主要地方道 米沢南陽白鷹線  大峠  其の3 
公開日 2005.10.1

 
 山形県道3号線の約5.2kmの不通区間は、白鷹町・長井市・南陽市が接する大峠の前後に集中している。
そのうち、約4kmの不通指定を受けているのは白鷹町杉沢・長井市大石間である。

 私は、麓まで車で、不通の標識から先はお馴染みのMTB「ルーキー号」で突破を試みた。
しかし、道は期待以上の隘路となっており、しかも雨と夕暮れが同時に私の進路を曇らせた。

 不通区間第一の中継地である「置賜東部林道」交差点まで辿り着いた私は、引き返すかどうか悩んだ末、
「もうすこしだけ」 という、自分に甘いんだか厳しいんだか分からない条件付きで、さらに進むことを決意してしまった。
いつもこのパターンで痛い目見てるじゃんか〜。



 県道はさらに怪しく…
 2005.9.24 16:55

3−1 怪しみつつも引き返せず

16:55

 4kmにも及ぶの一連の不通区間の最初の経由地であり、過酷な道行きで足と心を休めることが許される、アスファルトの林道。
しかし、わたしは休む時間を惜しむように、二つめの区間へと、進入してしまった。
地図上では、行政界である大峠までは、もう900mほどに過ぎない。
せめて、そこまで到達してから今日の探索を終えたいという意向があった。
そうすれば、明日は余裕を持って反対側(南陽市側)から探索を行えるというものだ。



 さてさて始まった第二区間。
まずは、僅かだがしっかりと轍が残る下り坂が続く。
この調子なら、大峠へは問題なく行けるのかもしれない。
ただ、峠に向かっていくはずの道が、淡々と下っているのは、どういう事なのか。
そこに一抹以上の不安が…。
 

 やはり、甘い話はないようで、林道から100m〜200mほど進むと、突如轍は薄れ、代わりに土の軟らかい道になった。
これはもう、長い間車が通っていない感じだ。
沢地の底に水面は見えず、周囲は猛烈なススキの原野となっている。
このタイヤが深く地面にめり込む道を、をぐねぐねと蛇行しつつ突破すると、沢に対し今度は左側に道が移った。
上り直すかと思えば、さらに下っていくし。



 一旦沢から離れ、陰気臭い杉林の中を勾配を強めつつ下る。
一応は古い轍の気配があるが、雨の度に道が水路と化しているのか、拳大の石がごろごろと露出した、まるで石のジャガイモ畑のような道。
こういう道を、林道ファンの間では「ガレている」という。

とてもじゃないが、この道を帰りに上り直すのは嫌だと思った。


 ガレているだけではなく、土の部分には洗削によって生じたもの凄い溝が何本も走っている。
幅は10cmほどでも、深さは30cmは余裕である。亀裂のように奥が見えないものもある。
しかも質が悪いことに、路面の薄い草付きに溝が隠され、チャリに跨って下っている姿勢からは全然溝が見えない。
実は、前回紹介したムービーでの転倒も、これと同じような溝に嵌った為だった。

 時間がないのでどんどん先へ進みたいが、再び濡れた大地に放り出されるのは嫌なので、ここは最大限慎重に越えた。
 
17:02

 300m、400m…。

進んでも進んでも、なおガレガレの道は殆ど直線で下っていく。

地形図を忘れてきてしまい、事前に細かな等高線が確認できなかったせいもあるが、まさか峠直前となってこれだけ下るとは思わなかった。
途中一切分岐などはなく、道は間違っていないだろうが、どこまで下ってしまうのか不安になってくると同時に、この分だと峠まで残りの距離ではどうやっても登り切れないように思えてきた。
地図が正しければ、もう峠まで300mくらいしかないはずだが、その高低差は100m以上もあるはず。




 そこまでは一応ジムニークラスなら何とか通れそうな道だったのだが、決定的な決壊が現れた。
先ほど一度渡った沢が再び現れ、今度は道を大胆にえぐり取っている。
決壊地の底には細いヒューム管が露出しているが、この管では捌ききれないほどの大出水があったのか。

 この決壊は、幅3m深さ1mほどで、チャリならば担いで越えられようが、他の交通手段は完全に途絶する。
(なんて書くと、また某廃道系バイク集団を刺激してしまいそうだが…)

 ともかく、深くは帰りのことも考えず、ここを突破。
 
17:04

 午後5時4分。
ほぼ下りのみで構成された、"第二セクション"(また某バイク集団のような言い回しだ…)800mは、この上なく頼りないロープゲートによって終了となる。

ここで出会うのは、一応地図にも記載されている道で、林道森ヶ沢線。
この区間が全て下りだというのは予想外だったが、こんな事は地形図を確認していれば予想できていた筈。


3−2 いよいよ大峠へ上りだが…

17:05

 大峠まで、のこり300m。
高低差は、100m。
ちょっと、まともな道があるとは思えない。

 しかし、ここまでの状況を考えると、確かに車が通ることは出来ないだろうが、何とか道として存在していた。
この先についても、通れないこともないのではないだろうかという気がする。

さあ、攻略なるか?!


 まずは落ち着いて、今いる場所の把握をつとめる。
写真は、いま来た道を振り返って撮影している。

県道史上最低レベルの手抜きゲート&通行止め告知板である。
まあ、誰も見ないという腹なのだろう。
ふつう、県道だと思う人はいないだろうしな。

 実は、私はこの時10万分の一の道路地図帳しか持っていなかった。
そのことが、現在地の把握さえ容易でなくならしめていた。
細かな等高線や道が描かれていないため、思いがけず下りが続いたという展開によって、現在地に自信が無くなってしまったのだ。
そして、この小さな綻びが、悔しい撤収の原因となるのだ。

 
17:07


 しっかりと轍のある森ヶ沢林道を、上流へと向かう。
なお、この道を下っていっても結局は置賜東部林道にぶつかることになる。

 林道を100mほど沢伝いに登ると突然視界が明るくなり、前方には広大な伐採地の禿げ山が広がった。

私はこの景色を見たとき、もの凄く嫌な予感がした。

少なくとも、「峠が見えた!」というようなよろこびは全く感じなかった。




 それまでヒョロヒョロと行くあてもないように森の中を辿ってきた県道が、突然明らかにそれと分かる稜線目がけて上りだす。

ともすれば、喜ぶべきところかもしれない。

しかし、私は、これは道間違いなような気がしてならなかった。
いや、森ヶ沢林道にぶつかったところまでは間違いなく正しいと思う。
でも、この上り方、この道、明らかに、造林作業道にしか見えないのである。
それまでの、古い道が改良もされずに取り残されてきたという姿とは、余りにもかけ離れている。

 そしてもう一つの恐れは、このような大伐採によって、古い道の姿、本来の県道となるべき道が、蹂躙され消失してしまったのではないかということだ。



17:18


 凄まじい上りを、汗を吹き出しながら脇目も振らずに登り切った。
息が切れて目眩がしたが、もはやいつ夜を迎えてもおかしくない時刻、そして雨だった。
帰り道のことも考えれば、こんな場所に今いて良いはずがないのだった。

 私は、なんとかその道を上り詰めたが、そこにあった景色は、嫌な予感の的中だった。

小さな土の広場を最後に、稜線直下まで続いた道は突如完全に消失している。
振り返ると、今登ってきた広大な伐採地が一望され、さらに遠くにはこれまで見えなかった山並みが雨雲に煙っている。
さらに言えば、距離的に大峠を超越するだけ登ってきた気がする。

 結論、道間違え。

帰宅後地形図を確認した私は、それを確信した。

悔しいが、地形図を持たなかったことが直接の失敗要因だった。





 では、どこが正解だったのだろう。

それは、ただ一カ所に絞られている。

現場でも、少し怪しいと思い、一応写真を撮っていたのだ(左の写真)。

この奥こそが、正真正銘の大峠ではないだろうか…。

もしここが正解なら、伐採地には辛うじてはずれている。


 こうして、私は失意にくれつつも明日の朝の再探索に望みを繋いで、再び薄暗い森に戻った。



17:40


 来た道を戻ればいいものを、あのガレた道を上り直すのが嫌で、林道を経由し遠回りして戻った。
お陰で、あの庚申碑の峠に戻ったときには、既に完全に夜だった。
しとしとと雨の落ちる峠道。

 何が出てもおかしくない気がしたが、やはり何も出やしないのは、ここが現実だからなのか。
それとも、私が信心深くないせいなのか。

 だた、非現実的なことは起こらなかったものの、この下りでもまた、転倒してしまった。
しかも、その勢いで谷まで滑り落ちたのだが、幸い怪我はなかった。
夜道での無灯火運転はやっぱり危険だった。

17時49分、車へ戻り、この日の探索を終了した。








      以下、次回。








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