ミニレポート第304回 仙台松島有料道路 初原仮ランプ跡

所在地 宮城県富谷市
探索日 2026.02.22
公開日 2026.03.05

 極めて短命であったランプ跡


《周辺地図(マピオン)》

日本三景として名高い松島の玄関口が、宮城県松島町にある三陸自動車道の松島大郷ICだ。

休日を中心に、極めて交通量の多いこのインターだが、敷地内に現在使われていない廃橋が存在している。

次の航空写真の“赤矢印”の位置に注目してほしい。


@
令和5(2023)年
A
平成元(1989)年
B
昭和59(1984)年


3世代の航空写真の比較をしているが、@令和5(2023)年版の“赤矢印”の位置に写っている橋は、現在使われていないものである。

A平成元(1989)年版でも、やはり使われていない状況が写っている。
なお、この当時は三陸自動車道という名前ではなく、仙台松島有料道路が道路名であった。
というか現在もなお、三陸自動車道のうち仙台松島有料道路として建設された区間(利府中IC〜鳴瀬奥松島IC)については、宮城県道路公社が一般有料道路仙台松島道路として管理し続けている。

B昭和59(1984)年版まで遡ることで、ようやくこの橋の現役時代の姿を見ることが出来た。

この橋の正体だが、これは昭和57(1982)年10月2日に県道8号仙台松島線のバイパスとして整備された一般有料道路仙台松島道路の第1期区間として、初原出入口(現松島大郷IC)〜根廻出入口(現松島北IC)間3.4kmが供用された際に使用された仮ランプで、同有料道路と仙台松島線の現道とを直結するものであった。
だがすぐに第二期工事として南接する利府中IC〜仙台大郷ICの建設が進められ、同区間が昭和61(1986)年9月に延伸共用されると、上記仮ランプは使用中止になり、今日まで利用されないままになっているのである。

つまり、この仮ランプだった橋は、わずか3年と11ヶ月しか利用されなかった。
廃橋として過ごした時間の方が、現役だった時間よりも遙かに長い、悲しい橋ということになる。


この使われていない橋は、最新の地形図などには描かれていないが、全国地価MAPだとこのように描かれている。
あわせて全国Q地図で調べた橋の名前も、記入した。
Q地図には、今回探索しようとしている橋は記載がなく、やはり廃橋なのだろう。


さっそく現地へ。





2026.2/22 13:30 《現在地》

この「現在地」から、自転車で出発する。
目の前にある道を300mほど進んだところが、ターゲットの最寄りである。
なおこの道の正体だが、昭和37(1962)年に廃止された東北本線の山線(利府〜品井沼)跡である。
また、左奥に巨大な座薬のような、またはガミラス星人が好きそうな形の建物が見えるが、あれは初原浄水場という。



200mほど進むと、さっそくターゲットが見えてきた。
川の上に架かる普通のコンクリート桁橋であり、遠目には、使われていない橋のようには見えない。
さらに近づく。



うむ。
とても近くまで来たが、やはり平凡な橋だ。
もう少し古びて見えるかと思ったが、そんなこともなく、ちょっと拍子抜けだ。
ここまで近づいてもなお、廃橋には見えない。

もちろん、この橋の奥に並んで架かっている現三陸自動車道の橋と違い、全然車が通っていないというのは、その通りなのだが。



13:33 《現在地》

ターゲットである橋の右岸側橋台の最寄りまで来た。
ここからは、旧ランプ跡の廃道と今いる道が隣り合うようになるので、簡単にアプローチ出来るかと思ったのだが、高いフェンスが邪魔をしてそれを許さなかった。

なので方針を変更し、まずはターゲットである橋の下へ潜り込んでみることに。
自転車は、ここでお留守番な。



ん?!

これはちょっと予想外だ。



ターゲットである廃橋の下、右岸橋台に隣接して、異常に狭い2車線道路(?)が存在していた。

しかも、明らかに前後の道がない、孤立した超ミニ廃道である。

奥は三陸自動車道本線に架かる初原大橋の橋台によって完全に切断されている。




この橋の下にある超ミニ2車線廃道の正体も、新旧航空写真の見較べで解明が出来た。

正体は、東北本線の旧線跡を整備したサイクリングロードの迂回路だったようだ。
昭和37年に東北本線の山線が廃止されてからしばらくして、廃線跡の一部は自転車道として転用された。その後、昭和57年に仙台松島有料道路が開通すると、自転車道は仮ランプの下を潜る形に迂回したのだ。だが、それから間もない昭和61年に仮ランプが廃止されると、自転車道のルートは旧に復し、迂回路は廃止された。(現在は自転車道ではなくなっている)

極めて地味だが、これまた仮ランプの存在に翻弄された悲しき短命(そのうえ超短い)廃道だったわけだ。



道はないが、本線の橋の下までアスレチックをして進んでから、問題の廃橋を振り返り撮影した。
本線が水平であるのに対し。廃ランプ橋は左岸から右岸へ向けて緩やかな下り坂になっているのが分かる。



13:37

橋の裏側を頭上に見ている。
橋の下を流れているのは田中川という川だ。

右岸はフェンスが邪魔をしているので、左岸から廃橋へのアプローチを試みることにした。
ほとんど水の流れていない川を、普段靴のまま豪快に徒渉して、左岸へ。



 続・極めて短命であったランプ跡


13:38 《現在地》

田中川を徒渉して、初めてその左岸へ。
岸に低い護岸があり、攀じ登って上陸すると、そこには幅1mたらずの水路があった。
岸は深く草生していたが、水路の周りは刈り払われていたから、現役の農業用水路のようである。

写真は、攀じ登った場所から、直ちに探索のターゲットである廃橋を振り返って見上げている。
逆光になってしまっているが、すぐに手が届きそうな近くにある。
それでも、高低差があり、まだ路面にはアプローチ出来ない。

そしてこの直後、意外な発見があった。



13:39

仮ランプの盛土部分に掘抜かれたボックスカルバートがあったのだ。

サイズ的にも構造的にも、水路用ではなく道路用だと思うが、ここに道路があったことも予想していなかった。
当然のように、このボックスも、そこに通じる道も、廃道である。
潜られている道も、潜っている道も、供に廃道という、なかなかに業深い存在……!

なお、高規格幹線道路(いわゆる高速道路)のボックスには大抵取りつけられている管理番号のプレートも存在しなかった。
おそらくだが、そのような表示を行う習慣を持たなかった、仙台松島有料道路時代の遺構だからだと思う。



この地下道の正体も、航空写真から明らかになった。
仮ランプ開通当時の写真を見ると、確かにここにはボックスカルバートが写っていた。
だが、仮ランプ廃止後の写真だと、前後の道だけでなく、西口も消失しているように見える。

この地下道もまた、先ほどのサイクリングロードの遺構と同様に、昭和57年の仮ランプ開通から昭和61(1986)年の仮ランプ廃止までの僅かな時間しか活躍出来なかったのだ。



ここに人が入るのは何年ぶりだろうか?
そんなことを考えながら、明りの見えない入口から地下道へ入ると、なんとそこには既に歩いている人がいた!!

……のではなかった。
私がカツンと足音を鳴らして入ると同時(厳密には瞬時遅れて)に、カツンという足音が洞内から聞こえてきたから、誰かがいると錯覚したが、そんなはずはもちろんなく、すぐ先の闇の中にあった行き止まりの壁で反射した自分の足音を聞いただけであった。

地下道は、2車線幅の盛土を潜っていた元の長さ、すなわち15mほどで断ち切られていた。
塞がれている場所が、本来の西口であろう。
現在その場所は改めて盛土され、三陸自動車道の本線盛土の直下になっている。



拍手をすると、すぐに忠実な合いの手が入る。
そんな特殊な音響環境が欲しい人には貴重な空間であろうが、現状人には全く利用されておらず、ただ洞床には沢山のヌコの足跡があった。
彼らはここを何かの用途に使い、足跡以外は綺麗に後片付けもしているようだった。



洞内から見る地上の風景。

錆色のデスラー総統府(初原浄水場)が、いい味を出している。
今日もあの中では美女を侍らせた総統が、不安になるような独特な音色をBGMに、私がファンタグレープと信じ込んでいた飲み物をワイングラスで嗜んでいそう。



13:40

廃地下道から戻ってきた。
次はいよいよ探索の本丸、仮ランプ橋へ立ってみよう。
ここからだと、妨げるような柵はもうない。

斜面よじよじ。



13:41 《現在地》

来た! あったぞ路面が!!

ここは、「山行が」の歴史の中でも比較的に珍しい、一般有料道路の廃道である。
この仮ランプは誕生してから廃止されるまで一貫して、宮城県道路公社が管理する一般有料道路仙台松島道路であった。
昭和61年9月の仮ランプ廃止後、すぐ隣に新たな2車線の本線が建設されたが、それも同じ一般有料道路であった。
現在では、その本線は4車線に拡幅され、道路名も三陸自動車道に改められている。内面的には今も道路公社が管理する一般有料道路であるし、県道でもあるのだが、ETCが使えるようになったし、歴とした高規格幹線道路(いわゆる“高速道路”)の一員でもある。

……そんな高速道路である現道に隣接した廃道なので、ここからちょっと目立つことは自重します! こそこそ作戦です!



辿り着いた路上から、北側を見るとこのような様子だ。
路面が見えないが、蔦が茂っているだけで、古い鋪装が残っている。
ただ、見ての通り先すぼみで現道に吸収されているので先は長くない。
ここが、仮ランプ遺構の北端だ。

なお、このガードレールの向こうにある現道は本線部ではなく、松島大郷ICのAランプ(上り線オンランプ)の本線合流部である。
松島大郷ICのAランプとDランプは昭和61年の利府中IC延伸開業時に供用を開始しており、私がいる仮ランプの用地を一部再利用して整備されたようだ。Aランプある限り、仮ランプは再開できない構造であるし、もちろんそのような将来可能性は全く考慮されていないと思われる。



これは同じ地点からの南側を見た景色だが、

目指す廃橋がすぐそこに!!

だけどさっきも書いたように、すぐ隣にあるのは高規格幹線道路の本線なので、目立つ真似はしたくない。
コソコソ作戦で、出来るだけ道路の左側半分だけを使って、進む。



やって来た、お目当ての廃橋。この時点では名前を知られていなかった橋。
ちなみに、現役当時からこの道路は軽車両(原動機付き自動車含む)や歩行者は通行禁止であった。
だから歩道などの付加施設は全くない。
下から見た印象に違わない、シンプルで面白みの薄い質実剛健な橋だが、嬉しいことに、高欄の四隅に銘板が取りつけられているのを認めた(A〜D)

ついに、このたった4年弱しか活躍させて貰えなかった橋の名前を、知ってあげられそうだ!! 



[A]の位置の銘板

なかだはし



[B]の位置の銘板

昭和57年3月竣功



13:42

右岸側の銘板[A][B]を撮影した後は、物理的に小さくなりながら橋を渡って、左岸へ。

廃止から40年もの長い間、一度も打ち替えられていないだろう鋪装だが、意外にもひび割れも少なく綺麗な姿を保っていた。
さすがにセンターラインは薄れ始めていたが、さすがは仙台と松島を結ぶ重交通を一手に引き受けようとした精鋭路の頑丈さだと思った。
現役時代の10倍以上の放置時間が経過しちゃっているからね…。

チェンジ後の画像は橋の上から見下ろす田中川。右に見えるカーブした道が、私が自転車を停めた道だ。東北本線山線の旧線跡でもある。

橋を渡って、残り2枚の銘板へカブり付け!



[C]の位置の銘板

田中川



[D]の位置の銘板

中田橋




……


…………


……………………マジかこれ。


なんの違和感もなく受け入れそうになったが、これは実にヤベえ橋名だwwww


田中川たなかがわ」に架かる「中田橋なかだはし」は、間違え易すぎるッ!!!

これ、初めて見た瞬間は、マジで脳が混乱し、当時の道路管理者がやらかした(ガチで銘板をミスったんじゃ)と思ったが、帰宅後に詳しく地名を調べてみると……



確かに、川の名前は田中川だが、地名は宮城県宮城郡松島町初原字“中田”である事が分かり、道路管理者はやらかしていないが、しかしこんなにミスを疑がわれてしまいそうな橋名もなかなかないと思う(苦笑)。

……まあ、4年も使われずに眠りについたから、もう不要な心配なワケだけど……。

これに懲りたわけではないだろうが、隣の本線は初原大橋を名乗っている。
かと思えば、本線と同時に建設されたDランプ橋は、中ノ田橋Dランプを名乗っており、この仮ランプから、Dランプへと、名前が継承された形跡があるのだ。(なぜか「ノ」が増えたけど)



13:43

メインターゲットである廃橋を堪能し終えたが、探索はもう少しだけ続く。

橋を渡った先の仮ランプの路面は、なおも下りながら続いているが、同時に左側から狭められていくことに。



13:44 《現在地》

橋から100m進まないうちに、遂に進める余地がなくなった。
前方は、フェンス越しに県道8号の平和なストリートがある。
このフェンスは、【私が自転車を立て掛けてきた】そのものである。

ここが、仮ランプ遺構の南端であり、本探索の最終到達地である

(このあと、すぐさま引き返して安全圏へ脱出、自転車を回収した)



13:50

これはフェンスの外、県道8号の現道側から見た初原仮ランプ入口の様子だ。

昭和57年10月から昭和61年9月までの3年11ヶ月間は、ここが仙台松島有料道路の起点であった。
この期間の同路線の全長は、たったの3.7km。
“仙台松島”という名前に比べても、あまりに小さなバイパスに過ぎなかったが、最終的にはこの宮城県道路公社が管理する一般有料道路は、利府中IC〜鳴瀬奥松島IC(18.3km)まで拡大し、その年に当時はまだほとんどの区間が計画段階に過ぎなかった国の高規格幹線道路「三陸縦貫自動車道(全長220km)」に組み込まれた。
三陸(縦貫)自動車道として現存する全空間を通じて、この仮ランプからの3.7kmは、一番古い開通区間である。

三陸自動車道は、ここから始まった。

そんな場所を目にしているわけだが、周囲をよく観察しても、現道側(フェンスの外)には、ここにランプがあった痕跡はなにも残されていなかった。



 ミニ机上調査編 〜ここから三陸自動車道は始まった〜


本編中再三触れているように、ここでは宮城県道路公社が運用する「仙台松島道路」という一般有料道路である県道が、国レベルの幹線である高規格幹線道路としての三陸縦貫自動車道(看板などに案内される道路名は「三陸自動車道」)に組み込まれて運用されている。

ややこしい話なのだが、高規格幹線道路になれる道路は大きく分けて高速自動車国道(通称「A路線」)と国土交通大臣指定に基づく一般国道の自動車専用道路(通称「B路線」)があり、三陸縦貫自動車道は後者である。
だが現に三陸縦貫自動車道として利用されている道路のうち、仙台松島道路に由来している利府中IC〜鳴瀬奥松島ICの一部である利府中〜松島北ICは県道8号仙台松島線であり、つまり制度の上では「国土交通大臣指定に基づく一般国道の自動車専用道路」であるのに、道路法的には(一般国道ではなく)都道府県道であるという一種矛盾した状況が起きている。(同じパターンで、能越自動車道の一部である能登有料道路(現:のと里山海道)も石川県道であるが、こちらは2026年内にも国直轄に移管される見込み

……こういう全国的に珍しい矛盾が生じている背景には、なにか少し特殊な道路計画の変遷があったと考えられると思う。




仙台松島道路ははじめ、利府町と松島町を結ぶ全長11.4kmの短い一般有料道路として計画された。

『県政の成果 主要施策の成果に関する説明書 昭和57年度』という資料によると、仙台松島有料道路の第1期区間は松島町初原と同町根廻までの3.4km(今回探索した初原仮ランプから現在の松島北ICまで)で、この区間は完成4車線の暫定2車線道路として、昭和54年度に着工して、57年12月9日に開通した。
建設の理由は、「国道45号と主要地方道仙台松島線の交通混雑の緩和と交通の円滑」としている。


『宮城の土木史』より

たった3.4kmの短い有料道路ながら、完成4車線の暫定2車線道路として整備されている事実には、この時点で既に背景として次の第2期区間では終わらない壮大な全体構想があった感じを受ける。

第2期区間である利府中IC〜松島大郷IC間8.1kmは、昭和57年度に着手して、昭和61(1985)年9月27日に開通している。今回探索した仮ランプはこのとき廃止されている。そして仙台松島有料道路は、この2期工事を以て一旦全線開通とされた道だった。

先ほど存在を疑った“壮大な全体構想”の正体は、宮城県土木部が平成4(1992)年に刊行した『宮城の土木史』という資料から見つかった。

右の写真は同書に掲載されていたもので、撮影日がはっきり書かれていないが、微妙な時期に撮影された今回探索の現場、松島大郷ICの空撮写真である。

なにが微妙かというと、チェンジ後の画像の拡大部分に、今回探索した仮ランプ橋が現役の状態で写っている。だが同時に、仙台方面の本線が既に見えており(合流部がバリケードで塞がれている)、仮ランプ運用末期の風景であると思われる。なかなか微妙な時期でしょ?


写真の話で脱線したが、仙台松島有料道路の開通時点で既に存在していた壮大な全体計画の正体は、仙台湾地区高規格幹線道路。


『宮城の土木史』より

右図は『宮城の土木史』に掲載されていた、昭和61年度末頃における仙台湾地区高規格幹線道路事業の計画図である。
そして、この時点における唯一の(すなわち最初の)供用区間が仙台松島有料道路(1期・2期)区間であった。同道路が完成4車線(暫定2車線)で工事が行われたのは、この壮大な全体計画のためだった。

仙台湾地区高規格幹線道路事業

仙台湾地区高規格幹線道路は、亘理町から仙台市を経て石巻に至る計画約70kmの高規格幹線道路である。
仙台〜石巻間の道路計画については、昭和43年から「仙塩地区交通量検討会」(東北地建、宮城県、仙台市、道路公団)で、計画路線の検討が行われ、引続き昭和58年5月に発足した「仙台・石巻地区道路計画調査協議会」(東北地建、宮城県、道路公団、宮城県道路公社、関係8市町)の中で、仙台〜石巻地区の道路整備の必要性を踏まえ、且つ計画策定調査を円滑に推進することを目的とた検討を加えてきており、これらの検討を基に昭和60年11月には、仙台工事事務所と宮城県合同で沿線4市町で計画路線の説明会を開催し、昭和61年5月に自動車専用道路として都市計画決定した道路である。

『宮城の土木史』より

なお、同年代の『わが国の国土は整備されているか 日本の公共事業』(昭和61年11月刊)という文献に、宮城県土木部長による「北日本の玄関口として発展を」という記事があるのだが、そこでは宮城県の長期的な道路網整備計画について言及する中で、「将来構想としては(中略)仙台湾岸沿いの主要都市間を縦に連結する常磐三陸縦貫自動車道を整備(現在一部を仙台湾地区高規格幹線道路として先行整備中)」というものがあって、仙台湾地区高規格幹線道路をさらに上回る「常磐三陸縦貫自動車道」なる構想路線が見えたりもしている。

この昭和61(1986)年5月に都市計画決定した全長70kmの「仙台湾岸道路」(資料によってはこのように略されている)は、徒花に終わったわけではないが、道路名としての知名度は極端に低い。
理由は単純で、すぐに別の名前の大きな計画へ変化して中身だけがそこで引き継がれる形になったからである。

昭和62(1987)年6月30日に国が決定した第四次全国総合開発計画の大きな柱として、全国の幹線道路網を従来の計画の倍近い14000kmへ拡張することとされ、新たに整備すべき高規格幹線道路が「高規格幹線道路構想一覧」として具体的に示された。

この一覧の中に、三陸縦貫自動車道(仙台〜宮古)と、常磐自動車道延伸(いわき〜仙台)が含まれていた。
先に挙げた資料で宮城県土木部長が語った「常磐三陸縦貫自動車道」が、三陸縦貫自動車道と常磐自動車道延伸として、見事国の構想に組み込まれたのである。
仙台湾岸道路計画は名を失うが、そこで計画された個別の道路は、常磐自動車道や三陸縦貫自動車道の一部として後に全て実現している。


『宮城の土木史』より

国の事業ベースに乗った後は、長大な計画線上の各地で同時進行的に工事が進められていく。
既存の仙台松島道路を北側へ延伸する第3期区間として、宮城県道路公社は松島北IC〜鳴瀬奥松島IC(国道45号鳴瀬道路6.8km)を昭和63(1988)年に着工、この区間が平成5(1993)年3月25日に開通すると同時に、これを含む仙台松島有料道路の全線を、「三陸自動車道」へ改名した。
当時は全線暫定2車線のままでETCも使えなかったが、ここに初めて「三陸自動車道」という道路が開通したのである。

右図は、仙台松島有料道路時代に松島大郷IC北側に存在していた本線料金所である。現在のこの場所だ。
当時から、いわゆる高速道路っぽい見た目の有料道路だったことが分かる。

一方、仙台松島道路に南接する区間は、国道45号仙塩道路として宮城県ではなく日本道路公団の手で建設が進められ、やはり暫定2車線で平成9(1997)年3月27日に仙台港北IC〜利府中ICが開通。平成13(2001)年にはさらに南接する仙台東部道路、仙台南道路を介し、東北自動車道まで繋がった。
その後も路線の延伸は断続的に続いたが、平成23(2011)年に発生した東日本大震災からの復興支援道路の役割を与えられたことで工事は劇的に加速。令和3(2021)年3月6日の気仙沼港IC〜唐桑半島IC間開通によって、三陸縦貫自動車道は248.1kmが全通した。


ただ残念ながら、この記念すべき全通を見届けるどころから、そこへ繋がる長いロードの最初の1ページにしか存在しなかったのが、今回探索した仮ランプというわけだ。
仮ランプは、仮ランプだから仕方がないが、なまじあからさまな仮設構造物ではなく、本線としてしっかり活躍出来そうな構造物を有するだけに、可哀想な感じがする。
可哀想だからせめて、そこにあることを明らかにしたいし、詳しい実況をお伝えしたかったというのが、今回レポートの動機でした。


――以上。





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