廃線レポート  
森吉森林鉄道 奥地編 その4
2003.11.16



 太平湖畔を幾多の隧道と橋梁でもって縦貫していたという森吉森林鉄道跡を追い求めた末に、かつて終点があった杉沢集落跡から、はじめて湖畔へのアプローチに成功した。
しかし、湖畔といっても距離は長く、その中枢である土沢から小又峡を経てダム下流の前回到達点付近までの部分は、いまだ不明なままであった。
なぜならば、大杉と土沢の間にある橋が、完全に落ちてしまっていたためだ。

二度目の撤退を余儀なくされた私に、現時点で可能な最終アプローチ手段ともいえる、土沢付近からのそれが課せられた。

これが駄目なら、ちょっと…、打つ手は無い…。

さて、どうなったのか?!


再び歩渉して戻る
2003.10.30 10:26


 6号橋梁跡から来た道を戻ること16分。
探索のスタート地点であった7号橋梁跡の歩渉点に着いた。

気乗りはしないが、再びこれを超えなければ、生きて還る事は出来ない。
靴を脱ぎ靴下を脱ぎ、チャリを伴って、刺すように冷たい流れに足を入れる。
二度目とはいえ、やっぱり流れは見た目よりも速く、ヒヤッとさせられる。
心持ち、水量が来たときよりも増えているような感じもあったが、なんとか、生還。

ここでの、生まれて初めての歩渉体験は、冷たくて、恐い物であった。



 川原から県道へと戻るためのスロープ。
ここの勾配は、砂利道としては破格の急さである。
まあ、正規の道ではないようだし、一応通れれば良いというような考えなのだろうが、久々に前輪が浮いちゃってひっくり返りようになった。
悔しいので、ムキになって漕いで上ってしまったが、無駄な体力を消耗してしまった。

舗装された県道に戻って気がついたが、車載のサイクルコンピュータが計測を休止しているではないか。
調べてみると、車輪やフレームに取り付けている計測部が、先ほどの歩渉時に強い水流によって歪んでしまっていた。
ちょっとやそっとじゃ曲がらないはずの部分が…、改めて水の恐さを感じた次第である。

大杉分岐に戻る
10:39

 県道を来た通りに走り、地点の大杉分岐点まで戻ってきた。
なぜ戻るのかといえば、再び湖畔を目指しているからに他ならないが、どうして湖から離れる方に進むのかと不思議に思うかもしれない。
その答えは、これがその唯一の道であるからだ。
最終アプローチとして与えられた土沢は、太平湖へと南側から注ぐ小又川の支流であるが、ここからダムの湖畔を進む術が絶たれた以上、大きく山中を回り込み、土沢の上流から湖畔を目指すのだ。
逆に、湖の南岸では土沢以外に、車道が通じている沢は一つも無いのだ。

長いアプローチとなることを覚悟せねばならない。


 分岐を直進する。来たときは左から来たので、この先は初めての道だ。
直進するとそこはもう砂利道であり、見慣れた林道標識が待ち受けている。
そこへは、「森吉林道」と記されていた形跡があるが、これは誤りであり、ガムテープで強引に消されている。
正確には、ここから先は六郎沢林道となる。
六郎沢林道は、13620mの遠大な路線であるが、これで終りではなく、さらに群境を超え鹿角市は夜明島林道(16519m)につながっている。その継続延長は合わせて30kmに及び、これは県下最長クラスの峰越林道である。
さらに、現在地点であるこの大杉も、10km以上の山岳道路を経てやっとたどり着けるような奥地なので…、はっきり言って、チャリンコにはかなりハードな場所であることは間違いない。
実は、軌道跡だなんて“寄り道”してる場合ではない、ガチンコの林道なのだ。


六郎沢林道の道程


 六郎沢林道は、通行量がそれなりにあり、ダートだがよく締まった路面はフラットで走りやすい。
道幅も十分に取られているし、勾配もさしてないので快適だ。
その上、一体の景色はかなりの部分で総天然色であり、彩りの無い晩秋の景色ですら、面白い。
葉を落とした巨木の中、黙々とキロを重ねてゆく。



 途中、2キロ置きくらいのペースで分岐してゆく支線林道がある。
それらを横目でちらりと見ながら、進んでいく。

4キロ…。

もう少しで、土沢へのアプローチ林道との分かれ道の筈。
手持ちの地図には描かれていない林道との分岐を見逃すまいと、すこし慎重に進む。


ネギ沢林道分岐 右へ
11:08


 5kmポストのすぐ先に、これまでよりも存在感のある分岐が現れた。
本線は左であり、小さく「花輪方面」と案内されている。
初めてだし正確な地図もなく確信は無いが、ここを右に曲がれば、土沢上部へと進めるはずだ。

今一度地図を確認して、深呼吸をして、橋を渡り右折した。
分岐に立つ標識によれば、この支線は「ネギ沢林道」。
変わった名だ。
また、一帯の林道では珍しくも無いが、一般車は危険防止のため侵入禁止とされている。
具体的には、閉鎖されているわけではないが。



 本線に負けないほどしっかりと踏み固められた林道である。
穏やかだった六郎沢沿いの林道と違い、瀬のような急な小沢(これがネギ沢なのか?)に沿って進む林道はかなり急であり、一気に尾根を目指しヘアピンを描きながら、高度を稼ぐ。
チャリだからしんどいが、まだまだ先は長いのだった。


土沢林道分岐 右へ
11:28


 約20分を掛けて、2kmほどの急な上りを攻略、再び道は二手に分かれた。
本線(ネギ沢林道)は左で、どこへ通じているわけでもないようではあるが、まだかなり上を目指しているのかもしれない。
しかし、今回の私の目的は、珍しく“下”だ。
ここから右へ別れる林道が、標識によれば「土沢林道」である。
目指す場所の名を冠したこの道が、私を軌道跡へと誘ってくれるのか?

時間的にミスは許されないが、信じて右折する。


 やはり本線も一般車は通行止めらしいが、特にゲートなどは無い。
こんな、森吉町の中心地から60km以上はなれたような僻地に、目的もなく来る人はなさそうだから、ゲートが無くても差し支えないのだろう。
土沢林道は、始め僅かに上るが、100mほどでブナの巨木が茂る鞍部を越え、すぐに下りが始まる。
それも、猛烈な!

土沢へと鋭く降りる
11:35


 まもなく始まる土沢林道の下りは、強烈な物であった。
雨は上がって久しいが、相変わらず雲は低く、前方にどっしりとした山容を晒しているはずの森吉山は全く見えず、辺りの山々だけが視界に写る。
稜線に近い場所にいることは、景色からよく分るのだが、目指す湖畔はもちろん谷底にある。
つまり、せっかく上ってきたのであるが、ここで全て清算せねばならないのだ。

当たり前のことなのだが、チャリにとっては、辛い現実である。
「ああ、そうですか」とはいかない、厳しい現実なのだ。
しかも、どこへ抜けていることも期待できない林道である…、下りたくは無いのが本音なのだが…。



 私の本音をあざ笑うかのような、恐ろしい景色が展開していた。

ああ、あの谷底に見える道が、行く手なのね…。

あそこまで、高低差100mはある…。
降りれば降りるほど、生還からは遠ざかっていくのが、よく、分る。
無人と思われる谷底へ、ブレーキを響かせながら、なお高速に滑り落ちてゆく。




 森吉山一帯では特徴的な滑らかな地盤が露出している。
ヘアピンコーナーは強引に岩盤を穿ち、急な勾配のまま下っていく。
ここが、土沢林道で最も印象に残った景色である。




 ローマ字の“C”の形を全体として描きつつ、先ほどの写真に写っていた“下の道”へと降りた。
今度、正面の断崖の上に見えている露頭は、さっき私が立っていた場所に他ならない。
厳しい道ではあるが、このような山越えは鉄道には不可能であり、この土沢へのアクセスルートは林道ならではの物だと感じられる。
秋田の県土の大半はこのような厳しい山地であることを考えれば、軌道がトラック輸送に順次駆逐されたのは、やむを得なかったと感じられる。


土沢沿いの道
11:38

 谷底へ近づいてきた。
低い雲に遮られ、3kmほど先の山々が視界の果てになっている。
土沢上流部の独特のナメが緑と茶色に支配された山肌に、灰色の一角を形成している。
土沢沿いの軌道はあの辺りまで伸びていたのだろうか?

森吉山の懐奥深くまで延びていた軌道は、まだ未知数だ。
なんせ、これら支線軌道の本線である森吉森林鉄道すら、容易には解明できていないのだから…。
いったい、どれだけの秘密が、この山には隠されているのだろうか…?


 土沢に下りると、道は穏やかな沢沿いの景色に変わる。
あれほど厳しい山肌を苦労して越えてきたのだが、拍子抜けするほど平坦な道である。 ここも軌道跡を再利用した道であることは、間違いないだろう。
周りの景色も、厳しさとは無縁な、和やかな渓流だ。
しかし、標高以上に冬は近づいており、里では今が盛りの紅葉も、すっかり終わっている。


魚の沢林道分岐 
11:43


 それから1kmほど沢に沿って進むと、再び林道分岐が現れる。
写真には写っていないが、土沢を渡り対岸から再び上流へと踵を返す「魚の沢林道」が左に分岐している。
また、この分岐点では、目立たないがもう一つの枝道が分かれている。
それが、写真では正面に写る沢沿いの道だ。
パッと見、これが軌道跡だろうと勘付いたが、だとすればなぜ林道本線は右の斜面に取り付いているのだろうか?
なにか、沢沿いには迂回すべき障害があるのだろうか。

どちらかと言えば軌道跡のほうに興味があったが、今回の調査対象ははっきりしており、ここでは時間を余り使えない。
(なんといっても、チャリの私の場合、この場所は致命的に山深い場所であり、時間にも、行動にも余裕は無いのである…悲しい哉。) 林道本線を進むことにした。



 高巻きするようなアップダウンを500mほどこなし、林道は再び沢底に戻った。
そこにあったのは、比較的新しい様に見える、立派な砂防ダムの姿である。

どんな山中でも、お構いなしに砂防ダムだけは点在している。
いつも、驚かされる。


土“川”林道?
11:53


 また穏やかになった道を進むと、再び分岐点。
左が明らかに本線であり、右の山肌に取り付いている道は造林用作業道のようで、廃道となっていた。
ここには、左を指して「土川林道」という標識が立っていたが、これは、土沢の誤りでは無いのだろうか。

ちなみに、写真からもお分かりいただける通り、意外に意外、この林道はちゃんと整備されている。
僻地中の僻地と思える(役場からここは60kmから70kmも離れた山中だ)が、それなりに利用者がいるらしい。
釣り人や山菜取りの人たちにとって見れば、地図に載らないこれら行き止まりの林道でも、むしろ収穫を期待できる道なのかもしれない。
県民にとっての森吉山の人気は、こんな事実からも示されているのか。
通り抜けの出来る道でも、ここよりいくらでも荒れ果てている道が、ごまんとある。



 魚の沢と合流し、一気に水量が増えた土沢は、今度は一帯最大の支流である粒様沢をも合流せんと、流れを速める。
比較的なだらかだった両岸の様子も次第に変化してくる。
このあたり、普通の川とは違う。
大概の川は、下流に進むほど穏やかになるのであるが、複雑な地質構造を有する森吉では、この法則は成り立たない。
むしろ、景勝小又峡も太平湖のすぐそばであるし、最も河川の垂直的浸食が進んでいるのは、小又川本流に近く、現在では太平湖に接する、これから先の一帯なのである。

今回の、気持ちの上での戦いの狼煙は、この辺りで上がったように思う。

写真は、本文と関係ないが、この辺にあった土沢水位測候所である。
無人ながら稼動していたようだ。



 終点が近いのだろう。
自動車が転回できそうな広場を一つ越すごとに、路面の轍は徐々に頼りなくなってくる。
しかし、軌道敷きをそのまま転用したらしい景色の中、淡々と道は続く。

距離が長く、ちょっと、ダレて来た。
ネギ沢林道から分かれて以来、ほとんどずっと下っており、帰りのことを考えると、気が重くなるばかりだ。
これで、行き止まりまで行って、何の収穫もなかったら、ドツボだなぁー。

また、橋が落ちていたら、どうしよう…。
さっきもそうだったじゃないか…、橋が残っているなど、むしろ稀なことではないのか?

だんだん、嫌な予感がしてきた。

林道終点
11:57


 再び現れた広場で、林道としての終点を感じさせる景色に遭遇。
山積みされた材木が、道を遮るようにして置かれている。
この先へは、徒歩やチャリ以外では侵入不可能だ。

しかし、これといった軌道の痕跡は無い。
ここまでの林道自体がそうだったのだろうが、残念ながら、収穫と呼べるような物はなかった。
やはり、もっと先まで進まねばならぬようだ。

ネギ沢林道との分岐から、ここまで山道を8kmあまり。
約50分を要した。
長い、アプローチであった…。




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