その37家ノ前 謎の切り通し20011.4.26撮影
秋田県秋田市外旭川



 今回は、「その15」に引き続き、超ローカルネタをお送りする。
ちょっと、しょーも無いネタだが(自分で言うかよ…)、大作主義は破綻を呼ぶので、小ネタも勘弁してほしい。
自分的には、印象に残っている場所である。

では、早速お送りしよう。





 秋田市郊外、外旭川家ノ前地区は太平山最前衛の山並みと水田地帯の接線上に軒を連ねる古い集落である。
自宅からはここまでチャリで約15分。

集落を貫通する細い市道から神社の鳥居を目印に山側に入ると、もうそこは車の入れる道ではない。
民家の裏手にある畑への通路として利用されている小道のようだ。

すぐに写真の畑が現れたが、畑のさらに先にも、人一人分くらいの狭い踏跡が続いている。
行ってみよう。



 50メートルほどすすむと、雑木林の中の小さい沢地に行き当たる。
左右は小高い丘に囲まれており、目の前だけが広々としているのは、なんとなく奇妙だ。
この景色は、非常に鮮烈な印象となって残っている。

古い民家の裏手に、知られざる別天地を見つけたような気分になった。
大げさだと思うだろうが、でも、ここにはなんとなく神聖な静粛があった。
まるでのたうつ大蛇のように草地に倒れた枯れ木と、その背後にある別の倒木との複雑な立体感。
不自然に多い倒木たちと、生き生きとした新芽をたくさんつけた生木との対比も、面白い。
この場所を“発見”しただけでも感激なのに、道はまだ終わってはいなかった。



 やや湿原的な草地には踏み跡は無いが、その奥には、明らかに人為的な地形が見えている。
ただ、そこへ至るには、この不可思議な倒木たちを潜り抜けていかねばならない。
別にどうってこと無い行程だが、ただ面白い。
まさか近所でこんなにワクワクするとは思わなかった。

そもそも、どうして鳥居の道に曲がってきたのかも、分らないのだが。
まあ、なんとなく引き寄せられるような物があったのかもしれない。
当然、どこに通じているのかは分らないし、この奥に用事があるわけでも無い。



 切り通しが間近に迫った。
春先ならではの景色なのであろうが、視界を遮る物が少ない林とは、こんなにもすがすがしい物か。
しかし、これは、明らかに人為的な地形であろう。
家ノ前地区は、外旭川地区の中でも古い由来を持つ場所と聞くが、詳しくは無いので、このような古道があったという話は知らない。
豪族の居城とか、遺跡のような物があるという話も聞かないが、私が無知なだけで、地名から言うと、何かがあっても不思議は無い気がする。
この辺は、要調査である。
また、現地はアノ「五百刈沢隧道」や「道川製油軌道隧道」などからも目と鼻の先であって、一帯の山が古くから人々の生活と深く関わりあっていたのだというのは、感じられる。
やはり、ここにはかつて道があったのであろう。



 切り通しはだいぶ崩れて狭くなっているが、もともとはそう細い物ではなかったように見える。
また、切り通しの斜面に生えている木の太さを見ると、50年以上は経っているっぽい。
ここは、かなり古い道ではないだろうか。

この辺りまで来ると、現在人が通っている気配は無い。
深く積もった落ち葉の道はフカフカだ。
ただ、私がガキンチョなら、ここは絶好の“秘密基地”もしくは“隠れ家”、平たく言えば“遊び場”になったと思う。
それなのに、ゴミ一つ落ちていない。
それも、なんとなくここが神聖に見えた原因の一つだ。
鳥居の奥だというのも、もちろんある。

普通なら、農具の一つも放置されていたりするよねぇ…、秋田市ですよここ。
民家の裏手50mですよ。

…不思議だ。



 短い切り通しの先は緩やかな下りとなり、人工林らしい杉林の中へ進む。
植林は樹齢30年くらいだろうか。
最近手入れされている気配は、無い。




 薄暗い杉林の中にも、生活の痕跡は見当たらない。
道も見失い、もったりとした地形を頼りに、先へと進んでみる。
ちなみに、切り通し前からチャリは全押しだ。




 さらに進むと、遂に比較的新しい人工物が現れた。
森の中を、沢の中央にあるべき小川の代わりに走る一本の水路である。
まるで側溝のような細い水路だが、かすかに水が流れている。
進むにつれ杉の樹齢は若くなり、最近までは別の用途に利用されていた土地だと思われた。
というか、先に見えている廃田と思しき地形といい、そういえば先の写真の杉林の中に写る奇妙な地面の凹凸といい、ここはかつて集落だったのではないだろうか?!
少なくとも、さっきの写真の凹凸は、水田の跡だと思うが、どうだろう。

現在では、家ノ前集落裏手の切り通しで越えた尾根と、秋田自動車道が縦断し五百刈沢隧道などの隧道群がある大きな尾根との間の狭い平坦地には水田が広がるばかりで、一軒の民家も無い。
最寄の集落は五百刈沢だったと思うが、それすら平成になってから、高速の工事で移転し消滅したという。
秋田市内とはいえ、ここは辺鄙な場所である。
ちゃんとした道が通じていないだけに、特にそう思われる。



 水田を左手に見ながら、細い水路を辿っていくと、1kmほどで秋田自動車道の堤体のような盛り土に阻まれ終了。
ここから先、高速の側道を進めば五百刈沢隧道へはさらに1km、道川製油軌道隧道へは300mほどの近距離である。
だが、家ノ前集落からここまでの1.5km程は、道が通じておらず、今回紹介の古道が唯一の直接路となる。

やっぱりあの切り通しは、家ノ前集落と尾根の裏にあったかも知れない集落との通路だったのだろうか?

こんど、調べてみたいが…難航しそうだ。


あっけなく、終りです。



2003.11.11作成
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