都道53号青梅秩父線 吹上隧道 第2回

公開日 2006.04.06
探索日 2006.04.02



闇のなかの暗闇

昭和の吹上隧道に遭遇

06.04.02
00:58

 暗闇の中では、道路標識というのは本当に浮き上がるように光って見える。
もちろん自身で発光しているわけではないのだが、僅かな光が当たるだけで、その何倍も光っているように見える。
それまでガードレールしかないと思っていた路肩側に、白い物が突然光った。
 それは、まだ真新しいように見える路線名標識。
別に使用箇所に規定があるわけではないと思うのだが、イメージ的にはこれは都会のストリート向きであり、こんな山道で見ることは珍しいように感じた。
東京ではこれが普通なのだろうか……。

 なお、盤面には「成木街道」と書かれてある。



 入口から600mほどで、ほぼ平成の吹上トンネルの坑口直上へ辿り着く。
ここで旧道はいよいよその進路を峠の稜線に正対する向きに改める。
夜闇のため行く手は見通せないが、なおも点々と街灯だけが点灯しており、峠に口を開けているだろう隧道へと、私を誘うのだった。

 なお、この場所にも立て看板がある。
その文面は「このさき車の通り抜けは出来ません。この場所で折り返してください。」というものだ。



 目的の隧道が現れるべくして、現れた。
そのこと自体は驚くようなことでも何でもないのだが、恥ずかしながら一瞬ギョッとしたのも事実である。
それは、街灯ばかりでなく、隧道の照明まで煌々と照っていたからだ。

 そして、一つの星明かりも無い夜空なのに、明治以前の旅人たちが越えたという吹上坂のシルエットがくっきりと浮かび上がっていた。
一千万人が暮らす大東京が漏らす光は、空の色さえ変えているのだった。
もう何十年ものあいだ、この空は本当の夜を体験していないのかと思うと、なんだか、寂しい気持になった。



 昭和の吹上隧道。

 「全国隧道リスト(昭和42年版)」にもこの隧道は記載されている。
それによれば、竣功は昭和28年(昭和33年という情報もある)、延長245m、幅5.5m、高さは4.2mである。
この隧道が完成する以前からこの峠には明治期に完成した初代の隧道が存在していたが、この2代目吹上隧道の完成を待って初めて吹上峠は自動車の越えられる峠になったのである。
戦後の復興も一段落した頃に生まれたこの隧道は、東京が一番育った時期を増え続ける往来に感じながらも長く現役を貫いたが、より便利で安全な道を求める人々の欲求はやがて平成の吹上トンネルとして形を成し、平成5年に40年間の生涯を閉じた。

 ……筈なのだが…、なぜか照明が点いている。
かといって、当然のように人影はない。
では……、誰が為に……。



 フラッシュを焚いて撮影すると、初めて隧道の全体像が見えた。
それは昭和28年とも33年とも言われる竣功時期を裏付けるような、コンクリート製でありながら重厚な壁柱の意匠を持つ、コンクリートブロックを多用した坑門である。
路面のセンターラインは殆ど消えており、大型車同士のすれ違いには難があるだろう中途半端な2車線が、天井に一直線に連なる照明の下に真っ直ぐ続いていた。僅か245mの隧道だが、決して短くは見えない。



 おおきめのおでこには、堂々とした御影石製の扁額が埋め込まれている。
私はこの、少し古いと言うだけで“何の変哲もない”隧道が、関東地方有数の心霊スポットであり、おもしろ半分で来ている人も多いのだろうが、本当に怖い思いをする人がいるのだと言うことも、知っている。
真剣な表情でその恐ろしさを語る人を見ると、私は「自分は怖くないから」と言ってやり過ごす事が出来ないように思う。
怖さを感じると言うことには、理由があるのだ。そして、怖さは、現実にない像を視界に結ぶ事さえある。
幽霊を見たという人は、本当に見たのだと、私は思っている。

 そして、そのような恐怖は、確かに私にも、かつて存在していたのだと言うことを、忘れたくはない。



 例えばこの写真。
右側の側壁には、顔のような物が見える。
心霊写真などというつもりはないが、確かに私に目にも、顔にしか見えない輪郭が、確かにそこにはある。

 私が廃隧道を恐れない理由は、ただ単純に、慣れだ。
数十、或いは百にも届く数の廃隧道を、この目は見てきた。そして潜ってきた。
その中には、都市伝説の域を逸脱した、現実の事件の舞台となった忌まわしき隧道も幾つもあったし、私の探索後に、実際に人間の遺体が発見された隧道さえあった。
古い隧道レポートを読むと、当時どれだけ廃隧道に潜ると言うことが、特別な事であったのかが分かる場面がある。

 経験から来る慣れは、私から本来誰しも感じるはずの闇への恐怖や、入ってはいけない場所へ入るという背徳感から来るドキドキを、奪い去ってしまった。
隧道レポートはもう私の中では、ただ単に私の目に映った景色を文字にするだけの、ツマラナイ作業に成り下がりつつあるのではないかと思うことがある。
凄く残念なことだが、これは、たくさんの廃隧道を歩くオブローダーには、避けられない現実なのだと思う。



 先の写真の顔。
何のことはない、誰かの悪戯書きである。
これで怖い気持ちになれた頃が、懐かしい。

 ああっ!

 なんてツマラナイレポートを私は書いているんだろうか。
ただ、古い隧道の諸元を記し、現状を告白するだけだったら、もう書きたくない!



 心のどこかで期待していたような何らかのイレギュラーが起きることもなく、無事に東京側の坑口へたどり着いた。
こちら側も、反対と同じ造りの重厚な坑門であった。

 しつこいようだが、もう一度言いたい。
怖いという感情は、あなたの宝物だ。
スリルは何物にも代え難い旅のスパイスだ。
結果の分かっている旅ほどツマラナイ物はないし、逆に、旅の本質は未知に挑む快感なのだ。

 そうして、オブローダーは、寿命が縮むような物理的な恐怖を求め、徘徊するようになる……。
関東最怖だろうが、日本最怖だろうが、精神的なスリルには限界がある(と私は思う)。
怖がろうとしない者には、怖がれない絶対の壁があるのだから。(そして、その壁を強引に取り払ってくれるような、新しい恐怖の出現を、心のどこかは待ち望んでいる。)

 

 子どもの頃、好んで読んだケイブンシャ(だったかな?)の恐怖体験や心霊写真の本。
そんな本たちの冒頭グラビアには、こんな写真が必ずあった。
そして、ショッキングな文字でこんな事が、書かれている事が多かった。


行き場のない霊魂たちは、都会のかたすみで犠牲者が現れるのを待っている!

 この目の前の坂道を下れば、やがて現道へ合流できるはずだ。
だが、時間的な都合もあって、行くか退くか迷っている時に、


 坂の下の方から、明らかに人の声と、足音が近付いてきた。
数人の若者たちが、何やら談笑しているようだった。
オブローダーとして廃隧道に興味があってここへ来た私が、ありもしない心霊をネタに肝試しに興じる若者たちよりも高尚なのだと、正直に言えばそう思った。
だが、よく考えてみれば、こんな夜更けすぎに趣味に興じている同士、別に程度に違いはない。
ただ、興味の対象が異なると言うだけのこと。
それだけのことだ。

 若者たちの場所をわきまえない大声を聞く内に、私は引き返すことに決めていた。
もう私もオヤジ狩りされかねない歳だし、彼らに心霊スポット探索に興じる寂しい独り者と思われるのも癪だから(笑)。

 

 火のないところにも煙は立つのだ。
こと、心霊スポットの噂などというものについては。
そんなことを漠然と考えながら、いま来た隧道へと踵を返した。
もの凄く失礼だが、こんな夜中にも人が大勢来るような廃隧道には、面白みなど感じられない。廃隧道としての素質の問題だとさえ思う。悪いけど、私の中では、吹上隧道は失格だ。立地が悪かったというそれだけのことなのだが……。
やはり、我々オブローダーは、人が余り見ていない景色を独り占めすることに快感を覚える生き物なのであって、手垢や目脂にまみれた廃隧道など、人になついたライオンの如し。
それと、景色が十分に見えない夜の探索は、正直、余り面白いものではないなと言うのも、感想に含めるべきか。

 

 このあと、明治の隧道にも行きました。
果たしてそこには、私を喜ばせるような発見があったのかどうなのか?
期待せずに、待て!