廃線レポート  
森吉林鉄 第X次探索 その3
2004.7.24


 我々6名は、排水作業のほぼ完了した7号隧道を順調に進んだ。
しかし、水没の危機は去っても、長い隧道であることに変わりはなく、既に入洞からは20分以上が経過していた。


7号隧道を越えて  
2004.6.13 9:21

 ほぼ直線の7号隧道の、かなりはじめの頃から点のように見えてはいた出口が、やっと面に変わった。
そして、出口が近づくにつれて、再び洞床は水中に没した。
その水深は、進むにつれ深さを増し、
ついには入洞した東側を上回る水深になったのである。
地形的にこの西側坑門の方が東側よりも数十センチ低いようで、東側からの排水だけでは、この水はどうしようも無かったのだ。


 

 腰まで浸かりそうな水深に、これが初めての廃隧道入水体験であろうYASI氏と細田氏は、きっと動揺していただろうが、我々経験者にサンドイッチされる形で、問答無用で進行していく。
YASI氏はなぜかにこやかだ。

また、プレ組はこの状況を知っていたので、平然と突破していく…
かと思いきや、水底には厚く泥が堆積している上に、見えざる枕木のせいで急に深くなっている場所などもあり、なかなか容易ではないようだ。

私はといえば、…濡れてからが本番と、一人息巻いたのである。


 続々と最深部を経て、地上へと脱出していく。

隧道は、長かった。
その延長を計る術は無いが、経験と勘から言えば、恐らく700m程度。
4号隧道、5号隧道に並ぶ、森吉最長隧道の候補であろう。

何度もそればっかり言っているかも知れないが、この長さの隧道が並ぶ森吉林鉄は、やはり凄いと思うのである。
某森吉山ダムの記念誌には、本林鉄の運転士をしていた人物の話が載っているが、隧道内部の方が安心して走行できたという。
なかなか常人の感覚からは想像できないが、それだけ残った地上部が危険な場所の連続だったということなのだろう。




 出口の傍には、ご覧の崩壊があった。
コンクリが剥がれ落ち、その奥の岩壁が露出している。
骨組みの鉄骨も歪曲しており、見た目の崩落以上に大きな負荷が掛かっている様子である。
また、カボチャのような異形のコンクリ鍾乳石が切れ目の部分に発生していて、相当の地下水流出がおきていたことを窺わせる。
現時点では東側坑門の半埋没以外は至って状態の良い7号隧道であるが、いずれここが壊滅する恐れもありそうだ。




 午前9時22分、最後尾を歩いていた私を最後に、全員が隧道を突破した。
プレ組の3名を除いては初めて目の当たりにする7号隧道西側坑門。
そして、その先の軌道跡である。

私の感動が、かなりものであったのは言うまでもない。
7号隧道については、一度は手前の橋(5号橋梁だ)で断念し、一度は内部で断念した。
2度の挫折を経ての、三度目の攻略であった。
また、結果的には前回の挫折時にパタ氏が「時間切れ」を宣言してくれた事は幸いだった。
なんせ、あのとき私が500mも進んだと思っていた場所は、実はまだほんの100mほどの地点だった。
それに、その先の水深は浅くなっていたが、最後の100mは再び水没していた、それも入り口側よりもさらに深くだ。
つまり、あのとき時間が許し踏み込んでいた場合、最後に再び胸までの水位に遭遇し、しかも脱出するためにはさらに深い場所を越えねばならなかったことが想像できるのである。
しかも、急に深い場所もあったので、…考えただけでも恐ろしい。





 4号橋梁 
9:23

 ここで、地図を確認しておこう。
今回の探索は5号橋梁を渡るところから始まっており、7号隧道を今抜けたところだ。
そして、現在地点はマークの場所である。
最終目的地である3号橋梁へは、さらに4号橋梁と6号隧道の存在が、予見されていた

そう、これら橋梁や隧道については、それらを描いた地形図が存在しないために、多くは私の想像に拠っていたし、これまでの探索は、そんな推理の答え合わせでもあったのだ。
こうして、私の森吉地図は次第に正確なものになってきた。
ちなみに、一番はじめ、この森吉探険を決行したとき、私が持っていた唯一の森吉林鉄の地図は、コレだった。

そして今、いよいよ4号橋梁と6号隧道の実在を、この目で確認できるのだ。
私はワクワクした。
プレでその存在自体は明らかにされていたが、自分の目で見るのと聞くのとでは、天と地ほどの違いがある。




 予想していたとおり、隧道の出口から4号橋梁は目と鼻の先であった。
それこそ、30歩程度しか離れていない。
長沢という小さな沢を渡る橋梁は、たしかにそこに存在し、渡ることも出来た。
予想と異なっていたのは、規模が思っていたよりも全然小さいと言うことである。
この橋は航空写真にも写っていなかったので、3号橋梁同様危険防止のため落橋されたか、崩落している危険性を感じていた。
最悪、この橋がないために6号隧道へと進めないという事態も覚悟していた。

この橋が写っていなかった本当の原因は、それが余りにも小さかったから。
藪と同化してしまった小橋は、このままでも渡れなくはないが、視界が無く、危険性も大きい。
低いとは言え下は岩場で、落ちればただ事で済まない。




 プレ組はもう経験済みと言うことで、私が最初に渡ってみた。
高さ3m。幅60cm。長さ5mほど。
小又峡と粒様沢に挟まれ流域の狭い長沢は水量も少なく、枯れかけている。
プレの時には全員が渡渉したと言うが、その方が危険は少ないだろう。
もっとも、くじ氏以外は帰りに渡ってみたそうであるが。

…くじ氏は高いところがね…チョットね。



 いかにも森吉的な一枚岩のせせらぎを見せる長沢。
チョット水量が少なすぎて、淀み気味。

さて、プレ隊によればこの先に6号隧道も実在するとのことであるが、もう捕まえたも同然の獲物に急ぐ必要もなく(実際、今回は排水作業などの時間の掛かるイベントもなく、まだ10時前で時間に余裕があった)、
山行が探索隊には今までなかった、のんびりムードな空気が流れていた。
一行は、帰りのことを考えて、今抜けてきた7号隧道は西側坑門の排水作業、及び藪に埋没しかけている4号橋梁の刈り払い作業を、分担して行うことにした。





 今回全員がスコップないしシャベルを持ってきていたが、鋸を持って来ていたくじ氏とふみやん氏に借り払いをお願いし、他のメンバーは排水にあたった。
基本的に水遊びが好きな私は、喜んで排水作業に挑むのだったが、張り切りすぎて少し疲れた。

写真は排水作業中の7号隧道西口。
写真では見えにくいが、くじ氏の背後に隧道上部から落ちる小川があって、直接隧道へは流れ込んでいないものの、坑門前で軌道跡に流れ込んで、そのまま長沢に落ちている。
おそらく大雨が降れば洞内へも逆流しているのではないか?
我々の排水作業は、隧道から流れ出す小川を浚渫し、その水量を増やすことであった。





 坑口と橋梁の僅かな軌道上には、二本の電柱が残されていた。
電柱はこれまでも軌道脇で多く見られたが、金属製もののみで、木製は初めてだ。
しかも、電柱用の材木というよりかは、殆ど未加工の杉の木のようである。
立派にまだ直立しているのには、感心した。
支持用のワイヤーにはもう張りがなくなっているにもかかわらず、だ。



 見上げてみると、結構高い。
二本の木柱は上部が金属の梁で連結されている。
なぜこの場所には通常の金属製の電柱を設置しなかったのであろう。
何か理由があるはずだが、柱以外に残された物はなく分からなかった。


まじめに排水作業に従事し、ジュースをごくごくして(パタ氏はタバコを吸っている)、気が付けば20分も経っていた。
くじ氏達も戻ってきて、全員でもう一休み。

30分経過で、再出発の号令が発せられた。



 午前9時55分、再出発時の4号橋梁。

すっかり邪魔な枝が刈り払われている。

ちなみに、一帯は県立自然公園に指定されており、無断の刈り払いなどは…。

いま、レポを執筆していて、先日の南八甲田登山道の無断刈り払いの問題なんかも踏まると、問題があったかもと思っている。
現場では余り問題とも思わなかったが、素直に反省している。
以後、気をつけたい。


小さな橋だが、梁渡りと違い足以外で体を支持できない単純な平均台であり、意外に恐い。
率直に言って、私の感じた怖さは、慣れた梁渡り以上だった。
それに、渡ると気が付くのだが、橋は地面に対し平行ではなく、やや左側が落ち込んで傾いている。
バランスが取りづらい。

無理せず下を行った方が無難かも知れないが、今回は全員がこれを渡った。
赤信号、皆で渡れば…のような合同調査になってしまえば、危険である。
各自が地に足を着けて探索しているうちは問題ないが…、初対面で梁渡りなんかをさせている私たちも問題あるのか。



 6号隧道との遭遇 
9:57


 4号橋梁を渡っても、すぐそこに次の隧道は現れなかった。
久々に、軌道跡地上部である。

6月も中旬となれば、いくら山深いこの森吉も新緑は終わり、夏の葉が緑を濃くする真っ最中である。 それに合わせ日に日に藪も濃くなる。
この藪の様子だと、もう一週間来るのが遅かったなら、どこが道だったかも分からない状況となっていたかも知れないと思う。
この時期でこの濃さというのは、かなりの藪と言って間違いない。



 藪の切り開きを生業とする斬り込み隊長くじ氏をはじめ、やはりコレで食っている私も負けられぬと、藪をすり抜けて進んでいく。

なお、
私とくじ氏、それに、あともう一人。
この4時間後、さらに深く惨い藪に突入することになるのだが…。
 

 さらに進むと、高い崖が直接長沢に落ち込んでいる場面に遭遇した。
軌道の路盤はすっかり崩れ、ネマガリタケの密生する急斜面の一部になってしまった。
これまた、汗をかかずにはいられない難所であったが、僅かに残った残雪を活用して、出来る限り竹藪を避けて越えた。
真夏など、ここの藪は背丈より高く大変そうである。
足元がハッキリしないだけに余計。

なお、写真では見にくいが、右端に長沢が土色に写っている。
水量の少ない長沢には、我々の土木作業の後遺症で、まだ泥水が流れ続けていた。
自然破壊?

反省しています。




 4号橋梁から150mほどで地形に沿って右カーブ。
右側には、木々の向こうに湖面が現れる。
いよいよ、隧道なのか。
そんなムードだ。




 足元にレールの一条あるを発見。
残念ながら一度剥がされて放棄されたもののようだが。




 さらに、すぐ傍には碍子も発見。
周囲に碍子を付けるようなもの、例えば電柱や鉄塔を見かけなかったのだが。
碍子は少なくとも二つ、落ちていた。

森吉探険にて洞外での碍子発見は初めてだ。
また、このオレンジのラインには、何か意味がありそうだ。
ちょっと、不自然な気がした。この碍子と、もう一つ見つけた碍子は、他の遺物…例えばレールなどに比べ、妙に新しい気がするのだ。
碍子のような陶器は変色変形が少なく、そう感じただけのかも知れないが…。




 これまでプレ隊以外では近年殆ど人の目に触れていないと考えられる6号隧道の出現である。

この隧道が、恐らく森吉付け替え軌道にある8本の隧道の中で一番接近しにくい。
この隧道へのアプローチには、梁渡りと腰までの入水隧道、それに藪漕ぎが欠かせないのである。
洞内を通行できない4号隧道は山上迂回できても、梁渡りが必須の5号隧道もまた同様に辿り着きにくいものではあるが、麓からのアプローチの距離なども含めれば、やはりこちら6号隧道こそが、最大の奥地だといって良いだろう。

そんな6号隧道。
私が森吉で最後に出会った隧道。

全員の到着を待って、 即入洞である。

この先には、いよいよ小又だ!!



 6号隧道は、さして長くはない。
すでに、真っ直ぐ先に出口が見えている。
おおよそ200m〜300mと思われる。
そして、見た限り内部に崩壊や水没もなく、整然と枕木が並んでいる。
坑門のすぐ先からは素堀りになっているが、出口が見えているのは心強い。

一番最後に見つけた隧道が、一番難しいという訳では、無い。
そこが現実的で、妙に惹かれたりもする。
こんな楽勝な隧道に辿り着けなくて半年も悶々としたのかと、そう思うのもまた、楽し。




 さあ、いよいよラストだ。

こんなに私を楽しませ、私に期待させ、また私を苦しめた森吉林鉄付け替え軌道も、嗚呼、最後の隧道である。

仲間達の協力も得て、挑戦すること5回目。
やっと辿り着いた最後の隧道。
その出口は、もう見えている。

意外にあっけなく終わりそうだと、誰もが思った森吉林鉄第5次<最終>探索。

だが…


的は林鉄だけでは、なかった!





その4へ

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