国道459号 和風月名隧道及び橋梁群 前編

公開日 2006.08.05
探索日 2006.06.25

 平成12年に国道指定を受けた459号は、400番台の路線としては唯一太平洋岸と日本海岸(浪江町〜新潟市)とを繋いでいる全長260km余りの道だ。
 列島横断国道の例に漏れずその道中は険しく、幾多の山を越え谷を跨ぐ道のりとなっているのだが、この路線を辿ることの難しさはそればかりではない。
 既存の国道や県道を繋ぎ合わせ(全線合わせて10もの他国道と重複している)、国道を求める幾多の市町村の要望に応えながら路線指定を行った結果、太平洋と日本海沿岸を結んでいるという実感があまりにも湧きにくい、むしろ、「あれれ?なんで新潟と浜通りに同じ路線番号があるの?間違い?」などと思われそうな、迂遠屈曲を団子の如く列ねた継ぎ接ぎだらけの国道となってしまった。
 故に、この道を辿る難しさは、未改良区間が多く残るという物理的側面のみならず、道なりに走っているといつの間にか国道から外れ、別の道へ誘導されているなどといった部分にもある。

 人はこの路線を揶揄し『 459 = しごく = 至極(困難な) 』国道などと呼んでいる。

 今回紹介したいのは、阿賀町津川(旧津川町)から同町日出谷までの区間である。
ここは、新潟から津川までという長い長い国道49号重複区間からやっと解放され、459号独自の路線を現しはじめる最初の区間である。
 上の地図を見ていただければ分かるとおり、この区間は国道49号の迂遠区間として存在している部分で、津川から福島県境までの別線となっている。
旧来は一般県道津川日出谷線(日出谷〜県境までは「一般県道日出谷停車場宝坂線」)に指定されていた道なので、一般県道から国道への大昇格を果たした道といえる。
それでは、津川よりご覧頂こう。


迂遠国道の姿

城山隧道

 阿賀野川の河港として近代まで大変栄えた津川の町も、平成の大合併により遂に行政区名から消え、阿賀町の一部となった。
往時の栄えた姿は、旧国道49号(現主要地方道14号)沿いの長い商店街に偲ばれるようであるが、この道から分かれて国道459号線の独自区間が始まる。

 とりあえず、交差点の青看には、一人前の国道らしく行き先地名がたくさん取り付けられているが、「豊実」「日出谷」「鹿瀬」のいずれも、おなじ阿賀町内の地名であることに注目である。
いわば、国道49号の迂遠区間内に点在する沿線集落名である。

 それでは、ショボ国道大好きッ子の私が、ニヤニヤしながら右折する。



 うお。
いいね〜。ニヤニヤ。
正面のこのエセ2車線の道が国道なのだが、いいよ。
早速にして、何かやってくれそうな予感をさせる佇まいだ。



 真っ直ぐ津山の町を抜けると、阿賀野川支流の常浪川を渡る城山橋が現れる。
橋の真っ正面の屏風のような山並みは麒麟山で、狐戻城の遺構がある。
これは戦国時代に会津を支配した芦名氏の一族が、越後方面への要害として築いたもので、江戸時代に廃城となるまで、城主を度々変えながら存続したそうだ。
 国道は、川と山との要害を真っ直ぐ突っ切ろうとする。



 橋を渡ると麒麟山狐戻城城址公園の駐車場があり、国道はそのまま真っ直ぐトンネルに突っ込む。
一見したところ普通のトンネルだが、昭和20年に開通した、かなり歴史の深いものである。
近付いてみると、確かに重々しい雰囲気もある。


 全長257m、幅5.5mの城山隧道。
平凡なコンクリートポータルだが、近年の改修を経た姿なのかも知れない。
他に迂回路が無く通学路にもなっているのだが、あってないような極狭歩道への注意を促す看板が立っている。



 また、この隧道では工事中に2人の作業員が殉死したとのことで、慰霊碑が坑口脇に立っていた。
いまも手向けの品は絶えないようだ。



 狭さと、照明の配置には、古さを感じさせられるが、よく清掃もされており、それほど不快な感じはしない。
流石に街中にある現役国道の隧道だけあって、手入れはされている。
真っ直ぐ出口へ向かう。



 出たところがいきなり直角に近いカーブなのも愛嬌だ。
このあたりは麒麟山温泉で、麒麟山と阿賀野川の間の狭い部分に道は通る。
沿道には民家に混じって旅館も多く、城址公園と共に懐かしい感じの行楽地だ。



 沿道の家々が疎らになり始めると、次の鹿瀬(かのせ)地区に入る。
するとすぐに旧道と現道が三叉路で分かれたので、旧道へ行く。

 旧道沿いは時代を感じさせる家並みで、落ち着いた佇まいに心が和んだ。


鹿瀬橋


 城山隧道から2.5kmほど、旧道に入って1kmほど進むと、道は直角コーナーで右に誘導されてしまう。
青看を見ても、目的地の日出谷へ向かうには右折せねばならなさそうだが、元々の道は直進だった。
この先には、大河である阿賀野川を渡る橋が、新旧並んで架かっている。
旧道が鹿瀬橋、現道は鹿瀬大橋である。



 直進すると、突然道がもの凄く狭くなり、そのまま赤い主塔が目立つ鹿瀬橋に出会う。
鹿瀬橋は、車も通れる強靱な吊り橋であった。
だが、平成になり鹿瀬大橋が完成してからは、車止めが設置され、歩行者や自転車だけに供される、静かな橋となっている。
逆に言えば、比較的近年までこの橋が県道として、車を通していたのである。



 昭和27年に新潟県によって建造され、昭和56年に改良された旨が、トラスに取り付けられた銘板によって分かる。
資料によれば、本橋は延長172m、幅員は3.6mの鋼鉄製吊り橋で、設計活荷重は6tf自動車とされており、当初から県道用に自動車を考慮して建設された。

 なお、昭和56年の改修は、橋の自重(死荷重)を軽減するために橋桁の中を空洞にするもので、橋の下に川面が見えるという、変わった構造になった。(写真右)




 今日では径間1000mを越えるような吊り橋も建造され、超大径間橋はもはや吊り橋の独壇場であるが、この橋などは、綱と木材で拵えられた吊り橋と、近代的な大径間吊り橋との間の技術的橋渡しをする中間的な存在と言えよう。歴史的にも貴重な橋である。
取り壊されずに、歩道として存続していることは喜ばしい。



 橋を渡り、対岸の向鹿瀬地区へ入る。
地区内で現国道と速やかに合流し、いよいよ山間部へ向かう。

 

押神ダム


 向鹿瀬から一旦阿賀野川を離れ小さな峠を乗り越えると、眼前に異様な光景が広がる。
巨大な川が三つに分かれ、それぞれの背後に城塞のような水門が控えている。
そして、さらにそれらを繋ぐ長大な歩廊が山河を横切るようにして設けられている。
これは、東北電力が建造した阿賀野川最大の角神ダムおよび、第一・第二鹿瀬発電所の姿だ。



 水際の植物が全て枯れ果て険しい地山を露出させている。
そして、その岩場に直接根を下ろす、灰色のダム堤体群。背後に屹立する赤白の鉄塔の群れ!
背景の美しい山並みまでもが人為的に作られたものなのではないかと錯覚するほど、地形に対する圧倒的な干渉と挑戦、その結実した姿。
一般人が見てはならない機密の軍事工場のような雰囲気さえある。



 やべぇ! まじあちい。

 いや。
自分には別に“ダム属性”は無いと思っていたのだが、このダムはちょっと熱いな。
古来、道と治水とは表裏一体にして土木の主軸であったわけだが、構造物の熱さという点でも、道路にあるその要素が、ダムにもあるかも知れないな。

 すべての吐水ゲートが開いている姿を猛烈に見たい!



 ダムを過ぎると、角神温泉である。
ここには集落はなく純粋な温泉地であり、背後の斜面にはスキー場もある小さなリゾート地だ。
国道はその一部をかすめ、阿賀野川上流へと進む。

 そして、今回の最大の目的である隧道群が始まるのである。
出現の瞬間から、私の ドーーーーーパミン が分泌開始!!



和風月名の道

 角神ダムより先、地図にもかなりの隧道が犇めいている様子が描かれている。
これらの隧道は、かつて県道時代からあるものばかりで、国道459号線有数の難所地帯である。
この道を、私は「和風月名(わふうげつめい)の道」と呼ぶ。
その由縁は、すぐに分かる。



 キタッ!

 橋と、隧道が一直線に並んでいる景色だ。
しかも、どちらも狭そうで、一見して“アツイゾーン”の始まりを告げている。
その出会いの印象をより鮮明にしてくれたのが、「車が泣いている」可愛らしい標識だ。
どうやら大型車が頭を擦る恐れがあるようだ。
ちなみにこの道は大型車通行止めではないのだが、この標識を見たら入りたくなくなるだろうな。



 そして、現れた橋の名は……

  睦月橋

睦月(むつき)とは、旧暦の一月を示す古称である。
道路構造物に与えられた名としては、稀に見る風流。
橋自体は風流と言うよりは、剛健なのだが、この橋の名には惹かれる。

 そして、これが序幕である。



   間髪いれず現れたる隧道の名に注目。

  如月トンネル

 もう、この後の展開が読めたと思う。
今回のレポートの名前の意味も。

 そう、この県道由来の国道459号の角神〜日出谷間の12の道路構造物には、順に和風月名がふられている。
そして、それは単なる名前遊びではなく、その景色がまた道路マニアの心を移りゆく季節のように、刺激する。
ここは風雅と実用が高度に結びつき、さらに年月を経た、素晴らしい道路歴史記念物なのである。



 銘板に深く刻まれた隧道の名は、「如月隧道」。
きさらぎ、すなわち旧暦2月の古称だ。
隧道名称としてはこれ以上ないほどに美しい。
そして、その価値を特に大きくしているのは、この銘板が何よりも雄弁に語るとおり、これら隧道や橋は決して近年設けられたものではないということだ。
記録に拠れば、昭和30年代から40年にかけてこれらの橋や隧道が建造されている。
そして、その当初からこのような名前を有していた。
ともすれば、1号・2号…などとなりそうなところを、かなりの風流人が関係者にいたのだろう。




 内部も一筋縄ではいかない。
いまや国道ではかなりレアな存在となった、素堀りコンクリ吹きつけの隧道である。
こんな隧道が大量に存続しているのだ。
無論、大型車同士の離合は困難であり、滑らかな表面の隧道とは比較にならないほど薄暗い。古き良き時代(?)そのままの隧道である。



 アツイ〜!
全長113mの素堀吹きつけ隧道を抜けると、今度は白亜回廊の様相を呈する長い長いスノーシェッドが始まるのであった。
こんな山間の小路だが、阿賀野川沿いの近隣各集落にとっては唯一の道であって、冬期間もその通行は確保されねばならないのだ。
ただショボイ道ではなく、ちゃんと需要ある機能を充たした上の、むしろこれは倹約の道といった風情である。
通行量などを勘案すれば、巨大断面の近代的トンネルは要らないかも知れないが、雪に対する万全の備えは絶対なのである。



 何百メートルも続く長いスノーシェッドであるが、途中には退出路が用意されている。
緊急時用なのだろう。
特に野外に何かあるというわけでもなく、すぐ先には阿賀野川が滔々と流れている。



 キターー!

 二つ一気に来たぞッ!
3月と4月がまとめてキター!
卒業即入学!卒業即就職!色即是空!
その迅疾なる展開にモエーー!
 やよいちゅわ〜〜ん!



 全長16mという、極端に短い弥生隧道を経て、即座に次の卯月(うづき)隧道出現。
如月が昭和40年生まれ、弥生と卯月は昭和39年生まれの女の子である。
 モ モエーー!

 気がつけば、どの隧道もまともに坑門無いし、銘板もないし、スノーシェッドで全部繋がっちゃっていて目立たないからって、化粧くらいしろよな〜(笑)。



 やべーよ。
走っていて涎とまんねー。
変な汁分泌しっぱなし!
サドル濡れてきた。
3ヶ月の隧道探索を終えて、ようやく地上に戻ってきた〜。
最後だけ妙に気合いの入ったスノーシェッドだし。



 この先には、果たして何が待っているのか!!!
 つーか、なぜ現役国道でこんなにモえているのか!!