道道610号占冠穂別線は、道央の勇払郡占冠(しむかっぷ)村と同郡むかわ町を結ぶ全長約40kmの一般道道で、他に占冠村内の約4kmの支線を有する。
全線が(支線は除く)鵡川(むかわ)沿いにあり、上流の村と下流の町を結ぶ素直な経路であるが、現状、ほとんど機能していない。
なぜなら、長年にわたって通行止が継続しているからだ。
道路情報提供システムによると、道道610号には、国道274号との交点であるむかわ町穂別福山の前後に、ぞれぞれ8.6kmと3.6kmという長さの2つの通行止がある。
「規制開始日時」は、どちらも“今年”の冬季閉鎖解除日になっているが、実際は冬季閉鎖を貫通して数年以上継続しているのを確認済みだ。規制の理由は「災害等」と表示されている。
この2つの通行止があるために、道道610号はむかわ町内のネットワークとして機能していないし、隣接する占冠村との連絡も絶たれている(国道274号と道道610号の支線部分が迂回路として機能している)。また、沿道の人口も起点と終点の周辺にほぼ集約しているので、全長40kmもある路線ながら、特にむかわ町内では有名無実と化している感がある。
そのような道路事情ばかりが原因ではないだろうが、占冠村は鵡川流域の最上流部に位置しながら、旭川側の上川支庁(現:上川総合振興局)に中央分水嶺を跨いで属している。下流のむかわ町は胆振支庁(現:胆振総合振興局)管内である。そして両町村ともに勇払郡に属している。地形的区分と人文的区分で、所属が違っている。
これまでも当サイトでは、1本の路線上に複数の通行止や不通区間を抱えている都道府県道を好んで紹介してきたが、本路線もその一つであり、路線の規模も大きい。
それゆえ自然と探索の対象となったわけだが、私は国道交点の福山を挟んで2つある通行止区間を、2回に分けて攻略した。
今回紹介するのは第1次探索で、終点側の富内→福山の区間を、この順序で探索した。
色々な意味で、北海道のスケールを感じることができる探索となったので、長年不通である道道の実態を共有したい。
本編スタート!
道の死臭がする交差点
2022/10/8 6:10/海抜180m
この日、この朝、むかわ町穂別福山の福山PAに自転車を下ろした。
ここをスタート地点として、道道610号の第一次探索に挑む。
最初は、長いデポ作業の模様を紹介する。
こんな探索の準備作業を見ても仕方がないと思うかも知れないが、ここが私にとって一度しかない道道610号との貴重な出逢いの場面である。
だから見て欲しい。そして、私の驚きと興奮を共有してほしい。
今日の探索計画の説明をする。
本日の探索対象は、道道610号の一部である富内〜福山間の約15kmである。
途中に3.6kmの通行止区間があるとのことだが、そこを含めて走破したい。
いま、「福山」で自転車を下ろした。
いきなり道道の探索を始めるのではなく、自転車で上図の赤線の経路を辿って「富内」を目指したい。
この移動が計算上34kmある。よく整備された道路を走るだけだが、なかなかの距離だ。これはそのまま、道道610号の通行止区間を最短で迂回する経路である。
このような長い“準備移動”をした後で、道道610号が走破出来ず引き返すことになると大変面倒くさいんだが、そうならないよう頑張るとしよう。
説明終わり。
一周49km、逃げ場皆無のラウンド・サイクリングを開始する!
まずはこの探索のスタート地点であり、かつゴール地点でもある福山という場所について少し紹介したい。
ここは、おそらく無人の集落だ。国道の周辺に人家がいくつか残っているが、定住者はたぶんもういない。
もとは開拓集落で、東西方向の国道と南北方向の道道が綾なす交通の要衝……と言いたいところだが、既報の通り、道道は南北の両方向とも通行止が数年継続している。
いっぽうの国道274号については、札幌と道東方面を結ぶメインルートとして昼夜を問わず交通量が多いし、そのため前後を峠に挟まれた小平地の場所に、福山PAという、道の駅から売店を除いたような施設も設置されているのだが、それ以外は本当に何もなく、PAは流れの早い川の中州のよう。
ちなみに私がここを通るのは今回初めてで、車から降りるのももちろん初めてであります!
生憎の天気という感じだが、予報だと今日はこれからバッチバチに晴れるはず。信じてるぞッ!
6:12
しかし現状はしっかり雨が降っているので、雨合羽を身につけてPAを出発した。目の前の国道を西へ。
周囲にいくらかの人家が見え、国道も両側歩道完備の“市街地仕様”だが、人気が感じられない。
そんな中に、1本の青看が立っている。
道道610号の交差点を案内する青看である。
が、見ての通り、向かって右の行き先が隠されている。
本来は占冠方面であり、もともとはそのような表記があったと思う。
が、隠されている。
事前情報によると、右折は8.6kmという距離の長い通行止区間なのであるが、「通行止」ではなく行き先自体を消してしまうとは、今後の復旧可能性に不安を感じさせるものがある。
いっぽうで、私が今日探索しようとしている左折方向については、青看には問題なく「富内」の行き先が表示されているし、特に問題はなさそうに見える。
青看と、実際の交差点の位置関係は、このチェンジ後の画像のようになっている。
青看だと道道610号は国道と十字路で接続しているが、実際は50mほどズレている。
たかが50mではあるが、正直これは良くないと思う。
……今さらそんなことを気にしても仕方がないんだが……。
青看にどう書かれていようとも、現状は左右ともに通行止らしいからな…。
で、このまま進むと、先にぶつかるのは今日探索する富内方向の左折路だ。
後ほどここから脱出してくる計画だが、出口の予習をしておくとしよう。
どんなんか、見せてごら〜〜ん…。
6:13
うわっ! 香ばしすぎっ!!!
深煎り焙煎されてんのかってくらい香ばしいぞ。
要素が多すぎて全部は言い尽くせないが、まずダート!!!
球が随分抜けた電光掲示板に表示されている「通抜できません」もインパクトある。
全体的に、“生きているけど死んでる”って感じ。
すぐそこに見えるゲートが封鎖地点ではないらしく、開いている。
轍も沢山あるし、案外普通に通れそうな感じもするけど……。
……いやはや、答え合わせが楽しみだな。
次は、占冠方面の分岐だ。
こちらは今日探索する予定ではないのだけど、予習だ予習。
で、こちらは実際に右折した先を見る前から、ちょっと“漏れてきてる”。香ばしさの先触れが。
「右折注意 土砂災害のため 占冠へは通り抜け出来ません」と書かれた工事看板が、死●遺棄現場でブルーシートに包まれたものが破れて出て来ちゃったみたいに露出している。
看板を冬籠もりさせるとか何か理由があって包んだんだろう。で、そのまま放置されて? 破れて出てきたみたいだ。
そもそも、右の道は青看の行き先が消されるくらいだからなぁ……。
明らかに富内方向よりも不穏だし、より長く封鎖されている気配がある。
……ちょっと怖いけど、こっちも見せてごら〜〜ん。
6:14
あ? こっちは意外にも鋪装された広い道?
でも、ここが封鎖地点なんだな。そこにあるゲートが閉じている……。
あと、こっちにも電光掲示板があるけど、電源落とされている…。
この一点だけでも、富内方向より死んでるって感じがする。
それに、私のいい目は、見つけちゃってるんだよなぁ……この距離でも……。
あの青看、やべぇ……
また死●遺棄現場の●体みたいになってる…。
あと、こういう見た目の青看に表示されていい数字じゃないぞ「73km」は……。遠すぎて、萌えを通り過ぎて萎えて死ぬやつ。
たぶん隠れている2段目に占冠が表示されているんだろう。たぶん距離は24kmくらい。うち8.6kmが通行止だそう。
まあ、今日行かないんで気楽だけど、こっちはあれだな。
“死んでるし死んでる”って感じ。
まあ、実際の道の状況は行ってみなきゃワカランケドね……。
以上が、私と道道610号の馴れ初めだったんだが、
まさに、
出会って5秒で死臭
……って感じでした。
普通ならゴメンナサイだけど、オブローダーとしてはマジで扇情的な出逢いだったといえる。
6:50 《現在地》/海抜350m
福山PAを出発して35分、国道274号を3.2km西進して海抜350mに口を開ける稲里トンネル東口へ到達。
鵡川本流と支流穂別川の分水嶺をくぐる1441mのトンネルだ。
存在感のあるベルマウスタイプの坑門に、扁額より目立つ「北海道で最初にNATMを採用した道路トンネル」と書かれた銘板が取りつけられている。蛇紋岩主体の不安定な地質を克服すべく、当時最新の工法であったNATMを採用したもので、開通は昭和59(1984)年である。
ちなみに、ここが本探索の最高標高地点である。
8:15 《現在地》/海抜65m
稲里トンネルから21km進むのに休憩を挟みつつ約1時間半を費やし、道道74号穂別鵡川線で穂別市街地を通過中。
ここは平成18(2006)年に鵡川町と穂別町が合併してむかわ町となるまで、穂別町の役場があった中心市街地である。
町内では昭和50(1975)年に首長竜の化石が発掘されたことをきっかけに、恐竜を使った町おこしが進められており、街灯には漏れなく恐竜のフィギュアが付いていた。
あと、天気予報は嘘つかなかった。バッチリ晴れてきたぞ。
8:20
穂別市街地の出口に架かる穂別橋で鵡川を渡る。
橋は海抜62mにあり、ここが本探索中の最低地点。
ここからはひたすら鵡川に沿って上流を目指す。
8:27
穂別橋の左岸にある丁字路を左折し、道道131号平取穂別線へ。
この道は富内(正確にはその隣の安住)まで鵡川に沿っている。
目指してきた道道610号との再会地点まで、あと8kmである。
8:28 《現在地》/海抜65m
で、この8kmは何事もなく、特にレポートする場面なく通り過ぎると思ったのだが、そうならなかった。
別にこの道が悪いとか、そういうことではない。
道道131号に入ってすぐに、どういうわけか、占冠穂別線の道路情報板が現れたのである。
内容は、やっぱり「通行止」だそうである。
区間は、「富内〜福山(R-274)交点」とのことで、この福山というのが冒頭の交差点である。
通行止の理由は、「路肩欠壊」とのことだが、……ずいぶんと文字が痛んでいて、年季が入ってるなぁ……。
あと、特に期間の定めもない様子。
……やっぱり、死んでるんか……?
8:41
しばらく進むと、またあった。
全く同じ内容で、同じくらい草臥れた道道610号の道路情報板が。
相変わらずフライングである。
8:55
次第に両岸の山が迫ってくると、田畑はなくなり、川縁を走るようになる。
ときおり開拓集落のような開けた感じの場所があるが、基本的に人は少なく、行き交う車も少ない。
景色は目に優しいものばかりだが、変化が乏しく、微妙に上り坂が続くこともあって、あと5km、残り3km、最後の2kmが、なかなかに長かった。
本番前だが、疲労を、けっこう感じた。(まあ既に遠征3日目だしね…)
9:04 《現在地》/海抜85m
出発から約3時間、ようやくという枕をぜひ入れたいくらいの遙かさを感じつつ、無事この探索の本来のスタート地点というべき、道道610号の終点の交差点の青看が見える位置までやって来た。
青看には特に異常はない。
左折する道道610号の行き先として、国道274号と福山が案内されている。
この青看は、少しだけ先をネタバレしている身からすると、少し綺麗すぎるくらいである。むしろ悪辣なような…。(←考えすぎ)
ここが、道道610号占冠穂別線の終点だ。
地名としては、むかわ町穂別安住である。
交差点は丁字路で、直進する道道131号に対して、道道610号は左へ直角に曲がる。
信号はないが、交差点は広く作られていて、曲がりやすいと思う。
チェンジ後の画像は、赤矢印の部分にあるものを近づいて撮った。
富内小学校の閉校記念の看板と、「道路案内」と書かれた案内板。
「占冠方面この先5Kmで砂利道になります」と書いてある。
青看の程度からはちょっと想像できない砂利道宣言であるが、誠実だと思う。
5kmか……、 そうか。
この終点から、私のゴールである福山までは、15kmある。
で、ここから5kmで砂利道になるということは、たぶんそのまま最後まで砂利道だろうから、全部で10kmの砂利道ということだろうか。
別に砂利道くらいでどうということはないが、たぶんその10kmの中の3.6kmが、通行止なんだろう。そこが探索の要諦だな。
……これ、ぜったいに自転車同伴で突破したい。今来た道全部戻るのは嫌すぎる!
突破への誓いを新たに……
道道610号をはじめよう。
予告された5kmを往く
2022/10/8 9:07 《現在地》/海抜85m
道道610号に入ると、直ちに鵡川を渡る橋がある。富内橋という全長166mの立派な橋だ。
冒頭の説明で、道道610号はほとんど機能していないと書いたが、あれは少し大雑把すぎた。橋向こうにある富内の集落にとって、外界と繋がるほとんど唯一の大切な道路である。
親柱の銘板によると、竣工は昭和48(1973)年11月であるようだ。
Wikipediaによると、道道610号の認定は昭和44(1969)年とのことだから、道道になって間もなく架け替えられた橋っぽい。
当時としては、交通量次第で1車線の橋は珍しくなかったから、2車線片側歩道付きは悪くない。活躍を期待されていない道ではなかったと思う。
9:09
渡り終えて鵡川の右岸へ。地図通りなら以後は福山の探索ゴール地点までずっと鵡川の右岸である。
右岸に移ると、すぐに富内の集落が展開している。
全長40kmもある道道610号だが、沿道で「元」を付ける必要がない大きな集落は、この富内と占冠市街地だけだ。
この富内集落の入口に、道道610号に入って初めての道路情報板が設置されていた。
オーソドックスかつ最も簡便なタイプで、しっかりと「富内〜福山」「通行止」「落石」の三点セットを表示していた。風雪に晒され続けて、一部の文字の退色が著しい。果たしていつからこの内容を表示していて、いつか表示が変わる日が来るのか。
……そして、気付いたかな?
隠しキャラじゃないが、カモフラージュがとても上手な“ヘキサ”の存在に。
香ばしヘキサ〜〜!!
まともなヘキサが現れる前に、これが現れる辺りに、なんというか、察してしまうものがある…… って、それは察しすぎ?
見た目だけで断言するのはいささか危険ではあるが、見た目的には昭和44年の道道認定からすぐに設置されたんじゃないかと思わせる逸品だ。
多分その頃って、橋の上はともかく市街地も未舗装だったと思う。そういう時代の雰囲気ありあり。
ちなみに、このお馴染みの“ヘキサ”こと「都道府県道」という案内標識が制式されたのは、昭和46(1971)年のことである。それまでも国道を示す“おにぎり”はあったが、都道府県道を示す道路標識はなかった。
集落の始まりは、ガソリンスタンド共に。
造りは昔風だが、看板はちゃんと“今”のブランドで、土地と共に生きてきたって感じが好き。
あと、こっちはもう前時代に置き忘れられた感が半端ない、「地元で買い物豊かな暮らし」の啓発看板。地場購買運動って、いつ頃盛んだったんだ? でも、富内に買い物ができるお店はもう…。
富内市街地は、約600mにわたって直線である道道の両側に展開している。
前述のガソリンスタンドに加え、富内郵便局や、「日用の百貨ふじ屋商店」の看板を掲げるお店があるが(写真右の建物)、これはシャッターが降りていた。
そして、この写真の停止線のある所を左へ曲がると……。
9:12〜9:22 《現在地》/《昭和52年地形図》
旧国鉄富内線の富内駅跡がある。
恥ずかしながら、そんな予備知識さえ持たずに探索していたので、突然駅があってビックリした(笑)。駅舎も構内も綺麗に保存されていて、見学も自由なので、私も思わず時間を使ってしまった。
この地に駅があったのは大正12(1923)年から昭和61(1986)年までの63年間で、昭和18(1943)年までは北海道鉄道金山線という私鉄の辺富内駅(へとない)といった。また昭和33(1958)年に日高町方向へ延伸されるまでは富内線の終着駅であった。
道道610号と富内線の接点は、富内駅の周辺だけだが、富内線には占冠駅を経由して根室本線金山駅と結ぶという計画が当初から存在していた。もし実現していれば占冠で両者は再び出逢っただろう。(途中経路は富内線が日高町経由だから大きく異なる)
……あと、ここで一つ重大な告白をする。
本編で散々登場しているこの「富内」という地名の読みは、「とみうち」であって、「とみない」じゃない。
私はさっき(!)までずっと間違っていた。
だって、東北や北海道の地名で「内=ナイ」だと思うじゃん! 実際もとは「辺富内(へとない)」だったらしいし。
『角川日本地名辞典』によると、「旧名の辺富内は読みづらく、語呂も悪いということから辺をはずし、読みも変えた(続苫東地名物語)」だそう。
9:23 《現在地》/海抜90m
富内駅を見学後、道道へ戻って先へ進む。
市街のメインストリートが尽きて左へ曲がると、すぐに富内線と道道が平面交差していた踏切の跡がある。
写真左の矢印の位置まで駅構内のレールが敷設されたまま残っている。
また、踏切だった部分の鋪装に、レールらしい影が浮かんでいる。レールを撤去せず鋪装で埋め戻しているだけかもしれない。
9:25
さらに少し進んで、道道610号の「終点」(富内橋)から約1.2km地点にある交差点まで来た。
道道は直進だが、左折すると富内小・中学校が「あった」跡地へ通じているようだ。「跡地」ではない看板があった。
地図を見る限り、この辺りまでが市街計画的に家屋や施設の配置が行われた土地だろう。
この先にもまだ沿道に家屋はあるが、それらは農家や牧家だと思う。
というわけで、もう当分は人には会えない覚悟をきめつつ、(私が思う)村の外へ踏み出す。
ゴールまで、残り約14km。
9:26
自転車なんかだと、少々間延びを感じてしまうくらい地形がおおらかなのも、北海道らしい。
内地だと、集落を外れると直ちに山みたいな所が多いが、あれは平らな土地が足りないからそうなってる。
北海道ではそんな条件の悪いところにわざわざ住みついてない(ところが多い)。
そんなわけで、この道道も当分は、山とも村ともつかないような雑木や畑や空地がモザイクする鵡川の広い谷底平野を、気ままに、上ったり下ったりして進んでいく。
集落を外れてすぐに北海道でよく見るタイプのキロポストが現れた。
「39km」という近いとはとても言えない数字の大きさにも、「らしい」スケール感がある。
当然、道道の起点である占冠中央までの距離だろう。計算上、福山のマイ・ゴール到達直前は「26km」とかだろうな。
距離といえば、【入口の警告】
を忘れていない。
「5kmで砂利道」だ。
まだだ。まだ、でてこなくていい。
9:27
福山側でも点灯していた大型の電光式道路情報板が現れて、「この先、福山には通り抜け出来ません」を告知してきた。
「通行止」を報されるのは、こちら側に回り込んできてから何度目だ? (正解:4度目)
電光掲示板も消灯させてしまおうとならないくらいには、まだ再開通の望みがある……んだろうか?
それは分からない。
あと、ボロボロのヘキサではない、最近の北海道ではむしろ単体ヘキサよりメジャーな“四角いヘキサ”(表現が難しい)も設置されていた。電光掲示板と同時設置かな。
9:44
「38km」と「37km」ポストを特に変化なくやり過ごした路上で、1台の乗用車に追い越された。
というタイミングで、5回目の「通り抜け出来ません」を報された。
ここまで4回全て見逃していて、この看板で初めて認識する人は何%くらいだろうな(笑)。
そろそろ、限界が近づいていそうな立て看板であった。
9:45
広い谷底平野を自由に流れる水量豊富な鵡川に人工の堤防はなく、ただ自然堤防だけがある。
両岸に農地が展開し、農家や牧家が点在するが、冒頭の富内橋の他に橋はなく、途中からの行き来は出来ない。
むかわ町バス路線図によると、この附近に設置された「小野寺前」というバス停までは、予約者向けのデマンドバスの運行があるようだ。
長閑な景色が続いているが、ずんぐりと膨らんだ高い山々が徐々に近づいてきている。これは平取町との間を隔てる1000m級の山並みだ。
両岸を山に狭められる、そんな避けがたい未来は、遠くない。
9:49
「36km」ポストも通り過ぎ、富内橋から4kmくらい進んだ辺りで、遂に人家が見られなくなった。
道の整備状態に変わりはないが、路傍の草がいくらか勢力を増している感じはする。
平坦な土地も林が増えてきたし、そろそろ、“山道”が始まる感じがする。
予告された「5km」が、近い。
9:50
……そう思った矢先、さっそくなにか見えてきた。
ごろっと、いろいろなものが集まっている気配。
ただ、道自体はその“集まり”の向こう側にもまだ平然とある感じ。
なにが集まってるのか、見せてゴラン高原。
はい、まずはこれね。
いい加減しつこいなんて言ったら怒られちゃうか、6回目の「通行止 福山に通り抜け出来ません」の看板。
そしてそして〜〜
9;50 《現在地》/海抜100m
「道路通行規制区間 これより11.6km区間 異常気象時には 通行止になります」の大きな看板と、初めて路上に現れた通行止ゲートである。
この組み合わせは定番で、事前予告通行規制区間という枠組みでの通行規制が行われることが明示されている。
案内の通り、異常気象時には通行止になるということで、今は規制されていないのである。だからゲートが開いている。
それは問題ないんだけど……
看板の「11.6km」という文字の下に隠されている「36km」を見つけて、ぎょえっとなった!
今の11.6kmというのは、マイ・ゴールである福山までの距離であろうが、以前の36kmという表示だと、ここから占冠の道道起点までの全線が一つの事前予告通行規制区間だったということになる。
スケールデカすぎだし、規制が雑すぎて草生えるw
で、まあそんなこんなあったけれど、ここが「富内橋」からちょうど5kmの地点であって、「予告された5km」を過ぎたわけだが、そこにあるゲートは開いていたし…
9:54
その先も、平然と2車線道路が続いていてくれた。そして「35km」ポストも通過。
「この先5kmで砂利道になります」は、古い情報だったということになる。
これは、なんだかんだで、ちゃんと改良が進んでいると見て良いのだろうか。
……まあ既に合計6回も「通り抜け出来ない」と言われてるので、この“良い道”は消える直前の線香花火みたいなものなんだろうけれど…。
おら、ワクワクしてきたぞ。