道路レポート 南志賀パノラマルート 第1回

所在地 長野県山ノ内町〜高山村
探索日 2012.11.04
公開日 2025.07.22


南志賀パノラマルート

そんな名前の観光道路が、かつて 昭和43(1968)年の“1シーズンだけ” 存在した。

その極まった短命さゆえ、“幻の道”とも言われる、知る人ぞ知る存在である。



《周辺地図(マピオン)》

南志賀パノラマルートは、我が国を代表する火山性高原である志賀高原の南に聳える笠ヶ岳の中腹を通って、国内最高所の国道である志賀草津高原ルート(国道292号)と、西麓の松川渓谷沿いにある信州高山温泉郷(高山村)を結んでいた。

現在も志賀草津高原ルートの熊の湯温泉と信州高山温泉郷を結ぶ長野県道66号豊野南志賀公園線が存在するが、その前身である。
より正確には、この県道が県道となる以前の林道だった時代の旧道が、この南志賀パノラマルート……またの名を林道七味笠岳線……だった。



最新の地理院地図でも、この道の名残は、はっきりと見ることが出来る。
山ノ内町と高山村を分ける海抜1900mベースの高い稜線沿いに伸びる孤高の一本道の姿だ。

ただ惜しむらくは、たった1箇所、笠ヶ岳の南陵部分で、道は途切れている。
途切れた所を埋めるように描かれている巨大な土崖の記号が、この道の悲惨な末路を物語っていた。

ただ、この地図を見る限り、国道292号から県道66号まで約4kmの道のうち、途切れているのは僅か200mほどである。
車は難しいとしても、自転車くらいなら、通り抜けられそうな気がしないだろうか。
私はすごく“した”。




南志賀パノラマルートの自転車による走破という野望を抱いた私は、平成24(2012)年11月4日にアタックを敢行した。
HAMAMI氏と国道291号清水峠<最終決戦>に挑んだ翌日だったが、この日は一人きりである。

今となっては結構昔の探索になってしまったが、成果の報告はこれまで2回のトークイベントでしかしていなかった。
それを今さら書こうとする動機は、最近は毎日とても暑いので、納涼をお送りしたい気分からだ。
海抜1900mの爽快な稜線ルートだから、写真を通じて、皆さまにもきっと涼んで頂けるはず。


それでは現地へ涼みにどうぞ。



 「この山の裏側へ行きなさい」と言われたら?


2012/11/4 6:28 《現在地》 海抜1650m

寒ッッ!!!

いやいやいや、これはちょっと侮った。
11月4日にもう積雪しているとは予想外。昨日積もった雪がまだ残っているという雰囲気だ。
というか、昨日の清水峠では本年の(強烈な)初雪に見舞われた訳だが、離れていても同じ山脈の続きであるこっちの志賀高原にも降っていたのか。
やられたなぁと思ったが、とりあえず行けるところまでは行ってみよう。もう車から自転車を降ろして出発してしまっているし。

というわけで、ここは山ノ内町の標高1650m平床の分岐地点。
この信号のない丁字路を手前から直進するのが国道292号志賀草津高原ルートで、右折が県道66号豊野南志賀公園線かつここがその終点。
冒頭にも述べたとおり、パノラマルートが廃止された後に代替として整備された道である。

チェンジ後の画像は、県道66号の青看のアップだが、その背後にボコッと物凄い存在感を醸している山がある。



これが海抜2075.9mの 笠ヶ岳。
まるで釣鐘のような独特の山容は、溶岩円頂丘(溶岩ドームとも)という火山地形の典型的なものだ。
これを単に景色として眺めるのであればたいへん壮観で素晴らしいという感想だが、こと南志賀パノラマルートを攻略しようとする者にとって、この山は“他山”ではない。

目指す道は、ここから見上げる山の裏側を横断しており、しかもそこに地図上の道が途切れている地点がある。
いったいどうなっているのか、気が気でないのである。ここから山の向こう側は全く見えないので、その状況を窺い知れないのであるが、「この山の裏側へ行きなさい」と言われて不安を感じない人はないと思うような峨々たる姿の山だ。
しかも、積雪している畏れというのは予定外の新たな不安材料だった。



6:48 《現在地》 海抜1700m

分岐を直進して国道を1kmほど進むと、熊の湯温泉や熊の湯スキー場がある硯川地区があり、その出外れの海抜1700m附近からは横手山スキー場のゲレンデを横に見ながら国道もシュプールを描いて登っていく。この登りが目指すのは国道最高所の渋峠(2172m)だが、私は途中の海抜1860m附近が目的地である。



この日の国道は冬季閉鎖こそされていなかったが、熊の湯から先ではところどころ圧雪で、冬タイヤがなければ危険で走れない路面状況になっていた。
例年11月中旬から4月下旬までこの区間は冬季閉鎖となるが、その“例年”から見てもこの日の積雪は早かったのだろう。
スキー場の準備もまだ終わっていないから、ゲレンデは恐ろしく静まりかえっていた。

チェンジ後の画像は来た道を振り返って撮影。
右が横手山スキー場、左奥に遠望されるのが熊の湯スキー場で、その背後に聳えるトンガリ頭が笠ヶ岳である。
パノラマルートがある“山の向こう側“は、未だ完全に未知の領域。



7:15 海抜1820m

不気味なほど静まりかえっている国道を黙々漕ぎ進み、海抜1820mの陽坂(ようざか)を通過。
漕いでいる身体はそうでもないが、身体の末端が冷えるなぁと思ったら、路上の電光掲示板の気温表示はなんとマイナス5度。
放射冷却も入っていると思うが、11月頭としては強烈な冷え込みだった。

あと少しで目指すポイントに到着する。



涼しい景色!!

そして、この写真の奥のカーブ……



42号カーブ。

この標柱だけがある、他にはなんの案内らしいものもないここが……



7:27 《現在地》 海抜1860m

幻の観光道路、
南志賀パノラマルートの入口だった!



これが、昭和43年の1シーズンしか使われなかった幻の観光道路の入口か……。

積雪のせいで路面状況が隠されているが、とりあえず未舗装1車線道路だな。
看板とか、案内板とか、そういうのは全然ない。
風景的には、どこにでもありそうなただの脇道、林道とか作業路みたいだが…。



 パノラマルートという名に期待するもの


2012/11/4 7:29〜7:42  《現在地》

山ノ内町平床の県道66号分岐地点を出発してちょうど1時間、零下5度の凍てついた国道292号を3.7km力走し、標高1860mの「42号カーブ」へ辿り着いた。
ここが昭和43(1968)年の1シーズンだけ通り抜け出来た幻の観光道路、南志賀パノラマルートの入口(終点)である。
分岐周辺に案内標識のようなものは見当らないし(そもそも設置されたことがあるのかも謎)、それ以外のいかなる案内物もないが、道自体は最新の地理院地図にも1車線の車道としてはっきり描かれているだけあって明確に存在していた。とりあえず、入口は廃道ではない。

ところで、ここまで辿ってきた国道292号の志賀草津高原ルートは、昭和45(1970)年から平成4(1992)年まで日本道路公団が管理する一般有料道路志賀草津道路であった。
一方、南志賀パノラマルートは無料だったが、この道路が通り抜けできた唯一の年である昭和43(1968)年は志賀草津道路の有料化前で、県道中野長野原線といった。この道は戦前、群馬県の草津温泉と長野県の上林温泉の両側から整備が始まり、戦時中の中断を経て、昭和40(1965)年に遂に県境の渋峠を含む全長41kmが貫通したが、林道同然の悪路で通行は困難であったため、一般有料道路に変更して完成させた経緯がある。

もしも、パノラマルートが短命に終わらず、志賀草津道路の一翼を担う存在として存続したならば、この分岐周辺の風景はだいぶ変わっていたのかもしれない。



麓から持ち込んだコンビニパンを囓ってから、4km先のゴールを目指してパノラマルートへ漕ぎ出した。

入って20mくらいのところにさりげなく通せんぼのチェーンが張られていて、説明もなく車両の進入を拒んでいたが、どういうわけか路上の雪面には人の足跡が沢山刻まれていて、チェーンによる封鎖をものともしていなかった。それが一人二人の足跡ではないのである。
同業者にしては、この人数はちょっと不自然だ。そもそも、今回の積雪はおそらく昨日くらいからだろう?
昨日、初雪が降る中で、ここを踏破した団体がいる?

足跡があるというのは、私の探索の成功を占う意味ではプラスの要素だが、あまり手応えがなさ過ぎるのも、ちょっと拍子抜けかも。
足跡の行先が、私と同じパノラマルートの攻略と決まったわけではないのだけれど、地図上ではほぼほぼ一本道だしな。



見ての通りの完全な“雪道”だが、雪の深さは3cmくらいだから、マウンテンバイクで走る分に問題はない。
気温が非常に低いため、雪面がよく締まっているのも好都合だ。さすがにこんなに早い日に雪道を運転するとは思ってなかったが。
道自体は平凡な1車線の砂利道で、単調な右カーブを描きながら緩やかに登っていく。
この道の最大標高地点は、入口から約600m先の無名の峠であり、遠くはない。



7:52

本日はじめての朝日が私の周りを照ら出した。
冷え込みは厳しいが文句のない快晴である。
思ったほど雪も深くなっていないし、爽快な廃道探索が楽しめそうな予感がする。

しかし本当になんなんだろうね、この大量の足跡の正体。
登山道とかなら分かるけど、そういう案内もなかったし。
まさか、昨日の雪で遭難騒ぎがあったとかで、捜索隊が入った跡とかではないよね? 
昨日の清水峠で見た想定外の大雪の景色を思い出し、そんな不吉な想像も脳裏を過った。



同じ地点で、強烈な朝日の出所を振り返って撮影した。
蒼穹に聳えるピラミダルの頂は、県境に聳える横手山(海抜2305m)。
我が国の国道の頂点である渋峠は、あの山頂から僅か130mほど下った肩を越えている。

これは余談となるが、私が探索中に到達した最高高度記録をこのとき絶賛更新中であった。
2012年の時点ではこれよりも高い場所で探索した経験がなかった。
余談ついでに、我が国の国土に占める海抜2000m以上の土地の面積は約4%ほどだそうだが、この高度域に定住する人はほぼなく、車が通るような道自体稀であるから、廃道探索に赴く機会は少ないのである。今回のパノラマルートも、海抜1900mは少し超えるが、2000mには達さない。

そして、突入から約20分後――



8:02 《現在地》

海抜1900mにある“無名の峠”に辿り着いた。

広い空には透き通った色の半月がまだ浮かんでいる。
常ならぬ標高の高さと澄み渡った空気から、宇宙を感じるような空だった。
道はここで初めて2車線幅の膨らみを持っているが、それも峠の切り通しの中だけで、向こう側はまた1車線のようである。

ここが山ノ内町と高山村の境であり、それぞれの町村を潤している水系の分水界となる。
峠に名前が付けられていた形跡はなく、それはこの場所が歴史的な峠ではなく、パノラマラインで初めて切り開かれた場所であることを物語っていた。

昭和30年代以降、山ノ内町側の志賀高原一帯は、山岳スキーのメッカとして、あるいは山岳探勝や高原的温泉のリゾート地として、大々的な開発に成功し、さらに県境を越えて草津・東京方面へ通じる観光ルート「志賀草津道路」をも獲得し、その将来の発展が約束されていた。同じ上信越高原国立公園内に属する隣村ながら、道路に恵まれないため開発の手をこまねいていた高山村は、この格差を目の当たりにし、自村と志賀草津道路を最短で直結する目的で整備したのが、“南志賀”パノラマルートと名付けられたこの林道だったという。

ここはそんな夢の絶頂ピークであった。



切り通しの出口側に、雑草に埋れかけた看板があり、この先が国有林であることを定型の文章で記していた。
設置者は今はなき長野営林署である。
探索のスタート地点で、「この山の裏側へ行きなさい」と私の脳に指令を発してきた【笠ヶ岳】だが、ここから実際に裏側へ入っていく。
とはいえ、笠ヶ岳に接近するのはまだ先だ。



8:06 

切り通しを抜けて、高山村の領域へ漕ぎ出したらば、

途端に道が狭くなった!

例の謎の足跡はちゃんと付いてきているが、路面は2本の轍の幅ぎりぎりにしか残っていない。
もともとここまで狭かったはずはないから、路傍の草生している部分も元は路面だったのだと思われる。
この道の生みの親の領域に入ったなり、急に廃道化の匂いが嗅ぐってきた……?

チェンジ後の画像は、こんもりと草生している路肩の様子。おそらくここも本来路面だった。
そして、そんな路肩の向こう側には恐ろしく広大な空間を感じる。
地図を見れば分かるが、そこには松川の谷が存在しており、道から底までの落差は実に400mにも達する。
高原的だった山ノ内側とは、地形も景色も真逆の変化であった。



8:07 

こっ これは?!?!

地図にはない道が右上方へ分岐している!

そのうえ、全ての足跡を取られた!



この道の行先、行って確かめはしなかったが、地図を見る限り、すぐそこにある稜線を越え、山ノ内側の斜面にある熊の湯スキー場へ通じているのだと思う。
この日はスキー場のオープン前だったが、リフトなどの設備が近くにあるようだから、ここまでの足跡の正体は、施設整備を行うスキー場関係者のものではないかと推理した。

 やはりスキー場関連の道だった
2025/7/23追記

雪上に真新しい足跡が多数残っていた“地図にない道”の正体だが、複数のスキー好きとみられる読者さまから情報提供をいただいた。
その正体は、熊の湯スキー場と横手山スキー場を結ぶ連絡コースであって、スキーシーズン中は一般にも解放されていて、実際滑ったことがあるというコメントもあった。(が、現在は封鎖されているというコメントも別にあった)

そしてこのような証言を裏付けるように、グーグルマップには平成28(2016)年の積雪期に(おそらくは雪上車かスノーモービルで)撮影されたストリートビューが公開されており、国道292号から元パノラマルートを辿ってこの分岐に至り、さらに右折して熊の湯スキー場のゲレンデに至る一連のルートを確認できた。
冬期間限定とはいえ、かなり最近までパノラマルートの一部区間が一般のスキー客にも開放されていたことが分かった。
短命に終わった観光道路の思いがけない余生の過ごし方だ。

そんな訳で、国道292号の分岐からからほぼ1kmのこの地点をもって――



私に先行する雪の踏み跡は、ヒヅメを有する獣が付けた1本だけになった!

草に両側から圧せられた道幅も、いよいよ廃道が始まる予感を濃くしている。

いまだかつて探索経験のない高標高を舞台に、私とパノラマルート、二人だけの時間が始まった。



8:08

あっという間に、枯れ草が路上を封鎖し始めた。
草藪はすっかり枯れていて落ち着いている時期だが、それでもこの状況だ。
夏場などは完全に路面が見えないくらいは繁っていると思う。

これでもまだ路面に大きな障害物がないうちは自転車に乗って進めるが、先行きに不安を感じた。
変化が思いのほか急で、ちょっとビックリしているが、私がやるべきことは普段と変らない。
自転車でごいごいと藪を押しのけながら進んだ。



8:09

おおおおおお〜〜〜

すごい場所に出た!!!

いままでずっと路肩で視界を遮っていた藪が途切れた途端、私はとんでもない景色の真っただ中にいたことに気付かされた。



瞬間的に理解した!!!

この道に「パノラマルート」という名を付けた高山村関係者たちの偽りなき自信を!

眼下の松川渓谷越しに、対岸の上信国境万座峠の連峰を見ている。

これは「パノラマルート」の看板に偽りなし!
ぶっちゃけ、災害理由とはいえ極めての短命に終わり、そのまま復旧もされなかった道だけに、まあまあの名前負けもあったのかもと少しばかり侮りの予断があったが、それはこの瞬間に一掃された。
スゲエやこの道のパノラマ!



なお、向こうの上信国境稜線には上信スカイラインと称される志賀草津道路より古い車道があり、昭和26(1951)年の開通以来、高山村と群馬県の万座温泉方面を結ぶ唯一の車道として長く利用されているが、眼下の松川渓谷から直接に万座峠へ登る山田入林道という近道が昭和40年代に建設され、同じく松川渓谷から志賀高原を目指して整備されたこちらのパノラマルートと共に、高山村の次世代観光ルートとして期待された二大道路開発であった。

ちょうどここからその山田入林道のおびただしい九十九折りが見えているが、悲しいかな共に地質条件に恵まれず、これを書いている令和の現在では向こうも通行不能になって久しい。それでもパノラマルートよりは遙かに最近まで通れていたし、その兇悪なガレっぷりが一部ライダーからは走りの聖地と見なされるほどに愛された道だった。私もこの景色で見初めてから実に12年も後になったが、2024年に探索している。



しかもこの道のパノラマは、眼下の渓谷、対岸の連峰だけではなかった。
道の進行方向にも、これまた壮大なる遠景から超遠景のパノラマが展開していた。

眼下の渓谷が吐き出される先の広大な善光寺平(長野盆地)越しに、遙か遙かなる北アルプスを見ている。
中部山岳地帯を我が国の屋台骨に喩えるならば、片方の梁から、他方の梁を見渡すほどの長延なる眺めに、興奮を禁じ得ない!



1900mの等高線を綺麗になぞりつつ稜線沿いを我が物顔に突き進む道の行く末を見れば、
「これぞまさしく“天空回廊”」
と、快哉を叫びたくなる絶景の道路であったが、
これがただ1年間しか解放されていないという現実を前にすると、オブローダーとしての独り占めの快感と優越も度を過ぎて、さすがにこれは諸々の犠牲に対する見返りとしては罪が深い“失敗”ではなかったかと、まさに塩那道路で経験したのと同じような申し訳なさを、勝手に人類の代表となって感じる私もいた。




まあ、そんな申し訳なさの100万倍は、

ンキモヂイィィィィィィ かったけど!(笑)




おまけ。

動画でも、ここからの風景を撮影しましたよ ↓↓↓








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