まあ今回はミニレポらしい展開を期待して欲しい。
場所は、いかにもミニレポがありそうな(失礼だろ)鹿沼市西部、足尾山地に入りかけの低山地帯。
この辺りには何本かの“不通県道”があるが、それほど地形も険しくない地域なので、まあ典型的な「徒歩交通の時代には隣村へ行き来する最短の重要な道だったけど、自動車交通時代になって少し遠回りでも苦にならなくなったから、まあ県道にはしてみたけど、他の道路整備を優先しましょ」なんて言っているうちに、時間が経過してしまったパターンだと思われる。
今回取り上げる栃木県道280号入粟野引田線は、昭和49(1974)年に一般県道の認定を受けた全長10kmの道路で、他の路線番号がより小さい県道との重複区間を除いた単独区間は約6.3kmである。全線が鹿沼市内で完結している。
そしてこの単独区間のなかに約1.9kmの自動車交通不能区間(4トン以上の貨物自動車が通れない区間、ただし道路自体は供用済み)が存在する。
具体的には鹿沼市上久我の坂本と同市入粟野の境沢を結ぶ山越えの区間が、自動車交通不能区間である。
これはお馴染み地理院地図の画像である。
上に掲載した市販の「スーパーマップルデジタル ver16」では、この区間は県道の色に塗られていないが、安定と安心の地理院地図はご覧の通りだ。
これを見ると、県道に認定されている山越えの道は、いかにも車道らしくない、古色蒼然たる徒歩道の気配を匂わせている。
まさに冒頭で書いた通り、かつての歩きの生活道路が、そのまま県道に認定されているようである。
…汚い話になるが、こういうのは、比較的多くの不通県道ファンにとって興味の余り湧かない道。
それは言いすぎかも知れないが、たくさんある不通県道の中でも、訪問の優先順位が高くない道だと思う。
車道だけど荒れているから通れないとか、一旦途中まで車道を整備しようとした未成道があるとかだと、不通県道としての魅力が倍増する。
だが地図を見る限り(そしてミニレポに来た辺り…苦笑)、ここにそういうお宝は無さそうである。
とても地味そう。
そして今回は私も、ガッツリと探索するつもりは無かった。
スケジュール的に、ここで山越えをしてしまうと戻ってくるのが大変なので、不通区間の東側にある坂本集落から自転車でスタートし、そのまま自転車に乗って走れる道(つまり車道)が途切れる所まで、ピストン探索をするつもりである。
まあ、探索よりは軽度な散策といった心持ちである。
しかし、実際に行ってみると、一番最初にかなり印象的なハイライトがあった(笑)。
それでは、レポスタート。
2015/5/9 11:55 《現在地》
ここが、県道177号と県道280号の分岐地点である。
県道177号と重複していた県道280号は、ここから単独区間になる。
もちろん、私が向かう県道280号は、右の道である(笑)。
車で走行していたら、分岐の存在にさえ気付かずに通りすぎる可能性が高いだろう。
何がキツイって、県道177号の路肩の白線が切れてないのが、キツイ。
これは分岐を見逃しますわ。
しかし、そんな冷酷さを感じさせる分岐にも、良く見れば、鈍く光る(不通)県道の自己主張があったのだ。
1本の古ぼけた「通行止」の道路標識が…。
これは一体いつから立っているのか…。
いつ倒れても不思議ではないほどに草臥れて見える。
というか、県道177号の鋪装やら路肩の整備やらで、よく処分されなかったなと思えるレベルで頼りない。
しかも、立っている位置も向いている方向も何だか微妙で、ここに分岐があることを知らないドライバーには、咄嗟に県道177号が「通行止」かと勘違いされかねない… ことはないだろうな。だって、色褪せすぎて反射能が失せており、分岐に気づけないドライバーなら、この標識に気づかない可能性が高いし、もし気づいても「フンッ」って鼻で笑われるレベルだろう。
もちろん、この交差点には案内標識(青看)やヘキサはない。
この「通行止」の1本だけが突っ立っている。
だが、これが有るのと無いのとでは、大違いなのだ!
だってアンタ、ただの民家の入口だとか、集落道だとか、畦道だとかの入口に、こんな標識が立っていることがありますかね。
割合としては滅多に無いでしょ。
そう。
この「通行止」の道路標識は、語ってしまっているのである。
ここが県道であると、分かる人には分かる言語で語っている。
…というのは少し大袈裟かもしれないが、私はこの風景を紹介しただけでもう、一仕事を終えた満足感に満ち足りている。
不通区間の分岐らしい、とても良い風景だ。
しかし、私のハイライトは、まだもう少しだけ続く。
これは…!
民家キターーー!!!!
てか、マジでこれ県道か?
分岐から一瞬で鋪装が終わってるうえに、私がほんの少しこの道に入る素振りを見せただけで、
数メートル先の軒先にいる大きなワンちゃんが、めっちゃ「吠え」の体制に移行しつつある。
これはもう3歩進んだら絶対に道路まで出て来て爆吠えされるでしょ。何の御用ですかって感じだろ?
まてまて、お互いにまずは落ち着こう。
私も性急に事を運ぼうとし過ぎた。
うん、すまなかった。
まずは分岐に立ち戻り、そこにあるこの小さなお地蔵さまに頭を下げよう。
台石には「女人講中」の文字が有り、もしかしたらこれから向かう峠道を越えた人々が奉納したものかもしれない。
また、側面には「明治十三年」と読める文字が刻まれていた。
… … …
……よし、もういいかな?
そろりそろりと自転車を進めていくと、今まで見えなかったモノが見えてきた。
遠目には、昔ながらの大きな作りの民家に突き当たって終わっているように見えたのだが、実際には庭先で左折しさらに奥へ続く道があるようだ。
これが県道と見て間違いないだろう。
道があることが分かったのだから、これはもう、堂々と行くべきだろう。
ここは公道なんだから。(ハッキリと「通行止」だが)
やっぱり、御犬様に吠えられました。不審者認定ですかそうですか。
でも、進路妨害まではされなかったので、互いに互いの矜持を尊重し合った痛み分けという評価を下したい。
しばらく後ろ頭にも吠えられたが、やがて止んだ。
でも、きっと数分後にはまた戻ってくるぜ、俺…。
分岐地点からだと民家の庭先にしか見えなかった部分だが、ちゃんと左に抜ける「県道」がある。
でも、さすがに道は狭そうだ。
幾らか車の轍はあるが、畑でもあるのかな。
いま来たところを振り返ってみたが、やっぱり民家の敷地にしか見えないな。
微妙にクランク状にカーブしているところが、いやらしい。
でも、楽しかったよ。
ハイライト、終わりかな…(笑)。
入口だけで思いのほか楽しめてしまった(しかも逡巡したぶん時間もくった)が、不通県道としての核心部はこれから先の山岳区間にある。
そうだなぁ、500mってところかな。
地図を見る限り、入口から500mほど先で道は実線から破線に変わっており、同時に等高線を無視して峠へ突き進むように描いてある。
既にここまで100mは進んだから、あと400mくらいで車道の終点に立てると思う。
良い感じに心躍る細道である。
これでもし路傍に“ヘキサ”の1本でも立っていたら、お祭り騒ぎになるところだったが、生憎そんなサービスは無い。
転回する余地の無い細道が、畑と畑の間を縫うように続く。
猪除けらしいネットが張り巡らされているのも、余計に道を狭く感じさせる。
12:00 《現在地》
入口から150mほどで、小川を渡る小さなコンクリート橋(親柱も無く名前は分からない)と分岐地点が現れた。
分岐に進行方向を示すヒントが何も無いので、慎重に地図と地形を見較べて、やや轍が濃い正面の道を選んだ。
そしてその正面の道を少し行くと、話題の好物があった。
私の好物、デリニエータである。
こんな地味なものが何で好きなんだと思われるかもだが、デリニちゃんにはしばしば道路管理者の名前が書かれているので、例えば「栃木県」とあれば、ここが県の管理する道路なんだなぁと分かったりする。
で、ここにデリニエータが1本だけ立っていたので色めきだったのだが、残念ながら折れた部分に書かれていたであろう文字は、「鹿沼市」。
県道指定は昭和49(1974)年と、デリニエータの設置よりは古いと思うが、鹿沼市が県の代わりにデリニエータを整備したのかな(1本だけ)。
デリニちゃんに見送られて更に進むと、いよいよ畑が終わり、杉林の中の道に変わる。
畑仕事の通行量が全て無くなったことで、一挙に轍も半減して頼りなくなる。
なんというか、地味だ。
良い意味でも地味だと思う。
道路の隅を突くのが楽しみの道路趣味者でさえ、のんびりと路傍の風景をやり過ごしても良いような気分になる、平々凡々としたその辺の山道風景。
これでヘキサの1本でも(略)
この程度では今さら当サイト読者の目を見開かせるには及ばないかも知れないが、
これでも県道である!
やっぱり一度は言っておかないとね。
不通県道の自動車交通不能区間真っ直中だけに、一応車道ではあるものの、そこいらの林道よりも狭い気がする。
うおーー!! 再びのハイライトシーン!!! 木橋出現かぁ〜〜!!
… ってことで間違いは無いのだが、
残念ながらこいつは県道に架かっている橋では無い。
県道から分岐して谷向に伸びる作業道が谷を渡る橋なのだが、この橋の面白いところは、橋上の県道側2mくらいだけ板敷きがなされ、真新しい轍が刻まれているのに、その先の残り4mくらいは、とても自動車が轍を刻めるような状況にないということである(当然橋の先にも轍は無い)。
これは、狭すぎる県道でUターンをするための余地として、橋の一部を利用しているのである。
これが元々作業道に架かっていた橋なのか、新たに架け替えたのかは不明ながら、こういう橋の使い方は珍しい。
まあ、渡るよね(笑)。
橋の先に用事があるわけでは無いのに、渡ってはみる。まさにテスト。
今でも現役で自動車の重荷を支えているだけあって、梁自体はまだしっかりしている。
でも、上に乗ってる踏み板つうか踏み棒は、とりあえず乗せておけばイイデショくらいの適当さである。
うっかり足元に不注意すれば、軽くボッシュートされてしまう大穴が、橋上に容赦なく口を空けている。
橋を後にすると、また分岐地点が現れた。
でも、あくまでも進むべきは一番太い谷沿いであるから、迷わず正面を選ぶ。
そんなこんなをしているうちに、300、400とメートルを刻み、それに伴い勾配も重ねられていった。
ヒシヒシと伝わってくる、「もうそろそろ終わりにするよ」という道路の声。
12:12 《現在地》
最後は、むしろ私の方から道路に向かって「もう良いから楽になれ、な」と甘言を囁きたくなるような、道路構造令無視レベルの猛烈な急坂があって、その先にちょこんとした広場があって、車道は完全に終わっていた。
最後に予想外の汗を搾り取られはしたが、県道分岐からは550mのショートランであった。
これで、県道280号の坂本側の車道は完了である。
なお、実は一番最後の猛烈な上り坂は県道では無く、いつの間にか踏み込まされていた作業道だった。
正しくは、その行き止まりの50mばかり手前にある写真のカーブが、県道としての車道の終わりである。
峠へは、このまま正面の谷伝いに行けば良いと思われる。
今も山仕事の人が入るらしく、人が歩ける道は続いていた。
それを見ていると、頑張って峠まで行きたい気持ちもムクムクとわいてきたが、そこはグッとこらえて、引き返したのであった。
(でもいつかは峠の反対、入粟野側の不通区間を見たいとは思う)
帰りも案の定、吠えられまくった。
でも、目的を果たした後だからなのか、なんとなく声に優しさがあったような…。
完結