原町森林鉄道 新田川支線  その5

公開日 2006.05.27


もうひとつの、擬定地 


 まるで雪の代わりに落ち葉を敷き詰めたゲレンデのような斜面。
辛うじて南側の坑口を残している隧道だが、一目見て北側のそれは現存しない。
このゲレンデのようなすりばち状の斜面全体が、おそらく自然の物ではないのだ。
地下にあった隧道がその発端となって発生した、影響が稜線に届くほどに大規模な崩落によって生じたものと考えられる。

 いま、くじ氏と私が恐る恐る下っているこの斜面こそ、地下にあった隧道が残した紛れもない存在の証明。
と同時に、完全に崩壊したという証明なのである。



 中程から稜線を振り返る。
我々二人が下ってきた斜面が如何に急であるかがお分かり頂けるだろう。
この斜面を逆に登ることは現実的ではなく、かなり迂回すれば可能かもしれないが、我々が辿ったルートがおそらくは正解である。
我々の逆コースは、遙かに困難なものとなるに違いない。

 



 いよいよ軌道跡の高さ近くまで降りると、もともと坑口があっただろう部分を含め、その上部10m以上が、地中の不発弾でも炸裂したかのような凹地となっているのを見つけた。
小さな山全体が隧道の存在を拒否した、その結果が、この光景である。



 峰越え完了!

 我々が軌道跡の平場へと下り切ったとき、振り返るとそこには、我々が刻んだ巨大な地上絵が出来上がっていた。
目測延長100mほどの比較的短い隧道ではあるが、その突破には重労働と危険が伴う。
我々がこの峰越しに要した時間は、7分ほどであった。
 たった一つの隧道が引き起こした恐ろしい山容の変貌を、我々は目の当たりにした。
地形を人の思いのままに扱うことの難しさを、思い知らされる。
 そして我々は、二度と開くことのない岩戸を後にした。

【9時18分 行く手を阻んだ隧道の峰越攻略を完了す】



 軌道が隧道を利用してほんの100mに短縮した距離を、新田川はオメガ型のゆったりとした蛇行によっている。
隧道の先で我々が再び新田川を見たとき、その高度差はさらに増しているようだった。
もはや、軌道の命運を預かる新田川との隔絶は決定的で、林鉄攻略の最終手段である「沢底の迂回」をする事は不可能となっている。
これは、林鉄探索の重要な一手を封印されていることを意味し、万一のエスケープが不可能に近いことを意味している。
ちなみに、山の上の方はさらに絶望的で、林道はおろか作業道さえない急な山体斜面が、300m以上の比高をもって外界と隔てている。



 一つ一つの崩壊地が現れる度に、我々の目は、それが致命的なものでないことを様々な角度から確認しようと、光った。
そして、もっとも安全で確実なルートを判断し、一人ずつ突破した。
難所のルートファインディングにおいて二人以上の目で見ることは大変に重要で、難所の途中で進退に窮するような事態を避けるのが肝要だ。
 この写真の箇所も、立ち止まらされた部分である。
コンクリートの擁壁の下にあるはずの軌道敷きは短い距離であるが完全に抜け落ち、その前後の辛うじて残っている部分も、脆い足場である可能性が高い。
さらに、もっとも足場の薄い場所を遮るようにして嫌な高さに倒木があり、上を行くか下を行くかで悩んだ。
ルートファインディングには、推理ゲームやパズルゲーム的な面白さがある。



 嵐の後の静けさのように、ときおりこのような平穏な部分が現れて、安心させられる。
しかし、事前情報の全く無い区間であり、地形図を見ると、もう一箇所の隧道擬定地が接近している。
まだ、油断は出来ない。



 そして直後、その隧道擬定地は、切り通しであったことが判明する。

 ご覧の写真の通り、そこには深い切り通しが存在していた。
こちらは、軌道の距離に対する川の蛇行はさらに大きく、軌道が僅か50mほどの切り通しで通り抜けるのに対し、川はコブ2つ分の蛇行で流長2kmに達する。

【午前9時29分 出発から3.5km地点の切り通しを通過。 現在地点



 いよいよ、今回の踏査目標区間は残り1kmとなった。
地形図を信ずれば、この先、これまでほどに険しい部分は無さそうである。
 今回ここまで、4つの現存橋梁を実踏し、1隧道を確定した。
この結果は申し分ない。
あとは、反対側から入山している先達達の足跡が現れることを待つだけか。

 隧道の存在が疑われていた地点の結果を全て確認し終え、我々の緊張感は緩んでいた。



 全体的に、この新田川林鉄軌道跡の現状は悪くない。
地形的な困難さの割りに崩壊は致命的ではなく、その数も距離あたりでは少なめだ。
これは、この地方の積雪量が東北のなの地域と比べて圧倒的に少ないことが第一の理由だろう。
積雪がもたらす風化の作用は、その穏やかなイメージとは裏腹に過酷なのである。
 




 コンクリートの擁壁ごと路盤がずり落ちている。
やがて決定的な崩壊の日が来ることだろう。
いまは、不気味な凹凸となった路盤も、なんとか繋がっている。



 再び現れた掘り割り。
いよいよ、自身がこの地を訪れる大きな理由の一つとなった、とてつもない切り通し達は近いのだろうか。
なんだか、あのTUKA氏がカーブの先で手招きして待っていそうだ。



ぷ〜に!(←語尾を上げる)

 と言いながら、私はその怪しい壁を左手人差し指で押してみた。
何とも言えない、その感触。
ぬぷぬぷっと、まとわりつくような感触だが、簡単に第二関節までめり込んだ。

 「うわー、きもちわりー」
そう言いながら、私の頭の中には、ニャンコをプニプニと指先でもてあそぶイメージが広がる。
そして、何度となく押しては指を引っ込めての繰り返し。
壁一面がこの状態であり、まあなんというか、怪しい壁だ。



は? 

 我々は、しばしこの景色が信じられなかった。
 まったく思いがけない場所に口を開ける穴があった。

 隧道じゃあ、ないよね? 
洞床の高さは軌道路盤よりも1m程度高い位置にあり、断面の大きさも、高さ2m幅1mほどと、決して列車が入れるようなサイズではない。
右の図の通り、穴の向いている向きも、ふつうの隧道とは思えない。
なんなんだ、これは……。



 我々の進行方向からは、穴はこのように見える。
地形的にはまったく隧道を疑うような場面でもなく、まったく予期しなかったので余計に驚いた。
普通の隧道では無さそうなので、考えられるのは、やはり鉱山関連か。

 私とくじ氏は、ここで当然のように大はしゃぎ!
やっぱり、二人が組むとただでは終わらないのか。
今回も、予想外の穴を発見してしまった!

【午前9時40分 まったく想定外の穴に遭遇す!】



十字架洞穴


 SF501をポシェットから取り出し、点灯。
白いビームはゴツゴツした素堀りの壁を照らしだし、最後は闇に吸い込まれた。
光が届かない奥行きがある。

 正体不明の洞穴へと、我々は一列になって潜入を開始した。
フカフカの落ち葉が坑口付近に堆積していた。




 ……。



 坑口からわずか15mほどで、穴は3方に分かれた。
それは、十字路と呼ぶべき形である。
ここから伸びる3本の穴は、いずれもこれまでの穴よりも狭く細い。
特に、正面の穴などは、ふかく屈まねば入れない。

 衝撃的な展開であるが、この十字路はおそらく、隧道の正体を推測する最大のヒントであろう。
過去、これとよく似た物を私は見たことがあったのだ。



   まずは、右の穴。

 この穴は、分岐地点からライトで照らした段階で、その終点がほんの10mほど先であることが見えていた。
実際に進んでみてもその通りで、あえなく終点となる。
特に何かを目指して掘っていたとも思えない、唐突な終わり方である。



 次いで、左の穴。

 この穴は、やや右にカーブしながら続き、右の穴よりも奥行きがある。
振り返っても分岐が見えなくなる、だいたい15mくらいは続いていただろうか。
それでも、やはりすぐに行き止まりとなった。
終点部に近付くほどに穴は細まっており、土臭さが不快だ。



 隧道の正体を明かす鍵を見つけるべく、四方の壁を細かに観察してみる。
左の穴の終点部分には、ご覧のような亀裂が口を開けていた。
これは自然に生じたものだろう。
ライトで照らしてもはっきりと奥行きは見えなかったが、小さなものではない。
終点の斜め上方へと、腕一本が入るくらいの大きな亀裂が続いていた。

 当然、立ち入る術はない。



 最後に残ったのは、正面の、もっとも狭い穴。

 ここは、ご覧のくじ氏のポーズを見ても分かるように、非常に天井が低く、まるで狸堀りと呼ばれる古代の坑道跡のようである。
こんな姿勢のまま長距離歩かされるとしたら、それは気が狂いそうだ。
すぐそこに終わりがあってほしいと、がらにもなく願った。



 針穴のような穴は、いかなる人工的な痕跡も感じさせない素朴さをもって、まだ続いている。
こんな時でも、くじ氏はライトを付けようとしない。
彼は、以前、何度も痛い目を見たにもかかわらず、今回もまた、久々の探索であったにもかかわらず、ライトを持ってこなかったのだ。
私の明かりだけを頼りに、後をびったり付いてくるくじ氏。
パタさーん、こういう奴は、なんて言うのかな?



 終点。

 坑口からはだいたい30m程度か。
決して長い洞穴ではないが、当然無照明では入れない。
終点部も、特に広くなると言うことも、鑿の跡や削岩機の削岩口の痕跡があるでもなく、まったく唐突に、固そうな岩盤によって終わっていた。
余り狭いので、ターンするのに苦労するほどだった。



 光を目指し、早々と撤収するくじ氏。
その尻を追いかけるように、私も愛しい地上へと。
この穴は、狭くて暗くてじめじめ、穴本来の不快さを有していた。

 さて、この穴の正体であるが、一般には、どこにも通じていない小さな穴といえば鉱山。次いで市街地ならば防空壕、そのあたりが疑われる。
しかし、敢えて私はこのいずれも否定する。(鉱山の場合は、試掘坑の可能性は否定しないが)
私は、この穴の正体として、かつてこの地にダムの計画があったのではないかと、そう考える。
まったく裏付けを取っていないあくまでも私の推論だが、これまでも、私はこれとよく似た小穴を、ダム関連地域で多数目撃している(時代によって規模は違う)。
一例を挙げれば、秋田県仙北市(旧田沢湖町)生保内にある夏瀬ダム付近や、大仙市太田(旧太田町)真木渓谷一帯などである。
この両方とも、ダムが存在するか、或いはその計画があった地域で、特に真木渓谷の方はこの類の穴が非常に多い。
ダム建設の第一のポイントは地質であり、浸透性や強度といった事を実際に試掘を行って確認することが常套的に行われている。
洞内の十字路と、その何れもが定規で測ったように短く終わっている事実から、私はこの穴がそれほど古くないダム計画による試掘坑ではないかと考える。



 青天の霹靂のような洞内探索を終え、再び我々は晴天のもとへ。

 そして少し歩くと、おそらく反対側から来ただろう足跡も残る、歩きやすい道になった。
地図上でも、我々が目的地としていた隧道はすぐそこまで近づいているはず。
我々の探索の主目的は、いままさに、果たされようとしていた。


 次回は、TUKA氏が詳細レポートを上げている区間を、駆け足で紹介します。