ミニレポ第176回 国道411号旧道 大常木〜一ノ瀬 後編

所在地 山梨県丹波山村〜甲州市
探索日 2012.10.12
公開日 2012.10.24

一ノ瀬高橋トンネル旧道 〜恐怖! 廃道になった原因の地〜 


2012/10/12 6:41 《現在地》

一部の皆さんお待ちかね?

この旧道区間にある、大常木洞門、一の瀬川橋に継ぐ第3のチェックポイントは、橋を渡って100m足らずの至近距離にあった。

道路的には何気ないカーブであるが、柳沢川に面した谷側に車3台分くらいの余地がある。
この余地こそ、去年までは都内でも有数の有名心霊スポットだったというのである。

現在、この場所を訪れるには、沢登りでもしてこない限り、わるにゃんが必須。
スポットフリークの皆様の中には、ここがどうなっているのか気になって眠れぬ夜を過された方もいるだろうから、ご紹介させて頂こう。



全くちんぷんかんぷんだという人もいるだろうから説明するが、この場所は “おいらん淵” と呼ばれている。

漢字で書くとおいらん=花魁で、時代劇とかに出てくるあのきらびやかな女性たちである。
この時点で不吉な予感を感じた人は、おそらく子供の頃に「オイテケボリ」の怪談なんかを枕元で囁かれたトラウマがあるのだろう(大袈裟)。
私もこの名前を聞いただけで、何となく震えが来る一人だが(心霊云々以前に、音が怖いよ)、ここに伝わっている話はだいたいこんな感じだ。

武田信玄の時代、この辺りは黒川千軒と呼ばれる大いに繁盛した金山地で、多くの花魁たちも働いていた。
だが、やがて武田家の家運が傾き金山を閉じる事になった時、花魁たちの口づてで他国に金山の所在が知られる事を恐れた雇い主は、花魁たちに「これまでのお勤めご苦労であった。最後に盛大な閉山の宴をしたい」と言って、当時“牛ヶ渕”と呼ばれていた、全山の中でももっとも風光の良い谷川の上に桟敷を設け、その上で花魁たちが思い思いに宴を楽しんでいる最中、合図とともに一斉に桟敷を支える綱を切り落とし、一人残らず谷へと墜とせしめた。  これ以降、全山で最も深いこの淵を、誰ともなく “花魁淵” と呼ぶようになった。  




近代以前の繁栄した鉱山には、しばしばこのような遊女絡みの悲話が伝わっているが、このおいらん淵は代表的なものと思われる。
さらに話の成立も最近ではないようで、「角川日本地名辞典」の山梨県版をはじめ、古いものでは大正15年の「山行記」(田島勝太郎著)に収録されているのを確認した。

ただし、現在でも「おいらん淵」が有名であるのは(やがては「2011年頃まで」と書かれるようになるだろう)、ここに交通の便の良さがあったからだと思われる。
実は前述の「山行記」は、最寄りの道からおいらん淵へ至る経路について、こんな風に書いている。

真下に百五十米ばかり、三十度以上の急勾配を木に縋(す)がり岩角を伝ふて谷に下りきると(中略)所謂おいらん淵とはこれである。【この往復は少なくも一時間以上を要する】

昭和34年に至るまで、この地を行き交う道は現在地になく、対岸遙か150mも上方の山腹に通じていたのである。
したがって、訪問を志す者は【この地図】の赤破線の経路で、命をかけ淵の中へ入り込んでいたのであって、基本的に花魁の足で辿り着ける様な場所ではないという話はさておき、車道の開通が、忘れられかけていたおいらん淵を蘇らせたことは間違いないだろう。

昔話の存在に加えて、上の写真の「交通安全祈念柱」(昭和48年に某団体が設置、平成14年に再建立)の存在が、現代まで怨霊が息づいているというイメージ作りに一役買って来たことは容易に想像できるのである。



さて、せっかくここまで来たのだから、観光地でもあった(はずの)おいらん淵へ行ってみよう。

木標の後ろには、この落葉に隠されそうな階段が存在しており、その末端部がおいらん淵を望む展望台になっている。
勿体つけているが、この写真に写っているのが遊歩道の全貌である。




階段の傍らには、花魁のように色鮮やかな(無理矢理)キノコたちが、悲話とは無縁の毒々しさ(妖艶と言えないこともない?)を放っていた。

蹴り壊してないからね!




遊歩道の終点は一畳くらいの広場になっており、周囲は朽ちかけた手摺りに囲まれている。

足元の一段下にもやはり同じくらいの平らば場所があって、対岸に向かって桟敷を設ける土台にはちょうど良い感じがある。

しかし、なんか谷の冷気でゾクゾクしてきたし、滑りやすそうな落葉の斜面へ入り込むのは危険なので、私は引き返した。



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さて、道路へ戻る。

おいらん淵の心霊話の真偽はさておき、ここが道路交通にとって危険な場所であったことは、間違いない。
振り返ると、沢山の「←矢印」や、急カーブへの警戒を訴える標識が、おいらん淵の前後に立ち並んでいた。

このカーブだけが殊更に厳しいという訳ではないけれど、甲府側から来ると長い下り坂の途中であり、しかも直前には一部のドライバーやライダーを大いに高揚させるに違いない線形がある(私の探索ではこれから現れる)ので、このおいらん淵でも過去に死亡事故があった可能性は高いと思うし、それ故の“木標”であろう。

一昔前まで、東京近郊の山道は本当に挑戦的な運転(無謀運転とは敢て書かない)による事故が多かった所であり、大半のカーブが血を吸っていると言っても言いすぎではない。


おいらん淵は地形的な転換点にもなっており、そこを境にして柳沢川の本来の“深さ”になる。
つまり、一之瀬川の旺盛な下刻作用の影響を受けていない、本来の谷と言うことである。

ここで道路と河水の高低差もしばらくぶりに小さくなり、柳沢界隈を支配する高原的風景への第一歩といった感じを受ける。
実際にはまだまだ峡谷が続くが、それでも少し前までとはぜんぜん違った険しさである。

だが、道路の方は素直に河川勾配に従ってはいられないと言わんばかりに、この直後、特徴的な線形をもって比高の突き放しにかかる。




それが、この奥に見えている2段の九十九折りの道。
いわゆる、“ダブル・ヘアピンカーブ” である。

このカーブを走ることで、奥多摩の奥は本当の山奥だなぁと実感したドライバーも、少なくないと思う。

我々のささやかな旅情と、山岳ドライビングの満足感を同時に高揚させ続けてきたのが、このダブルヘアピンなのだ。

一の瀬橋やおいらん淵へのアクセスが出来なくなったことよりも、この象徴的な道路線形が半分失われてしまったことに多くの人が落胆を感じているのではないかと、私は旧道に好意的に想像をしている。

このように旧道のゴールが見えてきたところでいよいよ登場したのが、”最大の問題児”




この如何にも尖った感じの、対岸岩尾根…。


こいつが、3回にわたって紹介してきた2連の廃道を生んだ、元凶に他ならなかったりする。




凄まじい法面工の鬼現る!

なんか、地獄の蜘蛛の糸のように数本のロープが垂れ下がっているんだが、誘ってるのか?

誰がこんな場所を相手にするかよ!

この上には確かに明治至宝の廃道「黒川通り」が存在するが、敢えてここからアプローチする必要は皆無。絶無。

だが、私を含め多くのドライバーが目にしてきたはずだ。
このマスクメロンの表面のような法面に、ありんこのような作業員がへばり付いて仕事をしている、勇姿を。


もちろん、こんな不経済な法面が出来たのは、ただ事ではなかった。

起きて欲しくないことが起きたからだ。



平成18年7月23日に突如発生した道路対岸斜面の大崩壊によって、一時柳沢川が完全に塞がれ、余勢を駆った土砂の一部は道路上にまで雪崩れ込んだ。
幸いにして人的被害は無かったが、この日から応急復旧までの45日間にわたって、当区間は全面通行止めとなった。
当地の交通網は、昭和34年以前の状態に戻ってしまったのである。

この教訓から、国道411号をより災害に強い道路にすべく計画されたのが、平成23年11月に開通した一ノ瀬高橋バイパスと大常木バイパスだった。




件のダブルヘアピンを通して見た、2年前と4年前の崩壊現場風景。

崩壊から1年足らずの平成19年5月の時点では、まだ生々しい崩壊斜面が露出しているが、
既に道路上の瓦礫は全て片付けられ、(確か片側交互通行で)通行する事が出来ていた。

平成22年2月にはすっかり工事も終り、現在と変らない法面風景であったが、
賢明なわが国の土木行政は、二度同じリスクを冒すまいと確固たる信念を持って
トンネルやバイパスの工事を地中に進めていたのであるから、何とも頼りがいがある。



ここからのこの眺めが、昔から好きでした。

名づけて、“相似せる標識”。

同じ道の前後に立つ2本の道路標識が、ダブルヘアピンのアクセントになっていた。
それが今は、下段の道だけ廃道である。



ありがとう、旧道。

最後まで、格好良かったぜ。

荒れ果てても、大好きでいるぜ。



6:50 《現在地》

わが国の土木行政と違って、リスクを何度も犯すのが、
私という愚かなオブローダー。

おいらん淵へのアクセスは、本当に完全に遮断しちゃったんだな…。
何度も言うように、旧塩山市時代には観光名所として案内されていたはずなんだが…。
もしかして、用済み?   花魁、みたいに?



最後の最後もリコッ! おいしい!

擦れたセンターラインの両側にある道幅の尋常ならざる広さ!
特に外側の車線!!
向こうのカーブミラーなんか、遠すぎて目視困難だぞ。

これが、国道411号ダブルヘアピンの底力だと言わんばかり!




だって、
こんな車が普通に通行するんだもんな!! →

そりゃあ、ヘアピンは広くなくちゃやってらんないよ!!

ほんと、よくあの一の瀬川橋を通行していたもんだよ…。




この新旧道分岐の線形も、なかなか他例の無いものかと思われる。

ヘアピンカーブの途中からそれより緩やかなカーブが別れて行き、しかし90度ほど曲がった所で対岸にぶつかって曲がりきれなくなって、そのままトンネルへ突っ込んでいる。
線形を改良しても90度のカーブが残ってしまった辺りに、現地の思うに任せぬ地形の険しさが反映されている。

もし、ダブルヘアピンを完全に解消しようと思ったら、次の新道はこのトンネルからどのように繋がっていくのか。
それを妄想してみるのも面白い。

まあ、個人的には残りのヘアピンだけでも末永く使われて欲しいが、こればかりは安全最優先だろうし、それでこそ我らが国道411号だとも言える。




以上で、新しすぎる廃道からの報告を終る!!


完結




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