠回りでも重たい荷物が少しでもキツくない坂を利用せざるを得ない状況である事は確かだと思う。旧道として巣山から南西側に滝の有るツズラおり道が山中に残っているが当時の大野宿場には最低40軒以上の宿があった様で、現在は単なる小さな農家専業の田舎町巣山からは想像出来ない程の25軒程の宿が並んでいたと。産業革命の様な道路が整備されつつ有った昭和のバブル時には宿も消え失せた、旧宿場町を巡る観光産業が芽生えてきた平成20年、30年代には散策以外の昔の宿場の面影を観に来る外人観光客には妻籠の様な過去の時代を思い出し見学、宿泊体験が大いに持て囃され大きな産業になりつつある。その意味でこの道路がキチンとしたコンクリート橋か又は鋼鉄製の橋に変わっていたらそれこそその様な観光客を呼んでいたかも知れぬ。なお以前秋田県の川砂利運搬線として使われていた英国産の鋼鉄製架橋ですが錆びて朽ちるには勿体無い。かっての英国の製造会社も1890年には南アフリカやインドにも輸出するに至ったが惜しくも工場の設備の古さと効率の悪い幅の狭い立ったの12インチのミル使用には世界の近代化が進む1950ー60年代には対応出来ずにコストの面での採算が合わず新型高炉導入、幅が50インチ以上のミルにおいておき堀になってしまい英国産業は敗退の一途となり1960年代には完全な不採算工場となりそのまま朽ち果てた。現在の英国産業は丁度昔の宿場街の様な朽ち果てた建物しか残らない産業となり時代錯誤的な旧英国産業革命の花形は今では見る影もない。但し1790年に世界最初に建設されたエル型鋼を使ったアイアンbridgeは博物館的存在として田舎に残ってます。架橋スパンが60メ-タ程ありペンキで保護しているので現在も見事なア-チ状の美しさを保ってます。今後の貴君の活躍を賞賛する英国在住者からです。
44,0452020-04-29 19:20:48/road/suyama/main5.html10
技術系ではないですが、以前は道路関係、現在は土木系コンサルの企業に勤務しており、実生活まで山いがにインスパイアされている感があります。。橋やトンネル、シェッド等は、委託を受けたコンサルが点検し、報告書を提出する流れです。私のいる地域では、役所の職員は現地に来ることはないと思われます。このレポをみて、改めて技術系職員に憧れます^^
43,9152020-04-09 17:57:44/road/suyama/main5.html10
いつも思いますが、最後の机上調査が本当に面白い。ビジュアルで見た廃道の歴史をロマンに替えてくれます。そして、キリッと引き締めたレポートの完成となり、読者の満足感を高めます。今回も最高でした!
43,0932019-12-21 10:20:50/road/suyama/main5.html10
以前、他の県ですが豊浜トンネル関連で緊急に市道の全線点検を行ったことがあり、その時に作業に関わりました。こういったことはお役所の方が直接来ないで、先ずは業者に調査させて最終的に改修などの決定になる辺りまで担当者は来ない・・ようです。(改修の最後の最後だけしか来ない、というのもあったそうですが)何分20年ぐらい経過しているので、現在は違っているかもしれないですが。
42,8692019-12-01 00:39:02/road/suyama/main5.html8
八昇峠は年に数回は通過するがこのような旧道があったとは! 面白く読ませて貰いました。
41,6562019-07-16 03:23:32/road/suyama/main5.html10
貴サイトは縁のない土地のレポでも非常に楽しいですが、新城は年に数回は訪問する場所なのでより楽しく読ませていただきました。この辺りはまだ行ったことがないですが、近くへ行って覗くくらいできたらと思いました。(笑)三遠南信というと秘境のイメージが強いですが、かつては旅人で賑わったと思うとワクワクするとともに現状への寂しさも感じます。6号橋のところが地図で隧道になっているのは(ご存知と思いますが)遠州廃ものねだりさんもそれについて考察・指摘していたようですね。あと、最近気がついたのですが愛知県(三河地方だけかも?)て道路情報板がけっこう険道なところでも電光掲示板タイプな気がしました。
41,5752019-07-07 13:21:15/road/suyama/main5.html5
昔みたいに自転車で行けるところまで行って、無理なら乗り捨て回収するスタイルは捨ててしまったのですね。効率重視の流れになって残念です…
41,5582019-07-03 03:17:32/road/suyama/main5.html10
時代の変化による土地の栄枯盛衰と、それに伴う道の移り変わりを、文章と写真で疑似体験できたかのようでした。一本の短編映画を観たような、そんな余韻。
41,5502019-07-01 16:52:10/road/suyama/main5.html10
ゼンリン地図を副教材に読み進めたとコメントしたものですが、巣山の集落あたりにハマイバという小字っぽい表記があり、ハマイバ丸という山(1752m)と同じ語源の破魔射場だとすると信仰に関係がある土地と推理できましたね。気づけていたら机上調査編での答え合わせがもっと楽しめたのに不覚でした(笑)
41,5422019-06-27 23:11:01/road/suyama/main5.html8
渋川の六郎沢線沿いの住人の子ですが、江戸の昔は旅の一座も通ったそうで、相当に繁栄していたみたいですね。往時の様子を垣間見れて楽しかったです
41,5402019-06-27 19:54:59/road/suyama/main5.html10
尾根を4つも使った贅沢な山岳道路です。なるべく一定な勾配に整えるとこうなるのかな(わからない)。バリエーション登山なら取りついた尾根を425.5Pを目指して直登し、集落までトラバースで検討すると思います。これと車道の折衷ルートが地形図の表記のようですが、等高線が密な場所をまっすぐ行っていたりして部分的に無理だと感じました。これが第一印象です。記事がちょうどゼンリンの市街図区域だったので久しぶりにZiを副教材として活用しました。3月以前だったらGoogle Mapにも妥当な道型が表示されていたんだろうなと実感できるレポートでした。Google Earth Proは現在もゼンリンのオーバレイが表示できますが、開発が遅れているだけかもしれません。ゼンリン地図を教材にしたせいで例のトンネル疑惑も生じましたが、等高線の描画や空撮から沢の下をくぐるのは無理があると思っていました。フィールドワークは尊いです。空撮で道型がはっきりわかるので、大規模な土工がなされているかしっかり維持されているかどちらかだろうと想像して読み進めました。オブローディングの記事ですから当然前者でしたね(笑)。肝心の財源などは机上調査編を読むまでわかりませんでした。秋葉詣での宿場とは……。ネタを与えられたときにある程度の推理はしますが、フィールドワークと机上調査、それに読者情報にはかないません。馬頭尊は結構古いかもしれません。根拠は示せませんが識字率の向上とともに形から文字へと表現が変わってきます。偉いさんの墓石などはこの限りではありませんが道祖神的な人目に触れるものにはおおむね当てはまると思います。ずいぶん彫り込んであるように見え、オリジナリティも高いので力作でしょう。欄干はある時期道を折り返すために大きな工作をした場所でしょうか。転落防止よりもこういうところは壊れやすいからなにかしておこうみたいな意思が働いたようにも見えます。昭和30年代の橋によく見られる形状ですが穴をふさいであるように見えるのが気になりました。鉄管を渡す気がなかったか、施工してみたら位置が合わなかったか、予算が厳しくてあきらめたか……。平歯車はなんでしょうね。厚みやシャフトの形状から相当力のかかる部品なのは間違いないですが(減速用だと思います)、捜索しても関連部品が出なかったわけですし。索道跡ならたいていもっとづがい(大きい)遺留品がありそうです。阿寺七滝はミステリ(サスペンス……)小説の舞台になったことがあり、このへんの地図を開いたのはそれ以来です。また、レポートを読むときにジカヨーを隠した場所も推理しますが、まさかこことは……。周到な計画がうかがえます。今回の件から得られた教訓(笑)は、「無感動主義では損」ということでしょうか。さすが平沼先生、いい言葉を残します。体が動くうちは先生なんて呼ばれたくないのだろうと察しますが、やっぱりカリスマですよ。
41,5352019-06-26 22:51:33/road/suyama/main5.html10
古地図からの発見、現地調査、机上調査による文献的な掘り下げまで、見事としかいいようがありません。やまいがならではの真骨頂です。楽しく読ませていたきました。できれば古道も調査してほしかったと思いますがそれは机上探検隊(?)の勝手ないいぶんですね!
41,5142019-06-24 22:31:33/road/suyama/main5.html10
エラく複雑な経緯で、訳が分かりにくい。道の変遷を年を追って精密に作成するのは資料不足や矛盾した記述(に見えて、記録の抜けがあったら実は矛盾していない可能性が。)の為もはや不可能では。
41,5132019-06-24 21:26:32/road/suyama/main5.html9
秋葉信仰街道網を代表とした遠江,信濃,三河の旧道は魔境だと思う…旧遠江の内でも山住権現〜秋葉山秋葉寺〜春埜山大光寺〜大日山金剛院〜大尾山顕光寺と山岳信仰の拠点を結ぶネットワークには浪漫がある
41,5112019-06-24 14:14:39/road/suyama/main5.html10
秋葉道の複数記載が良かったです。秋葉道というと秋葉詣でのための道というだけで、実際は名称ですらないからです。三河にも秋葉神社たくさんあります。秋葉神社の前が秋葉道であることが多いです。
41,5092019-06-23 14:01:36/road/suyama/main5.html8
バスの件ですが、家にある宮脇俊三著の「国鉄全線各駅停車�ヅ豎て�360駅」の三河大野駅の記述には、駅舎に隣接した建物は飯田線の前身鳳来寺鉄道の経営した旅館で、当時三河大野と浜松を結ぶ国鉄バスがあり、夜遅く下車したバス沿線の人々が利用した。と書いてあり。買収後は国鉄の官舎として活用された。となっています。が、国鉄買収は昭和18年。その頃に国鉄バスがあったか疑わしいですが、他のバス事業者がいたのかもしれません。ちなみに隣の湯谷温泉駅も同様の駅舎ホテルがあり、国有化後に国鉄の独身寮にしたと書いてあるので、作者か地元の人が両駅を混同している可能性もあります。この建物は来月解体予定らしいので一度見に行きたいです。
41,5062019-06-22 07:35:52/road/suyama/main5.html10
お調べされてるか、既にご投稿があるかもしれませんが、ご一報を。旧道の国鉄バスの件です。他者の個人サイトですが、こちらをご確認ください。http://www.magame.jp/fumo/jnr500.html#506抜粋ですが、下記の様に記載があります。・1957(S32)年2月20日に遠三線三河小野〜細川が開業した。・1966(S41)年1月15日に遠三線巣山〜細川が開業した。旧道を国鉄バスが通らなかった。とは書かれてないです。しかし、旧道がネックで新道開通後に路線開設できた。と読み取れなくもないです。推測できる情報として、ご提供いたします。
41,5052019-06-21 16:32:17/road/suyama/main5.html10
今回もまた「ありがとうございました」。交通の歴史を知ることは本当に考古学のような喜びですね。これをヨッキれんさん一人で毎回やり遂げているのだから尊敬します(本心ですよ!!。いつも茶化してふざけたコメント残してますけど)。
41,5042019-06-21 15:45:19/road/suyama/main5.html10
濃ゆっ!!並々ならぬ労作であり大作であり名作ですね〜、特に机上調査編の濃厚さにはなんていうか、胃もたれしそう…。(←褒め言葉ですよ・笑)。探索を堪能した後の机上調査を、いつもたのしみにしています。…でもね、しつこいようですが、千頭もお待ちしておりますですよ(笑)。 (お)
41,5032019-06-21 12:41:10/road/suyama/main5.html10
オチも小気味よし!

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