第119回 山梨県道513号 梁川猿橋線 中編

所在地 山梨県大月市
公開日 2007.5. 1
探索日 2007.4.10


 山梨県道513号梁川猿橋線には、地図に無い区間があるのではないか?
現在の起点は余りにも梁川地区の端である。本来ならば、国道20号甲州街道を補完する道として、桂川の南岸に梁川駅付近まで伸びていても良いのではないか。
そのような構想の下で名付けられた路線名でなければ、腑に落ちない。

 私は実際に現地へ赴き、地図に描かれた道を起点から終点まで辿ってみた。
そこに私は多くの古い道標を見た。それらは明治時代よりも古くに建てられたものであった。
幅も狭く通行量も少ない県道だったが、深い歴史を秘めたような情調があった。
そして、起点とされている地点よりも先に、曰くありげに道標が建ち並ぶ道を見た。
それが、藪の中へと消えていく姿も。

 今回は、残された「梁川〜下畑間」の道を辿る。
果たして、そこに私が思い描く不通県道は存在したのか。
古い地形図に取り残された道が、いま蘇る。


地図にない道を追え!

JR中央本線梁川駅前から出発


 2007/4/10 6:20

 今回は「後編」であるが、時系列的には「前編」よりも前に位置している。予めご了承いただきたい。

 自宅最寄りの駅を始発する西行きの中央本線に乗って40分少々で、いとも容易く山梨県大月市の梁川駅に到着した。山小屋風の小さな無人駅でさえSuica対応の改札があるのに驚く。
駅の真ん前には、狭い道幅いっぱいに大型車が唸りを上げる国道20号「甲州街道」が通っているが、駅前に目立った商店も家並みもない。
自転車を組み立て、午前6時20分、この日の探索を開始した。
まずは駅前にある大きな橋で桂川の対岸へ渡る。
この橋の名は梁川大橋という。
もし将来、県道が本当に梁川駅前まで延長されてくれば晴れて県道に昇格するのだろう。
現状でも、昭和62年に開通したばかりとあって十分に立派な橋である。



 現橋のすぐ上流に旧橋の主塔が二本とも残されている。
コンクリート製の巨大な主塔だが、現橋から見ればその頂部でさえ欄干の下である。
今では廃道となっている旧橋前後の取り付け道は、桂川の切り立った崖を転げ落ちるような道である。
その様子は橋の上からつぶさに観察することが出来る。


 橋を渡ると梁川駅前にはなかった家並みが見られた。
どうやらあの駅を主に利用しているのは、川の対岸にあるこの月尾根地区の人々らしい。



 このまま足元の舗装路を辿っていたのでは、目指す道へ進めない。
集落の中程にある、この写真の(なんの変哲もない)分かれ道へ入らねばならない。
当然すんなり行ったわけではなく、少し彷徨った末に辿り着いた。

…早くもこの段階で気付いてしまった。
どうやら、ここは県道ではなさそうだ。(…全て私の妄想だったのね…)
いくら何でも、余りに何もなさ過ぎる。



 「これが県道だ」とかぶち上げたいが、嘘は良くない。
出発早々にして、この道を進む理由が無くなってしまったような気もしたが、まあ良い。
不通県道というネタにはならなくても、昭和30年代の地形図には記載されていた道が現在の地図で跡形もなくなっていることの調査といえば、全然“アリ”なのだ。
それに、数時間後には、この大分先の沿道にて沢山の古碑を見ることになる。
モータリゼーション以前の“大道”が、この辺りにあったのだ。
有名な甲州街道ではない、何かが。



 駅から5分。だいたい700mほど進んだところで、道は桂川に突き当たってぶっつりと終わってしまった。
終点は袋のように広がっており、「車の転回場所につき終日駐車禁止」という掲示がある。
峡谷に立ち籠めていた朝霧が朝日に透かされ散り散りになった、その名残のような小さな白い塊が目の前に浮かんでいる。
それは、何か不思議な景色だった。



 最早にして道は怪しい。怪しすぎるくらい怪しい。
行き止まりから左右に、畦道が分かれていた。
その先には鉄塔が見える。
しかし、鉄塔より先ではいよいよ川が山に接しており、そこにこれ以上まともな道を期待するのはどうかと思う。

 観念したい気持ちになった。
まだ今なら諦めて引き返すのも容易だし、気持ちのハードルも低い。
しかし、一度足を踏み込んでしまえばなかなか引き返さないことを、私は知っている。



 少しだけ…

いつも、その粘りが私を困難へと誘うのだ。

今回も、全く同じパターンだった。

 鉄塔の下まで来た畦道は、そのまま谷へと下っていく細道となった。
畑の周囲を取り囲むようにして設置されている電柵(害獣から農作物を守るための通電した柵。数ボルト〜数万ボルトまである)が道の入り口を邪魔している。
解除の仕方も分からないので、チャリを担いで乗り越えた。
感電したことはないが、どの程度の電圧が流れているか分からず怖い。




電柵を乗り越えて お地蔵様のある岩場


 6:29 【現在地

電柵線を乗り越えて…。

この薄暗い道へと下っていく。

古い地形図の道をなぞりながら県道の起点がある下畑まで抜けることが最終目的だ。
地図上から推定される残りの距離は2kmほど。
決して短い距離ではない。それにはじめからこの様子では先が思いやられる…。



 微かに車の轍も残る荒れた道。
電柵を越えるともの凄い急な下り坂になっており、雨の日などはぬかるんで車など通れなそう。
路肩には小さな石垣あり。
想像に反し、ここには車道が存在していた。
ここは、今のどんな地図にもない車道である。



 いま自分はどんなところにいるのか。
道は険しい崖を強引に切り開いて付けられている。
苔生した石垣が積まれた路肩の下からは川の音が聞こえる。
見下ろすと木々の隙間、かなり下の方に、濃緑の淵と白っぽい岩棚が見えた。
結構下ってきたつもりだったが、それでもまだ水面からは余裕で30m以上も高い。



 正気か!

こんな所にも四輪の轍がある。
しかし、道幅2m…いや1.8… もないな…
せいぜい1.6くらいしかないぞ。
石垣で補強されているとはいえ、ここを車で走るとは正気を疑う。
怖くないのだろうか。

見上げれば、いまにも崩れ落ちそうな一面の岩山。


 ん?


    あれは、なんだ…?



 オオッ! アレはっ…


 お地蔵さま〜。

 振り返って見上げなければ絶対に気付かないような岩の隙間に、それぞれ異なった表情を持つ三体の地蔵の姿があった。
いつ頃からここにあったのか。かなり風化していることが見て取れた。
沿道に見られる他の古碑と共に、いまや失われた往来の在りし日を見守ってきたのだろうか。



 こんな場所をよくぞ車で通ったものだと感心…呆れる。
地蔵の下を潜って進むと道はやや広さを取り戻すが、依然として大変に険しい地形を往く。
滝のように桂川へ落ちる沢が道を横切っており、その流れは文字通りに道を乗り越えている。
今日は水量はないが、これまでに堆積された大量の土砂が道を覆う瓦礫の山になっている。
しかも、ここを通る車と来たら、それをものともせず乗り越えているらしい。
瓦礫の山は踏みならされ、路面は本来の石垣上端から1m近くもせり上がり、しかも谷に向かって傾斜している。
身軽なチャリでさえ転落しやしないかと恐ろしさを感じる道だ。  



 ここまでは全体的に下り基調で進んできたが、沢を渡って急転直下、いきなりドギツイ登りが始まる。
路面状況が悪く、漕いでも漕いでも駆動輪である後輪が空転してしまう。
また、力みを利かせると今度は前輪がウィリー気味となって安定しない。
路面に積もった落ち葉が憎い。

 ぐぬぬぬぬ。  

息を弾ませここを上り詰めた。
結局、最初に下った分くらいは上らされるのだ。



 ほぼ平坦になった道。
今度は両脇に笹が目立ちはじめ、道幅を浸食しつつある。
朝露で湿った葉っぱにハンドルがあたり、撥ねた水滴が顔めがけて飛んできた。
真夏なら気持ちよい洗礼も、4月上旬の朝のひんやりした日陰では何も嬉しくない。
こんな時に、濡れ藪にはいるのは勘弁して欲しいぞ…。

 んあ? 前方に何やら人工物が見えてきた。なんだアレは。





 モッ モトクロス場だ!

かつては力強きオフローダー達を迎え入れただろうゲートが、ひどく色褪せて残っていた。
こんな場所で、商売をしていたのか…。
何より驚くのは、いま私が通ってきたひどい道を除いては、ここへ車なりバイクで来るようなルートが無いだということだ。

 でも流石に流行らなかったのか、その『本格的モトクロス SKM』とやらは、開門したまま閉園してしているようだ。
あたりは完全に静まりかえっている。鳥の声もしない。




 怪しき谷の道 その末路やいかに。  次回最終回。