ルートレポート 国道105号線旧道 比立内
2002.10.16


 比立内バイパスは、1982年に供用された。
北側は比立内集落内の幅員の拡大が、南側では阿仁川の支流比立内川を渡り、大覚野峠の登りに続く部分の線形改良が成されている。
その延長は2000m足らず。
しかし、長大橋ありトンネルありの変化に飛んだバイパスである。
区間の旧道の大部分は、集落道として活用されているが、一部は破棄されている。

 この破棄された部分を中心に、今回走行したのが、以下のレポートである。

<地図を表示する>

秋田県 阿仁町比立内 比立内駅付近
2002.10.10 14:02
 ここにきて、朝から降り続いた雨がやっと小康状態になった。
空を覆っていた雲の色が幾分白くなり、その所々には切れ目と薄水色の空が見えるまでになっていた。
やっと、天気予報の言っていた「午後から晴れ」が来たのだと思った。
「おそすぎるよ…」
そう、天を恨んだが、しかしまだ時刻は遅くはない。
急に、開放的になって、気持ちが大きくなった。
土砂降りの中、早くたどり着きたいと何度も願った本日の計画終点、比立内駅は目と鼻の先であった。

「なにか、もう一発。」

 この国道は、大覚野峠を越えて、はるばるJR角館駅にも至る。
しかしこれを越えていくのは、余り刺激がないと思われた上に、いずれは電車のお世話だ。
…もう、私の心は決まっていたのだった。
大覚野峠などではない、一発で私の住まう秋田市近縁まで直通する、今の私に最もお誂え向きなそんな峠道があるじゃないか。
何度でも私の挑戦を受ける、そんな度量のあるすこぶる超人的な峠。
その名は、…言うまでもないであろう。

 選択の答えは、決まっていた。
が、
今だから断言する。
この選択は、誤りであったのだ。
県道308号線分岐 新牛滝橋
14:16
 道の駅「阿仁」で少し休息した私は、あの林道に突入する間に、もう一つ以前から気になっていた部分の調査を思い立った。
それは、この国道105号線の比立内地区の旧道のことである。
再び国道に出ると、南へ向かう、そしてすぐに遭遇するのが、新牛滝橋である。

 新牛滝橋は、昭和59年に竣功した橋長125mの大アーチ橋である。
比立内川を一跨ぎにするこの橋には、珍しい橋上の分岐点がある。
写真は、比立内方向から大覚野峠方向を眺めた。
正面の道が国道で、先には比立内トンネルが写っている。
そして左の道が、熊牧場のある打当(うっとう)方面への道で県道308号線「河辺阿仁線」に指定されている。
新牛滝橋は、橋上の分岐点…3対6基の親柱がある奇妙な橋である。

 比立内トンネル
14:18
 新牛滝橋を越えるとすぐに、道は緩やかの登りのままに比立内トンネルに入る。
昭和57年竣功の延長315mのトンネルで、このトンネルの奥には10kmを越える峠道がただ続いていることもあり、とにかく勢いよく車が往来している。
特にトンネルから出てくる車など、長い長い直線的な大覚野峠の下りでかなり速度慣れしているのか、弾丸のようだ。怖い。
 そして、このトンネルの比立内側の坑門はかなり変わった形をしている。
この正面からのアングルではすこし分かりにくいと思うが、どうだろう。
でも、別にこんな部分で個性を出すよりも、もう少し、この、歩道の幅をどうにかしてほしい…。
ここの幅員6.5mは、現在の一般的な新設トンネルの幅7.5mに対して僅か1mの差だが、この差は全て歩道が被っている気がする。
とにかく、圧迫感受けまくりの嫌なトンネルである。
 しかしもう一つこのトンネルで気が付いたことが。
それがこの写真の、なぞの待避所? である。
奥行き1m程の謎の横穴で、こういうものは鉄道トンネルでは保線用によく見かけるが、ここは明らかに道路トンネルである。
僅か300m強のトンネルに、一体何の意味があるこのスペース?
何かを設置していたのか? 気になる。
発見困難な旧道との接点 
14:22
 比立内トンネル大覚野峠側はトンネル竣工後に増設されたらしいスノーシェードが50mほど続く。
以前から気になっていたというのは、地図上ではこの場所でトンネル竣工以前の旧道と接続しているはずなのだ…。
これまでも通行する際には気をつけてはいたのだが、まったく見つける事ができないでいた。
今回も、一旦は出口から200mほど進んでしまったが、このままでは本格的に峠に入ってしまうと思い、急ぎ引き返してきた。
一体どこに、旧道はあるのだろうか?!


 その答えが、これだ。

捜し求めていた旧道は、なんとスノーシェードの外にあった。
これでは今まで発見できなかったのも無理はない。
おもむろにチャリを担ぎ上げると、コンクリの擁壁を越えて…

いざ、旧道へ出陣!!
急な下りの旧道
14:27
 現道が比立内トンネル内にある所を、旧道はご覧のような急坂で比立内川右岸の急な山肌を下る。
路面には無数の落ち葉が散乱しており、白いガードレールはススキの中に消えていた。
舗装もひどくひび割れ、明らかに路肩側の路面が10cmくらい落ちている場所もある。
これは、明らかに廃道だ。
それを顕著に表していたのが…写真にも小さく写る、路傍の廃車である。

打当方面との分岐点
12:28
 約500mほど急な下りを勢いよく進むと、正面に一軒の民家が現れた。
そして、その少し手前には、もはや役目を終えて久しい青看が佇んでいた。
打当方面へはここを右折していたらしいが、先は現道のコンクリの基礎に阻まれ進行は不能と考えられる。
とても、奥阿仁の観光拠点の入り口とは思えない、すさまじく狭く貧相な道が分かれている。

 ここの青看はよく見ると(よく見なくても)、かなり年季が入っており、見ごたえがある。
情報のない周囲の余白部が、まさしく余白と化してしまっているが、逆に、この“老兵”が情報だけは死守しようとしているようにも見える。
なんとも、謎の多い朽ち方である。

おにぎり
14:28
 分岐の先はすぐに牛滝橋だ。
この橋の袂で、これまた役目を終えて久しい“おにぎり”を発見。
一見あまり傷みが無いように見えるが、よく見ると、やはりそれなりである。
地名標には「阿仁町長畑」とあったが、この地名、手持ちの地図では発見できなかった。
よほどローカルな地名なのだろうか?

 ここは、個人的に旧国道のおにぎり風景として、かなり印象に残った。
完全な山中の廃道とはまた違って、結構色濃く現役当時の“におい”を残している風情が気に入ったのだ。
こんなおにぎりと民家を最後に、この先長く険しい大覚野越えが始まっていたのだと思うと、ぞくぞくした。

牛滝橋
14:28
 昭和29年竣功と、阿仁川に残る橋としては最古級の一本、牛滝橋である。
このような古く狭い橋が昭和57年ごろまで現役国道として利用されていたのだと思うと、いかに阿仁の山深きかが伺える。
今では通るものもまばらになり、橋の寿命はだいぶ延命されるのではと思う。
いいことだ。
 牛滝橋からの眺め。

 左は、雨上がりだというのに透き通った比立内川の清流。
この流れの上流で、この後の数時間、私はあえぐように苦しんだのだが…。

 右は、先ほど通った新牛滝橋だ。
靄っぽくて写りが悪いが、非常に高い橋であるのがお分かりいただけよう。

 対岸からの景色。
この先が、古く阿仁鉱山と仙北とを結んだ歴史の峠大覚野である。

 現道は、渡河の起伏も最小限にとばかり、大きな橋でこの深い沢を乗り越える。
藩政時代の大覚野の峠は、近年では深く森林に埋没し、降雪期にのみその姿を現すというが、現道の峠は、山を切り開いて作られ、幾分峠の高度は下がった。
将来、ここに“地域高規格道路”という高速が通るかもしれない。
そのときには、さらに長い橋、さらに低い峠(おおかたトンネルだろうが)が生まれるのだろう。
 交通が発達し、『日本が狭くなった』とはよく言われることだが、それだけでない、
日本はどんどん、のっぺりとした、平坦な国に変わっているのだと、そう思った。
平穏への上り坂 しかしそれは、次の峠の始まり
14:30
 いくぶん道は幅広になるが、雨でしっとりとぬれた路面には、通るものの少ない証か、落ち葉がいっぱい。
この静かな上りを終えると、比立内の民家の密集する一帯に至る。
峠を越え、谷を越え、この上りを越えた先に現れる集落の灯りは、この道の現役当時、どれだけの旅人に、心地よい安堵感を与えたことであろうか。

そして、運命の分岐点
14:41
 わたしは、この写真の右の道からここに至り、そして、写真を撮るために立ったこの道を、先に進む事を選んだ。

この道の先にあるものは、三十余キロの峠道。
その峠は、秋田市民おなじみの太平山の裏を越え、河辺町に至る。
一般的に、「県都からは相当離れている印象」のある阿仁町から、一撃で県都に戻るという“大逆転”に、いま挑戦する!!

 この分岐が、悲惨な戦いの始まりであった。



              走破レポート 河北林道 につづく…

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