2006/5/3 14:01 【周辺図(マピオン)】
今日、橋場線の廃線跡(厳密には「休止中」)というのは赤渕駅から橋場駅までの1.5kmほどの部分である。
この区間は、現在の国道46号線と平行しており、駅以外には特に構造物と言えるものはない。
だが、私が想像していた以上に線路跡の再利用は進んでおらず、地形も平坦で1時間ほどもあれば十分に辿れるので、ミニ廃線跡としてはいい散歩コースだ。
橋場線を橋場駅から赤渕へと辿ってみよう。
当然のことながら、休止(実質的には廃止か)から60年を経た駅には看板がでているわけもなく、地図にも記載はない。
通行量の多い国道46号線からはじっくりと観察することは出来ないので、橋場小学校の駐車場に車を止めさせてもらった。
橋場小学校から、仙岩峠の白い山並みを背に数分歩くと、いよいよ駅が近付いてくる。
国道の山側(盛岡に向かって左側)には、一段高い位置に段丘状の地形が見えている。
これが駅の敷地であり、下から見ても畑などしかないように思われがちである。
この段丘状の地形は駅敷地からさらに仙岩峠側へ100mほどは続いているように見えるが、いずれにしても橋場駅という名前とは裏腹に、実際に駅が置かれていたのは安栖(あずまい)集落である。
本来の橋場集落は、さらに仙岩峠方向へ2kmほど上った場所にあり、安栖と橋場の間には「ヘグリの難所」と呼ばれた狭窄地がある。
駅が健在であれば駅前商店となっていたと思われるのが「木村商店」さんで、商店の真っ正面の小径の先に駅へ続く階段がある。
また、木村商店さん前は「安栖バス停」となっており、世が世ならバス停の名前は「橋場駅前」となっていたに違いない。
この橋場駅が使用不能となったのは昭和16年で、当時は駅前の国道46号線はまだ国道でさえなかったが、安栖地区唯一の商店とバス停がここに固まっていることは、駅の存在が何らかの影響を与えたと考えられる。
そこにいまも現役の駅があるのではないかと思えるほど、ありきたりな田舎の駅前風景があって、思わず嬉しくなった。
国道から駅までは50mほど山側へ歩く。
一応車も入れるのだが、既にここは民家の敷地内のように思われ、駐車するのは止めた方が良さそうだ。
駅が健在ならば、小さな駐輪所がこの辺に置かれていたのか。
色々と想像しながら、奥に見えるコンクリート製の階段へと歩みを早める。
知らない人が見ればまるで神社の参道のようだが、総コンクリート製の無装飾な姿は、どこか産業的な香りを残しているようにも思われる。
この30段ほどの階段の上に、60年以上もの間だ、一度も列車が来ていない「休止駅」が睡っている。
そう思うと、鼓動が自分でも分かるほど早くなった。
一歩一歩、剥がれた瓦礫がカラカラと音を立てる階段を上る度、興奮は増していく。
この駅の辿った運命を知れば知るほど、ただの廃線の駅とは比べものにならない感慨を覚えるのである。
コンクリートの欄干の上には、所々錆びた鉄の柱の基礎が現れており、おそらくは手摺りのようなものがあった名残と思われる。
また、階段の各段の縁は全て角が取れたようになっており、ステップが付いていた痕跡かも知れない。
冬期間には3m近い積雪に覆われる環境が、大正時代に作られたであろう粗悪なコンクリートを容赦なく風化させている。
残り数段となると、段上には妙に明るい雑木林が見えてきた。
それと同時に、
駅が、
姿を見せた!!
国鉄橋場線 橋場駅
戦渦に身を引きちぎられた 希望と絶望の混じり合う地。
もはや廃止されることも、時刻表に載ることもない。
ただ時に身を委ねた、永遠の終着駅。
振り返れば、慌ただしくゴールデンウィークの交通を捌く国道と、時の止まったような駅とを隔つ、短い階段がある。
淡い春の木洩れ陽に照らされた階段は、もはや無機質的なコンクリート構造物の顔をしてはいなかった。
人はいないが、情感はある。
そんな場面だ。
驚いたことに、駅はその基礎の部分をほぼ完全に残していた。
「橋場駅が現存する」というのを、以前から新聞のコラムやら人づてに聞いた事はあったが、よもやこれほどまでとは。
廃線跡としては距離も立地も小粒で、国道からきわめて近接しているために、まさかこれだけの遺構が現存するとは想像できなかった。
ここは、東北全体で見ても相当に稀で良好な残存度を誇る駅遺構である。
(ただ、当たり前だが、いくら正式には「休止中」であるとはいえ、レールを敷いただけで再開できる。というレベルではない。60年の時はそう甘くない。)
ホームや建物の基礎はほぼ完璧に残っている橋場駅であるが、現地で私が見たところから想像した構内図は右の通りである。
意外に大きな駅だというのが第一の感想である。
特に、一番線ホームはとても長く、もちろん計ったわけではないが150m以上あると思われる。
一般的なローカル線のホームなどと比較すると、倍くらいの長さがあるように見える。
また、残念ながら確固たる痕跡は残っていないが、終点駅ということで転車台もあったらしく、そのスペースと思われる広い草原が、駅西側に綺麗な更地として残っている。
また、一番線のさらに内側には、貨物取り扱いホームと思われる短いホームがコの字型に存在している。
さらに、将来は途中駅となる予定があったためか、立派な2番線も存在する。
2番線のさらに外側も山までは広々としており、レールはさらに幾筋か引かれていた可能性もある。
1番線と2番線の間の移動手段となるような、ホームからレール面に降りる階段などは設置されておらず、現役当時から2番線は未使用だったように想像する。
現在では、1番線の東側半分と2番線は大きな木や雑草に覆われているが、1番線の西半分と貨物ホーム、転車台跡地(想像)などはかなり綺麗なままに残っている。
※この構内図は後の探索で大幅に書き換えられねばならない。→【準備中】
もっとも集落側にある貨物ホーム(と思われる)は、一面の“ばっけ畑”(ばっけ=ふきのとう)のようになっていた。
真ん中に見えるのが1番線で、奥が2番線である。
ホームの高さは、現在の駅のものと比べると明らかに低く、さらにこれにバラストやレールの高さを勘案すれば、当時の列車が如何に小ぶりであったかを知らしめる。
また、ホームはコンクリート製だが、それは縁の部分だけで、それ以外は土が露出していたようである。
貨物ホームには一基だけ車止めが残っている。
この周囲だけはレール面よりも土が盛り上がったようになっており、これももともとはバラストの小山のようになっていた名残か。
ちなみに、橋場線からはレールだけでなく、バラストや枕木も全て撤去されてしまったようで、辺りにはそれらしいものは何一つ残っていない。
貨物ホームのさらに西側の駅敷地と集落を隔てる斜面に沿って残っている、数棟の建物の基礎。
駅事務所の跡であろう。
このような建物まで、戦争は奪い去っていったのであろうか?
全てのホームが途切れたさらに西側(仙岩峠側)から、駅全体を振り返る。
右が貨物ホーム。
中央が1番線ホーム。
左が2番線と3番線がある島式ホームだ。
信じられないほどに綺麗な草地として残っているが、現在特に跡地が何かに利用されている様子はない。
(島式ホーム上には作業小屋の廃墟が乗っており、以前は何かに使われていたようだが)
なお、このように敷地が整然としている風景は、毎年雪解け直後にのみ見られるもので、それ以外の時期にこのような風景を期待していくと、大いに絶望することになるだろう。
そのうえ、最近は春先でも前年の枯れ草が大量に残るようになり、この平成18年の探索以降何度も再訪はしているが、これほど綺麗な状況には一度も出会えていない。
さらに西へ進むと、集落へ降りるスロープのような下りがある一方、台地上の敷地はなおもう少しだけ先まで続いていた。
だが、それもやがて森の一部となって消えており、史実通り、橋場より先の実際の工事は行われなかったようである。
当初の計画通りに鉄道が敷かれていれば、秋田新幹線のE3車両がここを疾走していたに違いない。
ふたたび駅へと戻る。
島式ホーム上に何棟かの廃墟がある。
また、ホームを横切るように一部分が通路状に崩されている。
現在、駅跡地の西側半分だけが綺麗な更地のままなのは、跡地利用に除草剤が使われた為かもしれない。
数十年前までキノコ栽培ハウスとして転用されていたとの情報有り
安本さまより情報提供
列車の来ないホームにて。
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