国道45号線旧道 槇木沢橋 後編

公開日 2006.02.01
探索日 2005.10.09



夢の架け橋 その夢の後

 このレポートを一度完成させてORJに公開した数ヶ月後、2006年2月に、レポート当時はまだ建設中であった「新槙木沢橋」が「思案坂大橋」の名前を与えられ、遂に開通した。これは歴代4代目の道で、橋としても4代目である。
このレポート当時はまだ、槙木沢橋はバリバリの現国道であり、ひっきりなしに車の往来があった。

 もっとも古い道は浜街道と呼ばれた藩政時代からの道で、車はもちろん、馬車さえ通れない急坂と徒渡りによるきわめて険しい街道であった。
この道は明治・大正と引き続き、この谷を越える唯一の道として使われ続けたが、新しく村に赴任してきた役人も村を前にこの谷に阻まれ、悲嘆して早々と辞職を決意して引き返したなどという話さえ生まれ、「辞職坂」とも呼ばれたという。
初めてこの谷を車が越えたのは、戦前に軍事的な目的をもって突貫工事で開通させられた2代目の道の開通によるもので、当初は一般人は通れない特別な道であったが、戦後は国道に指定されるなどして一応は地図にも記載された。しかし、前回途中までお伝えしたとおり、これまた大変に険しい道であった。
 それだけに、昭和40年に完成をみた槇木沢橋は、村にとって悲願の橋そのものであった。
橋長240mもある槙木沢橋は、高さ105mで当時日本一とさえ言われた。
 今年新しく開通した橋は、思案坂大橋と名付けられた。
これは、将来は三陸北縦貫道(地域高規格道路)の一部としての利用を予定しており、当分の間は従来の槙木沢橋も併用される。

 以下のレポートは、思案坂大橋開通前に書かれておりますので、上記説明とは一部矛盾する表記がありますが、適宜「現道」→「旧道」などと読み替えてご覧下さい。

H地点 槇木沢橋 展望台


まだ橋が見えていないにもかかわらず、橋の名前を名指しで「歩行者注意」の警告が。

 現国道の槇木沢橋は、両岸の台地上からそれぞれある程度まで掘り割りで下った先から橋に繋がっている。
ただでさえ技術的にもコスト的にも不安の大きかった長大橋であり、すこしでも橋長を短くしようと設計されたのが分かる。
現在、隣に建設中の中野バイパスは、台地上から直接対岸の台地上へと現橋より約40m長い橋で一跨ぎにしている。

 南側から槇木沢橋へ降り始めるとブラインドコーナーがいくつか連続するが、まだ橋が見えてこないうちから、写真の注意書きの標識が現れた。
そこには、 この先槇木沢橋 歩行者注意 と書かれている。
わざわざ歩行者注意とは、どういう事だろうか?
訝しく思いながら、捻り込むような下りカーブを一つ二つと進んでいく。



大型バスが数台は駐められそうな広大な駐車スペースの奥に、小さな展望台が。

 あともう一つカーブを曲がると橋というところで、カーブの外側に広い駐車スペースがある。
そしてその奥にはポツンと、小さなコンクリート製の展望台が。

 これが、槇木沢橋の開通後に田野畑村が建てた槇木沢展望台である。
開通後の槇木沢橋は観光地化し、村の内外から多くの観光客が訪れたという。
しかし、車が通る橋の上から谷底を覗く観光客が多く、事故や交通の障害となる虞がでたために、この場所に橋全体を見下ろせる展望台を設置したのだという。



ガランとした1階部分には、例によって猥褻本が散乱していた。

 
まるで非常階段のような急な螺旋階段だが、これが展望台に続く唯一の道だ。

 1階部分にも窓は沢山あったが、周囲の木々が生長してしまい外は殆ど見えず。
当然橋は全く見えなかった。

 次に一度外へ出て、急な螺旋階段で屋上に上がってみる。
おそらく当時からメインの展望台はこの屋上だったのだろうと思うが、バリアフリーが叫ばれる昨今では考えられないほどのぶ厚いバリアに、一同は時代を感じた。



屋上から微かに見えた橋だが…、じつはこれは…。(本文参照のこと)

 屋上からは辛うじて橋が見えた!

 と思いきや、これは現橋のさらに上に建設中の新槇木沢橋である。
本来この展望台が見せたかった槇木沢橋は生長してしまった緑に隠され、その一部さえ見ることはできなかった。



I地点 槇木沢橋

まず見えてきたのは建設中の新橋。そしてカーブの先に現橋が。

 展望台を離れ国道をさらに下るとやっと橋の袂が見えてきた。
そしてここにも電光掲示板タイプの警戒標識が立っている。
上には小さな黄色のパトランプまで取り付けられている。

 我々が接近しても表示に変化はなく、ただ「橋幅狭し」の4文字が鈍く光っていた。


最悪に嫌な線形の現橋取り付け部分。凍結時は絶対通りたくない。

 2橋が仲良く並ぶ槇木沢橋。
しかし、現橋の線形の悪さは特筆物で、急な下りカーブの先で急激に幅が狭まったかと思えば、そのままゴツイ親柱で道幅が6mに規定されてしまう。
以後240mの橋梁上道路は直線だが、ここに歩道はなく、歩行者が通る場合は車は対向車線にはみ出さざるを得ない。
ここが辺鄙な道ならそれでも構わないが、天下の二桁国道45号線であるから、相当に質が悪い。
私が見ている前でも大型トレーラー同士で行き違ったりしていたが、見ているこっちの心臓に悪い。
ましてこれからこの橋を渡らねばならない我々は、いっぺんで嫌な気持ちになった。

 
歩行者保護のために橋の袂には歩行者用押しボタンが。しかしその効果のほどは…?

 現橋が開通したあと、交通量が増えるにつれて歩道が無い事による危険性が指摘されるようになり、当時の田野畑村村長を中心に強力に陳情したらしいが、構造上どうしても歩道増設は無理という結論で、結局諦めた経緯があるという。
おいおい、それって設計上のミスだろと突っ込みたくなるのは私だけだろうか。

 交通弱者たる歩行者に当てつけがましく「押しボタン」などが設置されているが、これを押すと橋の上の自動車向けの信号が赤になるなどといった大それた仕掛けはなく、ただ単に、橋の手前のパトランプが「キュイン」とも言わず無音で回るだけという体たらくである。
あ、ドットにも何か表示が出るのかも知れないが、精々「歩行者注意」が関の山だろう。

 この橋はかなり危険なので、時間のある歩行者にはむしろ、旧橋がオススメです?!
とは行かないのが辛いところ。
唯一無二の橋がこれでは、痛いぞ。
(注:思案坂大橋の開通により、槙木沢橋はゆっくりと歩行できるようになっている模様です。)


これと言った転落防止策のない槇木沢橋。歩道さえない。逝きたい奴は逝けと言わんばかりだが、絶対に止めて欲しい。

 幅6mという、建設当初と全く同じ幅のまま40年以上現役を貫いている槇木沢橋。
新橋が完成した後もとりあえず廃止の予定はなく、併用されるとのこと。

 谷底から105mの高さに架かる槇木沢橋は、まさに谷を跨ぐ橋である。
その迫力は賞賛したいのだが、車が通りかかる度に橋は怪しく揺れ、腰ほどの高さしかない欄干にしがみつかなければ足元も危うい。
太平洋の荒波から遠くない谷間は常に風が吹きすさび、橋の縁を歩かざるを得ない車との行き違い時には、嫌な汗をかく。


別に特別な撮り方をしなくても、橋の上からどっちを見てもこんな写真が撮れた。

 さしずめ、空を跨ぐ橋の様相である。


 雲に煙る槇木沢渓谷の姿は山水画のようで美しいが、この橋はさっさと通り抜けるが吉だ。
谷底には、徒渡りだった「辞職坂」こと「浜街道」の道や、直前に我々が歩いたばかりの旧国道が潜んでいるわけだが、勇気を持って身を乗り出してみても、これと言った人工物は見えなかった。


ほぼ完成しつつある新橋。
現橋に輪を掛けて巨大で、高い!

二本並んだときの景観への調和を考えてデザインされたという新橋は、芸術品のように美しい。

 現橋(写真左)はランガー桁で、新橋(写真右)はローゼ桁という風に形式は微妙に異なるが、どちらもアーチ橋の一種でよく似ている。
この2種類の形式の違いは、アーチと補剛桁(水平の桁…車道部分)のそれぞれにどんな力が加わるかという、力学的な違いであり、ランガーでは補剛桁がゴツくなり、ローゼではどちらも同じくらいゴツいという見た目上の特徴に結びついている。


橋の袂には交通安全碑が立っている。橋の誕生目前に悲しい出来事があった。

 橋を渡りきった袂には現橋を見下ろすように綺麗な交通安全碑が立っている。

 昭和38年8月7日12時25分頃、早大生3人が乗るライトバンが取り付け道路から架橋前の谷間へと転落し、2人が亡くなった。
この事故を悼んで立てられたのが、この石碑である。



 この先、現道と建設中の新道が立体交差で交わり合いながら、500mほど北で一つに合流している。
そこは芦沢地区で、旧国道の北側入口から近い。



 さて、後編では、旧道の槇木沢橋の真相にいよいよ、迫る!


F地点 旧 槇木沢橋

戦中に建設されたが、戦中戦後とおして多くは利用されなかった旧道。

 初代槇木沢橋は、もはや目前に迫っていた。
頭のてっぺんがむず痒くなるような片洞門を潜り抜け、道を失った暗渠を越え、さながら古道の趣の道をしつこいほど下る。
とてもじゃないが、ここが国道であったとは信じられない。ありきたりな感想だが。

 少し前に、やっと眼下に見えたばかりの川面はみるみる近づいてきて、清流の音が谷の空気を揺らしている。
いよいよ橋との対面を予感し、緊張感に拳を握りしめる。

 次のカーブを曲がれば、きっと谷を正面にして向き直るのだろう。



木橋だった槇木沢橋は、残念ながら既に落橋していた。

 目に飛び込んできたのは、谷に散乱した大量の材木。

 もう、決着は付いていた。


橋は旧道入口から約3kmの地点にあった。



両岸の橋脚が谷側に向かって倒れ、橋桁は完全に谷へ落下している。

 両岸に一対ずつあった橋脚が谷側へ向かって拝むように倒れ、その上に乗っかっていた橋桁は全て砕け散っていた。
両岸には良く原形を留めた石組み橋台が残るが、その隙間を埋めるのは虚空である。
この橋は、全長25mだったと記録が残されているが、現在の橋の10分の1の長さだったことになる。
槙木沢の谷を無理なく跨ぐには、余りにも貧弱な道路計画であったと言わざるを得ないだろう。



谷底に散乱する部材によって、流れは堰き止められ淀んでいる。

 だが、この初代・槇木沢橋は、ほんの数年前まで架かっていた可能性が高いのだ。
昨年行われた某歴史イベントにて上映された、岩泉高校田野畑校放送委員会による自主制作ビデオ「秘境〜槇木沢橋」には、高校生達がこの橋を訪れる場面があるが、そこには架かったままの木橋の姿が記録されているのである。

 ビデオが何年に撮影されたものなのかは不明だが、上映された年を考えればそう古いものではないだろう。
作品の中では、高校生たちがこの橋の親柱に記念に署名をするのだが、帰ってすぐに橋は崩れたと言う。
何十年も人知れず放置され続けた木橋も、若人達の突然の訪問に看取られて気が緩んだか。

 惜しい! 惜しい!! ムー!!



橋台上に僅かに残された部材。 実はこれ…。

 橋台上に辛うじて踏みとどまった部材があった。

 それを見たnumako氏が、突如歓声を上げた。




なんと、親柱の一柱だけが健在だった!

 倒れた木材の脇を見ると、なにやら文字が!
ライトで照らして見ると……。

 昭和三十二年三月三十一日竣功

 そう、読める。
感激した。
まさか、この惨状で親柱が残っているとは。




この写真は三陸国道事務所発行のパンフレットより転載しました。

 三陸国道事務所が発行しているパンフレットに、在りし日の槇木沢橋の姿を見ることができた。

 これが本当に国道の、昭和四十年までは現役で利用されていた橋なのかと、目を疑いたくなるほどに華奢な木橋ではないか。
この写真を見ても、我々が辿り着いたのとは反対側に槇木澤橋と記された親柱があったようで、高校生らが取材したのも対岸のようだ。
橋は木製の方杖ラーメン橋だったように見える。

 「今、この道ゆけば(U)」によれば、この槙木沢橋は橋長25m、幅3.6m、耐荷重9トンである。
でも実は、上記のデータも、ここに残骸が散乱している橋も、初代の橋ではない。
というのも、昭和16年に完成した木橋は、戦時中の放置によるものか、戦後には既に老朽化が進行しており用を成さなかったらしく、昭和32年に早速架け替えられている。初代と同じ場所に。
この時の橋が、つい最近まで残っていたと思われる槙木沢橋である。
だが、この2代目の橋も、昭和40年に現道が開通するとほぼ同時に廃道となったというから、その現役時代はたった8年?!



橋台には石組みの部分とコンクリートの部分が混在していた。   谷の水は真夏とは思えないほどに冷たかった。

 我々は慎重に崖を下り、谷底へと降り立った。

 見上げてみると、橋がかなり大きなものであったのかが分かる。
さぞ立派な橋だったのだろう。 惜しい!



トラロープで転落防止が施された南側の袂。

 谷底には清流が満たされていたが、少し上流の河原に小さなポンプ小屋が見えた。
台地上の耕地に水を汲み上げているようだ。
流れる水は真夏だというのに清冽で、黒々とした廃材の骸に取り囲まれて濡れているとすぐ寒くなった。気持まで。
 三陸のこの辺りには、源流から河口まで一つの集落に出会うことなく、源流の景色そのままに海に注ぎ込むような沢が無数にある。
この槇木沢も、そんな原始の沢の一つだ。

 我々は谷底を離れ、対岸へと上った。
そこには、高校生たちが目を輝かせた景色は既になく、雑草茂る湿地だった。



G地点 槇木地区 旧道終点



 下ってきた分と同じくらい上り直さねば人里には戻れない。
しかし、谷底にポンプ小屋があったせいか、いくらか往来があるらしく、車でも走れそうな道になっている。

 この林道のような旧国道を1.3kmほど歩いたところで槇木集落端の耕作地の舗装路に出た。



 旧国道、約4kmを我々は突破した。

 千尋の谷を、初めて 「跨いだ」 孤高なる木橋。
栄光無きまぼろしの橋は、確かに実在した!! 



ウォッちず「小本(北西)」より転載。作者一部加工。)






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