緊急レポート  
国道46号旧線 仙岩峠 廃後29年目の春 <後編>
2005.5.26


2005.5.19 17:42


 現在地点は、瞰湖台。
地図中ではまだまだ前半のように見えるかも知れないが、前回紹介した部分の赤い線の“折りたたまれぶり”をよく見ていただきたい。
実質、峠であるヒヤ潟までの半分近くを、既に来ている。
そして、この瞰湖台より上部が、仙岩峠の持つ二つめの顔である。

ダイナミックなつづら折りと、振り向けばそこに生保内の町並み、そして田沢湖の大パノラマ。
それが前回までの仙岩峠。

そして今回は…、

ヒリつくような緊張と共に渡る大断崖、行く手には奥羽山脈の脊梁線。


個人的には、旧国道の仙岩峠ハイライトは、この区間だと思っている。



 瞰湖台から最初のカーブで、完全に景色が一変する。
これまでは振り返れば殆どいつでも生保内の町並やら、田沢湖の水鏡が見えていたが、このカーブを一つ過ぎれば、もう二度とそれらを見ることは出来ない。
峠に至ろうとも、それは変わらない。
秋田から岩手へと走るとき、ここまでは秋田の景色を背負って走る道だったが、この先は、過去と決別し、全霊で峠に挑まねばならない。
もはや、脇目を振っても、たいしたものが見えはしない。
ただ、峠との戦い。
奥羽山脈越えを成す海抜900mに近づくべく、険阻な山稜線との一騎打ちだ。



なお、この最初のカーブは、常に崩壊が続く危険な箇所でもある。
光ファイバー埋め込み工事のために現役さながらに掃除された4年前(写真左)ですら、路肩には寄せきれなかった崩土が積まれていたし、2年前は既にかなり路面に土砂が落ちていた。
そして、今回(写真右)、かなりヤバげ。
特に、のり面の落石防止柵が遂に決壊してしまったことが、決定的ピンチ!
致命的崩壊は遠くないのかも知れない…。



 路肩の外に見えるのは、自身がそのただ中にある奥羽山脈の峯峯である。

この時刻の仙岩トンネルの気温は、約9度と観測されている。
単純に200mほど標高の高い現在地点では、8度か、それ以下。
稜線に近い旧道での体感温度は、風の強いこともあり5度を下回っていたように思う。
後光は文字通りに背後の山陰に隠れてしまい、夜闇という帳が谷の低い位置から、次第に全山を覆い始めたことを、感じる。
過去3度踏破している旧国道には、こう言っては悪いが、慣れがあるし、たとえ日が暮れても問題なく踏破できる自信はある。
予定では、もう30分程度で峠に到達できるはずだが、仮に時間をオーバーして、峠前に夜を迎えたとしても問題はないだろう。

頭では分かっていても、それでも、やはり、
山中で夜を迎えるというのは、気持ちがよいものではない。
まして、ましてこのような廃道のただ中ともなれば…、侮りは、即、 事故に繋がりかねないのだから。

空気の抜け続ける後輪が、憎たらしい。




さらりとスルーできる事でないでしょ。
空気が抜け続けているって、それパンクじゃないの?!


そうです、パンクですとも。パンクです。

直せよ。パンク。
暗くなったら、まず小さな穴なんて、見つけて直すこと出来ないんでない?


だってよー、秋田市で今朝購入したばかりのルーキー号9代目だぜ。
購入後、全く乗らずに、車で仙岩峠入り口まで運搬してきただけなんだぜ。
それなのに、何でパンクしてるんだよ(怒)。

ルーキー号なんだもの、初回のパンクは付きものだろうが!

…そうなのだ。
なぜかルーキー号は、購入初回の山チャリでパンクする確率が50%を越えているのである。
今回のパンクは、よほど穴が小さいのか、虫ゴムの劣化なのか、20分に一回程度空気をポンプで補充してやれば、それで乗れてしまったので、放置してここまで登ってきたのである。

ルーキー号というのは、そういう困った奴なのだ。


 つづら折り地帯よりも勾配は全体的に緩く、直線的な道が遠くに見える稜線目指して登っていく。
目指す峠の目印は、稜線に並んで立つ、台形型の二つの鉄塔である。
既に日没時刻を過ぎ、遠くの山からシルエットになってきた。
僅かに黄金色を灯していた空も、夜闇を纏うた黒雲によってみるみる覆い隠されていく。
風は鳴りを伴うほどに強まっており、身を切るように冷たい霙が、パラパラと落ち出す。
気がつけば、路肩に現れだした残雪が、今にも路面一杯に溢れそうになっていた。

稜線のシルエット、その遠近感が、妙に乏しい。

夕暮れの廃道の、非現実感。
戦慄という、快感。
恐怖という、興奮。
そして、それらの背後にどこまでも広がる、寂しさ。
逃れられぬ夜が、迫っていた。



 そして、そのまま残雪は路面を覆い尽くす。

雪質は極めて堅く、歩くのに殆ど支障はない。
だが、さすがにチャリの車輪は沈んでしまい、下りならばいざ知らず、乗車することは出来ない。

峠まで、推定距離は2km。
ここに来て、進行速度は大幅ダウンである。
いよいよ、本当に峠前で夜になる、予感。
昨冬が、近年稀に見る多雪だったことを、この仙岩峠でも思い知らされた。



 そして差し掛かったのは、旧道最大の難所。
私が、『空中回廊』と呼んでいる断崖地である。

そして遭遇した、大 崩 壊 。

2年前の同地点も、すでに路肩が落ち、道幅はちょうど半分程度になっていた。
4年前の写真はないものの、まだ崩壊していなかったように記憶している。
そして今回、2年前にあった崩壊がさらに進行し、全幅の7割以上が落ちている。 たとえ残雪がなかったとしても、おそらく、4輪車の通行は難しいだろう。

この崩壊が、果たして仙岩旧道から完全にモータリゼーションを奪ってしまうのか、はたまた、奇跡的にも復旧の救いが入るのか、それはまだ、残雪が残る現時点では何ともいえない。
その答えを知るのは、現在の道路管理者である田沢湖町だけだと思うが、同町は今年中に合併によって仙北市と名を変える予定だ。

仙岩旧道、29年目の春、遂に致命的崩壊を、確認。



 大崩壊地を振り返る。

この崩壊は、極めて根の深いものである。
なぜならば、頭上の断崖は稜線まで続く斜面で、おおよそ100m。
そして、崖下にも堀木沢源流部に面する50m以上の斜面。
その中ほどに切り開かれた旧国道。
そもそも、狭い林道ならばいざ知らず、2車線の幹線国道を敷けるような地形ではなかったのだと、今さら合点したくなる。
しかし、現実にこの『空中回廊』を連なる観光バスやトラックの映像を、見たこともある。
ここは、かつて間違いなく国幹だったのだ。

宙ぶらりんのガードレールなど、もはや諦めの境地にあると思うが、2年前はまだ無事だった、せっかく一度は仙岩旧道の“生きる道”として埋設された光ファイバー管までが、その切り口を晒しているのは、さすがに辛い。
そして、4年前には、一応建前的にも、車道と共存する形で地中に埋設されていた管が、この崩壊のせいか、アスファルトの上に設置し直されている。
この鉄管もまた、タイヤで乗り越えられぬ事はないものの、自動車が踏んだ場合にどうなるのか、ちょっと想像がつかない。



 私の大好きな仙岩旧道である。
このまま荒れるに任されるのは、とてもつらい。

従来は無雪期であれば、岩手県側から普通に田沢湖町側の私が入山した地点のゲートまで、自動車でも通行が出来た(ゲートはいつも閉まっていて通り抜けは出来なかったが)。この、非公式ながら通行出来るという状況が、草の根的な道路の補修活動を励起していたことは間違いない。
奥羽山脈の核心にまで舗装路が延びている場所は数少なく、山菜のシーズンなどには、かなりの入山者があったのである。

非公式ながら…

私の中では、

仙岩旧道は決して、 廃道では、 なかったのだ。


だが、もしこのまま4輪車が通行できない状況が長引けば…?

右の写真は、2年前の空中回廊付近で、見ての通り激しく崩壊している。
しかし、この大量の落下物も、どのように処理したのかは分からぬが、その後撤去されているのだ。
今回もまた、奇跡の復活を遂げる期待を込めて、この写真を掲載してみた。



18:06

 そして、舞台は空中回廊核心部。

いよいよその姿を見せる奥羽山脈の主稜線… ではないんだなー。
アレもまだ、峠の一歩前の稜線に過ぎない。

一帯は海抜800mを越え、900mにも届こうとしている。
このへんから勾配は緩み、無雪期ならば雲上の快走路である。

だが、この日はこの先こそが、最大の難所となっていた。
それは、この峠が短命に終わった、その一番の理由を私にこの上なく実感させる、苦難の道であったのだ。



 峠に深く食い込んだ堀木沢の源頭部。
一つ一つが源流となる小さな沢筋が、無数に車道の下を暗渠でくぐり抜けている。
そして、この深く刻まれた斜面を、素直に地形に張り付いて進む車道は、5月も後半だというのに、ご覧の通り、大量の残雪に行く手を阻まれていた。
大量などと言う言葉ではすまされぬ量だ、小さな切り通しを埋める積雪は、3メートル?いや、5メートルはある。
これを乗り越えていかねばならぬ。

問題は、私の侮りにあった。

時間配分を、誤ったと、心底思った。
過去3回の通過体験から、どの程度の時間が掛かるかは予想できていた。
そして、多少の残雪があろうとも、まさかこんなにあるなんて、思わなかった。

峠まであと2km弱。
峠の前後2kmずつが残雪に閉じられているとして、時間を再計算すると…、

どうやら、私はこの山中で夜を迎える公算が、高まった。
仙岩峠と私の、新しい一ページが開いちゃいそう。



このとき、おそらく体感気温は5度前後。
パーカー一枚で入山していた私は、心底冷えた。


いいが!よぐ聞け!


よく春山で遭難して、たった一晩を越せずに凍死する人がいる!
なんでがっつーと、防寒具がないからだ!

よぐ聞け!
死ねる!
この寒さだば、容易に死ねるで。

いいが、春山の夜は、さびもんだ。
侮るな!!

あどな、車で来てチャリで入山するのも良ぐ無い。
パーカー一枚なんていうバガケ(馬鹿者)は、ここまでの道中がないからがらそうなんだ。
麓からじっくりと走ってこいば、誰パーカー一枚だって?


オレ、懺悔だな…。

 

 ゾクゾク来た。

おいおい、まじかよ。

これが、一年の半分が積雪で通行止めだった主要国道の姿か…。

これは、確かに… 酷い。

雪渓のようになったガチガチの雪の斜面には、大量の土砂や瓦礫が混じっており、雪が消えても路面には相当の土砂が残ることだろう。

維持管理に大きな難がある道とは、こういうものなのだろうな。

チャリでここを歩くのは、細心の注意を要する。
ガードレールなど元々ほとんど無い空中回廊であるが、斜面は崖下へと続いており、出来ればしかるべき雪上装備(アイゼンなど)が欲しい。
私のように、スニーカーと足首のグリップのバランス感覚だけで突破しようとするのは、バガケ一確だ!



 無謀を潔しとする安易が、私の愛するこの峠での悲劇を生めば心苦しいので、右の写真を見て考えて欲しい。

雪の斜面でひとたび足を滑らせれば、堀木沢の落差100mを下らない谷が、一瞬で命などかみ砕くだろう。

仙岩旧道とは、そういう道なのだ。

人も車も皆、この大断崖と向き合いながら、峠を越えていた。

廃止されてなお、多くの人を惹きつける仙岩峠旧道とは、

普段はガチガチのガードレールの内側に“確保”されているはずの幹線国道が、

奥羽山脈という山河に、剥き出しで放置された、そのものなのである。



 堀木沢を振り返ると、遙か遠くの生保内沢と合流する谷底の方に、水色のトラス橋が架かっているのが見えた。
現国道の堀木橋である。

この高度差! この距離!
これが、仙岩旧道の味である。


それにしても、まだ路肩のバッケ(フキノトウの芽)が小さい。
田沢湖町の市街地ではとうに葉が開いているのに、たった7kmほど登ってくれば、この有様だ。
鼻水とまんねー。


 6枚前の写真で峠の一つ前の稜線と言ったのは、このカーブの辺り。

そして、このカーブを曲がるとやっと、ほぼ目線と同じラインに、本当の峠が見えてくる。
ここまで来れば、もう殆ど登りは無く、500mほど流して極まることになる。


でも、雪が酷くて流せねー!!

押しオンリー。

時刻はもう6時半を回っている。
 

 午後6時35分。

ヨッキれん 4たび仙岩峠に立つ。

もはや見慣れたともいえる景色。
見所豊富な道中の締めくくりとしての峠にも、見所は多い。
私などは常に耳障りな音を峠に落とす高圧鉄塔が一番印象的であるが、一般的には、時の建設大臣河野一郎直筆である高さ3m以上もある総御影石製の開通記念碑や、笹原を水面に落とす鏡のようなヒヤ潟、マニアックなところでは、未だ倒れずに残っている(今年も無事でした!)「岩手県」の白看などなど。

日当たりの良い峠部分だけ全く雪がなかったが、その先の普段は場違いなテトラポットが置かれた切り通し部は、またも3m以上の積雪に埋まっていた。
さすがに、雫石町も除雪などしているわけもなく…。

 

 体を無駄に冷やす訳にもいかないので、早々に立ち去ることにしたが、これを見なければ仙岩旧道じゃあないと思っている景色はコレ。

今来た田沢湖町側の峯峯を渡る、送電線。

これを見ると、「ああまだ仙岩峠が役に立っているな」って、実感できる。
実際に、現在でも鉄塔の管理道としては使われているようだし。

ところで、

今回初めて、雪の線として気がついたのだが、
目の前の斜面にメチャメチャ急なつづら折りが見えません??

なんだろう。
地図にもない道だ。



 お馴染み、開通記念碑(左)と、龍神でも潜んでいそうなヒヤ潟(右)。
遠くに真っ白に見えるのは、秋田駒ヶ岳や八幡平に続く稜線だ。

なんか、その現実離れした白さに、身震いが…。
あとは、下るだけだし、大丈夫だよな…オレ。


ますます冷える体に鞭を打って、チャリ後輪に空気を入れて、峠を蹴った。




 下りの難所は、峠から2kmほど下った、県道分岐点まで。
その先は、除雪された道であり、旧国道とはいえ十分に管理されている。

申し訳ないが、もう(暗くて)写真も撮れなかったので、この先のレポートは、
またも、お預けです。



 午後7時15分に、仙岩旧国道と現道の合流点に辿り着いた。

 私は既に、全身石のように冷え切っていた。

 直後、私は同伴者の車に回収されたのである。

 雲間に朧月。

 いやはや、仙岩峠は何度通っても、飽きないのである。

 さすが、秋田峠界の盟主 仙岩峠である。

 その行く末に、一抹の不安を覚えた今回の探索ではあったが、きっと 大丈夫。


 私は、誰よりも、

 仙岩峠の、しぶとさを、知っているから。






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