みたけ湖の旧道 前編   

公開日 2006.01.10
探索日 2005.09.20

 みたけ湖は、 平成10年に出現したばかりの比較的新しい湖である。
つまりは、人造湖だ。
大松川ダムによって、この世に生を受けた。

 その大松川ダムは、現在は市町村合併で横手市の一部となった当時の山内村の松川に造られた重力式コンクリートダムで、多目的ダムとして23年をかけて建設された。
周辺地図 そして、公募で決められた「みたけ湖」の名前は、上流の御嶽山にちなんで付けられている。

 この湖にも、人造湖の例外に漏れず、水没旧道と言うべき道が存在している。
ダム建設によって移転となったのは、あわせて76戸。
そして、一般県道273号(外山落合線)の約5kmである。

 私は2005年の9月。
残暑の厳しい時期を見計らって、年間で最も水位を下げたであろうダムを目指した。
水没から8年目という、比較的新しい水没旧道の実走調査が、目的だった。
(なぜ、実“走”しなければならないかという問題は、置いておく。)


8年分の堆積

1−1 旧道の入口

05/9/13
12:36

 大松川ダムは、整備された県道の脇に立派な管理所やダムサイトを置いている。
中規模のダムだが、水没した121haほどの流域の地形に特徴がある。
元々は人も住んでいた地域だが、かなり複雑な地形だったことが、こうして水没してみてから、よりはっきりとした形で示されるようになった。

 それはなぜか?



 ひとつは、ダムによって付け替えられた県道が、かなり川底からは高い位置にあり、地形を見下ろしやすくなったと言うこと。
そしてもう一つは、ダム湖の水面が絶対的な物差しとなって、その地形の凹凸の不思議な形状を、浮かび上がらせたからだ。

 写真は、ダムサイトから1.5kmほど上流にある大松川橋付近から、上流を眺めたものだ。
満水期には湖にポッカリと浮かび上がる島の部分が、険しい崖に取り囲まれるようにして、取り残されている。
他にも、湖畔はどこも険しい崖になっており、細かな凹凸が目立つ、複雑な地形である。

 そして、旧県道はこのどこかに、眠っている…はずだ。



 付け替えられた県道は、短い間隔で二度も、このみたけ湖を跨いでいる。
それも、支流ではなく、みたけ湖本体を二度も、だ。
無論これも酔狂の類でこうなっているわけではなく、地形的な理由によるものなのだろうが、殆ど通行量のない1車線の県道にかくも立派な橋が二本も架けられて湖を渡る姿は、違和感を覚える。

 写真は、その一本目の大松川橋である。 よく、橋の上に車を停めて、カメラを遙か下の湖面に向ける写真家の姿を見ることがあるが、この日は期待したとおりに水位が低く、風景的には風趣を欠くせいか、そのような姿はなかった。



 ダムサイトから県道を約4kmほど、右に左に湖を見ながら走ると、隣から湖の姿は消え、ススキの原っぱと横手川が「復活」してくる。
さらに500mほどで、川側に折れる舗装路が唐突に現れるが、これこそが旧道と現道との分岐地点である。
一見すると対岸の管理用道路に続いていそうだが、この舗装路は旧道へと降りる唯一の道だ。

 車ではこれ以上進めないので、ここでお馴染み、チャリの登場だ。


入ってすぐに封鎖されている旧道の写真

 車で進めない理由は、ほれこの通り。
しかも、このバリケードはぬるそうな外見に似合わず、左右のガードの完璧であり、触れるだけで火傷しそうなほど熱せられたガードレールを跨ぐのは、早速にして、「一仕事」だった。



1−2 8年分の回復

12:55

 それでは、これからダムサイトのある下流へ向けてどこまで進めるかは分からないが、行けるところまで旧道を辿ってみようと思う。

 まあ、どうって事のない夏の廃道が、ついさっき車で走った現道のガードレールと付かず離れず続いていく。



 200mほどほぼ平坦な廃道を走ると、そこだけアスファルトが剥がされたのか、そのせいで夏草が帯状に生えた場所がある。
よく見ると、そこは小さな橋だった。
本当に小さな、2mくらいの橋で、コンクリの転び止めが縁にあるだけで、欄干や親柱などは一切無い。

 奥に見えるのは、現道の赤水沢橋だ。



 一度は夏藪漕ぎの危険を感じたが、そこを過ぎると再びアスファルトがいくらか幅を確保してくれていた。
クズなどのツタ植物を先兵に道の両側から張り出してきた緑の大軍が、8年間(プラスα)で回復した自然だと言えるだろう。
この調子でいけば、たとえアスファルトを残したままでも、さらに8年後には緑の樹海に道などまるっきり消えてしまうかも知れない。
それが、厳密な意味で回復した自然なのかというと、ハテナもあるが。


13:00

 さらに進むと、前方にダムを跨ぐ二つの県道橋のひとつ、福万大橋の赤い橋体が見えてきた。
そして、このすぐ直前から、路面の状況にも大きな変化があった。
路面の、泥である。

 路面には、薄くだが堆積した土砂が現れだした。
これは、時期によってはこの辺りまで水没すると言うことを現している。
泥の出現によって、比較的快適だった旧道の探索は、一気に悩ましいものへと変化しつつあった。

 そして、もうひとつ、目立たぬものが間近にあった。


緑に覆われた橋が出現。

 秋田県の文字が残るデリネーター…ではなく、奥に見える橋に気が付かれただろうか?

 恥ずかしながら、私はかなり近づくまで、この橋の存在に気が付かなかった。
それほどに、橋は上手い具合に、カムフラージュされていた。

 

 川とは反対側を見上げると、現道は思ったよりも遠く高い場所に去っていた。
これでは、満水期には水没すると言っても不思議はない。
旧道を走っている限りでは、それほど下っている感じはなかったのだが。



 今は川の姿になっているが、時には目の前のこの橋はこの姿のまま水中に消えるのだ。
川を跨ぐために土地の人達が築いた橋を、そのまま臓腑にしまい込んでしまうダムとは、えらく凶暴な奴だ。

 そして、そんな橋のコンクリの上に薄く堆積しただけの土砂に、時々は水没という憂き目に遭いながらも力強く息づいた植物たちに、橋や村を築いても結局は土地を明け渡さねばならなかった人間とは決定的に次元の違う生命力を感じた。



 もっとも、人は自分の意志で住処を変えることも出来るが、地に根を張った植物たちと言えばそうも行かない。
我々には殆ど無価値の水没地であっても、意外と彼らには居心地が良いのかも知れない。
 明らかに生命力豊富な彼らの姿から見ると意外だが、雑草が好き放題にはびこれる場所って、自然の中には少ないのだ。
いまは草地でも、そのまま月日が経てば大概は森に代わり、そこでの主役は背の低い一年性の雑草などではあり得ない。
その点、定期的に水没し多年性の植物が育ちにくいダム湖周りは、雑草たちの楽園のようである。


 橋の袂にチャリは置き、単身で橋を渡ろうと躍り出たが、もの凄い密度の藪に押し戻されそうになった。
まるで、橋の上は満員電車だ。
(秋田県人は満員電車を知らないと思うのは大きな間違いで、JR男鹿線の通学列車の密度はかつて300%を越えていた。)

 何とか橋を渡り終わって振り返ると、それまで気が付かなかった、旧県道の小さな橋に気づいた。
上に立っていては、足元に暗渠状の空洞が有ったことに気づくことは難しい。

 なお、苦労して渡った橋の先に道の痕跡はなく、なんのために橋が架かっていたのかは、分からなかった。



 再び旧県道に戻り、チャリを拾って先へ進む。
写真は、橋から初めて見つけた“橋”の上から、振り返って撮影。
 川が運んできた栄養たっぷりの土砂によって、あらゆるものが緑に覆われつつあるようだ。



 近くに見えてくると、福万大橋の大きさがより際だってくる。
足元は、進めば進むほどに厚い泥と密な緑に覆われており、まるで両方のペダルが錆び付いたかのように重くて進まない。
それでも、アスファルトが埋まっている道路の部分は、まだ微かにその周囲とは雰囲気が違う。
しかしこれも、あと数年後には完全に見失われてしまいそうだ。



 地形の起伏に道の痕跡を確かめながら、殆どは真っ直ぐな草道を、力任せに漕ぎながら進む。
もう少し訪問の時期が早く、水が引いた直後だったら、さらに苦難を強いられただろう。

 あっ、あそこに見える白い部分は、アスファルトでは?!



 久々に現れた僅かなアスファルトに、ほっと一息ついた。

 で、チャリに戻ってみると、泥よけの先っぽに、一息ついている最中のトンボが。

 もう、秋なのかなぁ?
冬が来れば、間違いなく水没してしまうこの一面の緑。
トンボは何処へ行くのだろう。