道路レポート  
国道106号旧線 区界峠 その3
2003.9.20



 盛岡市から30km余り、梁川に沿って東進を続けてきた国道106号線は、遂に全線中最大の難所を迎えつつあった。
その名は、区界峠。
北上山地を乗り越えるピークの標高は約750m。
そこは、北上水系と閉伊水系の分水界でもある。
 

峠へのなだらかな登り
2003.7.17 10:21


 再び現国道へと戻った。
しばらくは、旧道は現道に飲み込まれ存在しない。
素直に峠を目指す。

県都盛岡と、北三陸地方の中心都市宮古市とを結ぶ幹線国道だけあり通行量も多く、また、それに見合った立派な道となっている。
歩道こそないものの、登坂車線も適所に置かれ、無理のない勾配と線形である。
自転車でも、気持ちよく登ることができる。
また、道路だけでなく、周りの景色もすこぶる気持ちよい。
空と森とが直に接する原色の景色は、とても盛岡市内とは思えない。


区界トンネル
10:24

 旧道から合流して現道を走ること約3km。
飛鳥集落からは約6kmの道程で、北上山地の分水界をくぐる区界トンネルが現れる。
それは、おおよそ峠越えのトンネルには似つかわしくない、地被りの少ない穏やかな様相のトンネルである。
それもそのはず、旧道が越えていた本来の区界峠の海抜は751m。
現道の最高所は、トンネルの東側坑門付近で730mほどである。
殆どその標高差は無い。
しかしそれでも、峠特有の猛烈な地吹雪から冬季交通を守る為のスノーシェルター的にも重要なトンネルである。

さらに接近してみる。



 区界トンネル、1975年竣工、延長277.0m。
幅6.0m、高さ4.6mと言う規格は、現在の国道トンネルの標準からはやや見劣りするものである。
やはり歩道もなく、流線型の坑門の意匠は悪くないが、自転車での通過は余り快適とはいえない。
トンネル自体の延長は277mしかないが、東側には約300mほどの長いスノーシェルターが接続されており、全体としては短いという印象は受けない。

ひとまず引き返し、峠部分に残された旧道の探索に移ろう。



 旧道へのアプローチは、トンネル直前の栃沢橋の袂より始まる。
緩やかに右カーブを描く栃沢橋の先に見える低い稜線が区界峠である。
旧道は、道路パトロールカーが停車している部分の奥から始まる。
早速突入しよう。



区界峠旧道
10:30


 旧国道は、先ほど同様砂利道のままである。
いや、正確には砂利道以前の、ダートそのものである。
しかも、通行量は少ないようで、周囲の森と同化している。



 500mほど進むと、源流を迎えか細い源流となった栃沢(ここが梁川水系の源流でもある)を暗渠で越える。
ここはヘアピンコーナーとなっているが、カーブの外側には赤錆に覆われたガードパイプが残されていた。
現在では見ることのない、逆さU字型のガードパイプである。
背丈よりも大きく成長した木々の1m以上も遠くにそれはあり、かつての道幅の広かったこと、そして、ここがかつては国道であったことを、今に伝えている。


そして… 行き止まる
10:32


 さらに200mほど進むと、突如、道路の左に寄り添うように2条のレールが現れる。
これは、JR山田線の鉄路である。
山田線は、やはり国道106号線と同じく盛岡市に始まり、概ね国道に並走して宮古市に至り、そこから先さらに太平洋岸を釜石まで南下するローカル線である。
その中でも、盛岡からこの区界峠までは国道とは離れ、殆ど無人の山中を蛇行しつつ高度を稼いでいる。
標高700mを越える高所を通る鉄道は、東北地方では珍しく、唯一かもしれない。



 そして、困ったことに、旧国道の轍はここで完全に途切れる。
線路脇のネットに沿う様に、人一人が歩けるだけの踏み跡はあるものの、これはどうも保線用のものらしく、旧国道ではない。
古い地図によれば、峠に至るにはこの辺りで線路を跨ぐ必要があるのであるが、全く踏み切りの痕跡は無い。
その上、強引に渡るには渡れるが、線路の反対側には高さ2mほどのコンクリの擁壁があって、その先には進めない。
一体、踏み切りはどこにあったのだろうか?



 ちょうどそのとき、峠の方から重いディーゼルの響きが迫ってきた。
一旦線路から距離を置いて見守る私。
そこへ滑るように下ってきたのは、宮古発の普通列車であった。
僅か2両の列車は、あっという間に通り過ぎ、森の中へと消えていった。

さて、どうしたものか…。



 保線用と思しき踏み跡も、そう長くは続いていなかった。
100mも進むと、乱暴に下草を刈られたままの広場に出、その先は全く道は無い。
線路の反対側にも、沈黙する壁が続くのみだ。



 いつの間にか背後に迫っていた崖下を見ると、そこには現国道の栃沢橋が見えていた。
となると、丁度足元に区界トンネルがあることになる。
まるで呼吸しているかのように、足元の穴から次々と車が出入りしている。

 残念ながら、この先の旧国道はどうしても見つけられなかった。
そこで、不本意ではあるが、一旦現国道に戻り、峠の反対側からアプローチを試みることにする。
戻ろう。


区界トンネルを越え
10:43


 区界トンネルを越える。
内部の様子は、特に変わったところは無い。
歩道が狭く、快適ではないが。



 トンネルと、そこに繋がった長いスノーシェルターを潜り抜け、いよいよ閉伊郡川井村に入った。
ここが現国道の最高所である。
そして、長い長い70kmにも及ぶ閉伊川沿いの下りの始まりでもある。




 トンネル内は盛岡側から来ると、ずっと登りである。
区界トンネルは、峠越えというよりかは、峠に至る最後の登りそのものである。

また、峠の景色は、予想外のものである。
緑の樹海を抜けてたどり着いた峠には…、
なんと。




 なんと、コンビニがあった。

コンビニだけでない。
そこには、駅(道の駅もある)があり、郵便局があり、集落があった。
川井村に入って最初の集落は、峠の頂上そのものであった。
それに、地形的にも全然印象が違う。
ここは、区界高原。
手の届きそうなすぐ傍に、残丘の様な兜明神岳が聳え、それを取り囲むように広大な放牧地が広がる。

旧道の入り口
10:46


 そして、区界駅の向かいに旧峠への入り口がある。
現国道から緩やかに傾斜を付けて登って行くのが、旧国道である。
舗装されており、幅の広さが国道らしい感じもする。
しかし、それも長くは続かず…。



 左に目を遣ると、切り通しの底に現国道のスノーシェルターが大蛇のようにうねっている。
その内側からは、国道を通う車の騒音がくぐもって聞こえてくる。
そして、ちょうどこの辺りが旧国道の最高所である。
であるから、区界峠というのは、ここを指すのだろうか?
しかし、それらしいオブジェは何もない。




 そして、旧道は二手に分岐する。
右の道は舗装されているが、牧場へと伸びていく。
そして、左の未舗装というか、芝に覆われたような細道が旧国道である。
ここからは、切り通しに沿うようにして徐々に下っている。
不釣合いに頑丈そうなガードレールが、旧国道の証か。


そして山田線にぶつかり…
10:51


 緩やかに下っていく細道。
そこにはかすかに轍が残っている。
脇のスノーシェルターはいつの間にか消え、代わりに、山田線の鉄路が見えてきた。



 下りの果てに鉄路と同じ高さに並ぶと、そこで轍は消えてしまった。
その先は、全く持って進入不可能なブッシュであり、かつて道があったとは考えにくい。
となると、この辺りで踏み切りがあって、鉄路を渡っていたと考えるのが自然だが…。




 ご覧の通り、その痕跡は残ってはいない。
ただ、奥のほうに見える線路脇の電柱には見覚えがあり、あの辺りまでは盛岡市側から来ていたことになる。
残念ながら、旧道を一本の線として結びつけ特定する事はできなかったが、ほぼ完走といえるだろう。
これにて、区界峠の旧道探索は、一応の決着を見た。


 区界峠に残る旧道は断続的であって、一本の旧国道としてはやや物足りない。
しかし、峠全体で見ると、大陸的というかなんというか、景色のスケールの大きさや植林地の少ないナマの森林が大変に印象深い峠道といえる。
飛鳥集落の旧国道から見る景色や、森の中にいきなり現れる鉄路の妙など、見所も決して少なくない。
全体的に現道からのアプローチも短く容易であり、オススメできる旧道だといえるだろう。

さらに、区界峠だけではなく、閉伊街道としてはまだまだ多くの旧道部が、様々な形で残っているのだ。
次回は、その中でも特別に強烈な“大峠”を紹介したい。


まだ、国道106号旧線探索は終わらないのである。


大峠 その1へ

お読みいただきありがとうございます。
当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口

このレポートの最終回ないし最新回の
「この位置」に、レポートへの採点とコメント入力が出来る欄を用意しています。
あなたの評価、感想、体験談などを、ぜひ教えてください。



【トップページに戻る】