西沢森林軌道  第4回

山梨県山梨市(旧三富村)
探索日 2006.8.14
公開日 2007.7.27

 未知のエリアを進行

自然に任せた軌道跡


 2006/8/14 11:09 【現在地:二号隧道先】

 これまで多くの挑戦者が撤退した2号隧道先の崩壊地と片洞門をくぐり抜けると、意外にあっけなく、レールは復活した。
それを見て、一行は胸をなで下ろした。

 正確な現在位置はこのとき誰にも知り得なかったが、二号隧道を越えたことで、今回の踏査目標である西沢を渡る橋まで残り700m程度だろう。
地形図の読みでは、この先に深い枝沢を渡る場所が一回有るようだったが、それ以外は、ここまでと比較して特に難しい事もなさそうだ。
徐々に西沢本流との高低差も詰まってきて、最悪のケースでも川原に迂回するという選択肢をとり得るようになった事は、大きな精神的余裕を我々に与えてくれた。


 上の写真の、まだ崩れてから時間のそう経ってなさそうなガレ場を過ぎると、すぐに左の写真の落橋地点が現れる。

沢の規模から見ても、ここには比較的大きな木橋が架かっていたようだが、斜面に散乱する部材の量からその規模を推し量るより無い。




 上の写真の沢は、軌道敷きより上部に著しいナメ滝の姿を見せていた。

視線の及ぶ限りに水に濡れた草付きの岩盤が伸びており、木洩れ日に目を細めながら見上げる景色は、とても気持ちよかった。

だが、同時に足場も悪く、その横断には慎重さを要した。







おそらく、西沢林鉄のなかで最も良く旧状を留める所…。


この穏やかなカーブの風景が目の前に現れたとき、一行の足は止まった。


そして、それぞれ愛用のカメラを取り出しては、
思い思いの角度から
この “まるで等寸大ジオラマのような” 林鉄廃風景を、撮りまくった。

先へ進むのは簡単だったが、この景色はなかなか後に出来なかった。

気づいたときには、もう私とちい氏の足元でトリ氏がレールと平行になって、すなわち“川の字で”眠りについていた。

…故に、5分間臨時休憩となった。


<

 どんな美しい景色が続くかと期待に胸をときめかせながらカーブの先へと進んでみれば…


Nanda★Are!

 白い〜〜 白い〜〜




 11:35 【現在地:土石流谷】

 それは、地形図にも等高線にその存在を覗かせていた、かなり規模の大きな枝谷であった。
しかし、その光景は我々の想像していたモノとは全く異なる、異様と言える代物だった。

現在の谷幅は差し渡し40mほどにも達しており、一方深さは5mに過ぎない程度であるが、当然存在していたはずの橋梁は、あらゆる痕跡を完全に失っていた。
それは残骸の全てに至るまで。橋台さえ見あたらない。



 この無名の谷に何が起きたのか。

現在の谷を埋め尽くす、まだ苔一つ生えない莫大な量の白い岩石が、この谷を襲った事変の正体であろう。
すなわち、土石流。

この上流に人為的な何かがあるとも思えないので、まったく純粋な天災によって軌道も橋も打ち壊されたのだ。

 写真は、この土石流の谷を渡り、対岸軌道敷きから振り返って撮影したもの。
こちら側は高低差が10m近くあり、登攀には苦労した。
よじれて谷へ引きずり込まれたレールが、破壊の凄まじさを物語っているようだ。



 災害の爪痕生々しい谷を渡り、一行は再び穏やかな森の中へ。
この辺りからしばらくは、地形図で見ても、等高線が川に平行してやや疎らになっているのが分かる。

その変化は、現地にあって明らかだった。
まずは、軌道敷きの平坦地がこれまでの「2倍」に広がった。




 そう、「 2倍 」。 


  す な わ ち …

  複線区間だ!

なぜか片側のレールや枕木は撤去されていたが、右上の写真のように寄せられたレールが積まれている場所があった。
敷かれたままに残っているのは川側の線路で、その一部は桟橋になっていたようだ(左上の写真がその区間)。
ポイントも残ってはいなかったが、地形的にも、ここに複線の交換施設及び積み込み場(駅)があったと見て、間違いないだろう。

 昭和39年までに県直営による伐採事業が終了し、その後に本軌道は民間業者に払い下げられ、結局同44年まで使われた記録があるが、交換設備はこの途中で廃止されたものかも知れない。



 川側の、軌道敷きより一段低くなった平らな場所に、作業小屋が残っていた。

プレハブ造りの小屋で、それほど不気味という感じもしない。
もっとも、一人で来ていたら余り近づこうとは思わなかったか。

小屋は一棟だけで、その手前には青色に目立つ大量の一升瓶が野ざらしになった一角が。
自称「廃道のホッとステーション」MOWSON店員としては、この大売り出しを無視するわけにはいかなかったが、数が有りすぎて検品困難ゆえ途中で断念した。
つか、余り変わったモノはなかったように思う。




小屋に残された 記録


 11:42 【現在地:西沢小屋】

 元々はもう一棟、隣に木造の建物があったようだが、こちらは大量の残骸に化けていた。
トタン屋根に埋もれるようにして、横倒しになった木製の浴槽がほぼ原形と留める。
大勢の杣夫や木樵達が、早朝から日没まで働いては、この小さな浴槽で汗を流したものであろう。
この軌道ではどうか分からないが、各地の山奥の事業地では、週のうち六日間を泊まり込みで働くのも珍しくなかったようだ。




 正面から見ると比較的原形を留めていると見えたプレハブ小屋だが、なんと、裏に回り込んでびっくり!
昔懐かしいコント番組の舞台セットじゃないが、裏側の壁は消滅していたのだ!
つまり、川に面して完全に座敷状態!

これでは内部が荒れているのもやむなしというわけで、むしろ建物自体が倒れていないことに感心する。
当然、床に足を乗せる事は慎みたい。


 バキッ


 あ……。





 一応屋根の形は保たれているが、一面の壁はないわけで、風が吹けば当然吹きっ曝し、雨も一緒なら雨曝しの屋内。
だが、その割には落ち葉などの堆積もなく、不思議と綺麗だ。
まるで、見えない誰かが掃除しているかのように……。

で、このベニヤ材の3面の壁には、所狭しと文字が書き連ねられていた。
それらは皆、林鉄廃止後にここを訪れた者の置き土産らしかった。



 最初に目に付いたのがこの文だったので、正直私はドキッとした。文末のひときわ目立つ文字 「美知子 好きだ 愛している」が、恐かったのだ。
だが、良く読むと別に異常な文章ではないし、あるストイックな山男に夜闇がひとときの気の迷いをもたらしたに過ぎなかろう。

他にも「○×山岳部参上!」とか「1986.11.2 父兄妹」のような微笑ましい(?)カキコから、何人分もの本名と年月の羅列など、とにかくこの小屋が登山者の假屋として利用されてきた過去を知るに十分な量の落書きがあった。
なお、読み取れた日付は昭和53年が最も古く、残りは昭和61年であった。




 そして、我々は見付けてしまった…。

小屋の裏側、西沢の渓谷に張りだすように設置された、
史上最便所を!

上屋全体が傾斜し、その壁の殆どが抜け落ちているにもかかわらず、なお木製の便器を守り続ける便所に対し、私に果たせる役割はただ一つしかなかった。
(ポーズのみで勘弁してください!10秒以上居られません!)





 私とトリ氏が見せ場を作っている最中、ただ一人、ちい氏に悲しいイベントが発生中…。

ここにきて、突然彼のデジカメが動かなくなったのである…。

この場所へ来るのを、誰よりも楽しみにしていたのに……。


 なお、なぜか帰宅後、カメラは普段通り動いたそうだ。
なにゆえ、ちい氏だけが撮影制限……。





いまさら「通行不能」と言われても…


 11:54

一行は、静けき森の廃小屋を後にする。

少し行くと、軌道敷きは再び元の幅に戻った。
複線区間が終わったのだ。
写真はこの、幅の変わる場所を振り返って撮影。
左奥に小屋が見えている。






 前進を再開しすぐに、薄暗い沢が行く手を阻んだ。
カーブしながらの木橋でこの谷を越えていたようだが、既に橋は残骸に変わっていた。
やむなく沢底へ下って横断することにしたのであるが、ここは滑ると分かっていてもなお転倒してしまうくらい、良く滑る沢だった。



 正午をまわり、空模様がいささか怪しくなってきた。
灰色がかった雲が空の大部分を覆い隠しつつある。
今日の下界の天気予報は文句なく晴れだったと思うが、ここは海抜1500m近い山中。



 ひととき傾斜の強まった軌道周辺だが、また緩やかな感じになる。
この変化も地形図の通りであり、現在地をほぼ正確に把握できた。
既に西沢を渡るべき地点(今回の調査の終点であり、対岸から車道林道となった軌道跡が降りてくる筈)は遠くなく、300m以内に来ていることだろう。

写真には、山側斜面の下端部に石垣が写っている。
どうやらその手前の平坦地も、土場か何か、ともかく人工的な敷地だったようだ。
辺りに小屋は残っていなかったが、石垣は散見された。



 この特徴的なフォルム。

暗記の苦手な私でも、これは図鑑で憶えていたぞ。
実物を見るのは初めてだが…


キ・ヌ・ガ・サ・タ・ケー!  


ううっ、 なんてきもいんだ!!

きもくて楽しい!




 西沢林鉄の伐採地として最大の生産量を示したのは、この辺りの山林だったのではないだろうか。

これほど高い海抜にありながら、鬱そうとした樹林が広がっている。
そして、森の中には幹廻り3mを越えるような巨木の古い切り株が散在している。
現在の林相として植林された杉は見えず、ヒバ主体の二次林となっている。
今後は余程のことがない限り、再びこの山が大規模な伐採圧に曝されることもないだろう。
林鉄無き今、何をするにも不便に過ぎる場所である。



 12:29

いよいよ西沢を渡る橋梁がいつ現れてもおかしくないゾーンへ入る。

しかし、それを待っていたかのように、前方には緑濃い崩壊地が出現。
一目見て、この先は苦戦を強いられそうだと感じた。




 僅かに先人の踏み跡が付いた斜面へと、つま先に神経を集中させて踏み込む。



既に西沢の水面は近づいているが、転落してタダで済む高さでもない。




 一難去って、また一難。

難所の突破にホッとする暇もなく、すぐさま次の難所が現れた。
車一台分もあろうかという巨石が軌道敷きへ覆い被さるように転落しており、当然、レールから枕木から、路肩ごとに谷へと押し出されている。
迂回する余地もなく、朽ちかけた手掛かり足がかりに一行は手こずった。




 巨石を突破!

さあ! 次は何だ!!



 えーーー…

 今さら 「この先 通行不能」 かよ?!

 …もう遅いぜ。



 いよいよ狭まってきた軌道、

  この後どうなる?!




 通行不能の立て札の後の方が、その直前の辺りより全然道が良い…。


だいぶ高音に変わった沢の音を聞きながら、レールとレールの間をどんどん進む。
軌道の終点が近いのか?

いやいや。
橋があったはずなのだ。西沢を渡らねば、対岸の林道には繋がらない。






 あ、 あれ?


軌道敷きは崖を削ってまだ真っ直ぐ続いているのに、二本のレールは揃ってどこへ?!






 レールくん サヨウナラ…(涙)


 どこへ行ってしまうんだ!

 レールよ!!


遂にレールを奪われた我々…

 この旅一番の感激は、
    最終回で明かされる!