その12いわお  発見!”大正国道”の名残2003.3撮影
 山形県西田川郡温海町 大沢



 新潟市から概ね日本海に沿う形で北上、山形県の沿岸部を経て、秋田県秋田市に至る、国道7号線。
海沿いの狭隘な土地を縫うように走る場面が多く、都市部を除いては迂回路の少ない国道である。
その巨大な通行量に対応するために、古くから至るところでバイパスが設置されてきた、そしてその度に旧道が生まれている。

 山形県の温海町、新潟県に接するその南端近く小岩川の集落にも、例によって旧道がある。
最も海に近い場所を現道が走り、その山側に集落と旧道が残るという、よくあるパターンの道だ。
その旧道で、私の前に現れた橋が、「巌橋」だった。



 橋を渡ってまっすぐ集落の中を進む道が旧国道である。
集落に溶け込んでおり、余り存在感のある橋ではないのだが、ぱっと見に「古いなコレ」と感じさせた。
気になって、親柱に埋め込まれた白い銘板を確認してみると…。




 半ば消えかけたその名は『巌橋』、別の親柱にあった読み仮名では「いわおはし」となっていた。
なんとなく、その名も歴史を感じさせる。
もちろん、親柱の風化ぶりも、そうだ。




 で、肝心の竣工年度だが、ご覧のように(涙)

 肝心の竣工年度の十の位が、抉れてしまっていて、読めない。
よって、分かったことは、『●ー(一の位は「二」か「三」かも知れない)年十一月竣工』ということのみだ。
惜しい。




 それだけであれば、「多分、古い橋だな」で終わりだったのだが…。


 一本の親柱には、大抵の橋のパターンである河川名の代わりに、ご覧のように、路線名が描かれていた。
読みにくいと思うので、拡大。


 紛れも無くそこには『國道十號線』の文字が!

この「國道十號線」というのは、大正9年から昭和27年の間、つまりは旧道路法によって定められていた国道の名である。
十號線は、東京から新潟市を経て秋田市に至る道して指定されていた路線で、新潟秋田間は、概ね現在の国道7号線と重なっていた。
 その、通称“大正国道”の痕跡は、意外なほど残っておらず、これまで自力での発見例は無かった。
残念ながら、秋田県内での目撃例も聞かない。
自身にとって、通算二度目の(一度目は『山形の廃道』サイトにて知った、山形県鶴岡市の「鶴岡跨線橋」…同じく國道十号線…である)発見例である。


 秋田県内に限らず、“大正国道”の痕跡をご存知の方、ぜひとも、情報をください!!





 最近、特に気になっている“大正国道”ネタです。
このほかにも、昭和39年に廃止された「一級国道」「二級国道」ネタや、その同時期「国道105号線」といえば秋田と盛岡を結ぶ道であったということに関するネタなどは、未だ発見されていない大変貴重なものです。

 あつーーーーーーーぃ!!
2003.3.23作成
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