西沢森林軌道

山梨県山梨市(旧三富村)
探索日 2006.8.14
公開日 2007.7.21

周辺地図

 まだ私が秋田県に住んでいた2006年の8月。
当時、東京への移住は構想段階に過ぎなかったが、縁あって西沢林鉄の深部を探索している。
今回は、だいぶ前の話になってしまったが、これをレポートしようと思う。

 私にとって、東北以外で探索した、最初の森林鉄道である。



 山梨・長野・埼玉の3県が山頂で交差する甲武信ヶ岳(標高2475m)と、信玄の隠し金山伝説の残る黒金山(標高2231m)に挟まれた西沢渓谷に沿って、この西沢森林軌道(以下「西沢林鉄」と略)は幅762mm、本線延長14.5kmの軌道を有していた。
本線の起点側(上部)は薊(あざみ)沢線など2本の支線に繋がり、終点(下部)の旧三富村(山梨市)広瀬では三塩森林軌道(以下「三塩林鉄」と略)と接続していた。この三塩林鉄はガソリンカーが運行された高規格なもので、「森林鉄道」といって差し支えのない規模であったが、西沢森林軌道や支線では廃止まで馬力を用いていた。

 西沢林鉄の歴史は、三塩林鉄が昭和6年に塩山駅近くの赤尾貯木場から広瀬まで、笛吹川沿いに全長18.5kmの軌道を着工した年に始まる。(同8年竣工)
広瀬からさらに上流へと、県による伐採事業の奥地進展と共に軌道は延ばされ、西沢源流である本谷の奥地まで、全長14.5kmを着工したのは昭和30年であった。
昭和39年に県行事業は終了したため三塩林鉄は同41年に廃止されたが、西沢林鉄については民間業者の手に渡り、同44年に廃止されるまで馬力による輸送を続けた。
廃止後の昭和49年に、終点のあった広瀬地区に多目的の広瀬ダムが完成し、軌道跡の一部は水没した。
水没を免れた軌道跡の一部は、旧三富村によって西沢渓谷遊歩道として整備され、現在に至っている。




 続いて、この日の踏査計画についてだが、その前にまず、この計画の発端をお話しししよう。

 実は、この探索は私が計画したものではなかった。
私が盆休みを利用して関東遠征を企てているという情報が、関東在住のちい氏及びトリ氏によって察知され、彼らがこの西沢林鉄の奥地探索をプロデュースしたのである。

 その下地として(当時の私は知らなかったが)、西沢林鉄が関東地方では旧状のよく保存された林鉄跡として、ある程度メジャーな存在であったことがまず第一。(東北人の私を“接待”してくれた訳だ)
そして、ここからが重要なのだが、メジャーである割にその奥地の情報は乏しく、特にネット上には当時詳細なレポートが無かったということ。
具体的には、下の地図中で「二号隧道」としているあたりまでは到達したというレポートも見られるのであるが、その先、本谷方面については情報が極端に少ない状況であった。

 そこで、私を巻き込んで3人掛かりによる「奥地探索計画」が企図されたのである。

周辺地図

 今回の計画の肝、すなわち踏査目標となるのは、上の図中で示した通り「滝ノ上展望台」から「西沢橋梁」までの、おおよそ2kmである。特にこのうち既存レポートの無い「二号隧道」から西沢橋梁までの踏査が最大の目標となる。
だが、この僅か数キロの距離を確かめるために歩かねばならない距離は、かなり大きい。
 一般の車が行けるのは国道140号に面した「西沢渓谷駐車場」までだから、そこが出発地にならざるを得ない。(本谷側の林道は一般車通行不能)
そこから、笛吹川左岸をかつての「東沢林鉄」をなぞるようにして歩き、東沢と西沢が合する「東沢吊橋」へ。そこから「西沢渓谷遊歩道」に入りしばらく歩くと、ようやく目指す西沢林鉄との出会い「滝ノ上展望台」に着く。駐車場からそこまで約4kmある。
なお、この西沢渓谷遊歩道は、西沢渓谷の周囲を巡る反時計回りの一方通行路となっており、これ以外のルートは設定し得なかった。

 その後、今回の踏査目標区間(約2km)を往復し、帰路はまた一方通行に従って西沢林鉄跡に設定された遊歩道を歩き、途中から下って「ナレイ沢広場」経由でスタート地点に戻る。 これもまた5km近くあるので、全て合わせると出発から帰着まで大凡13km(プラスかなりの高低差)となり、十分丸一日かけて行う探索計画となってしまった。


 このように、かなりの時間をかけてようやく辿り着く事が出来る奥地には、果たして我々を満足させるような発見はあったのだろうか。
久々の林鉄レポートを始めよう。




 うあ! 夢にまで見たアレが、こんな平然と…。

アプローチルート;西沢渓谷遊歩道


 2006/8/14 7:05

 西沢渓谷は観光地としてもこの辺りでは結構メジャーな所らしく、その唯一の入り口である駐車場には朝から多くの車が停まっていた。
この場所で落ち合った我々3人は、再会の挨拶もそこそこに早速荷物の準備をして、今日一日を歩き通すだけの準備に身を固めた。
とはいえ大半は遊歩道ベースであるから、日中の暑さを懸念して多めの水分を持つ他は特別な装備というのはなかった。

午前8時05分、案内看板に従って駐車場から1車線の舗装路へ歩き出す。
なお、写真に写る巨大な橋は駐車場を取り囲むように架かっている国道140号の橋である。



 国道の橋の下を潜って歩き始めると、間もなく最後の自動販売機がある。
ここが著名な観光地だと感じたのは、駐車場の車の多さばかりでなく、沿道に建てられた立派な案内図の数々のせいもある。
最近建てられたと思われるものもあり、かなり細かく周辺地への案内が書かれている。

どうやらこの案内板によれば、我々が初めて西沢林鉄に出会える「滝ノ上展望台」までは130分ほどの行程らしい。距離は4kmであるからいささか掛かりすぎのように思えるが、実は軌道跡というのはかなり高い位置を通っており、現在地からは300mほど登ることになる。



 さらに進むと道は林道らしい景色となるが、すぐにゴテゴテといろんな標識が取り付けられたゲートが現れた。
ここから先は一般車両立ち入り禁止とのことで、脇もかなり硬くて自転車も通さない気だ。(ゲートの下を通れそうだが)

…いかんいかん。
今日はそれをしに来たのではなかった。

しかしそれにしても人が多いな。
登山や観光に来たらしい人たちが、次々ゲートを通りすぎて入山していく。
どうもこういう観光地然とした景色にはテンションが下がってしまう天の邪鬼な私がいる。



 7:54

 さて、この辺りは一気にとばす。
写真は林道から遊歩道へと切り替わる西沢山荘(入口から1.5km)だ。
しかし、経過した時間を見られると、レポのコメントとは裏腹に途中で何か時間を使ったのがバレる。
実は、ここへ来る林道の大部分が、笛吹川を挟んで西沢林鉄と対になる東沢林鉄の路盤跡を利用しているのだ。
これ自体の橋台などの痕跡に加え、珪石鉱山へと続くヌク沢支線との分岐地点など、気になる箇所がいくつもあった。
だが、それらは複雑な経緯を辿った路線たちであり、私のような“にわかファン”には噛み砕くことが出来なかった。(だからレポもない)

まあ、関東に移住した今であれば、じっくり腰を据えて調査しても良いと思えるが…。



 閑話休題。

東沢を幅の狭い吊り橋で渡ると、いよいよ西沢渓谷遊歩道のハイライトである渓間の道が始まる。
吊り橋を渡ると間もなく急坂で谷底へ下った歩道は、以後大変変化に富んだ景色の中を行く。
この写真のように水面すれすれの鎖場があったと思えば、クレバスみたいな狭谷を見下ろす場所が現れたりと、マイナスイオンに満ちた渓間の景色は素晴らしいものがある。これで首都圏近郊となれば人も殺到するだろう。

私もこの景色を見ながら、「東北以外にも良い場所あるんだな」と、クチにこそしなかったが、そんなことを感じていた。



 総じて西沢の水面に近い場所を歩道は上ったり下ったりしながら進んでいく。
幾つもの名前のある滝や岩場、淵を過ぎ、こんな写真のような木製の方杖橋があったりもする。
林鉄を彷彿とさせる形状だ。

今回の探索に先じて、ちい氏とトリ氏はそれぞれ別々に下見に来ていた。
両者とも下見と言うことと、トリ氏の場合は他の事情もあって「二号隧道」で引き返したそうだが、経験済みの遊歩道を二人は余り立ち止まることもなく歩いていく。
ただ、トリ氏は仕事疲れからかよほど眠いのか、小休憩の度にうつらうつらしているようだが…。



 8:57

 そして、遊歩道のクライマックスであり、ほぼ上流端でもある「七ツ釜五段の滝」が現れる。
その名の通り幾つもの滝壺を持つ連瀑であるが、中でも最大落差を持つ最下流側の滝が初めに現れる。

怒りにまかせ大地を殴り付けるような雄々しい姿、コントラストの強い深谷を揺るがす爆音、ここまで舞い上がってくる水煙… 私は刮目して魅入った。

 滝はいつも美しいと思うが、この滝は特に素晴らしい。





 滝を見下ろした後は、谷底を離れ、いよいよ目指す軌道跡への登りが始まる。
そこには、進むほどに厳しい勾配が待ち受けている。

写真は、幾つもの橋を谷間に渡して高度を上げていく遊歩道。
奥の方杖橋はさっき渡ったもので、そこから谷を回り込むようにして、右上の桟橋へ通じている。
軌道跡ではないが、なんだかワクワクする眺めだ。



 ある程度登ると、木陰に「七ツ釜五段の滝」の上半の景色が見えるようになる。
まるで大浴場の浴槽のような滝壺と簾のようなナメ滝が連なっており、キツイ登りで熱せられた身体は、理性を振り切って飛び込みたい衝動を起こさせた。

名残惜しいこの眺めだが、これを最後に、西沢の水面をこうして間近で見ることは、しばらく無くなる。
軌道は、この辺りでさえ谷底から比高100mの高みに位置しており、ここより下流側にはさらに高低差の付いた部分もある。
そのくらいの比高になると、たとえ地図上では沢沿いに見えても、実感としては山腹の軌道といった感じになる。



 七ツ釜を後にして、ラストスパートというべき心臓破りの急坂がある。
最後の高低差50mほどは、斜度45度近い階段を息継ぎ無く上らされる。
さらにここには二本のルートが平行しており、一つはジグザグの階段、もう一つはおそらくさらに古いルートである木の根道の直登だ。
後者の方が距離は短く、私は好みからそちらを選んだ。二人はその辛さが下見で身に沁みているのか、階段道を行ったようだ。


 ともかく、ここを登ればいよいよ西沢林鉄だ!




 うア! 夢にまで見たアレが、こんな平然と…。


 9:16 【現在地:滝ノ上展望台】

 手を伸ばせば地面に付きそうな急坂を汗だくになりながら登っていくと、突如目の前に平らな帯状の地形が現れた。
説明不要。
当然ここが軌道跡なのである。
そして、地図を見ていただければお分かりの通り、ここは西沢渓谷遊歩道としての折り返し地点になっている。(正確には来た道を戻るのではないが)
遊歩道沿いでも数少ない公衆トイレが設置されているほか、広いウッドデッキが設置されており、来る人来る人皆が休んでいく。
無論、我々とて例外ではない。



 ここは案内図等で「滝ノ上展望台」と書かれているだけあって、北側の眺めがすこぶる良い。
今登ってきた西沢の深い谷を隠す原生林を前景として、主役は一人立つ甲武信ヶ岳である。
現在地の標高はちょうど1400mであるが、直線で5kmしか離れていない山頂は1000mも上にある。
そりゃ高く見える筈である。
広い東北でどう背伸びしても見える山はせいぜい鳥海山(2236m)あたりまでだが、やはり日本の屋台骨である中部甲信越ともなれば、この程度の高さでは高山とまでは言わないらしいが。

 ここまで出発から約4km。前半の寄り道が響き、所定のコースタイム(?)を少しだけオーバーしてしまった。
もう時刻は午前9時をまわっている。
しかし、ここから先は上り下りと言うことで言えば、ほぼ平坦だ。軌道跡だから。体力的には消耗しにくいだろうが、しかし下見によるとかなり荒れた箇所もあるという軌道跡を、いかに怪我無く突破するか。そこが肝である。

 我々は、スタートライン上の快適過ぎるウッドデッキ上で、今日一回目の大休憩をとった。



 9:40

 十分に休み、ここまでの疲れをリセットしてから、いよいよ本番へと歩き出す。
その方向は、こちら。

…二棟並んだ公衆トイレの、その裏側。

この日影ムードが示すとおり(笑)、こっから先は遊歩道のコースではない。
正しい遊歩道は、ちゃんとした看板に誘われてこの反対側へと、綺麗な土道が続いている。

この先は、もう遊びの道ではなく… ガチの道。





 始まった!

有るよ有るよとは聞かされていたが、マジ有るよ。
レール有る。レール有るアルよ。

東北であんなに駆けずって…やっと…森吉の奥地とか、ヤバい生き死にの中でだけ、僅かに見付けることが出来た、敷かれたままの林鉄のレール…。

…こんなに平然と……。

西沢林鉄、 始まった!