隧道レポート 新見市法曽の鬼女洞 第1回

所在地 岡山県新見市
探索日 2026.03.21
公開日 2026.03.27


トンネル(隧道)って、なんだ?


トンネル

1.山腹や地下などを掘り貫いた通路。鉄道・自動車道・人道や水路用。隧道。 (2.以下略)

『デジタル大辞泉』(小学館)より

色々な辞書を見てみると、トンネルとは、山や地下を掘抜いた人工の通路を指すものらしい。

我々も特に意識せずとも、普段からそのような用途で使ってきたと思う。間違っていなかった。



中国地方のちょうど真ん中辺りに位置する岡山県新見市に、鬼女洞きめんどうがある。

そこは以前探索して紹介した、岡山県道50号の万年通行止区間である“無明谷”から東へ6kmほど離れた高梁(たかはし)川沿いで、近くを国道180号が通っている。

「鬼女洞」の名前は、地理院地図をはじめ、市販の地図にもだいたい書かれているが、その扱いは大きくなく、すぐ近くにある新見市最大の鍾乳洞である井倉洞や、高梁川の紅葉の名所である井倉峡、あるいは絹掛の滝が幅を利かせている。

鬼女洞は、その名から容易く予想できるとおり、鍾乳洞である。


鍾乳洞

石灰岩の割れ目から入った雨水や地下水の溶解作用によってできた洞窟。洞窟内は地下水が流れ、天井からは鍾乳石、下には石筍が立ち並ぶことが多い。石灰洞。

『デジタル大辞泉』(小学館)より

鍾乳洞は、人工物ではない天然物だ。すなわち、辞典的にはトンネルたり得ない。

しかし我々道路ファンは、その僅かな例外を知っている。
当サイトでは未発表だが、私も執筆に参加した『日本の仰天道路(間もなく三刷増刷開始!)の巻頭に盟友よごれん氏が執筆された、岡山県道300号にある羽山第二隧道がそれである。

私も探索済みだが(すぐ近くの羽山第一隧道はレポ済)、あの素掘りのトンネルは天然の鍾乳洞を一部活用して掘られた、天然物と人工物のハイブリット・トンネルなのである。だから完全な人工物ではないし、完全な天然物でもない、トンネルであり鍾乳洞でもある、不思議な存在だ。
ちなみに、あそこと、この鬼女洞は、直線距離なら10kmほどしか離れていない。
この地域は、山口県の秋吉台と並ぶ一大カルスト地形(石灰石地帯)として知られる阿哲台を構成している。

天然洞はトンネルたり得ないというのは、辞書はともかく、道路世界では些か常識に収まりすぎた考え方といえるもので、鍾乳洞ではない海蝕洞を再利用したトンネルなどは、古今東西相当の数が知られている。こことかね。


少し前置きが長くなった。

今回紹介するのは、鬼女洞である。

この鍾乳洞には、地図上から読み取れる、とても変わった特徴がある。



地理院地図上の表記が、めっちゃトンネルだwww

←地形図で用いられる地図記号には、「トンネル」と「坑口」が別々に存在している。

「トンネル」は、その辞書の意味通り、人工の地下通路を表現するものとして使われているように見受けられる一方、単体の「坑口」の記号は、海蝕洞や鍾乳洞などの天然洞の坑口や、あとは人工物だが鉱山坑道の坑口にも利用されている。

鬼女洞は天然洞だが、少なくとも地形図の表現上だと、全長約200mの直線の道路(徒歩道)トンネルである。そうとしか見えない。
そしてこの地形図の表記に引っ張られているのか、手元のスーパーマップルデジタルなんかも同じように表現している。まるでトンネルのように…。

鬼女洞とは一体いかなる素性の穴なのか。
この地図表現を見たことで、初めて興味が湧いたのである。
というようなきっかけで調べを始めたのであるが、まずは現地へ行く前に軽い下調べをした(相手は私が慣れている「トンネル」ではないので普段以上に慎重に…)。

お馴染み『角川日本地名辞典』には、単独で「鬼女洞」の項目があり、次のように解説されていた。

鬼女洞(きめんどう)

新見市法曽字柏のドリーネの底に開口する鍾乳洞(石灰洞)。ドリーネの水が流入する吸込穴が洞口であり、末端は高梁川に面した石灰岩の岩壁に開口している。洞口が2つあり、貫通したトンネル穴。どちらからでも入洞可能である。吸込穴としての洞口は巨大であり、高さ15m、幅17m。平常は流水は少ない。洞内の天井の高さは約7〜15m。二次生成物は発達せず、つらら石・石筍・カーテン・石灰華がわずかに見られる。洞内には洞床より0.3〜1mの箇所に円礫の堆積層があり、豪雨時の状況が推定される。かつて観光洞として開発したが、交通の便、洞内景観ともに観光に適さず失敗した。

『角川日本地名辞典』より

「洞口が2つあり、貫通したトンネル穴」で「かつて観光洞として開発したが、交通の便、洞内景観ともに観光に適さず失敗した」、それが鬼女洞……。

なるほど、かつては観光客たちがこの洞内を通り抜けて(貫通して)いたのであろう。
そのような洞窟の特徴をわかりやすく表現するために、地形図の作成者はここに坑口と坑口を結ぶ坑道の線を書き込み、まるで全長200mの直線の道路トンネルのように表現したのであろうと想像する。

観光客が往来した事実を以て、鬼女洞はトンネル(すなわち交通施設)として利用されたものであると結論づけるのは、些か乱暴だろう。
観光客の目的はおそらく通り抜けにはなく、洞内の観光であったろうから、山を潜り抜けるための交通施設とはちょっと違う気がする。
その点において、先の羽山第二隧道や松陰くぐりほど、“トンネル的”ではない。

とはいえ、廃れた観光洞という部分にも些か興味を惹かれたし、それともう一つ、地図を見ていて気になる部分を見つけたのだ。
それが分かりやすいように、今度はカシミール3Dで地形を立体的に表現してみよう。


鬼女洞がトンネルの様に描かれている地形図を立体的にしてみると、現地の地形の特徴がより分かりやすい。

鬼女洞の西口がある「柏」という集落は、全体が盆地を通り越して傾斜の強い巨大な窪地のようになっているが、これがカルスト地形に特徴的なドリーネという浸食地形である。かつて学生時代に地学の授業で耳にした御仁も少なくはないだろう。
で、そんなドリーネに集まった雨水は、その底に口を開けた吸込み穴(ポノール)に呑み込まれ、地下の洞窟(鬼女洞)を流れて、出口である吐出し口から高梁川に放出されているのである。
この地下水の流れが鬼女洞を造った機序の全てであり、そこに人の力は介在していないとみられる。
(だから地形図の表現ほど洞内が一直線だとは思えないが、まあそれはおいおい…。)

で、この立体図だとより印象的に見えるのが、洞窟の東口から高梁川の縁を走るJR伯備線の線路まで続く、恐ろしく急傾斜な徒歩道の存在だ。

観光洞であったというのなら、この線路上に駅でもあって、坑口まで観光歩道が続いていたのだろうか。
駅などあった気配はないが、この歩道は地形が凄まじく険しい事も含め、今どうなっているのか、とても気になる。
対岸には国道180号が通じているが、川を渡る橋が見当らないし、線路側から鬼女洞へ行く手段が思いつかない場所である。


私が興味を感じるものが幾つも重なり、探索のプランが固まった。

西口の柏集落から出発し、鬼女洞を通過後、東口から伯備線の線路まで歩道跡?で到達することを目指す!

なお、鬼女洞をキーワードにして検索すると、あまり新しい情報は多くないものの、探索の記録は少なくない。
その多くは洞窟ファン(ケイバー)たちで、道路として云々しているひとはいなさそう(笑)。
だから、東口に通じる歩道跡?については、マジで情報が少なかった(楽しみ)。
幸いにして、かつて観光洞であったくらいだから専門的な洞窟技術はなくても通り抜けできるようだし、そもそも封鎖されていないという情報が嬉しかった。


鬼女洞へGOだ!


(この探索を後えたとき、私はトンデモナイ人物と遭遇する……)


 新見市法曽の山中に、ドリーネに暮らす●●を見た!!!


2026/3/21 8:05 《現在地》

ここは新見市法曽(ほうそ)の柏集落へ通じる道の途中にある、諏訪大明神の神社である。
最寄りの国道180号からは1〜1.5車線の山道である市道を約4km辿ったところで、地図上で見るよりは遙かに国道から遠い場所である。
それこそ、鬼女洞がある位置に道路のトンネルや高梁川を渡る橋がありさえすれば、1kmも離れていないのだが。

それはともかく、私はこの広い神社前に車を止め、自転車に乗り換えて進むことにした。
鬼女洞はかつては観光洞だったらしいが、おそらく現在では観光客向けの駐車場などなさそうな気がする。
地図を見ても、狭い道が入り組んでいる柏集落のどん詰まりに洞窟は描かれているから、小回りが利く自転車の方が何かと良いだろうという判断だ。

傾げた木の鳥居越しに、この後の探索の無事な成功を祈念してから、いざ出発!



国道180号が通る高梁川の底の標高が約180mで、諏訪大明神が標高280mであった。
自転車で出発してわずか2分後、標高290mの“峠”にたどり着く。
この峠には特に名前はないようだが、鬼女洞の西口がある柏(かしわ)集落は、この峠一帯から東側に展開している。
実際峠の直前まで来ると、向こう側に立派なお屋敷が立ち並んでいるのが見えてきた。

少し前まで重い川霧に包まれていた白い世界が、鮮烈な太陽の光の洗礼の前に開闢していく、そんな幻想的なシーンに私はたまたま立ち会っていた。



8:07 《現在地》

複数の分岐がある峠頂上の様子である。
鬼女洞へ向かうには、道なりに真っ直ぐ通りやすい道を選んでいけば良い。
ここから先、道は下りに転じる。

新見市が設置したものらしい独自デザインの案内標識(“緑看”だ)が、分岐(矢印の位置)に設置されていた。
チェンジ後の画像がその盤面で、直進方向にちゃんと「鬼女洞(きめんどう)」と書いてあった。
観光開発は失敗・終息したらしいが、特に隠したい様子はなさそうで、なんか安心した。



明るく見晴らしのいい峠の東側には、茅葺き屋根に金属板を葺いた高い屋根の家屋をはじめ、伝統的な日本家屋が点在している。
いかにも中国地方の山間部らしい集落風景であると思う。
ここから東側へ道なりに下って行くと、緩やかな谷底の斜面に小さな畑が展開し、家並みは一旦途絶える。



だが、200mも下って行くとまた人家の集まっている場所が見えてきた。
坂道はかなり急で、既に峠の頂上から外れて、中腹と言える高さまで降りてきている感じだ。
だが、谷全体が切り開かれていて、とても光に満ちている。



見えてきた家並みの向こう側は、さらに低い土地が広がっていて、まさにいま下っている谷筋の下流を見ているわけだが、その地形の様子に明確な違和感がある。
それが何かといえば……

この谷には出口がない。

谷が下って行く先に、こんもりと杉の繁る小山が立ちはだかっていて、谷はそこで終わっているように見えるし、実際地形図で見る地形もそうなっている。
これが、石灰石地形に特有に見られる、ドリーネと呼ばれる窪地であり、柏集落の一部は、ドリーネの内部に暮らしているのである。

そして、私が目指す鬼女洞の西口は、このドリーネの底にある。
私はこれから鬼女洞を貫通し、杉の小山の向こう側に深く落ち込む、まだ見ぬ高梁川の底を目指すのである。
写真の最も奥に見える霞んだ高い山は、その川の対岸に聳えている。



8:10 《現在地》

峠の頂上から東へ下ること約400m、最後の人家が現れ、車道もそこで終わっていた。
地理院地図通りの風景である。
ここは標高が250mほどで、この短い距離で40mも下っていた。

チェンジ後の画像は振り返ったものだが、出口のない谷の底へ、これだけ下ってきたのである。
ドリーネの底に滞在したことなど、私自身これまでいくらもない体験だったと思うが、峠の辺りと比べると明確に“無風”を感じ、寒冷期は過ごしやすかろうと思う半面、夏は暑そうだなと思った。

地理院地図だと、この最後の人家から鬼女洞の西口まではあと250mほどで、引き続き谷に沿ってもう20mくらい下る必要がある。
点線の徒歩道が通じていることになっているが……、その道の入り口がどこなのか、ここで初めて迷いを感じた。
なんとなく予感はしていたが、ここには観光地らしい開発の気配がまるで感じられない。本当にただの長閑な集落のはずれである。



迷いながら、周囲を見回していると、見慣れたデザインのこの標柱を見つけた。
どこにでもある、土石流危険渓流の看板なのだが、この看板には河川名が書いてあるのが通例だ。
そしてこの看板にも、河川名が書いてあった。

「高梁川水系 柏南平谷川」

地形図には水線さえ描かれていないこの谷の河川名は、そういうらしい。
普段ならそこまで気にしないが、なんといってもこの河川は、この先で鬼女洞を流れ下ってから、本流である高梁川に注ぐのである。
こんな途中経路を持つ河川というのは、多くないはずだ。平然とした看板だが、面白いと思う。



8:12

集落のはずれから、洞口への最短ルートを決め打ちすることができず、とりあえず自転車を置いて身軽になって、歩けそうな地形を無造作に歩いてみることにした。
実はこのとき、1匹の外ぬこを発見しており、洞口への道案内を請おうと思ったのだが、人慣れしていないようで、まんまと逃げられてしまった。
もしかしたら、世にも珍しいドリーネ暮らしの猫……「ドリーネコ」……だったと思うのだが、交渉も撮影も失敗。

刈り払われた谷沿いの農地を、歩き始めた。



8:14

集落のはずれのはずれ、刈り払われた畑が終わると、その先は完全な藪山になってしまった。
一応、地理院地図では洞口へ通じる唯一の徒歩道が描かれている座標上を辿っているのだが、全然気配が感じられない。
そもそも、観光開発に失敗したのって、いつ頃の話なんだろうか。それを調べてこなかったが、相当に昔なのかも知れない。
開発されていた気配を今のところ全然感じないのである。

チェンジ後の画像は、濃い藪に進路を阻まれた地点から、集落方向を振り返り。
まさに、擂り鉢の底みたいな所へ下り込んできたことがよく分かる景色であった。

……さあ、どうしようか。
洞口まであと200mくらいだろうから、藪を無視してとにかく谷沿いを下ってみるか。
地上の谷のどん詰まりが、洞口だと思うから……。
朝露でびっしょびしょになるだろうけど…。



8:17

少し遠慮がちに藪を掻き分け掻き分け進むこと100mほどで、パッと視界が開けた。
突如、刈り払われた道が現れたのである。
と同時に、例の“柏南平谷川”のゴロ石の川底もここで初めて現れた。
昨今の少雨のせいだろうが、全然水が流れていなかった。これは好都合だ。洞内が水浸しである危険性が低まった。

チェンジ後の画像は、私が辿ったミスルートと、ここに至る正規の刈払いルートを示している。
結論から言うと、地理院地図の表現に拘らず、【車道の行き止まり】から、そのまま真っ直ぐ進むと、この刈払われた歩道を辿ることができる。
誰が刈り払ってくれているのかは知らないが、ありがたい。



地形図上にも、確認できたアプローチルートを図示しておく。

ここまで来れば、洞口まで残り100mである。

いよいよ近い!

ヨッキれん史上前代未聞のトンネル表現された自然洞窟が!



8:18

歩行を再開すると、直ちに鬱蒼としたスギの人工林に入った。
植生だけでなく、地形も影を深くしており、特に行く手の方向には、背の高いスギよりも遙かに高い地山のシルエットが立ちはだかっているのである。
それが朝日を遮って、こんなに昏くしている。
なんとなくだが、もう半分洞窟に入っているような気分がする場所だった。

さあ、現れよ!!



出たぁ〜〜。

なるほどなるほど、

なるほどね。

確かにこれは、自然洞窟だ。

だって、水が流れていないから分かりづらいが、涸れた川の底の先に開口しているのである。
これが人工であるトンネルの坑口であったら、絶対にもう一段高い位置を選ぶだろう。
こんな水浸しになる場所にトンネルを掘るのは、ナンセンスである。

しかし、そのことを除外すれば、見た目的には……




うふふふふ……

こんな姿にまで変貌してしまった素掘りの廃隧道って、たまにあるよな……。

天然の洞口としてはなんら違和感のない風景だが、人工の廃隧道だと言われても、それっぽい気がしてしまうくらいには、私は廃隧道の経験を積みすぎていた。

あと、肝心なこととして、入り口が塞がれていない。事前情報の通りだが、嬉しいぞ。
これでますます、地形図の表現通り、平然と通り抜けられるべき現役トンネルっぽい条件が揃った。
世の中には一人くらい、地形図だけを頼りに自然洞窟だなどとは微塵も考えずここまで来て、そのまま通り抜けた“鈍感猛者”だって、いると思う。てか、いて欲しい。




いやいやいやいや! 前言撤回だ!

これはやっぱり人工のトンネルたり得ないスケール感と、奔放すぎる洞口形状!!

先人の記録にも登場している、かつて観光洞としていた時代に照明を引き込むために使っていたという電線の名残(碍子)が坑口上部に設置されているのを見つけたのだが、これがスケールの基準になっている。
碍子は洞床から4mくらいの高さに取り付けられているのである。
この天井だけでなく、歪な形をした開口部の横幅も広く、これは人間が作るような形じゃニャイ!


全体に無駄にデカいこいつは、紛れもなく天然物!!!



くっそ。

こんなものをトンネルとして描きやがって……。

おかげで入らなければならないじゃないか!! 天然洞の経験値なぞ、ほとんどないのに! レベル2とかだよたぶん。







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