| ▼番号 | 書き込み日時 | 書き込みURL | 点数 |
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| コメント | |||
| 53,871 | 2024-03-27 07:55:54 | /tunnel/r128_hama/main2.html | 8 |
| いつまでとおれたのかしりたいです | |||
| 51,644 | 2023-04-15 00:05:39 | /tunnel/r128_hama/main2.html | 10 |
| とても楽しく読ませていただきました。本記事で触れられている勝浦・部原〜御宿一帯は、親戚が写真の部原衛生処理場手前の坂を登った辺りに別荘を所有していて、'70 年代は夏休みになると来訪していたので、とても懐かしい場所です。 また、自分はクルマであちこちドライブしては、訪ねた先をジョギングするという酔狂なことをしてるのですが、部原海岸は、海沿いにサーファー向けに立派な駐車場が出来たこともあって、ちょくちょく訪ねてますが、主様が浜隧道(仮)を訪ねた 2 ヶ月前の '09/1/11 に上記駐車場にクルマを駐めて、初めて部原〜御宿を走ったのですが... 御宿に抜けるのに 128 号のトンネルを走るのは嫌だと思い、しれっと地図に浜隧道(仮)が記載されていたので、そちらを通ろうと、前編 11 枚目写真辺りまではトコトコ進んだのですが、自分の場合はそこでヘタれて、諦めて 128 号に戻ってトンネルを走りました。(イノシシ用?の罠は自分も見ました) 別の方の情報も興味深く読ませていただいたのですが、あの道をかつてはバスが通っていたとのことで、大変驚きました。前編 1〜11 枚目写真辺りまでは、昭和48年頃、いとこと二人で虫取り網を持って歩いたことがありましたが、ほとんど人は通らない、少なくとも生活道路として利用されているような道ではない感じでしたが、昭和50年代までは歩いて御宿まで抜けられたのですね。 また、本旧道の YouTube 版がないか 「部原 廃道」 で検索したら、7枚目写真(「旧道であっても、せめて舗装くらいはあると思っていた」)の右側藪の中を突き進んでいく廃道が、かつてはあったとのことで、部原から勝浦の朝市を訪ねる際に使われたのではないかとのことでした。 | |||
| 45,407 | 2020-09-06 10:05:02 | /tunnel/r128_hama/main2.html | 10 |
| アップされてから10年以上経っているようですが、国道128号線の事を調べていましたら、このサイトに辿り着きました。かつてこの旧道沿いに住んでいましたので、懐かしく拝見しました。今でも時々行きます。浜隧道記に記述のある年代について多少自分の記憶と異なることがありますので、述べさせていただきます。私は昭和34年ころ、保育園に入園するのを機に少しでも町に近い、当時祖母が住んでいた御宿側の旧道沿いの家に移りました。その時既に当該道路は旧道となっており、当時は車を所有する家もなかったことから、車の往来は外から来るものに限られていたと記憶します。浜隧道記では昭和39年となっていますが、それよりは早いと思います。それよりも前に泊まりに行ったときに車が少しは通っていたことはおぼろげながらに思い出します。私が小学校の頃は友人と旧道を通って部原の方まで何回も行きました。その後、昭和50年代までは歩いて通れたと思います。鉄道のトンネルも通ったことがあります。鉄道トンネルの中には退避場所があるのはその時知りました。部原の方から旧道に入ってすぐの衛生処理場は新道開通の後にでき、貴兄が国道より左折して入った道は処理場の専用道の様になり、旧道と新道をつなぐ道は新道のトンネルの入り口付近から山の下を通る道が急遽作られていました。写真にありますね。跨線橋も懐かしいです。これは想像ですが、外房線の電化に合わせて強化工事をしたのかもしれません。外房線の電化開始は昭和47年7月です。隧道は確かに大きいという記憶があります。既に御宿側からの入り口は少し崩れていました。昭和20年改築で、最初に掘られたのは明治36年ごろとの推定からしますといずれも戦争に絡んでいるのではないでしょうか。最初の開通は日露戦争の、改築は大東亜戦争に関係しているかもしれません。軍の突貫工事でやったとすれば正式な記録が無いのかもしれません。聞きかじりですが、戦時中、勝浦には火薬工場、勝浦港には海軍の施設、また勝浦燈台近くの丘には電探(レーダー)施設がありました。この隧道の丁度上には人が通れる程の小道がありました。多分これがこの隧道ができる前の御宿から部原へ抜ける人道だったのではないかと勝手に推察しています。この道は“馬道”と私が小さい頃は呼ばれていましたので、馬は通れる位はあったのでしょうか。私は昭和45年ころまでは歩いたことがあります。“歴史的農業環境閲覧システム”でチェックするとそれらしきものが窺えます。隧道を抜けて御宿側に最初にある家屋は旧道化してだいぶ経ってから、他地域からの移住あるいは別荘的に建てられたもので比較的新しいものです。私が転出した後のことです。電柱にある“らくだ”は東電の番号付与ですが、御宿の月の砂漠にあやかって“駱駝”からきていると思います。童謡“月の砂漠”は作詞家の加藤まさおさんが御宿の砂浜をモデルに作詞したものです。 | |||
| 39,764 | 2018-11-10 13:20:54 | /tunnel/r128_hama/main2.html | 10 |
| 正規の罠漁ならば近くに設置者の連絡先などを書いたプレートがあるはずです。 | |||
| 36,102 | 2020-09-06 10:05:02 | /tunnel/r128_hama/main2.html | 10 |
| アップされてから10年以上経っているようですが、国道128号線の事を調べていましたら、このサイトに辿り着きました。かつてこの旧道沿いに住んでいましたので、懐かしく拝見しました。今でも時々行きます。浜隧道記に記述のある年代について多少自分の記憶と異なることがありますので、述べさせていただきます。私は昭和34年ころ、保育園に入園するのを機に少しでも町に近い、当時祖母が住んでいた御宿側の旧道沿いの家に移りました。その時既に当該道路は旧道となっており、当時は車を所有する家もなかったことから、車の往来は外から来るものに限られていたと記憶します。浜隧道記では昭和39年となっていますが、それよりは早いと思います。それよりも前に泊まりに行ったときに車が少しは通っていたことはおぼろげながらに思い出します。私が小学校の頃は友人と旧道を通って部原の方まで何回も行きました。その後、昭和50年代までは歩いて通れたと思います。鉄道のトンネルも通ったことがあります。鉄道トンネルの中には退避場所があるのはその時知りました。部原の方から旧道に入ってすぐの衛生処理場は新道開通の後にでき、貴兄が国道より左折して入った道は処理場の専用道の様になり、旧道と新道をつなぐ道は新道のトンネルの入り口付近から山の下を通る道が急遽作られていました。写真にありますね。跨線橋も懐かしいです。これは想像ですが、外房線の電化に合わせて強化工事をしたのかもしれません。外房線の電化開始は昭和47年7月です。隧道は確かに大きいという記憶があります。既に御宿側からの入り口は少し崩れていました。昭和20年改築で、最初に掘られたのは明治36年ごろとの推定からしますといずれも戦争に絡んでいるのではないでしょうか。最初の開通は日露戦争の、改築は大東亜戦争に関係しているかもしれません。軍の突貫工事でやったとすれば正式な記録が無いのかもしれません。聞きかじりですが、戦時中、勝浦には火薬工場、勝浦港には海軍の施設、また勝浦燈台近くの丘には電探(レーダー)施設がありました。この隧道の丁度上には人が通れる程の小道がありました。多分これがこの隧道ができる前の御宿から部原へ抜ける人道だったのではないかと勝手に推察しています。この道は“馬道”と私が小さい頃は呼ばれていましたので、馬は通れる位はあったのでしょうか。私は昭和45年ころまでは歩いたことがあります。“歴史的農業環境閲覧システム”でチェックするとそれらしきものが窺えます。隧道を抜けて御宿側に最初にある家屋は旧道化してだいぶ経ってから、他地域からの移住あるいは別荘的に建てられたもので比較的新しいものです。私が転出した後のことです。電柱にある“らくだ”は東電の番号付与ですが、御宿の月の砂漠にあやかって“駱駝”からきていると思います。童謡“月の砂漠”は作詞家の加藤まさおさんが御宿の砂浜をモデルに作詞したものです。 | |||
| 25,580 | 2017-05-01 12:21:56 | /tunnel/r128_hama/main2.html | 10 |
| 実におもしろかったです。ふくい敏雄 | |||
| 19,647 | 2015-08-14 01:15:56 | /tunnel/r128_hama/main2.html | 10 |
| 一般トンネルをそのまま細長くした感じですね。 | |||
| 15,301 | 2014-03-25 15:17:41 | /tunnel/r128_hama/main2.html | 10 |
| ワナ注意www | |||
| 13,260 | 2013-07-19 11:20:42 | /tunnel/r128_hama/main2.html | 7 |
| 御宿周辺を走ってきましたが旧道がないと思ったらあったんですね。 | |||
| 9,317 | 2012-03-12 04:14:39 | /tunnel/r128_hama/main2.html | 9 |
| 素人かつ車持ってない私でも、冬場なら近づける物件かな・・・ 外房線の掘割を見下ろす橋上からの眺めも含め、行ってみたくなりました | |||
| 6,240 | 2011-02-09 15:49:41 | /tunnel/r128_hama/main2.html | 10 |
| ドキドキ、わくわくしました ♪───O(≧∇≦)O────♪ | |||
| 1,765 | 2010-02-09 20:17:35 | /tunnel/r128_hama/main2.html | 10 |
| このレポートが掲載されてから1年近くたってしまいましたが 伯母や父親にこのトンネルの事を聞いてみました。 伯母(70代)曰く、戦時中はバスに乗ってこのトンネルを通ったそうです。また、トンネル内が狭いため車と人が同時に通るには 危険だと言う事で、汽車が通らない時間帯を見計らって 鉄道のトンネル内を通る人も多かったそうです。 (鉄道のトンネル内は真っ暗で何も見えないために 適当な棒をトンネルの壁に当てながら進んだとか) 父親(60代)に聞いてみたら、父親が小学生とか中学生の頃には 既に使われていなかった気がする…との事でした。 | |||
| 1,660 | 2010-02-01 02:23:16 | /tunnel/r128_hama/main2.html | 10 |
| 勝浦市民ですが、行ったことなかったので面白かったです。 このトンネル、親が子供の時に車で通った記憶があるらしいです。詳しい時期は分かりませんが、少なくとも四十数年前までは現役だったのでは…、と思います。祖父の話だと、現役当時はバスも通ったとか(当時のバスなので大きくもないのでしょうが)。 あの白い橋は外房線からも見えます、が、結構飛ばす区間なのでチラッと白いもの見えるだけです。狙って見ないと何だかよく分かりません(笑) 外房線の勝浦〜浪花間は、複線化用に作られたトンネル以外は(一部抗門に補強を受けていますが)全部レンガ積みです。 | |||
| 1,132 | 2010-01-08 16:54:56 | /tunnel/r128_hama/main2.html | 8 |
| 国道128号旧道 浜隧道(仮) 後編 東電のプレート 「らくだ229」は番札と呼ばれる物で らくだの229号柱と読みます。 御宿町浜67番地の一般町道の物ですよね? 東電やNTTなどの番札標識に使われる名前が地元にゆかりのある名前を使われますのでもしかしたら落田であっているのかもしれません 地元資料を漁るしかないのですが | |||
| 779 | 2009-12-21 19:35:01 | /tunnel/r128_hama/main2.html | 10 |
| 御宿の住民なんですが、この道は初めて知りました | |||
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