廃線レポート  
森吉森林鉄道 その6
2003.10.21



 森吉森林鉄道中最大の難関といえる、森吉ダム越えの道が始まった。
おぞましい叢に耐え進むと、巨木の茂る森へと入った。
一旦は軌道の痕跡を見失ったと思われたが、頭上遥か崖の上部に再び発見。
命懸けでこれを登攀し、今一度軌道跡にまみえた。

そして、眼前に現れたのは、見る者全てを威圧するかの如き、漆黒の隧道であった。


隧道へ入る
2003.10.8 12:34


 私にとって、森吉森林鉄道の二本目の隧道となったこの隧道。
完全に素掘りのままだったらしい坑門は、半分以上土砂に埋もれており、じきに完全に地中に没する定めだろう。
長靴にヘッドランプ、さらには懐中電灯という、現在の最高装備に身を固め、いざ入洞。

ひんやりとした空気には、確かに流れがある。
閉塞隧道にありがちな土臭さも皆無だ。
これは、きっとどこかへと続いている。
そう、直感した。


 足元には、崩落してきたらしい岩石と、木材が散乱している。
この木材は支保工かとも思ったが、枕木の成れの果てらしい。
なぜこれほどに枕木が散乱しているのかは分からない。
取り外そうとした痕跡なのか、それとも?

荒れ果てた、という形容がぴったりの内部は、当たり前だが真っ暗闇。
今入ってきた入り口からの光も弱々しく、どこにあるか分からない出口は、全く見えない。
さすがに、未知の隧道だけに緊張感は並じゃない。



 一歩一歩、転倒しないように気をつけながら、不安定な足場を進む。

意外に断面は大きく、広々しているというほどではないものの、自動車用の隧道といっても通用しそうだ。
進むほどに不思議と荒廃の度合いは収まり、歩行は容易になってくる。
先には出口の見えない暗闇が続いている。
フラッシュに照らし出された内壁は白く、美しいままである。
これは、蒸気機関車を通わせた経験のないことを物語っている。


 それにしても、長い隧道だ。
正直、大隧道を掘削するコストに見合う経済効果を得られにくそうな森林鉄道などに、このような出口の見えないほどの隧道があるということに、違和感を覚える。
経験済みの軌道由来の隧道としては、岩手県胆沢郡胆沢町の猿岩隧道(延長696m、国有林林道の現役隧道延長日本一、2003年現在)や、秋田県内でも鳥海町直根にある直根第二隧道(延長626m)などは、本当に長いと感じた。
そしていま、これらに並ぶ長大隧道に私は立ち入ったと理解した。

出口が見えない。
閉塞しているではないとしたら、或いは、急なカーブがあるのはないとしたら、何メートルあるのだろうか?


長い隧道だ

 掘りっぱなしの内壁はごつごつとしており、そこかしこから水滴が滴っている。
足元には、枕木が整然と並んでおり、レールさえ敷けば再び軌道を通わせることも出来そうだ。
やはり、レールだけは廃止時に回収されたのだろう。

断面の形は一般的な楕円形と言うよりかは、長方形に近い。
岩盤は、触ってみたところ強度がありそうな感じ。
幅は3mほど、高さは4mほどといったところか。
比較的高い天井には、蝙蝠の姿も散見された。
一匹目を見たときには、沢山いたらどうしよう?!と、二井山隧道の恐怖がよみがえりそうだったが、幸い、チラホラいると言う程度だった。

それにしても、長い隧道である。



 振り返ってみると、埋もれかけた入り口が遠くに見えた。
ここまでは直線だった、距離は100m位来ただろうか。
不安はあったが、どんな景色が先に待っているのかと思うとものすごい楽しくて、それでいて最高に緊張していて、とにかく興奮の中にあった。


 どこまでも真っ直ぐ、暗闇を射抜くように続く隧道。
整然と並んだ枕木を一本措きに踏みしめて、テンポよくスタスタと歩く。
まだ、全く出口は見えてこない。

この写真は、画像処理によって明度を上げている。
フラッシュを焚いた一瞬に私が目にした景色とよく似ていると思う。
それは、30年間の沈黙を押し破る訪問者が眼にした、たぶん廃止前と殆ど変わらない隧道の景色である。






 私の前に現れたのは、出口ではなく、“継ぎ目”だった。
コンクリートの擁壁によって一回りばかり狭くなった隧道が、なおも真っ直ぐと続いている。

少しばかりの蝙蝠はいるが、鳴き声をあげるものはない。
身動きひとつ見せもしない。
まるで無関心?あるいは、眠っている? 分からないが、どうやら私は彼らとは別の世界に生きているらしい。
隧道内には、私が枕木を踏みしめて歩く乾いた音だけが響く。

一体この隧道は、私をどこへ誘おうとしているのか。



 内壁の様子こそ同じ隧道とは思えないほどに豹変したが、足元に続く枕木の列が統一感を感じさせる。
そして、これまでに類を見ないほどに長い隧道となりつつある。

まだ出口は現れない。
立ち止まってみると、やはり空気の流れは、微かに感じる。
振り返ってみると、…そこに入り口は見えなくなっていた…。



脱出!! 
12:42


 廃道というには綺麗な隧道をさらに歩くと、内壁が緩やかな右カーブを描き始めた。
そのカーブは徐々に深くなっていき、あるとき、先に緑色の光の反射を感じた。
一瞬目の錯覚かとも思ったほど弱々しい光であったが、やはり内壁に緑色が写っている。

写真では、ノイズがでまくりなほど明度を上げた。
実際に感じた光は微かな物であったが、溢れ出る光のように描かれている。
注目してほしいのは、足元の赤い部分だ。
この光は、私のヘッドランプが照らし出した明かりであるが、今までの他の写真では全く写りこんでいなかった。
これだけ明度をあげて、やっと薄暗い光として現れている。
如何に、漆黒の闇の中で私の明かりが頼りない物なのかを示している。
もっとも、この明かりがなくしては、一歩たりとも歩くことは適わないのだが。


 入ってきた側の坑門とはまるで様子が違う。
ただ、出た先の状況は必ずしも良くなさそうだ…。

期待と不安がマキシマムに高まったまま、再び緑の光の下に私は立つ。

生きて、太平湖畔の軌道跡としては一つめの隧道を、突破した瞬間だった。



 森の一部と化してはいるものの、他方と違いちゃんとした坑門がある為か埋没の危険はしばらくなさそう。
少し見下ろすようなアングルから撮影しているのは、出てすぐの場所に巨大な倒木を伴う土砂崩れがあり、その上から撮影しているため。
簡素なコンクリートの坑門の奥に続く隧道の延長は、どれほどだったのだろう。
慣れない徒歩による探索であることと、非常な興奮状態にあったため、正確な距離は測りかねる。
踏破に要した8分と言う時間を加味して考えれば、推定延長400mほどだろうか。
現在手元にある地図上には描かれていない隧道としては、想像以上の長さであった。
そして、嬉しいことに、いや、強がりはよそう。
正直言えば、恐ろしいことに、
このほかに地図上に描かれた隧道が、太平湖畔に幾つもある。それらは、一体どれほどに長いのだろうか。
底知れぬ恐怖…戦慄を覚えた。

そして、これが武者震いと言う物なのか…ガクガクブルブル…。


 隧道から出ると、その先の道は判然としない。
ただ、地形的に真正面以外には進みようがない。
左は深い沢に落ち込み(この沢は、どこの沢なのか?この時点ではまだ分からなかった)、右は急な斜面となり侵入を拒んでいる。
徒歩だからこそ、まだもう少し進んでみようかと言う気になれた。
とにかく、荒廃している。



 隧道内の現役と見紛うばかりの様子から一転し、地上の荒れようは大変なものがある。
枕木は存在しているが、その多くがもとあった場所を離れ、谷に落ち込んでいたり、どういうわけか起立している物まであった。
そんな中、また新しい軌道の痕跡を発見した。

路傍(と思われる位置)に散乱する幾つもの曲がったレールだ。
どれも一様に湾曲しており、その曲がり方も尋常ではない。
いくら小回りが要求された森林鉄道と言えども、これほどに急なカーブが想定されるのだろうか?
一体これらのレールは何故にここに放置されているのか?

謎は尽きない。




 隧道を離れる前に、もう一度だけ振り返って撮影。

遠くから見ると、コンクリートの坑門があることすら分からない。
もはや、そこは原野と大差ない。

さあ、この先はどこへ通じているのだろうか。進むよりほかはない。
できれば、一度通った隧道を戻るのは、嫌だ。(埋もれかけた坑門を見るのは特に圧迫感があって嫌なのだ)


大印沢の断崖を這うように…
12:47


 数時間前にも似たような光景を見た気がする。
しかし、今回はさらに豪快な道である。
視界を遮る木々や植物が多いために幾分恐怖感は和らぐのであるが、実際は足がすくむ様な場所を軌道の痕跡は続いている。
先ほど隧道に入る前は小又川の川岸より少し高い場所を辿っていたが、現在は、明らかに小又川ではない別の沢の上部にいるようだ。
断崖の下、木々の向こうに、深い淵が見える。
その比高は優に50mを越えている。
そして、頭上にせり出した裸の岩肌は、90度を越える角度で覆いかぶさっており、まるで洞門のような場所さえある。
見上げてみても、空など殆ど見えない。

使い古された感想かもしれないが、それでも口にするよりほかはないだろう。

「こんな場所を、よく通っていたものだ。」




 坑門から断崖の軌道跡を歩くこと約6分。
非常に足場が悪く、距離にして300mほどだろうか。
いよいよ岩盤を削り取って道を拓くのも限界に来たのか、再び隧道が現れた。


これはー…、
なんとエキサイティングな展開だろうか!



二つ目の隧道
12:49


 今度の坑門は、丸っきり素掘り。
現在のところ目立った崩落はないようだが(或いは崩落しても積もらずに崖下に落ちていったのかも)、岩盤には縦横に亀裂が走り、一目見て危険な状況。
この隧道は、いつ消滅してもおかしくないと感じた。
ただし、いま、
今だけは崩れてこないでくれ。

こればかりは神頼みなのだが、無神論者というほど拘りがあるわけでもなく、でも信心深い訳では全然ない私は、何を頼りにすればよいのか。
そんなつまらないことを考える暇もないほど、現場での私は興奮していた。
一歩二歩と坑門に迫り、そして、暗闇を窺う。

…。
空気が、流れてる。




 この隧道は内部の崩落がかなり進んでいた。
枕木などは撤去されたのか、天井から降り積もった岩石が散乱しているばかりで、路面は良く見えない。
ただ、長い隧道ではないようで、出口の明かりと思しきものが、急な右カーブの向こうに見えてきた。

今度も無事突破できそうだ。


 突破!
この隧道は、延長50mほど。
出口までただの一箇所も補強物の見当たらない素のままの隧道である。
その荒廃ぶりは、いつ消滅してもおかしくないようだったが、現時点では奇跡的に通行には支障がない。

坑門からその先を臨む。
やはり断崖を這うような道が続くようだが、先ほどの断崖とはムードが違う。
光の当たり方が違うのだ… 隧道で方向を転換したと言うことが分かる。
頭の中で、必死にここまでの経路を地図上に描き出す。
だが、まだはっきりとした形にはならない。
もう少し進めば…。


 坑門を振り返る。

この隧道のことを、今後“第1隧道”と呼ぶことにする。
もちろん、正式な名称はほかにあるのであろうが、分からないので。
なお、先ほどの長い隧道は、”第2隧道”と呼ぶものとする。

なぜそう呼ぶかことにしたかは、間もなくはっきりする。


 いっ 一周?!
12:18


 坑門を離れ、今度は日陰となった沢筋のゆるい下りを歩く。
もう一度振り返ってみる。
目に飛び込んできた景色の余りの美しさに、言葉を失った。


軌道跡に降り積もった落石や枯れ木、無数の落ち葉と、それらが転じた土。
その上に生を受け、懸命に生きる、あるいは、悠々と蔓延る植物たち。

人が命懸けで切り開いた、命懸けで通った道に、変わらず時間が流れている。
盆も正月もクリスマスもない、ただ淡々と、無色の時間が、流れている。
道から、人の営みだけがそっくりと抜け落ちている。

もう、ここは道と呼ぶべきではないのか。
誰も通らなくなった道は、道の姿ではあり続けられない。


否。
森に帰した道も、叢に覆われた道も、ダムに水没した道も、コンクリートの下に消えた道も、意識する誰かがいる限りは、道であり続ける。
そして、当時の記憶を辿るとき、わずかな痕跡を求め彷徨うとき、それは再び色鮮やかに蘇るのだ。





 殆ど道とは思えないような斜面に微かに残る起伏を頼りに進むこと、隧道から4分、約200m。
見覚えのある景色が目に飛び込んできた。
目の前に現れた道は、まさしく地点である。

一周してきた。
詳しくは、今回のレポートの最後に示す地図をご覧頂きたいが、どうやら私は、高度を稼ぐための巨大なヘアピンカーブを逆から辿ってきたようだ。
これで、本地点から、第1隧道を経て、大印沢、第2隧道、そして本地点の直上に位置する地点までの、約1kmの経路が明らかになった。
軌道を描いた古地図はみな小縮尺のものばかりだったので、この細かな経路は分からなかった。

ここで一旦仕切りなおしだ。
次回は、再び上部へ上り、湖畔を目指す。

そして、残念ながら…最終回を迎えることになる!


最終回へ

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