いまさらながらで申し訳ありませんが、ヨッキれんさんの「れん」とはどういう由来があるのでしょうか。みんな略してしまっているようですが、本人に何か思い入れのあるものであれば、勝手に略してしまうのもまた良くないことかな、と思ったからです。うまく質問の文が浮かばなかったので、気にさわるようでしたらそのままこの文を消してしまってください。
「こういう由来です!」と語るほどたいそうな由来ではなく、かといってもったいぶるほどのものでもないので、簡単に説明しましょう。中学生の頃の私の趣味は、紙と鉛筆とサイコロでいろいろなゲームを作って、学校で友達と遊ぶことでした。当時のあだ名は義之という名前をもじって「ヨッシー」でした。ゲームを作っているということでいい気になった私は「ヨッシー企画連盟」と名乗るようになり(意味分からんとか言わないで!(恥))、さらにそれを縮めた「ヨッ企連」となりました。当時の趣味は格闘ゲームで、ネオジオが大好きでしたねー。ネオジオフリークという雑誌にはすでに「ヨッキれん」のPNで読者投稿をしていました(笑)。やがて趣味が自転車から廃道にシフトし、PNがHNとなって今に至るのでございます。はい。つまらないお話しでしたね。
いえいえ、自分もそういう時代があったなぁ、と思い出しました。同世代だとやはり同じようなことが流行るんですね。ところで、<道路レポ-38>の仙婆巌の由来(というより昔話)を調べてきました。お話は、性悪な女が継子を亡き者にしてしまおうという話で、男岩(例の大岩)から投げ落として無事だったほうに遺産を渡すことになりました。実子は柔らかい綿と千把の萱(かや)でくるみ、継子は少しの萱でくるんでそれぞれ突き飛ばす・・・(以下略)、そこから千把萱(せんばがや)とついたそうです。実際にも「数丈の岩鼻突如として路傍にかかり、行人をして転々戦慄せしむ。矢作川の清流その岩脚を洗い、四辺の風景誠に壮観たり」との記録も残っており、完全な片洞門であったようです。本に載っていた片洞門時代の写真を撮影してきたのですがどうしましょうか。
>本に載っていた片洞門時代の写真を撮影してきたのですがどうしましょうか。画像データとしてお持ちでしたら、ちょっと拝見させてください。<(_ _)>
『日本の廃道』の掲示板をお借りして画像アップしてきました「本に載っていた写真」の写真なので見づらいですが・・・。少なくとも昭和40年以前の写真です。
ありがとうございます。これから拝見させてもらいに行きたいと思います。(ちなみに、この掲示板も画像の添付は可能ですよ。)