廃の三


象徴的オブジェ

 あなたが、廃道の「廃」を最も感じるものはなんだろう?
赤茶けたガードレール?
堆積した何年分もの落ち葉?
封鎖のゲート?
崩れ落ちた、法面?

私が、もっともそれを感じるのが、この写真のような標識である。
廃道によっては、もともと標識など立っていないような道もあるし(林道など)、余りにも廃されてからの期間が長いと、跡形も無く消えてしまっていることも多い。
 特に、私が好きなのは、“おにぎり”や“ヘキサ”といった、案内標識だ
しかし、これらの生存率はさらに低い。
案内標識の多くが、ご丁寧にも廃道化以前に、その道路が旧化した段階で、管理主体などによって取り外されてしまうことが多いためだ。


 私がこのような案内標識を廃道で特に愛する理由は、まず一つ、上記のようにレアであるから。
そして、もう一つが、最も廃道の哀れを感じられるオブジェだからだ。
いわば、廃道の象徴だ。
例えば、右上写真の標識は、1999年頃に旧化&廃道化した、大内町田代峠の物だが、どうだろう。

 …手入れする者も無く、道路上に枝を伸ばす杉林と、路面に積もった落ち葉に廃道の「現実」を感じる。
そして、そこに佇む、少し傾きつつも未だに、その身分を誇らしげに主張する標識。
それは、どこか滑稽で、哀れな姿に写る。

 役目を終えて、周囲の自然に還る定めを与えられた、そもそもは人工物であった道。
その道を構成した、数々のオブジェの中でも、標識は、最後まで、その定めを受け入れられない…。
人は無生物にも感情を投影する、感情移入の術を持つ。
私はこのような標識に、利用するだけ利用し、ついに不要とされ放置された、その無念を感じずにはいられないのだ。

 廃道にあって、最も周囲に同化していないモノが、標識だと思う。
必死に抗い、しかし結局は土に還る、哀れな標識を、私は、愛す。

だから、これからも探し続け、一本でも多くのそれを、目に焼き付けてやりたい。
無念の情からの解放を祈って。






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