ミニレポ第173回 秋田県道325号あきた北空港西線 小ヶ田未成区 後編

所在地 秋田県北秋田市
探索日 2012.03.07
公開日 2012.03.15

続・高規格道路の不自然な歪みの正体


前回、広い範囲の地図を準備しなかった事が悔やまれたので、遅ればせながら用意した。
この地図を見る事で、不自然なカーブの存在感がより際立つと思う。
本編へ入る前に、ご確認頂きたい。 ↓↓

県道325号と324号は空港前で接しており、1本の路線「あきた北エアポートライン」(愛称)として利用されている。
空港へのアクセス道路だけでなく、国道7号と105号や285号を短絡するバイパスの役割も担っていて、むしろその用途で利用する人の方が遙かに多い。
その線形は素晴らしく上等で、小ヶ田の迂回以外は完璧であることが、地図からも分かるだろう。




《現在地》

県道325号は小ヶ田踏切を渡った直後に60度の急角度で左折し、その先はご覧のストレートである。
左に見える小屋は小ヶ田駅ホーム上にある待合室で、ここで100mほど県道と線路は平行するが、その後、県道は右へ逸れながら上り坂となる。
「前編」で下った分を、この先の上り坂で“取り返す”の展開である。

なお、この直線も、その先の上り坂も、県道325号として新設された道であり、それぞれに対応する旧道がある。
小ヶ田の集落も旧道沿いにあるが、今回は寄り道せず、伊勢堂岱遺跡に関わる県道の未成遺構の後半戦をお伝えする。

というわけで、奥の上り坂の始まりまで行くと…  あっ!




2012/3/7 14:43 《現在地》

何かある!


まあ、実は知ってたけどね。

有ることは。

でも今回は、

初めてこれの近くに行ってみようと思う。




カンジキ履いて、雪原へGO!


↓↓


堂々、橋脚出現!!


………

……


作っちゃってたんだね…。

遺跡をせっせと発掘しながら、その傍らでは橋脚を作っていた。

そのとき工事関係者の心中にあったのは、
「発掘調査という免罪符さえ手に入れれば、あとは道路のターンだぜ」だろうか。
分からない。もっと高尚に過去と未来の便益を天秤にかける、そんな苦悩もあったと思う。

ともかく、“スケール判定用人物”に登場して頂こう。



橋脚は、この通り凄くデカイ。

2車線道路用だとは思うが、その範疇では最大級である。

無表情なT型コンクリート橋脚についてたくさんコメントするのは難しい(苦笑)が、

とにかく大きな代物で、しかも完全に完成しているので、
このまま無駄に寝かせておくのは惜しいのである。

これが具体的に平成「何年」に完成したのかは分からないが、
概ね平成7年からの発掘調査と同時期だろうということは、
ここから見える、もう一つの遺構が教えてくれる。



巨大橋脚を背に伊勢堂岱遺跡がある方向を見ると、そこにもう1本の橋脚を見つけた。
そしてこちらは、ものの見事に未完成だ。

下から約4mまでは完成しているが、その上には鉄筋の骨組みが鉄格子状に露出しており、これから周囲を枠で囲んでコンクリートの打設を行おうという場面である。
これ以上なく分かり易い未完成構造物であった。

この高架橋には、これらの2本の橋脚が設計されていたようだが、2本の橋脚の施工は同時ではなかったようだ。おそらくこの部分の工事は、西側から進められたのだろう。
橋台の施工状況についても西側は完成している(後述)が、遺跡がある東側のものは、着手された様子が見られない。

なお、この高架橋は小さな谷地と共に、秋田内陸線の線路も跨いでいる。
奥の斜面を横切る平場がそれで、線路は遺跡地の外周を上手くなぞる形になっているが、主に地形的な理由からだろうと思う。




南側から振り返って撮影した高架橋の全景(想像図)。

2本の橋脚の位置から考えると、鉄道の線路は、
橋台と一体になったボックスカルバードをくぐる計画だったのかもしれない。
或いは、3本目の橋脚を線路脇に立てる計画だったか。
いずれにせよ、全長100mは下らない立派な橋が目に浮かぶ。




14:55 《現在地》

探索前には、これだけ道路に対して存在感をアピールしている伊勢堂岱遺跡も、自分の目で確かめようと思っていたが、実際に現地へ来てみると、いったいどこからどう進入すれば遺跡地に入れるのかが分からなかった。

実は小ヶ田集落から進入路があったのだが、その道は除雪もされず、完全な雪の下であった。
まあ、ぶ厚い雪の下にある遺跡を見ても仕方無いだろう。

というわけで、次はこの未成高架橋と現道(迂回路)の合流地点を確認しよう。

橋台上へ向かう。



橋台の下まで来ると、これも橋脚ほどではないにせよ、見上げたくなる巨大な構造物だった。

そしてこの橋台を形作るコンクリートの表面には、一体誰に向けたものかは不明ながら、明らかに装飾的意図を感じさせる凹凸があった。
より目立ちそうな橋脚には、こんな飾りは見られなかったが…。
まあ、別に良いけど。

また、ここに来て初めて現れたのが、「秋田県」の道路用地境界杭である。
おそらく用地の両側にたくさん埋められているのだろうが、積雪のため、この一基しか見つけられなかった。
ここが県道用地である事の証拠品である。




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雪上を這うようによじ登り、橋台の上に辿りついた。

積雪はまだ60cmくらいあるだろうか。
地面の様子が分からないのは探索上の不利だが、藪に拘泥されにくいメリットもある。
今回が本格的な初始動となったカンジキが、大いに活躍してくれた。

ここへ来た途端、現道を走る車の音が、急に近くに感じられた。
周囲に木が生えているため直接は見えないが、30mも離れていない至近に現道はある。
恐らく目の前の橋台が、この未成道の最後の探索地になるだろう。

下から見た橋台は完成形の様だったが、上部が僅かに未完成で、鉄骨が露出していた。




露出した鉄骨に躓かぬよう注意して、橋台上の道路突端へと進み出る。

この一連の探索で、誰か他人の足跡の残る場所を歩いた事が無い。
時期的に新雪ではないものの、それに近い雪の上を歩いて行く。

先ほど間近に見た巨大な橋脚が、はっきり正面に見えている。
その向こうの裸の台地が、伊勢堂岱遺跡の発掘地に他ならない。

さらにその先には……。

この未成区間は、ほぼ一直線だった。

だからこそ、見える可能性があった。

私は、より遠くへと目を凝らした。歩きながら。







「 うおー! 」

細田氏「 アーッ! 」






ほぼ2人同時だった。

何だかよく分からない“踏み抜き”により、下半身を深く雪に埋もれさせたのは。

おそらく、上から見ればコの字型をした橋台のコンクリートと、その内側の地面の間には、本来大きな段差があったのだろう。
積雪のため我々はそこを平らな地面と錯覚したが、2人とも敢えなく踏み抜き、しばらく身動きが取れない程の深みに嵌った。
こうなるとカンジキの存在が、途端に足を引っこ抜くことを難しくし、
「春までヨッキは回収不可能」という、冗談にしては笑えない発言まで飛び出した。

え? なんで2人の踏み抜き写真があるかって? 第3のメンバーがいるのでは??
そうではない。私の写真を撮ったのは細田氏である。そして細田氏を撮ったのは私。
2人が転落した場所は互いの手が届くほどに近く、私のカメラで“撮り合いっこ”したのだ。

…大いにどうでも良い情報である。






…ふぅ。

冷や汗をかいたが、どうにか脱出出来た。

落ちる直前に注視していたのは、これだ。

↓↓

別にいうほど大したものではない。

ただ、橋台と橋脚の延長線上のずっと遠くに【冒頭の青看】が見える、ということに気付いたのだ。

これまで点として見てきた遺構の全てが、一直線に繋がったという実感。
実在を否定された道が、私の前にだけ忽然と現れた感覚に、興奮した。




15:10 《現在地》

橋台から先には、僅かだが地上の道路用地が存在した。
しかし、50mほど進むと現道にぶつかり、その進路は空中へ散逸した。
この末端に立って現道を見通すと、本来の直進する線形が、脳内で容易に復元出来た。

現道は計画線の用地と三次元的に重複しているため、このままの状態で計画線を開通させることは出来ない。
おそらく計画線の「未成」が確定した段階で、この形での現道据え付けを行ったのだろう。
もう行政は、この区間の計画線が復活する日はないと判断している。

私はこの光景から、そんなことを感じた。




《現在地》

カンジキを履いての探索終了後、車での帰路に、県道325号の残りの区間を利用した。

写真は県道325号と県道197号が接続する緑ヶ丘交差点で、2車線の一般道路同士の分合流としては過剰なくらい立派な、立体交差のランプによる接続になっている。
右に見える緑ヶ丘跨道橋が県道325号の本線である。

橋は桁橋としては驚くくらいの長スパンだが、確かに未成区間にあった橋も、橋脚同士の間隔がかなり広かった。
さらに、先ほどの橋台で見た独特な模様が、この橋台にも施されているのを見て、実感した。

こんな橋がもう2つ作られようとしていたのだと。

無事に完成していたとしたら、印象には残らないが、しかし非の打ち所のない道になっていたことだろう。






以上で紹介した未成遺構群が復活する可能性についてだが、2つの面から、極めて難しいと思っていた。

第一は、伊勢堂岱遺跡が国の史跡に指定されるほどの貴重な文化財として既に認知されていること。
第二は、空港の利用度の低迷とも関連して本線の交通量が少ないため、遺跡を破壊してまで完璧な線形を求める事の説得力が、生じがたいこと。
このまま未成遺構と共に計画線が葬り去られる事を、私は疑っていなかった。


だが、開通から10年以上も経った去年(平成23年)になって、開通当初は思いもしない、新たなムーブメントが生じてきたのである。


能代河川国道事務所発行資料(PDF)より転載。

それは、国が整備を進めている「日本海沿岸東北自動車道」(日沿道)の代用として、そのハイスペックをやや持て余し気味だった「県道325号」を活用しようという、秋田県の新たな整備方針が打ち出されたことである。

現在、秋田県内の日沿道のうち秋田市以北で事業化されていないのは、二ツ井白神IC〜あきた北空港IC間の約16kmだけであり、事業化が急がれていた。

そこで県は平成23年2月、当初想定していた全線の新規建設に拠らず、並行する既存の道路を改築して自動車専用道路化するという案を公表し、県民の意見を募った。
そして8月、県民の理解が得られたとして、この新たな方針による整備決定が公表された。
また10月には、平成24年度中にも現道活用区間の着工を行う旨を、知事が発言している。




秋田県資料「秋田県北地域における計画段階評価」(PDF)より転載。

県の資料を見ると、現道活用案の経路(図中の赤線)が、県道あきた北空港西線を丁寧になぞっている。

県道全線を自動車専用道路へ改築し、途中に3箇所のランプ(IC)を設ける計画のようだ(そのうちの一箇所は本編でも紹介した緑ヶ丘ランプだ)。

もしこの通りになると、今まで何度も自転車で通った国道7号の二ツ井バイパスや県道325号を、自動車でしか通行出来なくなる。
少し残念な気がするが、全国的にも前例の少ない事例になるだろうから、道路ファンとしての楽しみはある。



県道325号に適応される自専道化工事の具体的レシピについては、まだはっきりした資料を見たことはないが、先に引用した各種資料で使われている図中には、「小ヶ田地区改良(L=1.06km)」などと付してあるもの(←)や、



明らかに小ヶ田の現道(迂回路)を避け、伊勢堂岱遺跡を貫通する計画線を描いているもの(→)があるのは、注目に値する。

果して、世界遺産候補にも挙げられている遺跡を貫通するような計画線が、本当に復活出来るのか。
或いは、従来のものとは別の正式な新ルートが、今後発表されるのだろうか。

一県人として、本件の推移を今後も注意深く見守っていきたい。





完結



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