普段は衛生陶器関連で研究をしていますが、隧道は怖いもの見たさでやまいがを見ております。
衛生陶器関連の文献として「陶榮100年の回想」という本を購入したのですが、その中で53ページに「明治期にあって、丘陵にトンネルを開け、トロッコを走らせるという輸送システムを導入した」と書いてあり、とても珍しいのではと思い、こちらに書いています。
同本52ページにはトンネル内部の画像と坑門?のイラストが載っています。
以下に内容の要約を載せます。
・陶榮株式会社の工場西側には番所山という丘陵があった。
・番所山は工場と海岸製品置き場の間にあったのでそのにトンネルを掘り、トロッコを走らせるようにした。
・トロッコ線は、当初船積みのたえの置き場へ品物運送用として整備されたが愛電常滑線(のちの名古屋鉄道の1つ)開通後は貨車積用の置き場への出荷用に昭和初期まで使用した。
・県道を途中で横切る際、陶榮株式会社の踏切係が旗を持ってトロッコの通貨を管理した。
とあります。
なお、番所山は大正2年の不況時の街の失業救済事業として取り払われ、INAX(現・LIXIL)を含む新田地区の埋め立てが行われたそうです。
今はもうないかもしれませんが、大正2年に取り払ったあと、昭和初期まで鉄道線が使われていたと書いてあるとどこを通っていたのだろうと思います。