主要地方道31号 浪江国見線 霊山不通区 第2回

公開日 2006.04.26
探索日 2006.04.24

不通区間は本当に、存在するの?!

霊山庵の先へ

06/04/24
12:28

 えーと、

 このさきに、道が…。

 道が、ある筈なんだが……。


 現在地点は右の地図の通り。
地形図にも、しっかりと(点線ではあるが)不通区間の県道が描かれている。

 だが、どう見ても、この場所に分岐地点など存在しないのではないか。
県道があるはずのカーブ外側には、不自然な駐車スペースが存在するものの、その先に、期待されるような道形は見られない。
 では、分岐地点を取り違えているのだろうか?
それはないはずだ。
少なくとも、霊山庵にあった看板も、そして、地形図も、共にこのカーブの外側が県道との分岐点であると語っている。
信じるしかないだろう。
これを信じずに、他の何を信じろと言うのか。


 だが、諦めきれない私は、チャリを舳先にして、ぐいぐいとカーブ外側の笹藪に突入を試みた。

 すると……。

 なんとなくだが…、


 道が、ある ような……



 分かりづらい写真で申し訳ないが、結論から言うと、道がある。
その道は、カーブの外側の背丈よりも高い笹藪中に、幅1.5mほどの平場となって斜面の中に続いている。
さらに、藪の中をよく見ると、路肩にはよく歩道で見られるような金網のガードレールが設置されているではないか!
やはり、ここは道だったのか?!

 だが、入口から20mほど進んだだろうか。
霊山一帯の独特の光景といえるゴツゴツした巨石が道形の左右に現れると、そこを境にわずかな道形は消失。

 苦しい展開だと言わざるを得ない。
私は、「どっちにしてもかなり苦しいな」、そう思うと、焦った。



 時々、ほんと、時々だが、
私は「山行が」をやっている事を後悔することがある。
それは、山チャリの最中に、こんな、苦しい場面に出会ったときである。

 ここでの苦しさは、成果が上がらないという苦しみだ。
遊びで山チャリをしているだけの筈なのに、山行がのネタを集めることを常に考えながら走る(そのこと自体は、やり甲斐であり、苦しいわけではない)私にとって、「道が見つけられない」というのは、単に見つけた道が苦しい事より、遙かに苦しい。辛いことだ。

 だが、無情にも、そこに明確な道形はなく、ただ、雑木林の滑りやすい斜面が見渡す限り続いているばかり。



 チャリはとりあえず置き去りにして、斜面をあてどなく彷徨う私の視界に入ってくるものは、なにか、物言いたげな巨石・奇岩の群れである。
頭上を見上げると木々の隙間からわずかに、「見下し岩」と名付けられた岩塔が稜線にまで一気に迫り上がっているのが見える。
この巨石群は、長い長い風化のなかで崩れ落ちて来たものなのか、それとも、山が出来たときからここにあるのか……。
だが、悠久の時に思いを馳せる余裕は、残念ながらこの時の私にはなかった。



 地図に点線とはいえ、確かに描かれている道を見つけられないということは、既に10年以上もただひたすらに「廃道」を、失われた道筋を探す事に心血を注いで来た私にとって、力及ばずを実感する悔しいことである。
どんな廃道にもなにがしかの痕跡がある。
そう考えてきた私にとって、この視界に恵まれた早春の山肌に道形を見つけられない事は、口惜しかった。

 10分、そして、20分。

 見た目には歩きやすそうな斜面も、乾いた落ち葉が堆積してとても滑りやすかった。
また、ムチのような小枝や、棘のある細枝が潜んでいて、暑いだろうからと薄手のズボンと半袖姿という、廃道歩きのよくない服装の見本のような私の素肌を、容赦なく傷つけた。
焦る私は、2度ほど斜面で転げ、足を挫かないかとひやひやさせられた。
思えば、履いてきた靴は雪道用のブーツで、いつものトレッキングシューズが前回の探索でざっくり裂けて使い物にならなくなったのに、その買い換えを忘れた私のミスだった。

 天気はよい。
斜面には気持ちのよい風が吹き流れ、鳥のさえずりが響く。
しかし、私は屈辱の、敗退を、喫したのである。

 点線の県道を見つけられぬまま、  下山。



 西側への移動

 傷心の峠越え 名目沢

13:04

 行合道の国道115号タッチまで戻るのに、ものの5分もかからなかった。
そして、そこから今度は不通区間の西側へ向かうため、国道を石田川に沿って西へと下る。
小刻みなカーブが続く、楽しいワインディングである。

 ここで、ひとつ、我が愛車のこの日の状況を説明しよう。
前回三陸でさんざんな目に遇った(このレポはまた今度)ブレーキパッドは交換されている、が、今度はヘッドステムのネジが緩み、ハンドルがぐらつくという気持ちの悪い症状。ネジを締めれば治るのだが、サイズの合う六角を忘れてくるというミス。
さらに、前からだいぶ草臥れていた後タイヤがいよいよ弱まって、その空気圧のために歪んでいる。そのために、高速走行時に振動が出はじめた。

 この旅が無事に終わってからも、いろいろと手を加えてやる必要がありそうである。



 国道115号は霊山の南麓を横切っている。
その独特な風貌をもっともよく一望できる旧霊山町桂畑地区、国道端から見た霊山。
屏風のような大岩壁の下にある急傾斜の山肌を、県道は横切っているのであるが、当然、ここからその道形が見えるようなことはない。
ただ、見れば見るほど、無理がありすぎる県道ではないか。
観光大ブームの時代に生み出された幻影、例えば“霊山スカイライン”構想とか、なにかしらの思惑があって、この県道指定が成されているのだろう。
それから数十年が経つが、開通の目処が立つことも、また県道の指定を解除されるという話も聞かない。
おそらく、これは永遠の不通県道になるのではないか。
そんな予感がするのである。



 行合道から国道を西へ4.5km。
国道と主要地方道浪江国見線をつなぎ、不通区間の代替となる一般県道316号広畑月舘線が北へ分かれる。
私はこれに入り、約3kmの峠越えが始まる。

 この峠越え区間は、3桁後半の県道にありがちな未整備区間の残る山間道路で、部分的に2車線化されているが、連続降水量120mm以上で通行止となる。




 無名の峠は国道側で長く緩やかで、反対側は短く険しい。
登りの途中には名目沢の村があり、そこは別に花好きでもない私でさえウキウキするような、花の楽園となっていた。

 斜面の林檎畑、路傍の雑草でさえ雲上の装い、民家の下に菜の花畑、そして高潔な山桜。



 そして、

 謎の 「イチロウ イチロウ イチロウ ……」



 一際狭まり浅い切り通しの峠に到達。
少し前の手痛い敗北の傷を癒す、何とも長閑で、そこにいるだけで心充たされるような峠道であった。
またひとつ、好きな道が増えた。

 幾ら好きな道でも、一日二度も通ろうとは思わないけれど。

 

 峠を越えるとすぐに急な下りに転じ、間髪入れず数軒の民家が現れる。
軒先を刻むようにカーブを連ね、ぐんぐぐんぐんと下る。
意外に通行量があるので、狭い下りは結構怖い。



 下った先はやはり旧霊山町内の竹の花地区である。
峠の直下まで深く切れ込んだ谷を左に見ながら、狭い未改良の舗装路が下っていく。
大型車が通れるとは思えないが、一応規制などはない。
 



 最後まで急な下り。
欄干さえない小さな橋を渡って(!おいおい、県道に欄干無しの橋って、ありそうでなかなか無いぞ)、そのままT字路にぶつかって県道は終点。
このぶつかった先は、不通区間の反対側、主要地方道浪江国見線である。

 ふたたび、闘志が湧き上がってきた。



 不通区間へ西側からアプローチ

 竹の花から霊山閣へ

13:29

 いざ不通区間の裏側へ回り込んでみると、やはりそこは不通区間に近い部分であって、決して立派な道とは言いがたい、その辺の町道クラスの平凡な舗装路がそこにあった。
特に、先ほどアプローチを試みた南側は霊山登山のメーンルートとして観光ルートになっているが、西側は余りメジャーではない。

 写真は、県道316号線との合流のT字路から、県道31号線の国見町方向(不通区間とは反対側)を写している。
こんなところにまで、さっき山中で見たのとよく似た巨石が、無造作に転がっていた。



 では、いよいよ霊山へと再び挑む。
結果は、半分分かっているのだが……。(もはや点線部分突破の見込みはない、反対側に道がないのだから……)

 気を取り直して、まずはその入口の様子。
早速にして、「通行不能」の文字が青看にも記されている。
その唯一の行き先が、「霊山閣」であり、霊山庵とよく似ている名だが、こちらは霊山城趾にもゆかりのある、由緒正しい遺跡であるようだ。



 そして、入るとすぐにあるのがお馴染みのヘキサ。
まだ綺麗なヘキサだが、補助標識は著しく老朽化しており、辛うじて「霊山閣」の文字が読めるものの、その隣に記されていたはずの距離は、読み取れない。
こんなところからも、不通区間直前の雰囲気は滲み出ている。



 竹の花から霊山閣までは約1.5kmの道のりだが、高度差は130mほどあり、すなわち、10%近い急勾配が途切れずに続く事になる。
唯一勾配が緩むのが、一箇所だけのこの橋で、銘板を見て「 ぎょッ! 」とした。 

 だって、橋の名前が、「  橋 」よ。
鬼太郎あたりに出てきそうなネーミングじゃないの。
他の銘板を見ると、少し納得で、読みは「みたまはし」。
竣功は昭和38年2月と刻まれており、これがもしかしたらこの県道の指定時期と重なってくるのかもしれない。
橋自体は狭いコンクリート橋で、欄干が変わったデザインなのを除けば、別に珍しいところはない。



 厳しい勾配を約束する地図上から読み取れる数字に偽りはなく、喘いでも喘いでも、ひび割れたアスファルトの登りは緩まらない。
途中には杉の植林地が広がっており、石碑や堂宇など、ここが有名な霊山の一部であることを示す遺物が点在する。
日陰で息継ぎをしながら、じっくりと登っていく。



 おお、清水。

 路傍に湧き出す清水の前には、木製の簡単な椅子が幾つも並んでおり、休日ともなれば順番待ちで水を汲む人たちが集まるのかもしれない。
霊山から湧き出した水は、なんかそれだけで体に良さそうである。
私も、もちろんひしゃくですくって一口、
おいしくて、もう一口、さらにもう一口といただいた。

 さて、この時リュックの中には、500mlのPETが3本。
だが、一本は既に空で、もう一本の「カムカムフルーツ」は半分ほど残っている。
さらに、もう一本の「おーいお茶」は開封済みではあるが、ほぼ全量が残っている。
美味しい水ではあったが、所持している飲み物は十分と判断されたので、汲みはしなかった。



 山桜の古木が並木になった急坂をさらに登る。登る。

 この時、後から一台のバンが接近してきた。
そしてすぐに追い越していったのだが、車には「パトロールカー」のペイントが。
よく見る道路維持のパトロールカーではなく、地元が運行する山菜泥棒パトロールカーっぽい。
こう言うとき、チャリであると言うだけで余り疑われることもなく、気軽である。


13:58

 そして、大きな駐車場が現れる。
ここが、不通区間の始まりである「霊山閣」である。(正確には霊山閣跡)

 つぼみが色付きはじめた桜に囲まれた広い駐車場には、一台の重機と、一台の軽乗用車だけがぽつねんと駐まっている。
不通区間を挟んだ反対で見た駐車場とは全然違う景色に、寂しさを覚える。
だが、その寂しさとは裏腹に、高さ3mを優に超える巨大な記念碑や、平和記念碑などが建立されており、威容を誇る。

 県ではこの先を自動車交通不能区間と認定しているようだが、とりあえず、駐車場を突っ切って真っ直ぐ進む道が見えている。
当然、進んでみる。



 が、進もうと思ってギクリ。

ここから霊山県立自然公園の登山口です。
登山道はみなさんが歩いて自然とふれあう道です。
バイク・自転車類の乗り入れは固く禁じます。
                  霊  山  町  

 看板の隣に立つ、相当に古いだろう自動車乗り入れ禁止の標識と相まって、この先はあらゆる車輌は進入できない事になっているようだ。
手持ちの地図や地形図では、まだ点線になるまで細い実線がさらに山の上へと1km近く続いている。
帰りのことを考えると…、どうしてもチャリを持ち込みたいのだが……。

 背後の駐車場をキョロキョロと見る私。



 私の目的はあくまでも登山道をチャリで走りたいのではなく、おそらく看板設置者が想定していないだろう、県道不通区間へのアプローチであって、登山道としてのメーンである部分には入る予定はない。
この日、他に登山客も少なさそうなことから、後ろめたい気持はあったが、先へ進むことにした。

 で、

 いきなり運命の分かれ道?!

 地図では点線でしかない左の道は、なんと舗装路化進行中?!(残念ながらこれは県道の新設工事ではない)
 肝心の県道は、見るだけで嫌な感じの右の道なのである。



 分岐に立つ標識。

 「登山道はこちらです。」
 「尚車両は通行止めです。」
とあって、登山客を誘導している。
心底、左に道が県道なら「楽しそうなのに」(≒楽そう)と思ったが、現実は厳しく、登山県道は、ここから始まる。

 それにしても、車両通行止めと言うことが強調されているが、この上り坂を見た段階で、大概のドライバーは引き返すだろ。



 キテルよ。

 いきなりこれかよ。

 その勾配は、ゆうに20%を超え、もしかしたら25%に達しているか?
路面は泥で、真新しいキャタピラ痕が残る。
チャリに跨っても、ただの一歩も漕ぎ出せず、押しはじめる。(ヘタレ言うな、物理的に無理だってば)
しかも、行く手からは何やら重機か何かの排気音が……、嫌な予感。



 うわー、やってるよ。

 道を完全にとうせんぼして、一台のユンボが切り出した杉丸太をキャタピラの荷台車に載せている。
その様子を、カーブの岩陰から覗き込む私。
絶望的な気持になってくる。
そう言えば、下の駐車場に駐まっていたたった一台の軽乗用車の運転者がこのユンボの主かも。

 私は、明らかに警告を無視してチャリを持って踏み込んでおり、このまま通して貰えるとは……思えない。

 チクショー! 県道はみんなの道じゃあないのかよー!

 どーする、俺。 引き返すか? チャリを捨てていくか??

            (つづく)