その22八田橋 と 境橋 2003.5撮影
 秋田県秋田市



 県都秋田市の東側の太平地区には、太平山の南麓を東西に流れる太平川にそって以前から変らぬ農村地帯が広がっている。
この部分を縦貫する県道28号線は、秋田市中心街区と河辺町・協和町とを結ぶ幹線であり、昭和50年代から主要な部分のバイパスが完成している。
県道沿いに点々とある太平地区の各集落には、未だに古い県道が生活道路として残されており、今日でも旧道をその全線において走行することが可能な数少ない県道である。
その大部分は大型車の離合も困難な狭い一車線であり、当時の厳しい交通事情が想像できる。

途中には、現役で活躍している当時の橋が二本あり、今回はそれらを紹介したい。






 太平の八田地区は秋田駅から10kmほどの場所であり、宅地化が進んでもおかしくなさそうだが、昔からの集落と田園の区切りは殆ど変っていない。
ここから、古くは信仰、近年では市民の憩いの山である太平山の登山口の一つである木曽石方面へと分け入る県道と分かれる。
旧県道の古橋は、集落内にひっそりとあるこの分岐点から、30mほど東寄りにある。
 写真は、八田集落方面から、並走する現道の方を眺めたもの。
旧道同士の分岐点は背後になる。





 今度は橋上から集落方向を撮影。
かなり年季の入った橋なのが、欄干から想像できる。
路面はしっかりと舗装されており、今でも生活道路として現役である。




 川下方向。
欄干は傷みが目立ち、残念ながら橋梁銘板も全て遺失していた。
だから、この「八田橋」という名は、仮称である。
 橋が竣工されたのは昭和十年代後半かと思うが、下を流れる太平側の景色は護岸工事により一変した。
しかし、流れる川は透き通っていて、涼しげだ。



 しっかりとした護岸と、不釣合いな石の欄干。
派手ではないが、集落に溶け込んだほのぼのムードが心地良い古橋である。
あの国道7号線秋田大橋が取り壊されてしまった今、ここが秋田市街に最も近い古橋だと思うので、静かな現状も捨てがたいが、もう少し省みられても良いと思う。(銘板の修繕はしてほしい)






 八田から2kmほど秋田市街方向に進むと秋田自動車道の下を潜るあたりで、現道に沿って旧道を利用した歩道が続いている。
この部分に、新旧並んで小さな橋が掛かっている。
それが、境橋である。
よほど注意していないと、気づくことなく通過してしまうほどに小さく、そして草に隠れた橋である。


 現道から旧道の橋を見る。
僅か5mばかりの橋にも先ほどの八田橋と同様の石造りの欄干がある。
しかし、夏場は路傍の草に覆われ、このように現道から見ないとその存在に気が付かない。
私も何度と無くこの道は通っていたが、今回初めて気が付いた。
欄干は現存していたが、やはり橋梁銘板は遺失してしまっている。
 足元を流れる水量の少ない川は、太平側の支流であり、標高200m足らずの羽黒山に端を発している。
しかし、名前は分からない。





 ここにはもう一つ発見があった。
旧橋から現橋を眺めると、まるで表札のような銘板が、橋の本体側面にまるで旧橋から見てくださいといわんばかりに付いているのを見つけた。
これは、これまで見たことの無い銘板の設置箇所である。
現橋には他に銘板は無く、これが正真正銘の銘板であろう。
一体どういう意図で、ここに設置されているのか全く不明だが、この銘板のおかげで、この小さき橋の名を知ることが出来た。

最後になったが、この旧境橋も八田橋と同時期の竣工であろうと思われる。

静かな余生を送るこの二橋は、都会に近い割りにひっそりとしていて、よい。



2003.5.23作成
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