国道127号 旧道及び隧道群 明鐘岬編 第2回(2−2)

所在地 千葉県富津市・鋸南町
公開日 2007.5.19
探索日 2007.3. 6

山行が史上最長隧道 出現!

富津市竹岡地区の旧道


 2007/3/6 11:29 《現在地》

 険しさの欠片もない湊地区の旧道探索を終え、海岸線の国道を南下中。
この辺りでは、明治以降の道は仲良く重なっているようで、現道の外に特に気になる道筋は無い。
東京湾口方向の漫々たる海原を眺めながら、しばし快適なサイクリングとなった。

だが、私は既に、あの湊川を渡った時点で、難所犇めく“南房総”の地へと入っていた。

写真は、【A地点】(←リンクをクリックすると、別窓で地図を表示します。以後同様)


【B地点】

 前回最終地点から1.4kmほど進むと、北町というバス停を目印に道は二つに分かれる。
ここから、かつての竹岡村の中心地であった棚岡と竹岡の集落に入っていく。
この新旧同分岐地点は、前回も見たような景色で、現道が掘り割り、旧道はそれを巻く迂回路となっている。
しかし、今度の旧道は少し“尖って”いるぞ。



 岩場を巻くように付けられた旧道の法面は、垂直の崖になっている。
その崖の表面には、白と黒が互層になった地層が露出しており、非常に美しい。
露出した地層の表面は、明らかに自然の風化を受けており、道が通されて以来、かなりの年月のが経っていることを想像させた。
手で触れてみると、まるで紙やすりのようにざらざらで、簡単に加工できそうだった。
これは、竹岡南部の鋸山周辺が最大の産地である「房州石」である。

 


 この短い旧道の全景を、振り返って撮影。

旧道の小さな切り通しは、まるで緑のトンネルのようである。
それに比べて、現道のなんと面白みのない景色。
もっとも、ここに現道が無い景色はもはや想像できかねるのだが。
古い地形図を見ると、昭和20年代後半には既に現道が開通していたようである。



【C地点】

 一旦現道に合流するが、すぐに旧道は左に分かれる。
今度もまた短い旧道区間であり、カーブ一つ分に過ぎない。
房州石を丁寧に積み上げた石垣の雰囲気は良いが、かなり舗装が荒れており、中途半端に道幅があったのが良くなかったのか駐車スペース化している。



【D地点】

 現道に合し、極めて歩道の狭い現道を進む。
その両側はぎっしりと民家が建ち並んでおり、ギリギリ2車線幅の道はそう簡単に拡幅できそうもない。
既に棚岡から竹岡地区へ入っている。
街中で県道91号を左に分かち、なお進むと白狐川を渡るご覧の橋、千歳橋が現れる。
旧道はこの橋から斜め左方向へ分かれたようだが、旧橋の姿は既に無く、橋の向こうからの始まりとなる。

 そしていよいよ、隧道てんこもり地帯へと進んでいく。




 城山隧道の旧道 


 11:54【E地点】

 竹岡から次の谷坪地区へと進む。
千歳橋の南袂で分かれた旧道は、現道と並行しつつもやや南に離れ始める。
進むにつれ民家もまばらになり、代わりに畑が目立つようになってきた。
写真には、前方を遮るように低い尾根が写っているが、ここをこれから隧道で突破することになる。
そこにあるのは、山行が史上最長を誇る隧道である。




 この途中の路傍に、思わず目を疑うような、不思議な形をした巨石があった。
まるで古墳の石舞台ほどもある巨石の内側がくり貫かれ、巖屋を成している。
ただくり貫かれているのではなく、まるでだまし絵のような、立体感に訴えかけてくる不思議な形状だ。
辺りには特に何の看板や案内もなく、余計に不思議である。
あなたは、この石の形状を上手く表現する言葉を見つけただろうか?



【F地点】

 パァーーーーン!

とは言わなかったが、目の前を勢いよく横切っていく特急列車。スッゲ迫力!
ここには以前は踏切があったはずなのだが、現在は何もなくなっている。
左右の安全を確認してさらっと渡る。



 渡るとそこには砂利道がある。
昭和18年以前には、この道こそ現在の国道に相当する重要路線であった筈だが、踏切さえ消滅してしまった姿からは、俄に信じがたい。



【G地点】

 周囲には畑や田んぼもあり、僅かに車も通じているようだが、主要道路とは思えぬ寂しい道。
いよいよ城山越えが近づき、素直に登りが始まる。
現道とは線路を挟み大体200mほど離れている。

狭くて急な登りを進むと、意外にも舗装が復活した。
峠に向かって道が悪くなることはあれど、珍しい。
さらには、向かって左の森の中に、なにやらラブホテルっぽい看板が見えてきて……。

おいおい、テンションが下がるな。コレ。




【I 地点】

 ナニコレー?!

なんだか分からんが、妙な場所に来たぞ!

隧道が現れるだろう事は織り込み済みであった。
なんといっても、ここにある旧城山隧道ときたら、現行版の地形図にも、前後の道は点線ながら、ちゃんと記載されている。
だが、それはもちろん一つである。
写真左奥の暗がりには、いかにも隧道に続いていそうな掘り割りが見えており、もしそれだけならば「アッタネー」で終わっただろう。


 だが…

なんだ? このチャリの右の暗がりは…


 これぞ房総クオリティ?! 


 11:48 【H地点】

 うわ。 穴だよ…

 何でこんなとこに…?

旧道の路面より明らかに低い場所に、小さな横穴が開いていた。
しかし、コレは何だ?
当然地図には記載がない。
チャリを停め、ライトを手にして入ってみる。





 ぼよよ〜ん。

なんだこの、間の抜けた穴は…。

ず、隧道なのか?

まるで、アニメの「ドラえもん」で、タイプスリップする場面の背景…。
或いはバウムクーヘンの中に穴を開けたらこんな模様が見えるだろうか。
勾配があるのか無いのか、写真からは全然掴めないと思うが、実際は全くの平坦である。



 全長は15mほど。狭い部分で高さ1.5m、幅2m程度である。
大人が立って歩くのは厳しい。

中央出口寄りには、写真のような広くなったスペースがあり、ここは3m四方程度ある。

意味が分からん!



 だが、さらに意味が分からないのは、外に出た後だった。


 出口は特に狭くて、ここだけは高さ1mくらいしかない。
本来はもう少し高かったようだが、大分埋まってきている。


 あ、 あれ?

道、無いぞ。
外へ出ようとしても、そこに道がない。

 なんだこりゃ??




 外へ出たはいいが、どこへ行くことも出来やしない。
そこには、深い掘り割りが横たわっていて、底には単線の線路がある。
JR内房線の線路と、すぐ隣に口を開けているのは、(鉄道の)灯籠坂隧道だ。

 不思議な隧道である。
或いは、ここに線路が出来る前までは、この隧道は普通に道に通じていた?



 謎の小隧道、その坑口より木更津方向を臨む。
列車が来ればなかなかのビューポイントに化けそうである。

それにしても、ここに線路が初めて通ったのは、大正5年という大昔のことである。
もしこの隧道がそれ以前の道のものだとしたら、明治隧道そのものという可能性もある。
辺りに人影もなく、問い合わせることが出来なかったのが心残りだ…。

 とりあえず、戻ろう。




 チャリの元へ戻る。
そして、10mほど進むと十字路になっている。
正面には旧城山隧道(正式名称は不明)が館山方面谷坪へと続いている。
右の道にも地図にはない隧道が見られる。方向的には現道と繋がっているのだろう。
そして、左は「アルプス」。

 隧道好きが思わずゲボを吐きそうな、強烈な立地である。

…キタナくてごめん……
ちょっと気持ち悪くなったもので…



 本題は真っ正面の旧城山隧道なのだろうが、まずはその前に、ここへ来るまでその存在を予期しなかった右折先の隧道へ行ってみる。
これまた短い隧道であるが、ちゃんと舗装されており、現道と「アルプス」や畑を結ぶ大切な通路なのであろう。
ちなみにこのトンネル…



 驚くくらいの「かまぼこ型」である。
いや、断面は普通の扁楕円なんだけど、縦断勾配が物凄い拝み勾配になっている。
古い踏切とか、或いは錦帯橋みたいな、そんな形。
この異様な断面の理由は… 察しの良い方ならばもうお分かりの通りで…



 そう。

鉄道トンネルのすぐ上を、道路トンネルが乗り越しているのである。

つまりは、両者トンネルによる立体交差である。
両者トンネルによる立体交差自体は珍しくもないが、ここまで両者が近いというのは…。そしてその為に、上を跨ぐ道路トンネルが“かまぼこ”形になっているというのは、極めてレアなケースだ。



 そして、この隧道の存在により、最初に遭遇した“謎の隧道”が、この道の旧道であったという公算は一気に高まった。
両者は良く並行している。
これらの隧道の詳しい位置関係は、右の図を参照して欲しい。

 なお、ここまでの二本の隧道は名称が全く不明である。
便宜的に名付けるとすれば、近接する鉄道トンネル名に肖って、大きい方を「灯籠坂隧道上隧道」、小さい方を「灯籠坂隧道前隧道」とする。 って滅茶苦茶だな。



【I 地点】

 「灯籠坂隧道上隧道」(笑)を抜けると、案の定現国道に突き当たった。
その入り口を振り返ると、写真左の通り。この白い鳥居みたいなものは「アルプス」のアーチではなく、「灯籠坂大師」のものだ。
上の地図の通り、旧道の城山トンネルの向こうには灯籠坂大師というお寺がある。

「さっきはごめん。まるでラブホに行くための隧道みたいな言い方しちゃって…。
もっと真面目なお役目があったんだね、灯籠坂隧道上隧道。」



 ここまで来たので、ついでに現道の城山隧道を紹介しよう。
見ての通り、かなり“美白”してます。
あまりに狭いため、隣に専用の歩道トンネルが掘られている有様。



 これでは、昭和18年に軍事国道用として産み落とされた当時より、決して幅に余裕は無かったろう。
時局的に、少しでも工期を短縮せんと断面をケチった可能性がある。
その断面形も、力学的に優位な円からは大きく離れ、むしろ矩形に近い。
これにしても、少ない土工量で最大限の有効断面を得たいという思いからだろうが、かなり無理だぞこの形は(笑)。
房総の地質の優良さ(安定性)が窺い知れる形だ。





 ボロボロも良いところ。
なんだか見ていて気の毒になるほどくたびれた、城山隧道の内部。
これで全長は131mあり、こんな長さでもこの国道の中では3番目に長い。

 右上の写真は、館山側の坑口。
詰まってる〜〜!! バスも隧道も、待っているみんなも苦しそうだ…。


 山行が史上 最長 の隧道 


 11:58【H地点】

 「かまぼこ」を通って、隧道に囲まれた交差点に戻ってきた。
想像していたよりも遙かにこの場所で楽しませて貰ったが、後は本当の旧道の城山隧道をくぐって、先へ進むだけである。


 それでは、この奥へ……。










長い。


これは… 山行が史上

最長だな。


天井までの高さがな。




 遂に現れた、知る人ぞ知る国道127号随一の異形隧道!!

 次回は、このてっぺんに登頂?!