隧道レポート 東海道本線 旧磯浜隧道

公開日 2008. 3.18
探索日 2008. 2.25


 長かった大崩海岸を巡る廃道・廃線の探索行。
その後半は、東海道本線の明治の旧隧道が海岸線に投射した、ネット上では未発見だった数本の“横坑”に費やされた。


そして、執念の探索は遂に、“開かずの扉”をもノックする。

正規の出入り口は産廃処分場の地下となり、もはや近づく術のない旧磯浜隧道。
旧石部隧道の3本の横坑を出入りしながら、この旧磯浜隧道にも横坑が有るのではないかという着想を得た私は、夕暮れ迫る海岸線を疾駆し、一度は無視した小浜の集落へと舞い戻ったのだった。

そこで出会ったある老夫婦が、私の問に、さも事も無げに答えた。

 「 横坑? ああ あるよ。」





 幻の隧道 幻の横坑

現地情報を頼りに探す


2008/2/25 15:07

 旧国道から見下ろすと、海と山に取り囲まれた小集落のような小浜(字平)も、立ってみると意外に広く、似たような立地で東北各地に見られるような“寒村”のイメージではない。今風な民家やら民宿が、なかなかに密集している。
地形的には険しくても、ここは焼津市と静岡市のどちらとも等しく近い通勤便利な土地であるから、人が離れていかないのも頷ける気はする。
バスも通っていることだし。

 だが、このような人家の密集は、古いものを掘り返して探し当てるオブローディングにとって、不都合なことの方が多い。
先ほど聞き取りをした横坑への道案内も、なにやら人様の庭先を通るような感じであった…。




 集落内に何本も立っている、急傾斜地の看板。
ここに描かれた住宅地図並みの大縮尺図が、口頭だけだった道案内(むしろ直接案内して貰わない方が嬉しい事情が私にはあるが)を正しく再現するための、重要な手掛かりとなった。

 曰く、
「公民館のところを左に入って」「奥へ奥へと進んで」「突き当たりまで行くといまは人の住んでない家があって」「その先に溝があって」「一番奥まで行ったところに」「今も残っていると思う」

 まずは、「公民館」だ…。




 集落の中程に、それらしい建物があった。

「小浜集会所」と壁に書いてある。

…公民館じゃないが、多分これのことだろう。
ちょうど、ここから左の山手に入る道も分かれていることだし。


 左折すると、またすぐに道が二手に分かれた。
もう地形図にも載っていない道だし、おじさんもこの分かれ道のことは何も言ってなかった気がする。
仕方ないので、さっき撮影した「急傾斜地」の地図のメモリ画像を見ながら判断する。

 より奥深くまで谷が続いている、右の道へ進むことにした。
おじさんも、「奥へ奥へ」「どんづまりにある」ということを強調していたので。





 おわ。狭い。

これはちっとばかし気まずい展開。

でも、谷の奥へ進むにはこの軒先を通り抜けて裏に回り込むより無い。
ここは、何食わぬ顔をしてささっと通過する。


 軒道の先には集落を土砂崩れから守る大きなコンクリートの擁壁があった。
隙間からその裏手に回り込むと、そこには一棟の廃屋が。

おじさんの言っていた景色が再現されている。
廃屋を過ぎると自然な勾配が増して、山裾に取り付く形となる。
谷筋に沿って、石で舗装された狭い歩道が続いている。
もう、どこに目指す横坑の口が開いていても、不思議のない地形である。

 私の期待感は、最高潮に。




 そして、おばさんが補足するように言っていた「溝」のようなものも、現れた。

もう、この谷筋で間違いないと思われた。


 だが、私の期待をよそに、なかなか穴は現れない。
間もなく石畳の道は、石がそのまま階段代わりの急な上り坂になってしまった。
しかも、先ほどから「モノラック」という、この地方ではよく見られる資材運搬用モノレールの、錆び付いたレールまでが併走するようになった。
溝も相変わらず続いているが、おじさんが言っていた「奥の奥」「どんづまり」というのは、もっと奥のことなのだろうか?

 これでは、横坑ではなく“斜坑”になるような気がする。
想定される地下の隧道は海抜20mほどの位置にあるが、既に40mも50mも登ってきてしまったと思うのだ。




 もうこんなに…

完全に集落を眼下に見下ろすところまで登っていた。

勾配はますます厳しくなっており、段々の石垣で区画されたミカン畑や空き地も、狭くなる一方だ。
まだ大分上の方だが、旧国道の路肩のガードレールさえ見えている。


 どうやら、道を間違えたようだ。
「公民館」⇒「奥の奥」⇒「廃屋」⇒「溝」⇒???
話の通り来た私は思っていたのだが、どっかで食い違ってしまっていた。

 さすがに疲労の度合いを増してきた私の足。
不安定な石段の下り坂で、何度かつんのめった。
このまま見つけられずに終わったらどうしよう。
そんな焦りが、いやらしく鎌首をもたげ私を睨み付ける。
歓喜に打ち震えるはずだった私の心が、心細さに震えた。






15:16
 道を間違えた可能性があるとしたら、ここか…。

公民館から先で一本道じゃないのは、この最初の分岐だけだったし。

今度は、ここを真っ直ぐの方へ進んでみることにした。こちらの谷は、先ほどのものより大分小さいようだが…。




 真っ直ぐに道へ入ると、すぐにある民家の庭先に入ってしまう。
それでもめげずに奥へ進んでいくと、瓦屋根の平屋の建物が見えてきた。
この建物は山を背後にしており、雨戸を全て閉ざしている…使われていない…感じがする。

 なんとこっちの道も、おじさんの“道案内”を再現し始めた。




 使われていない家の裏手に回り込む。
なおも平坦な道が真っ直ぐ続いているが、残りは僅かに違いない。
もう少し進めば、嫌でも険しい斜面に突き当たるはずだ。

…おそらく、 そこで“答え”が出るはず。

白梅が咲く左手の斜面には、日陰となった墓地が広がっている。
活気ある集落内とは、明らかに雰囲気の異なるエリアへ立ち入っている。




 さらに数メートル前進。


篠竹が密生したその場所は… 溝・・・。

これこそが、おばさんの言っていた「溝」じゃあないのか!

それは想像していた農業水路的な物ではなくて、もっと大きな、まるで掘り割り道路のような溝である。
そして道は溝の縁に沿って、さらに続いている。




 溝にはたまり水も流水もない。
それどころか、いかにも酸っぱそうな柑橘系の果物をたわわに実らせた木が、何本も生えている。
溝の中にだけ生えているのだ。
ミカン畑? いや、ミカンにしては色合いが薄いし、堅そうだ。
でも、ミカンマニアの私には溜まらぬ香りが溝の中に充満している。




 溝の中に入ってみた。

この写真は振り返って撮影。
溝がかなりの大規模であることが分かるだろう。
幅5mほどで、両側は乱積みにされた石垣が垂直になっている。
溝の中はほとんど平坦であるが、周りの地形は山脚に向かって傾斜しているので、徐々に両側の石垣は高くならざるを得ない。

 こんな構造物の最後に予感されるモノは、もう…一つしかない。




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 旧磯浜隧道の 横坑跡


15:18

 キタ?! 




キタ──!!

 しかし、何と狭い穴だ!

もともとはこれまで見てきた3本の横坑と同じくらいの大きさだったんだろうが、かなり土砂に埋もれている。

 これはちょっと、「中に入ってどうのこうの」という雰囲気じゃないような…。

それにしても、これは煉瓦と石造を組み合わせた、なかなか“真面目”な坑門だ。
そして、この組み合わせ方は珍しいと思う。
ぶっちゃけ、初見である。



 土砂や藪によって坑門を一枚の写真に納めることが難しいので、図説する。

小さな煉瓦積みの坑門を、一回り大きな乱積の石壁で取り囲んだような形をしている。
穴の小ささもあって、まるで暖炉か竈のように見えるのである。

しかも、これが本当に旧磯浜隧道にまで続いているとしたら、あくまで海岸沿いに掘られていた旧石部隧道の横坑より、遙かに長いはずだ。



 現在地を、出来るだけ正確に地形図へ落とし込んでみた。
それから、旧磯浜隧道に向けて垂線(最短距離になるから)を引いてみた(左の図)。
おそらく、この垂線の長さは横坑の長さに近いはずだ。
そして計ってみると、約300mもある。

 こんな…

“口を開けているだけで奇跡的”みたいな顔をして、しかも実は結構奥行きがあるとかって……

 なんて恐ろしい子!




 しかし内部は気になるわけで。

隙間から内部を覗き見てしまうのも、当然なわけで…。

そして、首から先を突っ込んでしまえば、嗚呼ッ ダメだ。  …惹かれる。

理性さえ取っ払えば(?!)、この隙間は人が入れてしまうッッ……。


 ああッ! 楽し怖し!!

 まさにオブローダー病理(←冥利だろ?)に尽きる興奮事!
なんてったって、終わったものとして一旦は片付けた、そして世間的にも完全に片付けられていると思われた、旧磯浜。
このヤローが遂に私の執着ノックにノックダウン。その開かずの扉を…開けようとしているのだから!

 中! 逝っちゃえ!!!




15:19

 時計を見れば、坑口を発見してからまだ1分しか経ってない。
それって、ノー葛藤で突撃したように見えるかも知れないが、いやいや、内部侵入への心のハードルは低くなかった。
これまで3つの横坑にしたって、あとの二つはただ事では無い怪しさだったのだし、もしあんな穴が奥深かったら発狂する。
特に、匍匐前進はつらいんょ。

 で、隙間から身をねじ込んで最初に見たのは、奥深く続く煉瓦の内壁。
そして、洞床を満たす水面!


 あー…。



 どうも、坑口を塞ぐ土砂の量や質を見るに、人為的に埋め戻そうとしたものと見える。
それが、長い年月の間に少しずつ崩れて再び開口したのではないか。

 そんな状況なのだから、洞内の水捌けは最悪で、溜まりに溜まっている。
成分は100パーセント地下水と雨水なのだろうが、落ち葉が結構浮いているせいか、あまり綺麗な水には見えない。
しかも、深そうだ。
背丈よりも深いことは考えられないが、それでも腰くらいまでは有りそう。 おそらく、最初が一番深いんだと思うけれど…。

 でも、この穴の奥を見届ける事は、ここまで見つけてしまった私の責務のような気さえする。
そもそも、ここで引き返したとあっては、自分はレポートなどする気になるだろうか。今日これまでの探索さえ没にしたくなるのではないか。




 行った。

 水際は瓦礫が山積みされている感じで、ここから入水するときには何処までも落ちていくような不気味な感触があった。
実際には、ある程度沈めば身体は止まるのだが、身体を固定するものが無い水際でのこの一瞬は嫌なものだ。

 しかも、初めの一歩の段階で既に水線は膝まで来てしまい、ダメ元とたくし上げたズボンは早くも浸水してしまった。
なお、靴は普通のトレッキング靴だったので、最初から諦めていた。
…替えの靴なんて、クルマに戻らなきゃ無いのにね…。風邪ひいても知らんぜ。




 おぅ! 思ったよりも深いぞ。

最初の4,5歩め位までは、歩を進める度にグイグイ深くなるので堪らない。
あっという間に股間寸前まで浸水。
しかも、このあともう少し深くなって、結局臍まで濡らしてしまった。

 もっとも、ここまで来たらむしろ怖いものなんて何もないのだ。
ようやく足裏の感触は洞床の石に当たっていると思われ、横坑の性格を考えれば、このあとでもっと深くなることはおそらくないだろう。
前進有るのみ!




 さながら、潜穴(農業用地下水路のこと)のようだ。

入口から10mも行かないあいだに煉瓦の巻立ては呆気なく終わり、そのまま素堀になっていた。
この辺りの水深が最も深くて、だいたい1mほどである。
いまはまださほど寒さを感じないが、あとのことを考えるとこの“濡れ”は、かなりやばい気もするが(着替えもクルマにしかない)。
でも、そんなことを入水する前にウダウダ考えないのが、私の(いい/悪い)ところだ。




 洞床には泥がそれなりに堆積していて、一度歩くと背後は泥の色に染まる。
そんな洞床には溝のような凹凸や、まさか枕木なのか何なのか、おそらく木製の沈下物が多数ある。
等間隔でもないので、思わずつまずいたりして歩きづらいことこの上ない。
転倒すれば、カメラがただでは済まない。 終わりだ。

 注目は、天井の白い模様。
等高線型に白い模様が付いており、最も水位の高いときには、天井付近の僅か数センチを除いて冠水していたようである。(この最高水位は、現在の坑口の開口部よりも高位であり、かつては坑口が完全に埋もれていた事を暗示する。)
現状では坑口からの排水は全く無いと思うので、単純に雨で増え日照りで減る繰り返しなのだろう。

 いま探索中に急に水かさが増すことは有り得ないはずだが、天井際の水線を想像するとそれだけで息苦しい。
そんな事を想像しなくても、既に十分に息苦しいという噂もある。



 期待したとおり、進むにつれて水深は下がり始めた。
現在、坑口からは30mほどの地点。
振り返れば、小さく光が見えている状況。

 そういえば、これだけ狭くて湿気に充ちているのに、霧は全然出ていない。
本当に微かだが、風が吹いているようにも感じられる。

 まさか、風があるということは…。
アレを期待しても良いのか?
いやしかし、“話”と違うような……。




 しかしどちらにせよ、決着を見届けるためにはまだしばらくのあいだ、この狭い水穴を前進せねばならないだろう。