道路レポート  
雄勝峠(杉峠) 旧旧道 その7
2005.4.6

 遺 道 
2004.12.2 11:08


 感涙にうちふるえた峠でのひとときを終え、心地よい日差しに照らし出された晩秋の森へと、再び漕ぎ出す。
今度は、下り坂であり、ある程度はチャリにまたがって進める希望もある。
チャリとともに峠に立つことを成し遂げ、目的は半ば達成できたが、やはりこのまま下りきってこそ、完遂といえよう。
ただ、まだまだ予断を許さない状況である。
というか、経験上、下り坂で本当の窮地に陥ることが少なくないのだ。

重力に任せて、あれよあれよと下っていくときこそが、危険である。
行き止まりなどまだいい方で、気がついたときには道から外れた、死地にあったということも、経験済み。




と、そのように自戒してみても、やはり気持ち弾むのが下り初めというもので、どんな景色が広がるのか、ウキウキは止まらない。

最後にもう一度振り返り、荘厳な巨大切り通しの峠に、もういちど、礼。



 秋田県側もそうだったが、この山形県側も、どのような道なのか想像がつかない。
しかし、やはり廃道となりはてて久しいらしく、秋田県側とさして違わない道路状況。
もう、道路状況なんていうことばも、生ぬるいか。
ただ、秋田県側と一点違うのは、下り初めて最初のカーブに突き出した木の幹にあった、赤いペイント。
これは、林業関係で人が入っている証と思われる。

そういえば、私が読んだ本でもこの雄勝峠(杉峠)を目指した話があり、そのなかで筆者は、この山形側から、さきほどの大切り通しの峠を訪れている。
もっとも、旧旧道敷きを歩いたわけではなく、直接旧道雄勝隧道付近から直登してきたようである。

このペイントのある木が目印の場所は急なヘアピンカーブで、道は谷を巻くように左へ落ち込んでいく。



 落ち葉堆い路面の片隅に、半ば埋もれた碍子を見つけ、掘り起こす。

持ち上げてみると、ずっしりとおもい、その大きさに驚く。
これは、大物だ。
そして、鮮明に刻印が残っていた。
その内容を、以下に記す。

會津植松製
1937

とりあえず、この1937年(昭和12年)製と思われる碍子が、何に使われていたのかは、分かっていない。
当時はこの国道がばりばり現役であった頃で、路傍にはこんな碍子をぶら下げたクレオソートまみれの木製電柱が並んでいたのかも…。
ノスタルジック。


 ウエマツ株式会社は、明治期にて会津は本郷町に発祥した電気碍子製造メーカーであり、今日も健在であるとのこと。

2005.4.30追記 掲示板提供情報より
 
 さて、最初のヘアピンからは、山形側の景色が一望できる。
正面の深い谷のその底に旧国道があって、その一番手前に短いスノーシェードが連結された雄勝隧道坑口がある。
ただし、この位置からは見えない。
この谷を巻きながら旧旧道は旧道に繋がるべく高度を下げていくのだが、写真にも、行く手となる道が斜面に横筋として写っている。
この景色も、なかなかに壮大で、良い。



 斜面に沿って、緩やかなカーブを描きつつ下っていく。
相変わらず路面状況は完全なる廃道で、落ち葉に足を取られることもあって、やはりチャリは邪魔者になっている。
ここで、また一つ見慣れない遺構を見つけた。

チャリの置かれている奥が、これから進んでいくべき道(の跡)な訳だが、その山側には、非常に巨大な側溝らしきコンクリート製の溝が残存している。
その朽ち方はかなりのもので、見慣れないサイズと相まって、旧旧道に付随していた側溝であった可能性を感じさせる。
もしそうだとすれば、同時代の旧国道中での山行が史上初の側溝発見例となる。


 この溝は、果たして何だったのだろう?
落ち葉や崩土でかなり埋もれているが、おそらくその深さは30cm以内。
不思議なのは、側溝であるにしては路面よりも一段高い位置にあるということ(道が浸食で削られた可能性もある)。
そして、この後かなり先まで道沿いに続いている側溝が、途中道路敷きを跨ぐ場面が数度あることだ(元々は木製の蓋もあった?)。

本当に旧旧道と関連する遺構なのか、それとも、別の目的を持って、廃止後に建設された物の名残なのだろうか?

いまのところ、決定的な判断材料はない。



 峠付近が一番、道としての原型を保っていた様に思える。
峠より300mほど下ると、ご覧の通り、12月でも視界不良の草藪地帯となった。
足下には降り積もった瓦礫が山となって、激しい凹凸を作っている。
さきほどから続いてきた側溝も、殆ど埋め戻されてしまっている。

一挙に下りのペースも鈍り、下りきれるかという不安感が、私の表情を引きつらせた。
ここまで来て断念だけは… 絶対勘弁!!

 


 見上げれば、どこまでも続く斜面!

もうほんと、首が痛くなっちゃう!

大げさでなく、すさまじい崖が稜線まで迫り上がっている。
そして、その景色をより迫力あるものへと変えているのが、天を突く、杉の巨木たち。
古くは「杉峠」と呼ばれた峠の、象徴的な景色に思えてならない。
あの木の袂になど、人類が一度も辿り着いたことなど無いのではないだろうか…、そう思えてくる険しき景色。

しかし、崖の遙か上方にまで、おそらくはこの旧旧道よりもさらに下にある旧道を守らんと築かれただろう雪崩防止策が、幾重にも続いているのだ。

命をかけて、国道を守ろうとした道路マンたちの執念。
その残照を私は感じ、自然と頭は垂れるのであった。




 最終試練  
2004.12.2 11:14



 そして、いよいよそのときは近づいてきた。

旧道との、合流。

すなわち、私の試練の、終わり。

チャリと共にここまで来た。
あとはもう、脱出すれば、完遂。
すぐ足下に、旧道の水色のスノーシェードが迫る。

最後の懸念。
それは、どのように合流するのかという点に尽きる。
少なくとも、かつて旧道を散策したおりには、旧旧道への分岐点らしき物は確認できていない。
これまでの、この道と旧道の接続の例を見ても、一筋縄ではいかないような予感=悪寒が、 あった。




 旧旧道は、旧道の雄勝隧道坑口よりもさらに南へと一旦進んだ後、最後のヘアピンカーブで進路を180度変える。
そして、いよいよ旧道への着陸姿勢にはいるわけだが…。


ここで異変!!

腰丈もある笹藪が超密生しており足元が全然見えない上、旧道による旧旧道敷きの切り取りが、発生!

進路も判然とはしない状況で、チャリを置いて周囲を偵察しようにも、思うように体を動かすことも出来ない密生ぶり。

状況は、かなりマズ!
チャリは身動き殆ど不可能で、しかも、道は無い。
完全に、袋小路。


すぐ下に
アスファルトがあるのに!!



 思わず、現実逃避。

遠くを見てしまった…。

視界の大きく開けた西側に見えるのは、かのイザベラバードも面白がったという、真室川の双子山の数々。

どういうわけか、真室川町の北側、秋田県との県境を成す丁(ひのと)山地と称される一円には、大小の双子山がポコポコと立ち上がっている。
代表的な物は、県境の男甑(こしき)山、女甑山。
そして、男加無(かぶ)山と雌加無山と呼ばれるものなど。


 すぐ真下には、旧国道のひび割れたアスファルト。

まるで楽園のように見えるのは、今の自分が激藪に苛まれているから。
いつの間にやら、笹だけじゃなく、訳の分からないツタやら、イバラやらに、いいように絡みつかれている私であった。



 しょーみのはなし、
 どーすんよ。
 
 これ…・・・。







もう、嫌な予感を感じておられた方は、かなりの“山行が通”ですね!

それでは、
以降を 動画でご覧ください!





   …スマンかった…。








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