道路レポート  
国道285号旧々線 笹森峠 その2
2004.7.10



 緑の壁と古道
2004.7.7 9:36


 入山から22分。
1kmより少し進んだと思われるが、少し手前より廃道となっている。
そして、非常に虫の多い薄暗いヤブ道が始まった。
雑木林と鬱蒼とした植林地を交互に迎える道は、その造林作業路として、または頭上を往く鉄塔の保守通路として、現役である。
しかし、絶対的に入山者は少ないようで、日向になる場所では下草が酷い。
4年前から、殆ど何も変わっていないようである。
まだ、先は長い。


 路肩を含め道の大半が落ちてしまっている。
歩行者向けの幅40cm程度のスペースが、辛うじて残されている。
一応チャリに跨ったまま通行が出来るが、落ち葉の積もった路面は意外に走りにくく、瓦礫や木片が隠されていたりして油断ならない。
こんな場所で転倒か、或いはバランスを崩しただけでも、滑落の恐れは大きい。

この危険ゾーンを慎重に突破した。


 ここで、再び浅めの切り通し。
その道幅は、結構広かったことが伺える。
現在では殆ど廃道だが、秋田峠の道が開削される以前は、江戸時代の昔から長らく利用され続けた道である。
その歴史は、現道とは比べものにならないのだ。
ただ、古道にありがちな道祖神や庚申柱などが見あたらないのは、車道改築の影響だろうか?


 さらに進むと、突然ムードが変わる。
道幅が広まったかと思うと、眼の前一杯に緑の壁が出現する。
いよいよ、4年前に「二度と来たくない」と思った道の中で唯一、「もう一度見たいな」と思っていたハイライトゾーンである。

ここから300m程の区間、200m程度の標高にはおおよそ似つかわしくない、迫力ある断崖割りの道である。
流石に植林にも不適地と判断されたのであろう、この一画にはブナなどの巨木が散在しており、古き森の姿を残している。
なんといっても圧巻は、遙か頭上に続く緑色の一枚岩の壁だ。

こんなに虫が多くなければ、もっとじっくりと味わいたい景色なのに…。
長く立ち止まれば、奴らの餌食となる。


 一枚岩は極めて強固な天然の法面となっているようで、ここだけは元来の道幅を保っている。
その幅は、4m程度。
ガードレールも石垣も、標識も、車道だった痕跡は、轍すら残っていない。
しかし、緩やかなカーブを描くように削り出された道の幅は、歩くには充分すぎるものである。

かつて、ここに乗り合いバスが運行していた。
太平洋戦争後の僅か10年間程度であるが、この崖の道が、沿岸と内陸とを繋ぐ主要道路だったのである。



 岩肌は元来艶やかな物であったようだが、長い時間はこんな不安定な場所にも、苔や土を僅に乗せ、そこに木の芽を根付かせた。
いまでは、立派に森の一部となっている。
見上げても、その上端は緑に遮られ見えない。



 この先断続的にこの様な崖が現れるが、最初に現れるこの崖が、最も美しい。
ここまでならばハイキング感覚でも訪問できるであろうから、しっかり虫除け対策をして探索してみるのも悪くないと思う。
豊かな緑の森の下には、羊歯植物たちが、図鑑で見た古生代の森の景色のように、巨大に成長している。



崖は続く
9:43


 入山から30分を経過。
まだ、登りは半分を過ぎたばかりだろうか。
勾配は緩いが、深く抉れた谷の複雑な等高線に沿って蛇行を繰り返す道は、なかなか峠に着かない。
鮮烈な緑の絨毯に、我が一条の轍が刻まれる。
虫や藪に不慣れだった、初挑戦の4年前に感じたストレスは相当だっただろうと思う。
いまでも、虫たちに追いたてられると精神の平穏を保てない。



 今度は風化が進む崖の下を通る。
そこはちょうど小さな支沢を渡る場所で、増水時には滝が道路上に落ちることもありそうだ。
この辺で、道は進路を北へと変える。
いよいよここからは、峠のある稜線に取り付くように登り始める。



 荒廃が進む断崖により、道幅はもう1m程度しか残ってはいないが、チャリにはちょうどいい広さだ。
この辺は、景色も変化に富んでおり、走っていて楽しい。
チャリで走るのが、特に楽しめるゾーンだ。

楽しみは、長く続かないが。


 断崖ゾーンを越えると、それまでの谷底の薄暗さから、稜線の風と光を感じられるように変わってくる。
湿っぽい崖ゾーンは特に五月蠅い虫も多かったが、風が感じられるようになると、途端に減ってくる。

4年前には絶対にもう来たくないと思った道な筈だが、今度の感想は大きく違う物になりそうである。
今のところ、快適とは到底言えないが、野趣溢れる古道風景は、適度な荒廃ぶりというか、チャリを赦す程度の荒れぶりで、好感が持てるし、走って楽しい。



鉄塔管理道としての道
9:45


   久々に太陽の下へ出ると、また鉄塔の案内板が立っていた。
先ほどと同じ「北秋A線」である。
周囲に笹が目立ち始める。
この峠の名を思い出して欲しい。

そう、 「笹森峠」 である。
山チャリにとって、クマは動物界の天敵であり、ヒルが昆虫界(厳密には違うが)の天敵ならば、笹は植物界の天敵といって良い。
笹の密生する藪は、過去に何度となく、私にチャリを捨てさせた。
嫌な予感が。




 巨大な岩盤が露出している。
ここも、五月蠅い虻が大量に待ちかまえていて、じっくりと岩場を観察させてくれはしなかった。
どうやら、虻たちは岩場が好きらしい。




 9時48分、入山から35分。
これが最後の鉄塔保守道との分岐であった。
右の杉林を登っていく九十九折りが鉄塔行きで、元来の峠道は左側の草道だ。
この辺は、4年前は殆ど発狂状態だったのか、全然記憶にないのだが、とにかく、この先さらに路面状況は悪化するらしい。
ここまでは想像以上に走れたので、この位は覚悟のうちだった。

遠慮なく、路面の全く見えない草道へ侵入する。
いよいよ、峠までの激廃道ゾーンだ。



峠までのラスト500m
9:48



   うへー。

毎度お馴染み、山行がの藪漕ぎのはじまり?


そう覚悟はしたが、森が深いせいか植物の背丈が低く、幸いにして、チャリよりも背丈の高い藪に阻まれることはなかった。
しかし、とにかく虻が五月蠅い。
そして、森の中は蒸し暑い。
汗が止めどなく溢れ、蚊やヒルを避けるために長袖を着用していることが、とにかく憎たらしくなってくる。

夏の藪山に、愛はないのか?!
あるのは、ただ憎しみのみなのか!



 いよいよ峠が近づき、斜面の急さも増してくる。
道路敷きはもはや平坦ではなく、度重なる土砂崩れと路肩の崩落により、全体が山肌に近い状態にと化している。
植生も徹底的に道を消し去ろうと毎年の努力を重ねており、もはやここに道があったとは、一度通り抜けた私ですら自信が無くなってきた。
この辺は、4年前よりも荒廃している印象がある。



 かなり苦戦したが、幸い距離は短く、風の渡る稜線らしい景色に出会う。
巨木が稜線の突き当たりに屹立しており、その袂には数本の空の一升瓶が置かれていた。
猟師か杣夫が残した物か?
この木は、彼らの神木だったのかもしれない。
付近には微かに杣道の痕跡があり、その痕跡は旧道上だけではなく、目の前の稜線上にも続いている。
旧道は稜線上へは進まず、ここを右に進む。
これはまだ枝の稜線であり、南北秋田郡を分かつ境界ではない。
あと僅かだ!




 藪はいくらか浅くなったが、それはより斜面が急になったためである。
かつての車道の痕跡は失せ、幅20センチメートル以下の、人一人歩くにも事欠くような崖道となる。
木や笹など手掛かりが多く、歩いて越えるだけならばそれほど苦労は無さそうだが、チャリが付きまとう。
ここに来て、本当にうざいのは虻ではなく、チャリだったと思った。

ヒヤヒヤ冷や汗を汗みどろの体に追加して、まさに汗だく汁だくの笹森峠である。
夏に来る道ではないと断言できる。
チャリで来る道では無いとも断言できる。



 瓦礫の底は樹海である。
国道を走っている限りは、よもやこれほど険しい山を越えているという印象は受けない。
羊の皮を被った狼のような山だ。




 無理な体勢でチャリを進ませていると、足がつりそうになる。
しかも、チャリに跨って狭いところに進んでしまった私は、下りることも難しくなってしまった。
ここは、かなり恐かった。

4年前、こんな場所通ったか?!
流石に、引き返しただろうと思うのだが、当時なら。
今だって、かつて通り抜けたという事実がなければ、果たして突入したかどうか…。
チャリは無理なんで徒歩で、という選択をした可能性もあっただろう。



 崖っぷちを脱しても、藪は止まなかった。
虫は減ったが、危険は増した。
チャリを引き摺るようにして、浅い笹の森を行く。
峠の景色だけは、今でも鮮明に覚えているのだ。
そして、それがすぐ側に来ているのも、感じられる。
松の木が目立ち始めた周囲の森は、明るい。





 来た。

笹森峠だ。

笹が生い茂る松の切り通し。

間違いない。

4年前、この藪の中で私は歓喜の叫びを上げたことを忘れてはいなかった。

まさか、また来るとは思っていなかったが、写真を撮らなかったことを後悔していたので、やっと遺恨を返上できる。

私はチャリを放り出し、カメラを構え切り通しに舞い踊った。



 笹森峠
9:57



   幅広の切り通しは、松林と笹藪に支配されており、やはり車道だったような痕跡は残っていない。
しかし、この幅の広さ自体が、その痕跡と言えるのかも知れない。
ここから先は、中茂への下りに転じるのだが、もの凄い急勾配だった印象がある。
それと、古道らしさの全くない、造林作業道のブル道になっていたことを覚えている。
道としての面白みは、全くなかったという苦い記憶だ。
まあ、距離はないし下りなので、再攻略の成功は、ほぼ確定しただろうと思った。



 峠の五城目側。
チャリを捨ててある場所が、おそらくは旧道敷きだったのだろうが、道らしさはない。
切り通しにも腕より太い松の木が生えだしており、想像以上に自然に還っている。
一帯には笹が多く茂り、峠の名もそこから付けられたものだろうか。

国道から分かれて3kmの道のりで、所要は45分弱だった。



 峠の北側には大きく落ち込んだ場所があり、時期によっては現国道の秋田峠などが見通せそうだ。

実は、藩政時代にこの付近にあった峠は、この笹森峠だけでなく、国道の秋田峠よりもさらに北側の、琴丘町と接する山中に「黒森峠」を設けていた。
そのどちらも使われていたそうであるが、結局車道化されたのは笹森峠であり、一足早く黒森峠は廃道となった。
そして、車道となった笹森峠を抜本的に改良する道として現:秋田峠が開削され、笹森峠も後を追う様に廃道となったのである。
黒森峠には、果たしてどんな景色があるのだろう?
一面の黒松の森なのか?或いは。
興味はあるが、恐らく痕跡は残っておるまい。







 写真左は、峠よりこれより進む上小阿仁側の下り初めを望む。
峠の上小阿仁側の極めて短い区間は、ご覧のように良く旧状を留めている。

一方、写真右は、振り返って五城目側。
笹藪が峠を覆っている。


それにしても、下りの景色が予想外だった。
だって、かつてあった造林作業道が見あたらないんだもの。
…この4年で、何がおきた?!


次回、最終回。


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