茨城県道61号 日立笠間線  後編

所在地 茨城県日立市〜常陸太田市
公開日 2007.6. 6
探索日 2007.4.14

僅か800mの不通区間

市境の石灰鉱山地帯 


2007/4/14 11:59 【現在地

 石灰の砕石を路面に敷き詰めた、白亜の未舗装路はまだまだ続いていそうだったが、そのまま走っていくとどこへ通じるのかは分からない。
地形図だと、稜線をしばらく辿ったあと、結局市境は越さず日立市街へと戻っていく様に描かれている。
私はそれを確かめることはせず、ここから分かれる点線の峠越えルートを頼りにすべく、左折した。
ここから市境までは200m以下。
その向こう、常陸太田側も峠から600mほど先からは、県道の色に塗られた車道が迎えに来ている。

ここから800mが正念場だ。



 道は分岐から30mほどで、いともあっけなくシングルトラック化した。
だが、完全な廃道というわけでもない。
ときおり人が歩いているのだろう。
左には緑に覆われた椀状の谷を見下ろしながら、狭い上り坂を進む。



 落ち葉のつもったシングルトラックは、ただ走るだけでも、チャリの楽しさを感じさせてくれる。
何の案内もない山の中に、繋がっていない筈の県道を一本に結びつける、か細い道が続いていた。

間もなく、左手の沢が自然に深さを失うと同時に、前方に浅い掘り割りが見えてきた。




 距離が距離である。すぐに峠へ着いた。
ここで、地形図にも記載のある、稜線上の点線道にぶつかる。
これは遊歩道的なものらしく、行き先案内の木柱が立てられていた。
もっとも、ここで交差している県道の行き先については完全に無視されたが。



11:34 

 左の写真は、稜線をなぞる歩道。
交差点から見て南側を撮影している。
クロカンのコースにでも使われているのか、はっきりとしたシングルトラックが認められた。

 県道(或いは県道に成り切れなかった小道)は、ここで右にも左にも行かず、真っ直ぐ進む。
今度こそ全くトラック痕は無いうえ、地形図の載っている道とも微妙に位置がずれているが、結果から言ってこれが正解だった。



 この峠部分の道は、私も正直かなり混乱させられた。
と言うのも、地形図には多くの点線道が描かれており、これらをいくつか結んで峠を越える「図中の青線のルート」が正解と考えていた。
ちなみに赤い線は稜線の歩道である。

しかし、実際にここを歩いてみると、地形図には記載のない「黄色のライン」を自然に辿っていた。
というか、青いラインは確認できなかった(稜線歩道と重なる部分を除く)。
地形図の間違いというわけではないだろうが、いつの間にか県道を結びつける“正統派”と言うべきルートが、出来上がっていたことになる。



 青ルートと黄ルートの違いは、おそらくその勾配にある。
黄ルートは、車も通れる勾配に徹していたのが印象的である。

右の写真は、その黄ルートの常陸太田側下りであるが、比較的なだらかな幅2mほどの平場が蛇行しながら続く。
直線的な青ルートとは大きく異なる。

つまり私はこう思う。
車の通れない不通区間ではあったが、それでもパイロット道路的な、いわゆる仮道が建設されてはいたのではないだろうか。
そして、その名残こそが、地図にも記載のない黄色ルートなのだと。



 しかし、峠から真っ直ぐ進んだ先の下りは、この道では初めてのリアル廃道となっていた。
調子よく騎乗して下っている最中、ペダルが倒木に引っかかり転倒させられた。
辺りはふかふかの地面だからどうって事無かったけれど、おもわず苦笑。



 下りのなだらかさに身を任せ、ブレーキとハンドル捌きだけで進んでいくと、やがて眼下に真っ白な道が見えてきた。
あの鮮やかな白さは、さっきまでの道と全く同じもの?
まさか、どこかで間違えてもと来た方に戻ってきてしまった?

しかし、その心配は杞憂であった。
これは、私を迎えに来た常陸太田側の車道であったのだ。



 地図にない道を発見し、しかもそれは、かつて敷かれた車道のようであった。
距離こそ短かったが、私としてはこの発見に大満足。
間もなく不通区間は終わりとなるが、振り返って、古い車道の名残りを確かめる。

路面にも分け隔て無く杉が植林されており、これは完全な廃道扱いだ。
この道が県道開通を目論んだパイロット道路であった可能性は低くないが、何故工事は中止されてしまったのであろうか。

それを知る者は既にない。なぜか、そんな気がした。




 常陸太田市側の末端県道


 11:59 

 いかにも廃道らしく、下の車道との合流地点では、完全に寸断を受けていた。
だが、ともかく不通区間の突破には成功したようだ。

それにしても、この道も石灰石で舗装されている。
まさか、さっきの道と続いているのだろうか。
地図では結ばれてはいないが、可能性は十分にあると思う。
それは県道ではなく、あくまでも鉱山の道路なのではあろうが、気になる。



 不通区間を突破してみれば、そこにも石灰石を敷き詰めた白亜のロードが横たわっていた。
そして、その道は気持ちのよい林間の下り坂となって、西へと続いていた。
すでに峠を越え常陸太田市内には入っているが、最初の集落がある亀作地区までは、なお3kmほど山間道路が続くはず。
気を緩めるのはまだ早そうだ。




 しばし下ると、突如視界がひらかれ、そこに茶色と灰色の異様な山が現れた。
その、和製グランドキャニオンばりの迫力に、しばし足を留め魅入ってしまった。
ここが、石の倉鉱山の露天掘り跡だ。

ごつごつした灰色の岩盤は石灰石の露頭であるが、採掘で出来た巨大な凹地を埋め戻そうとするかのように、これまだ尋常でない量の土砂が投入されていた。
しかし、現状では埋め戻すには全く及んでおらず、まるで巨人の砂時計である。
あの斜面を登ってみたい衝動に駆られたが、流石に危険すぎるだろうと自重した。
でも、上からチャリごと滑ったら面白いだろうな…。



露天掘り跡を過ぎると、すぐに車両進入禁止のロープゲートが現れた。
写真はゲートの外側から鉱山内を振り返って撮影。
注目は右端に写っている手書きの看板で、峠の前にあったものと全く同じ文面(“!”が逆なのも同じ)だった。
やはり、このホワイトロードはどこかで繋がっていそうである。

なお、この石の倉鉱山は、ネット上で調べた限り廃業してはいなさそうだ。 だが、この日は平日でありながら全く稼働している様子がない上、少なくとも先の大露天堀跡地に関しては、周囲に柵が張り巡らされ、全く人の出入りはなさそうであった。



 手持ちの地図だと、ちょうどゲートを過ぎたこの辺りから、県道の色塗りが復帰している。
ただし、未だに一般の車が入って来れそうな雰囲気ではなく、あくまでも鉱山敷地内と言った景色だ。
ガードレールなどの保安設備が一切無いばかりでなく、路面は泥っぽくて、チャリと私はあっと言う間に、飛沫で斑模様になってしまった。



 削り出した石灰石の露頭が、そのまま法面となった道。

間違いなくここは県道なのであるが、なかなか挑戦的な景色である。
人家まであと2kmを切ったが、まだそんな感じは微塵もない。



 現在地は海抜200m足らずの標高であるが、その南面は日本最大の平野である、関東平野に面している。
故に、なにも遮るもののない眺望は素晴らしいものがある。
天候が許せば、きっと富士山まで見通せるだろう。(こう安易に書くと間違いを指摘されそうな予感もするが…笑)



 山河を棘付きの巨大な鞭で何遍も叩いたかのように、荒れ果てた土地が帯状に連なる山中の景色は、ここが紛れもなく鉱山地帯の一角であることを感じさせた。
幾筋もの道が、痛々しい地山の灰色を露出させていた。

さらに下っていくと、灰色に汚れた沿道に、山神社へと続く長い石段が現れた。
山神鎮護の鉱山地帯と、人間世界を隔てる場所か。



 そこから先、堰を切ったように下る。
物凄い急勾配のヘアピンカーブで、しかも路面は湿っており、至る所に巨大な水溜まりがある。
自転車のタイヤも捕られるし、顔面でもどこへでも容赦なく飛び跳ねてくる白い飛沫には、ほんとうんざりする。
もう、真っ白上等だ。

車を綺麗に洗車した人は、間違っても入ってきてはいけない道だ。



 道の様子を見ていると、今でも頻繁にダンプトラックが通っているとしか思えない。
途中で何箇所が分岐があったが、そのどこかには現役の鉱山もあるのだろう。

弁天沢という小さな川を渡る無名橋に辿り着いた。
ここで右からも同じような規模の道が合流してくるが、県道は川下の方へと進む。
反対から来た場合は、誤って真っ直ぐ行きそうな場所である。(当然何の案内もない)



 まだ人家は現れないが、沢筋には田んぼの跡が現れ始める。
集落が近い前兆だ。

また、ここまで全くと言っていいほど、県道という自己主張のない道であったが、ようやくここで「茨城県」とペイントされたデリニエータが現れた。
薄汚れており、その大半はペイントも読み取れなくなっていた。
しかし、やはりここは県道だったのだ。 …ホッ。



 それから間もなく舗装が復活し、あとはとんとん拍子に里へと下った。
ふと気がつけばもう、自分もさっき見下ろしていた平野の一員になっていた。
ここは常陸太田市亀作町の一角である。
この県道の前身である常陸太田多賀線時代の終点(現在の国道349号との交差点)までは、さらに田園風景を4km強だ。



 里へ下って間もなく、後ろ向きに、通行不能の予告標識が立っているのを見付けた。
それによれば1km手前から日立側は通行不能という扱いだったらしい。
それはちょうど、弁天沢を渡るあの小さな橋に一致する。
特にあの場所には立ち入り禁止とも書いていなかったが、まあ、なんだかとても淡泊な、不通区間だった。

それが必ずしもツマラナカッタというわけでもないのは、春の日和の素晴らしさか。はたまた自分にとって未知の地域が成せる業なのか。



 おおっ!

ここに来て初めて! はじめてヘキサが現れた。

既に出発から7km近く来ているが、ここまでが如何に冷遇された県道であったのかが伺える。
そのくせ、ここに立っている標識は妙に小綺麗で笑った。

いずれ、真弓トンネルの新道が開通する日が来たら、この辺はごそっと県道から外されるだろうが。




 常陸太田工業団地付近の道ばたで、半分埋没しているところを発見された、県道常陸太田多賀時代(昭和27年〜平成4年)のものと思しきキロポスト。

結局、前任の県道は最後まで開通できずに終わった。
平成4年に、同路線は県道笠間常陸太田線に延長併合され、主要地方道61号日立笠間線として生まれ変わったのだった。
おそらくそれは、「一般県道」のままでは整備のめどが立たないと知った上での、苦肉の策だったろう。
現在は「主要地方道」として、再生の時を静かに待っている。

 一度も日の目を見なかった、あの、峠の仮道。

 無念を晴らせる日は、果たして来るのか。


 私は、夢破れた山越え県道が、その禍根より解放されることを祈ろう。