宇津峠の峠道に自動車が通れるような改良が成されたのは、明治14年頃。
それまでも、十三峠街道とも呼ばれた越後街道最大の峠として、ほぼ同じ場所を街道が通っていたが、改良の指揮を執ったのは、“鬼”こと、三島通庸、初代山形県令であった。
廃道界ではお馴染みの、万世大路や大峠を指揮したのも、彼であった。
峠の標高は、約500m。
飯豊町の最終集落である手ノ子からの比高は約250m。
数字的にはこれと言って困難ではないが、その屏風のような急斜面は、困難な行路であったはずだ。
廃止後37年余りを経過する旧峠へ、チャリ同伴で突入開始。
これぞ、三島 VS ヨッキれん 戦いのはじめである。
飯豊町側 旧旧道入り口より
 
宇津峠旧旧道 試練
 柵区間は50mほどつづくが、終われば再び笹藪の多い一人の道となる。
 入り口から48分経過、やっと峠の切り通しと思われる、稜線の凹部が見えた。
 また視界が悪くなり、藪となる。
宇津峠旧旧道 最終ライン

 次のカーブは、厳しい物であった。

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