2008/10/23 8:02 【現在地(別ウィンドウ)】
推定延長140mの大沢隧道は北口が完全に閉塞しており、南口から進入した洞内にて行き止まりにぶち当たった。
土とカビの匂いが充満する、おなじみの隧道閉塞風景。
しばし見つめた後、私は十分にやり遂げた心持ちとなって踵を返す。
ぼんやり見える坑口が、私を生還へ導く唯一の灯光。
だがあそこへたどり着くためには、再びあの嫌らしい泥の沼を越えてゆかねばならない。
自業自得だが、こんな時はいつだって気が重い。
しかも、今回はことさらに嫌な事情が…。
水没エリアへと再突入。
そして、嫌な予感が的中。
…洞床が全然見えないよ。
水が濁っちゃって…。
当然、この状況では…
あの 一斗缶たち を避けてやることは出来ない。
その気持ちの悪さたるや、筆舌に尽くしがたい。
マジで力が抜ける。
あの、真っ黒く腐りきった無数の一斗缶が、見通せぬ濁り水の底で私の足に踏みにじられ、ザクザクと崩れていく感触。
その瞬間、私の足は長靴の上まで一斗缶の残骸にめり込んでいたに違いないし、一時は水面にもその破片が浮かび上がっていたかも知れない。
だが、私にはとても足下を見下ろす勇気は持てなかった。
本当は目さえも瞑りたいくらいの気持ちであった。
だから、出来るだけ足の感触を鈍らせるように心がけながら(無理です)、ザクザクが途絶える出口までひたすら隧道の中央を歩き続けたのであった。
中に何が入っていたのかも分からない、一斗缶たち。
私の通過により、確実に一斗缶10個以上が大破。
内容物がもしあれば、それも拡散した。
最も深い泥の沼地を突破して、なんとか上陸=脱出。
写真は、何かに汚染された可能性がある私の下半身。
…というのは悪い冗談としても、毎度毎度水からあがってきた時の姿は情けないものがある。
しかも、長靴なんぞ履いているから余計に滑稽である。
その長靴は飾りなのかと自問したいところだ。
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8:07
不快な閉塞隧道を脱出し、地上へ戻った。
今一度振り返り見る隧道の姿。
今度はちゃんと写すことが出来たけれども、
私を受け入れてくれたという感じは、しなかった。
坑口前から見上げる峠への大斜面。
数え切れないゴミが散乱している。
私や「てんてん」氏は、ここを隧道へのアプローチとした。
なぜならば、地形図には描かれている旧道が発見できなかったからだ。
斜面の高低差は40〜50mもあり、140mの長さでこれだけの高度から解放されたというのは、決して効率の悪い隧道ではなかったと思える。
先ほどは下って来るなり“ほいほい”と坑口へ吸い寄せられてしまったが、改めてその立地を確かめる。
坑口前は、谷を埋め立てたような30m四方くらいの広場になっている。
そこでは幹とも根とも付かない大量のツタが制空権を争っており、見通しは効かない。
左の写真は、広場を振り返って坑口方向を写したものである。
そして広場の一方。坑口からは対角線上にある地点から、一本の道が…
廃道が、伸びている。
これぞ、現道側から入り口を見つけることが出来なかった旧道に違いない。
合流まで、地図読みで約450m。
帰路はこれを辿ることにした。
道は確かな痕跡を伴って、急な山腹を東へ進んでいく。
道幅は狭いところで2m、広いところで4m程度。
路面には分厚く落ち葉が堆積し、多くの倒木や枯木が散乱しているが、その下の路盤は堅い。
掘り返してみたところ、それは土を搗き固めた昔ながらの路面であった。
山側の法面には掘りっぱなしの岩盤が高々と露出しており、ここを車道たらしめる確かな意志のあったことを教えている。
隧道へ繋がる廃道の面持ちとしては、文句なく良質。
これを辿った(正規の)アプローチが出来なかった自身の甘さに、ほぞをかんだ。
地形図では読み取れないほどの小さな蛇行を繰り返しながら、ほとんど見通しの効かない斜面を進んでいく。
ここはちょうど枝沢を渡るような地形になっているが、道はあくまで地面に親密であり、橋や暗渠は用いていない。
ここまで、石垣などの築造物は一切見られない。
そして、この雰囲気の良い谷間の廃道にも、見たくない遺物の姿がちらほらとあった。
それは、大概が白いから山の中ではとても目立ってしまう。
いったい今度は何のゴミなのだ…?
Oh… Ben Key!
It's "OMARU" style.
ノ〜!
またBen Key!
It's "OTOKO" style.
使用済み便器が2器。
当然、現道からもたらされた廃品だ。
コノヤロー… 折角のいいムードが台無しだ。
便器ごときで心折れてはいられない。
その先には、さらによく原型を留めた廃道が続いていた。
落石や土砂崩落など、クルマが通れなくなるほどの大きな崩壊箇所は見られないが、明確な轍の凹みがあるわけでもない。
昭和50年代初めに峠越えの現道が着工した当時、ここはどんな状態だったのだろう。
廃止されてから経過した月日は、路上に育つ木の太さなどから、10年以上30年未満と私は読んだが、もともとさほど利用度が高い道ではなかったのかも知れない。
何となくだが、そんな気がする。(隧道でもそれは感じた)
次のカーブで路肩から覗き込むと、30mほど下に白い川のようなものが見えた。
それは、現道のアスファルトロードである。
いま、この道は上も下も現道に挟まれた。
早晩どこかに合流することは確実だが、それはいったいどこだったのか。
私にとって、自身のロードファインディング力(※)の甘さを反省するための、重要な局面である。
(※ 見えざる道を見つけ出す能力のことで、オブローダーとして最も重要なスキルの一つである)
上も下も遮られたとはいえ、上の道はまだ目視できない。
だが、確実に近づいていると思えるのは、再びゴミの量が増えてきたからだ。
この地形ならば本来、現道から捨てられたゴミはそのまま斜面を転がって自身へとたどり着きそうなものだが、旧道という段差が、文字通りのゴミだまりになってしまっている。
久々に“MOWSON”を出張開店する必要がある。
とはいえ、私はこの手のグッズにはとことん疎いので、まあ"ガンダム風おもちゃ"と言うことにさせて貰おう。
今日のMOWSONは、“おもちゃ屋”らしいぞ。
スポーツカーのミニカーだ。
こいつにとってはこの廃道も、大都会の目抜き通り並に広幅員だろう。
うわっ…
そこにあるのは…
…なんか嫌な予感…
もしや、俺のトラウマキャラでは…。
いやーーッ!!
なぜこんなものがあるのよ!
わたし、 ピエロとか、ピエロっぽいものが大嫌い。
チクショウ!
チクショウ! チクショウ!!
気持ち悪いもの見たさで思わず拾い上げてしまった。
したっけ、目が合った。
つか、なんなのやこのポーズは。
まじ、気持ち悪い。
下手に拾い上げてしまったせいで、地面に戻すとき…なんか、気まずいし…。
こっちみんな!!!
速攻MOWSONを閉店して場を離れた。
わざわざ○ナルドを捨てるためにここまで廃道を歩いてきた人がいるならば驚きだが、おそらくはおもちゃ箱ごと数十メートル上の現道より放り投げたのだろう。
中身の入ったおもちゃ箱を捨てる背景というのは…、
あまり深く考えるのはよそう……。
杉の林が途絶えて空が見え始めると、急に路上をものすごい量の若木が占拠し始めた。
初めて藪らしい展開。
あぶぶぶ…
これは行けません!
しなやかな若木たちによる、狂おしい鞭ラッシュ。
正面突破は不可能と判断し、ここだけは法面の上の山腹へと迂回した。
迂回は20mほど。
唯一進路を悩んだ区間であった。
場に似つかわしくない今風なコンクリートブロック壁が法面の位置に出現。
だが、これは明らかに現道向けの治山工事である。
この場所で旧道はいっとき、その道幅を数十センチにまで狭めている。
いよいよ現道による旧道敷きへの影響が深刻化しそうである。
む。
この一斗缶は…。
隧道内部で大量に見た一斗缶の仲間だろうか。
ラベルははげており内容物は不明であるが、とりあえず“空”のようだった。
写真はこれ一枚だけであるが、実は坑口前の広場やここまでの旧道上の随所で同じ一斗缶を見ている。
単に一斗缶を捨てるだけならばわざわざ隧道内に置く必要も無いわけで、この旧道や隧道と一斗缶の関わりは何か深いものがあるのかも知れない。
坑口から300mは来た。
現道による包囲網は狭まっているはずだが、依然として(ゴミさえなければ)感じの良い廃道風景が続いている。
それにしても、非常に勾配の緩い道だ。
まるで森林鉄道跡のようである。
『全国森林鉄道
』の巻末リストに、茨城県の林鉄は無い。おそらく一つも路線が無かったと言うことなのだろう。
しかし、隧道内にあった待避所らしい横穴といい、この勾配の緩やかさといい…、“大沢道”は鉄道の匂いがする道だ。
上(←)にも下(→)にも、道が見えてきた。
地形図どおり、二つめのヘアピンカーブ付近に“出る”ことは間違いないようだが、先にそこは重点的にチェックしているはず。
それでも見逃しがあったと言うことか?
8:21
隧道から約400m。
突如として旧道は途絶えた。
切れ落ちたその下には、コンクリート吹きつけの斜面、そして、アスファルト。
地形図からは読み取れなかった、“不連続接続”である。
納得。
これでは来るときに気付けなかったのも道理というものだ。
矢印の位置まで旧道は来ていたが、さすがにこれは… 無い。
しかも、地形図の指し示していた新旧道の分岐地点とは、微妙にずれている。
(←)
地形図が示す分岐地点は、開通記念碑の地点であるが、それは誤りであった。
もっとも、これは責められないミスだ。
限られた図幅の中で、ヘアピンカーブの内側から分岐するなどと言う“変な線形”は、描きたくても描けないのだ。
(→)
誰の役にも立たなさそうだが、正確な分岐地点はご覧の通りだ。
図中に「推定」と書いた部分は、コンクリート吹きつけの法面になっており、高低差は5m近くもある。
現道は少し掘り下げられているのだろう。
辺りに旧道へアプローチするための踏跡などはなく、てんてん氏によって隧道が発見されるまで、本当に「知られざる廃道」だった可能性がある。
読者の皆様はすっかりお忘れかも知れないが、私の下半身は当然ずぶ濡れのままである。
いつだって。
探索が終わった後にはちょっとだけ後悔する。
これからの旅はしばらく、この濡れた下半身と一緒なんだと、落胆する。
少しでも早く乾きたいから、靴を脱いで裸足でアスファルトを歩いてみる。
したらば、また出た。
カッパ出現! …の痕だ。
天気の良い日に、水辺じゃないところに突然現れる濡れた足跡。カッパか幽霊か。
真相は、オブローダー。
この後、私は峠まで歩いて戻らねばならなかった。
チャリを回収するために。
十分後にたどり着いた峠には、さっきはいなかったワゴン車が止まっていた。
ちょっと焦った。
「私のチャリはゴミじゃないよ。 不法投棄なんかじゃないんだからね!」
その場にドライバーは見あたらなかったが、私はすぐにチャリを取って峠を下りた。
いくらかの疑問が残った大沢道。
その机上調査は、これからの予定。
何かが分かったら、また報告する。