福島県道318号 一般県道 上小国下川原線 前編

公開日 2006.12.13
探索日 2006.12.11

 福島県北建設事務所が管轄する一般県道上小国下川原線は、同所発行の「管内概要」によれば、実延長6045mの路線である。
平成18年現在、このうち0.7kmが交通不能区間に指定されている。
本路線は伊達市霊山町上小国において主要地方道霊山松川線より分岐し、福島市境をなす小山脈を越える。この初っ端の区間が不通となっている。
その先は福島市大波地区に下って国道115号と交差し、そこから再び伊達市保原町との境をなす峠を越え、下川原地区に下ると一般県道山口保原線に合流し終点となる。
本路線は、福島市と伊達市の山間集落を相互に連絡し、ほぼ全線が山間部に位置する、国道及び主要地方道の補助的路線である。

 私は、東北一円が雪に閉ざされつつある12月の初旬、草藪の弱った時期を見計らうようにして、この短い不通区間へ挑戦した。


旧霊山町、第三の交通不能道

巧みにカムフラージュされた不能道


 この道は、今年春に周辺町村と広域合併を果たし「伊達市」となった旧霊山(りょうぜん)町が関わる3本の通行不能道のうちの1本である。
3本の路線とは、主要地方道浪江国見線(4.3km)、同 丸森霊山線(1.5km)および、本路線(0.7km)である。
たいして広くもない町内に3本もの交通不能道があるというのは、かなり不便のように予想されるかも知れないが、実情はそれほどでも無さそうだ。
2本の国道を始め、町内中心部から放射状に伸びる道路網が既に存在しているためだ。
そのような事情もあり、辺縁に位置するこれら3本の道が近日中に整備される可能性は低そうである。
浪江国見線・丸森霊山線については、以前に県北建設事務所へ問い合わせてみたが、やはり同様の見解であった。

 今回の探索は、この不通区間をピンポイントで攻略することになった。
レポートの開始地点は国道115号沿いの大波地区で、ここから路線上の起点・上小国へ向けて走る。
はたして、どのような道が待ち受けているだろう。




 日帰り行楽の山として人気の霊山の南麓を通り、福島県中通り地方の福島市と浜通り地方の相馬市を結ぶ国道115号。
一般県道上小国下川原線は、福島市の東の端である大波地区でこの国道と交差している。
ただし1つの十字路ではなく、近接する2つのT字路の組み合わせとなっており、この間の100mほどが国道との重複区間である。

 私はこの地点へ霊山側(東側)から接近したのだが、まず始めに目にしたのは、不通区間ではないほうの、保原方面へちゃんと繋がっている方の分岐点であった。
試しに少しだけ入ってみる。



 信号のない交差点を右折すると、軽トラの荷台に寄っかかって立ち話に精を出すおじさんに、じろりと見られた。

「ええっ、 この道って、そんなにヤバイのか?!」
そう、咄嗟に身構える私。
だが、脇にはちゃんと県道の標識が立っており、補助標識には終点である下川原までの距離が4.5kmと示されている。
こちら側は、不通ではないはずなのだ。
あまり良い道では無いのかも知れないが…。

 



 100mほど進むと、生活道路となった旧国道と十字を切る。
この先はいよいよ峠越え区間となるようで、入口には剣呑な看板が無数に取り付けられている。
大型車が殊更に警告の対象になっているようだが、逆に言えば普通車は通れると言うことだ。
後ろ髪をひかれはしたものの、当初計画通りにもう一方の不通区間がある方へ急ぐことにする。

 国道へ一度戻り、僅かな重複区間を西へ進む。



 さて、どんな怪しい展開が待ち受けているかと期待して、もう一方のT字路へ近付いてみたらば、何のことはない、普通に行き先が案内されている。
そんな筈はないとばかり慌てて地図をめくってみると、行き先として案内されている「立子山」は10km以上も先にあった。
合わせて案内されているとおり、そこは国道114号沿いで、山を越えてそんな遠くまで通じている事が分かった。
しかし、その道のなかで県道の色で描かれているのは、最初の1kmにも満たない区間だけであった。
県道は途中で西側の山へと折れることになる。
折れた先に通じるのは路線名の一端である「上小国」の筈だが、それは案内がない。

 つまりは、不通区間は確かにあるようだ。



 午後1時03分、その途中からではあるが県道318号へ進入。
ここまで巧みにカムフラージュされた県道の不通。
はたして私はその作為を見破る事が出来るであろうか。
地図上ではここから700mの地点で県道は左折して山へ登っていくようだが、随分昔から私はチャリに速度や距離を測るメーターを付けるのを止めてしまっているので、目測で距離を測らざるを得ない。
もっとも、長年同じことをし続けてきた結果、10%以内の誤差で大概距離を言い当てられるようにはなったが、現地で何らかの目印があることを期待したい。

 2車線の道が緩やかに小国川に沿って伸びている。
快適な道だ。
ともすれば、あっという間に通り過ぎてしまいそうだ。



 400…500…600…  
頭の中で距離を数えながらチャリを漕ぐ。

 700……。

 そこには、分岐らしいものが何もないにも関わらず、なぜか、立派な青看が建っていた。
しかも、「←川俣 福島→」などと、まるで目の前で国道114号とぶつかるように案内されているではないか。
ハテナと思う間もなく、青看の下の方に書かれた数字を見て、ぶっ飛んだ!

 8.5km先って… 遠すぎないか?


 一瞬色めき立ったものの、そんな先のことを案内されても「ふーーーん…」である。
むしろ、私にとってはそこに何も分岐らしいものがなかったのが堪えた。

 800…900……   … 違う…。
地形図と照らし合わせてみても、この写真のカーブは既に来すぎている。


 引き返して探すことにする。
ちなみに、今回何種類かの道路地図帖も合わせて調べたが、ここを不通区間として描いているものは1つもなかった。
すべて、普通に道が通じているように描いていたのだが、一般のドライバーにとって果たしてこれで良いのか…。




 分岐地点を曝け!


 少し戻ってみる。
ちょうどこの辺りは下染屋という集落で、10軒くらいの民家が道路沿いの山側に立ち並んでいる。
県道はこのやや下手寄りのあたりでまず川を渡って対岸の山へ分け入っていく様に描かれている。
引き返してみると、白い欄干の小さな橋が見えてきた。
来るときには見逃していたものだ。
また、橋より上手の道路端に立つデリニエータには、「福島」の表示。
この道が県道ではなく市道である証しだ。
やはり来すぎていたか。



 さらに戻って、橋が近付いてくる。
その傍に立っているデリニエータの文字は……。

 びっ、微妙! 

なんという偶然のイタズラ? 或いはワザと?
なぜか、肝心の「市」と「県」の判別がつかない。
ここが福島県福島市だったことが災いした。


 とまあ、結局この橋が県道の分岐点であると言う確信を得ることが出来なかったが、これ以外に川を渡る道も見つけられないことから、消去法でこの橋を県道だと擬定して進むことにした。
大袈裟に慎重だと思うかも知れないが、不通県道の捜索において万全を期しすぎると言うことはないのだ。
なにせ、相手は海千山千の不通県道。
車道だと思って優先的に辿っていては、いつの間にか関係のない道へ誘導されていると言うことがままある。
この山を越えることが目的なのではなく、あくまでも私の目的は、不通区間を出来るだけ正確に辿ることなのである。
(ちなみに、県で公式に指定している類の「交通不能区間」とは、未供用(未完成)の道を指さない。道は既にあるが、4トン積み以上の普通貨物自動車が通れない区間を指している。つまり、道を見つけられないと言うことは、通常「無い」はずなのだ。)



 そしてこの橋であるが、小さな橋であるにも関わらず、銘板は4枚完備している。
「小国川」を渡る「染屋橋」で、竣功は「昭和56年」である。
対岸の果樹畑(林檎畑か)に行くための専用橋となっている感はあるが、橋自体は1車線といえそれなりにしっかりしたモノに見える。
言われてみれば、ここだけ県道っぽいような。
といってもやはり、その先の景色を一緒に見てしまうとそれはもう、

    無言…

なわけだが。
ともかく、散々彷徨ったあげくの午後1時33分に、染屋橋を渡って不通区間へ突入と相成った。


 ちょっと車では厳しそうだというレベルではなく、この先の峠に果たして本当に道が有るのかという感じ。
染屋橋を渡るともうそこには殆ど轍がない。
しかも、行く手にはかなり急傾斜の山肌が迫っており、地形図上では殆どここを真っ直ぐ峠まで点線が付けられているものの、道路地図帳でもそこに同じ形で車道が描かれていた。
そんな道があるわけ無いダロと、一人ツッコミをしてもとき既に遅し。
私はニヤニヤしながら、一応は県道を通行しているのだから、あなたの畑を荒らしているわけではないですよと、そう言うオーラーを発することを心がけた。
こそこそとね。 こそこそと。



 狭い敷地を何段か積み重ね、段々になった林檎畑。
先へ進むためには、敷地内を通らざるを得ない。
本当に県道指定はここなのか。
一応は、供用済みの道なのだぞ。

 公道 なのだぞ。

はやく、確信に繋がる何かを見つけたかった。
ヘキサとまでは言わないが、せめて、県有地を示す標柱だけでも…。



 これか!

 これが県道なのか!!


…などと煽る相手がいるでもなく、なんとなく不安な気持ちのまま、私は淡々と踏み跡に従った。
既に車道ではない。
しかし、歩くには十分な道が存在している。
地形図に描かれたとおりの形で、小さな沢筋の左岸に寄り添う道が続く。
耕地が途切れてもなお一定に続く道を確認し、私の中の不安は徐々に小さくなっていった。



 果樹園の最上部のあたりから、いま来た道と下染屋集落を振り返る。
これでヘキサでも立っていればお祭り騒ぎなのだが、ここまでのカムフラージュぶりを見るに付け、この県道はあまり自己主張をしたくないらしい。
多分、淡々と峠越えの歩き道が続くのだろう。

 まあ、そういう道も嫌いではない。
これが県道だという喜びを、独り占めできる感じがするし。




 いまのこの道を生かしているもの。
それは、おそらく道に並行して立ち並んでいる、この小さな電柱の列であろう。
県道はいまも車を通さないが、電線はこの先の鞍部を県道とともに乗り越えて、上小国へとささやかな貢献をしているようだ。




 あった。
恋い焦がれていたモノがあった。
このか細い道が、県の敷地であるという証し。
この状況下では、ここが(ほぼ)県道であるという証しとも言える。
しかも1つだけではなく、道に沿って20m置きくらいにたくさん設置されていた。



 この勾配を見るに、今後もこの道が車道に生まれ変わる可能性は低いだろう。トンネルを掘ることが出来れば簡単に開通させられるだろうが、低予算では実現できまい。
そして、現状ではそのような要望が盛んに出ているとも思えない。
たった700mの峠越え不通区間である。車で国道に迂回しても10分とかからない。

 県道318号という番号からいって比較的近年に県道指定を受けたのだろうと思うが、どうにも寂しい道である。
明治・大正の時代ならいざ知らず、この交通高速の時代に敢えて県道に指定したくなるような道では到底無いように思う。
その存在意義を含め。



 チャリを押して登り始め10分、午後1時44分過ぎには峠の鞍部が眼前に迫った。
ほんの300mほどの登りで、高低差も100mには遠く届かない。
勾配は急だが、あっという間の登りであった。
 そこでは、切り通しの峠を前に、一回りだけ幅広い道が出迎えてくれた。
(写真は合流地点を振り返って撮影。背後の急斜面の道を登ってきた)

 ここで出会った少しだけ幅広の道の一方は峠の切り通しへ、そしてもう一方はいま登ってきた沢の反対岸に取り付いて下っていた。
車道向きなのはどちらかと言えば向こうの道な気もしたが、五十歩百歩もいいとこだし、なんと言っても先ほどから県標柱という“免罪符”がこちらには付いている。まず(こちらが県道で)間違い有るまい。(地形図の点線とも符合している)



呆気なく辿り着いた切り通し。

ここから先は因縁浅からぬ旧霊山町域。

案の定、

残り400m足らずの不通区間には、

これまでにない光景(困難)が、待ち受けていた。