国道156号旧道 福島歩危 第4回

公開日 2010. 9. 15
探索日 2009.11.22


ここからが、本来予定していた探索である。
平成5年に開通した、福島保木トンネルに対応する旧道だ。

そしてこの旧道は、最新の地形図にもはっきりと描かれており、たいへん分かり易い。
地図上でそれぞれの距離を測定すると、現道が約1200mのところ、旧道は1500mほどである。
さほど短縮効果のない現道であるが、もちろん、それが何十億も掛けて作られたのには理由がある。

…まあ、勘の鋭い人ならば、地図を見ただけで十分分かると思う。

この延々と連なる、道を覆うモノの存在で。





地形図の新旧(昭和42年版)比較。

初回の内容の再確認となるが、
ここは、
“飛騨随一の難路”と恐れられていた、福島歩
その頭上数十メートルの高みに作られた道路なのである。

右図は新旧地形図を重ねてルートの変遷を示したが、誤差が大きく、流芯と縮尺の2つを合わせることで妥協している。
ともかく、湖底に沈んだ「白川街道」と現在地上にある旧道および現国道との比高が相当にあることと、街道がかなり谷底(湖底)に近いところを通っていたことが分かると思う。

ところで、今回この旧道に赴くにあたって、ぜひ調べたいと思っていた事がある。
それは、『道路トンネル大鑑』巻末のリスト(所謂「隧道リスト」)と、歴代の地形図に見られるトンネルの数および長さの不一致の問題である。




右図は隧道リストの一部で、黄枠内が今回紹介する旧道内にあるとされる隧道たちだ。
福島歩危一号から五号まで、5本のトンネルが示されている。

だが、上の地形図も市販の地図帳もみなそうだが、トンネルは3本しか描かれていない。

この誤差はどこから生じるのか。
資料が間違っているのか、それとも地図には描かれなかったような旧道が、(ここにも)存在しているというのだろうか。


…前から気になっていた。





色褪せた…カラフル洞門群


2009/11/22 13:43 《現在地》

帰って参りました、福島保木トンネル北口の新旧道分岐地点。

ここは、なんというか、カオスな感じになっている。

かなり広い範囲にアスファルトが敷かれていて、その中央を現国道がうねるように横断している。残りはかつて道だった部分で、幾度かの小規模な付け替え(トンネル工事中の仮道も含まれる)があったことを教えてくれる。

そんな状況なのだが、現状は向かって左のガードレール切れ間から、旧道へと入ることが出来る。
入口が分かりにくいというだけで、特に封鎖もされていなければ、通行止めなどの表示もない。




旧道に入るなり、すぐにスノーシェッドが始まった。
坑門に扁額は無く、特に代わり映えもしないので写真を省略したが、内部も至って平凡なコンクリート製スノーシェッドである。

最新の地形図によれば、1本目のトンネルの記号が現れる地点までこのまま800m近くも覆道が続くことになっている。
というか、この旧道で空を覆われていない場所は、最初と最後にしかないことになっている。

なんだか、ちょっとだけがっかりな予感が…。
封鎖されていないと言うことは、廃道ではないのだろうし、初回に見たような狭いトンネルはまた現れるだろうけど、それ以外はスノーシェッドだけで、意外に平凡なまま終わるんじゃ……。




いやいや。
そう平凡には終わらなそうだ。

見てくれ!

このカラフルなシェッドのサンドイッチを!

長い長い覆道も一度で全部建設されたのではなく、優先順位の高いところ(≒危険なところ)から、予算と相談しながら徐々に伸ばされていったのだろう。

この一目の風景の中でさえ、コンクリ→鉄(塗色:緑)→鉄(赤)→鉄(緑)→鉄(赤)というふうに3種類5本のシェッドが見えている。
それぞれのシェッドは短いが、全体として相当に長い物になっているのだ。

え? 矢印は何かって?
それは、そこへ行ってからのお楽しみ。





鉄筋コンクリートから、鉄製に変化する接続地点の様子。
最近のスノーシェッドは鉄筋コンクリート製がほとんどで、鉄が剥き出しのモノはあまり作られていない。
まあここの場合は、風合いからしても、どちらが古いかは言うまでもないと思う。


なぜかエロ本が山積していた、コンクリート部の終端。
入口からここまでの距離は、約100m。
(岐阜県内でエロ本というと、ちょっと思いつくことがあるが関係は不明→TEAM酷道「エロ本小屋」




鉄柱の塗色が緑系統であるスノーシェッドを以後簡略に「緑シェッド」と呼ぶが、最初の緑シェッドは長さ40m程度。

その中間付近に、先ほど矢印でも示した横穴があいていた。
もっとも、立入禁止と書かれているとおり、施錠されていて立ち入ることは不可能。


覗き込んでみると、そこはダムの監査廊によく似た人道隧道であった。
驚いたのは、30mほど先のおそらく直角に折れているところに、オレンジ色のかなり明るい照明が灯いていたことだ。
洞内は静寂かつ無風で、人の気配は感じられないが、常時点灯しているのだろうか。



ちょうどこの横穴のある場所の下に、御母衣第2発電所の放水路がある。
この旧道端の塞がれた横穴は、放水路隧道に接続している現役の監査廊と考えていいだろう。
オブローダーにはまだユルされない世界だ。

しばし檻の中の囚人を演じた後、立ち去る。




緑シェッドが終わると、今度は赤シェッド。長さは30mほど。

この赤いシェッドは全て鉄で出来ており、古いシェッドとしては一番よく見る形状である。
だが、緑と赤のどちらがより古いかの判断は、ちょっと難しい。
判断する材料に乏しいのだ。




そして再び緑シェッド(長さ50m程度)に。

前のもそうだが、緑のシェッドは見慣れない造りをしている。
路面が天井が並行しているのがスノーシェッドというよりは洞門的だし、天井に重そうなコンクリートが乗せられている。
そのせいで、コンクリートだけのシェッドよりも重厚な印象を受ける。
圧迫感と言い換えてもよい。

ここまで天井ばかり見てきたが、路面はよく整っている。
まだ旧道になってから15年くらいしか経っていなということより、“全天候型”の強みなのであろう。
それでも、路肩の掃除されていない落葉とか、路面全体を薄く覆う土埃とかで、旧道なのは感じるが。




対岸の観察も忘れてはいけない。

眼下に広がるのは福島谷。
対岸ほぼ目線の高さにある平場は、前回までの“謎の廃道”である。
路肩の下から滝のように流れ出ているのはおそらく、現道「福島1号トンネル」の排水だろう。




“謎の隧道” 付近を、ググッとズームで。


うん… いい味だ。




コンクリ→緑→赤→緑→赤。

ここまでは先ほど見通していた通りだけど、「赤」の先にはさらに、「コンクリ」の部分があった。

そして、「コンクリ」の先で一旦洞門は終わっていた。

地形図では、ずっと最後まで洞門が続くことになっていたが、実は途中で途切れていたのである。
騒ぐような発見ではないが、数百メートルぶりの外の明かりが嬉しかった。

どうでも良さそうだが一応まとめておくと、目測値(合計のみ地図測と摺り合わせ)で次の通り。

コンクリ(100m)→緑(40m)→赤(30m)→緑(50m)→赤(40m)→コンクリ(20m)  (合計280m) 




13:49
《現在地》

旧道入口からおおよそ300mぶりの明かり区間は、短かった。
次のシェッドの入口が、目と鼻の先に見えていた。

ではなぜここだけ明かり区間なのだろうかというと、そこには、短い橋が架かっていたのである。

橋の親柱は4本とも健在で、しかも結構大きく重厚。nagajisさんなら、マッシブとか言いそう。言わないか。言わないな。
比して銘板はとても小さく控えめなのだが、それによると「大沼谷橋」、「昭和参拾貳年拾月竣工」。

シェッドばかりが目立つ旧道の…とても目立たぬ…唯一の橋である。




また見ちゃう、対岸の廃道。

見ちゃうよねぇ。

なんか、腑に落ちない廃道だったわけだし、くり返し見ちゃう。

で、気がついたのが(前回公開した後に掲示板などでも指摘があったけど)、謎の隧道よりも岬の突端方向に向けて、なお道が続いているんじゃないかってこと。

気付いたのに、なぜ行かなかったのかはよく分からないが、これは次回以降の真摯な課題である。
すみません、完全レポじゃないです。失策。
再訪の機会をつくって、行ってみます。
(まあ、半島を回り込む辺りで道は消えている気がするが…。)




言い訳だが、この段階ではまだ“謎の隧道”の事ばかりが気になっていて、その先にちょっと道が伸びていることに、あまり着目しなかったようである。
どうせ数十メートルの回り道だろうというくらいの認識だったかも知れない。

罪滅ぼしではないが、あの隧道のある廃道に関わりのありそうな情報を、ここ数日の机上調査で掴んだ。

『ダムをつくる』(日本経済評論社)によると、御母衣ダムの原石山は福島谷にあった。(予感が的中した)
現在の福島谷の山容がめちゃくちゃ荒れているのは、爆破しまくったからだそうだ。
で、福島谷からダムサイトまでの工事用道路は、当時「高速道路」と呼ばれていた。
それは、アメリカの助言により日本のダム工事ではじめて採用された、時速50km/hで重ダンプが疾走するという道だった。

…今のところここまで。この先は電源開発の社史を紐解く予定…。




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さて、本題に戻ろう。
いま目の前にある道だ。

300m来て大沼谷橋を渡ると、すぐまたコンクリート製のスノーシェッドに入る。

って、それだけかよ。
まあ、後は写真が語ってくれるはず。
廃道ではないけれど、外見的には廃道に近い。

これでなぜ塞がれていないのか(廃道じゃないのか)が不思議だったが、その理由は今度のシェッドが教えてくれた。
この旧道にいま課せられた主要な用途というのは、交通ではなく…




保管。

今度のコンクリートスノーシェッドは、かなり長い。
緩やかなカーブの先が内壁に阻まれて見えなくなるところまで、ずっと続いている。
そして、2車線のうちの山側の一車線は、まるまる機材置き場になっていた。

これは不法投棄でも、道路から資材置き場への用途変更(廃道)でもなく、歴とした道路のまま。
道路法で定められている「道路の占有」というやつで、書式通りの【道路占用許可証】も掲示されていた。

それによると、この道の現在の正式名称は「村道福島保木線」といい、ここに置かれているものは「御母衣ダム取水口用鋼製角落しゲート」という私には何だか見当の付かないもの。それが全部で103基も置かれているらしい。




1、2、3、4… なんて数えはしない。

ぶっちゃけ「角落し」自体には興味はないのである。

本当に、どこまで行っても並べられてる…。
路面にこんなに重そうなモノを大量に並べて、大丈夫なのか。




ようやく…っても分からないと思うが、今度のシェッドに入って200mほど進んだところで、右カーブの角度が急に強まった。
と同時に、コンクリートから「赤」に切り替わった。
どう見ても「赤」はコンクリートよりも古株で、このカーブがより危険な場所と認識されていたことを思わせる。

が、基本的にシェッドや洞門というのは裏腹で、過酷な道路条件を匂わせはするが、それ自体を視界から隠してしまうところがある。
だから、距離的には現道分岐から600m…、もうそろそろ中間地点も近いというのに、さほど歩危っぷりを体感することなくここまで来てしまっている。
楽は楽だが、全く落胆が無かったと言えば、ウソになるだろう。

まあ、まだ終わったわけではない。
まだなにが現れるか分からない。




13:53 《現在地》

この赤シェッドのカーブは、一連の福島保木トンネルの旧道を前後半に分けるとしたら、ちょうど中間地点といっていいだろう。
距離的にはまだ少し前半寄りなのだが、全体として逆L字型のルートの屈折点にあたる。
今までは福島谷に面していたものが、ここからは庄川の本流に沿って北上するルートとなるのだ。

この変化が、地形や道路にはどのように現れてくるのか。
その推移を見守りながらの、後半戦スタートである。




ということで、窓外の湖面は一気に太くなった。

この対岸の奥まっているところは、そこで終わっているようにも見えるが、実際蛇行しながら奥行きがある。
六厩川である。

あの巨大廃吊橋 “六厩川橋”までは、川をさかのぼること3kmほどであるが、蛇行のため全く見通せない。
だが、湖底に沈んだ六厩川と庄川の合流地点には、六厩川を渡る大きな橋がかつてあった。
主に近世に使われたルートだが、「福島歩危」を対岸に迂回するは“冬道”があったらしい。
ただそれとて決して安楽な道ではなく、凍り付いた丸太橋の恐怖は、旅人を存分に凍り付かせたそうである。




何度も書いているとおり、この道はかつての大難所の上につくられている。

その関連だろうか。

年号の分かるものはないが…

おそらくは、旧道からの移設だろう…。






…地蔵。


……そっか。

出て来ちゃったか。

地蔵。


地蔵が出て来ちゃったと言うことは、ひょっとすると、ひょっとするな。





あうあうあう。

地蔵の直前から洞門が緑に変わっていたのは気付いていたが、こんなに近付くまで、隧道と気付かなかった。 迂闊。

隧道だ。

こっからさき、隧道!

分かっていてもやっぱり嬉しい、隧道!!





ゾクゾク来るぜ…。

出口の見えん闇。

横穴だらけの、隧道ちゃん…。

縮むどころか… いや、それは言っちゃいけないな。