都道204号 日原鍾乳洞線 旧道  第5回

公開日 2007.2. 10
探索日 2007.1.16
東京都西多摩郡奥多摩町

第2の崩崖

束の間の平穏


 12:29

 今回の探索最大の目的であった大崩崖の突破に成功した私は、これにより初めて可能となった日原隧道の内部探索を成し遂げた。
残るは、日原トンネルを抜けた先の旧道がどこまで歩けるか確かめることだ。



 地形図を信じるなら、もう500mくらいは歩けそう。
左の図中の赤い文字「旧道跡」の「跡」の字の右下で擁壁の記号が途切れている。
そこまでは行けるのではないかと私は予想していた。
現役鉱山へどこまで食い込めるだろうか。



 トンネルから先は、日原隧道にて旧道と旧々道(大崩崖)とに分かれていた道が、旧道の一本になる。
この道の消長はだいたいの年まで予想できる。

 旧道が生み出されたのは、途中の橋の竣功年度や歴代の地形図での描かれ方などから昭和34年頃であったと言える。当時まだ日原隧道は無く、今は崖に消えた旧々道を使っていた。
 旧道が廃止されたのは昭和54年。現在の日原トンネルが開通した年で間違いないだろう。
その後もしばらくは、日原集落住民や鉱山関係者によって通路として使われていたと思われるが、現状では全く管理されていないようだ。
鋪装を突き破り堂々と木が生えているのには驚いた。



 日原隧道を振り返る。

 左遠方には、また別の採石場が見えている。
奥多摩工業は戦前からこの一帯の石灰石に目を付け、氷川鉱山を中心に採掘を行ってきたが、戦後の復興や経済成長に伴う大量のコンクリート需要に支えられ、同鉱山の鉱区を順次拡大して来た歴史がある。
一定量掘り尽くされた山は、もう緑化しようにも出来ないほど傷ついている。



 末期には信号機による片側交互通行が実施されていたという日原隧道。
確かに隧道の前後の道は広く取られていた。
特にこの氷川側では、白いセンターラインがまだ微かに残っている。
ここで車の待ち合わせが行われていたに違いない。



 2車線幅の道を進んでいくと、路上に土砂が山と積まれたカーブが現れた。
カーブの外側には、赤茶けた標識があっちを向いているのが見える。
道の両側は崖で、かなり見通しの悪いカーブだ。

 なお、旧道に入り込む直前に登竜橋から見えていた旧道の先端部分(写真写真)は、ちょうどこの地点である。
これより先は、真の意味で初見となる。



 その標識は、蛍光灯付きの立派なものだった。
すでに架線は取り払われ、支柱全体が錆に覆われている。
標識自体は多少色褪せてはいても十分に読み取れる。

 明らかな右カーブに左カーブの標識が立っていて、予告だとは言っても、どうにも収まりが悪い。



 道幅が半分に埋め立てられてしまった旧道。
わざわざ意図的に半分だけ埋める理由がないので、おそらくは旧道となった後で、方々の崖から落ちてきた土砂を寄せているうちにこうなったのだろう。
道幅の狭い場所に寄せれば通れなくなってしまうので、当然の処置だと思う。

 現在は管理の手を離れ、道全体が落ち葉と土と岩塊に覆われつつある。



 ふたたび2車線の幅が甦ってきた。
周囲は木こそ生えているが切り立った斜面で、法面も路肩も揃って高い石垣となっている。
石垣の材質は、近年盛んに利用された間知石(けんちいし、四角錐に整形された石材)である。
崖に囲まれた道には寄り道する場所もなく、徐々に喉が渇いてきたこともあって、私は黙々と歩いた。

 隧道から200mほど進むと、またしても標識の支柱らしき高いポールが見えてきた。



 12:32

 このポールにもかつて何かの標識が吊られていたに違いないが、すでに標識の姿はなかった。
その目線の高さに「昭和52年製造」と書かれた小さな銘板が取り付けられているのを見付けた。
昭和52年といえば旧道となる、たったの2年前である。
もう既に現道の工事が始まっていたはずで、そんな時期にも新たな標識が必要となるほど、旧道の交通事情は逼迫していたのだろうか。



 まだ一欠片の錆もないまま立ち尽くすポールの傍に、萎れきったデリニエータが倒れかけていた。
見たことのないスリムな形で、ペイントされた「東京都」の文字がはっきり読み取れた。



 遂に終了?! 立ち入り禁止


 隧道から300m。比較的穏やかな道が続いてきた。
ここまでは予想通り、まだ採石場に呑み込まれていない旧道がまとまった長さ存在していた。
しかし、いま目の前にお決まりの立ち入り禁止のゲートが見えてきた。
やがてはこうなる定めと分かっていたが、安堵と寂しさが両方こみ上げてきた。

 だが、無茶は出来ない。
今日は来るときにも鉱山がバリバリ現役稼働中なのを見ている。
これ以上立ち入ることは、発見された時のリスクが高すぎると判断した。



 バリケードの少し手前辺りから、ここしばらくは穏やかだった道の様相が一転した。
バリケード自体が大量の崩土で埋もれつつある。
扉は施錠されてはいたが、たとえ鍵が掛かっていなくても開くことは出来ないだろう。
そして、そのバリケードの向こう側には、雑木林の焦げ茶色ではない、明るい茶色が見えている。
ここからではそれが何なのかよく見えない。


 み、  …見たい。



 だが、流石に鉱山地帯。
バリケードの執拗さは普通の廃道の物ではない。
上は背丈よりも高くまで密な有刺鉄線でガードしてあり、その両脇とも路肩に沿って5m以上先まで同様の柵が続いている。
これは、一旦道路から外れ、上か下の斜面に迂回する以外に、進む術はなさそうだ。

 もともとは、現役の鉱山施設に達したら引き返すつもりであった。
ここはまだ廃道そのものだ。
そこに近付けば聞こえるだろうモーターの唸りも石を砕く爆音も、まだ全く聞こえない。

 もう少し進んでも発見されるリスクはないと、判断を訂正。

   進入続行!



 立ち入り禁止の先に見たもの


 12:24

 石積みの路肩から2〜3m下方の雑木林の斜面に降りる。
そこも急な斜面だが、フカフカの落ち葉がなんとか体重を支えてくれる。
頭上に落石でひしゃげたガードロープの支柱や、垂れ下がってきたガードロープを見ながら、背徳の廃道へと歩みを進める。

 徐々に行く手の明るい茶色の正体が見えてきた。


 まさか、 またなのか…。



 道を迂回して路肩の下を歩いているときも、決して気は休まらなかった。
むしろ、あの大崩崖よりも足場の傾斜はきついかもしれない。


 私は、“何か”を前にして徐々に先細って行く道に、ひとり怯えた。

 それは 予感 だった。



 やっぱりだ…。

 再び現れた巨大な斜面。
旧々道のみならず、旧道もまた完全に寸断されていたのか。

 今度の斜面も一筋縄では行かなさそうだ。

 とりあえずは、道の上に戻ってみよう。



 今度の斜面は、自然の崩壊かも知れない。
膨大な土砂は舌状の広がりを持って道を完全に埋め尽くし、それでも足りず、50mも下方の日原川へとなだれ落ちている。
その道路上の厚さは、一番高いところでは10m以上もある。
斜面の一部は草地となっているが、一様に傾斜は急である。
草が生えている分、さっきの崩壊に較べれば突破も容易そうだが、こちらは事前情報がなかっただけに、しばらく足が止まった。



 振り返っても、そこに道など無いように思えた。
しかし、今のいままで確かに路肩の石垣の下に沿って歩いていたのだ。
石垣の上にはガードロープや支柱も見えていた。
てっきり、路面があるものと思っていた。

 実際は、先ほど迂回した柵のすぐ先から、旧道は完全に土砂の下となっている。
これならば、敢えて柵など作らなくても好んで立ち入る人はおるまい。




 この下に舗装路が埋まっているとは信じられないが、事実だ。
それはそうと、このあたりで私の喉の渇きは、いよいよ無視できなくなってきた。
ポシェットの中のお茶は、さっきも歩きながら飲んだので残り一口分しかない。
谷底に見える清涼な流れに、思わず生唾が出た。
帰りは、一旦谷底へ下って、水を補給してからまた登ってこようかとも考え始めていた。

 この斜面なら、下って下れないこともあるまい。
…登ってこれるかは分からないが……。




 ここで問題が発生!

行く手を遮る、深いクレバスのようなガリー。
幅3m、深さ2m程度。
飛び降りるしか無さそうだが、帰りはどうする?
砂っぽい斜面に確固たる足場が見つからない。
それに、飛び降りたらそのままガリーの底の瓦礫と一緒に滑落しやしないだろうか……。

 草地の楽な崖かと思ったら、そんな甘い訳がなかった。

 例によって高巻きしようかとも考えたが……





や、 やめておこう……

上に行くのは…




 素直にガリーの底へ飛び降りた。

幸い、足場の石はがっしりと私を支えてくれた。





 ねぇ?
  もう一回、上見てみる??







 自然の崖のようにも見えるし、相当に古い時代の石切場のようにも思える。
また、鍾乳洞なのか坑道なのか、穴のような物が見えるような、見えないような…。
まあ、穴だったとしても絶対に近づけないから、見なかったことにしてね…。


 今この時、崩壊斜面にただ独り張り付く、私の耳に届くのは…

  ざーーーーーーー。


 眼下の日原川が奏でる渓声のみ。
ちょうど真向かいには小さな滝を幾つも連ねた沢が、白糸のように落ちていて、風の加減で滝の音が混ざって聞こえる。
こんな小さな流れでよくぞ頑張ったと思えるほど、向かいの谷は深く刻まれている。
視線を奥の方へと向ければ、うっすら雪を被った稜線が、その流れの始まりであることを知れる。
まさに今、日原川に新しい水が生まれだしている場面を、意識する。



 山から川が生じてくるなんて、誰だって知っている。
目の前にあるのはまさしくリアルなのに、妙に作りものみたいに感じられた。理科室のガイコツのようだ。
現代人は、こういった地球のシステムを生で見る機会が少ないからだろうか。



 崩れやすい斜面を慎重に進んでいくと、ようやく地中から路肩の一部が見えはじめた。
だが、まだそこを歩くことは出来ない。
ガードロープの残骸を有効な手掛かりとしながら、急な礫地を道が現れるまで進む。
ほんの30年前までバスも通う舗装路だったとは、とても信じられない状況だ。

 このような崩壊箇所は、なおも30m以上続いた。



 いまも頻繁に土砂がこの上を滑り落ちていくのか、殆ど草や落ち葉などの表層物が見られない急斜面。
道が無い以上、ガードロープを頼りにしながら、片足はこの崖に突っ込んで歩くしかない。
規模こそ第一の崩崖より小さいが、滑落の危険度はほぼ互角。
また「規模が小さい」とは言っても、前の崩壊が巨大すぎただけで、普通に考えれば100mも路面が見えなくなっているこの崩壊は凄まじい規模だ。



 写真には、黒黄の縞々模様のロープが写っている(上の写真も)が、これはサポート用のロープではない。
珍しいが、ガードロープの一番上のワイヤーがこのような模様なのだ。
中には普通の鉄製ワイヤーが仕込まれており、表面に黒黄のプラスチックで被覆されている。
だが、偶然にもこのロープが重要な手掛かりとなっている。

 やがて、行く手に平坦な場所が見えてきた。
道が復活するようだ。






ドックン 


 ドックン 


  ドックン 

    ドックン 













次回最終回?!

あの大崩崖をも越える究極の衝撃が待つ!


期待して待てッッ!