隧道レポート 沼津市口野の“隧道の辻” (中編)

所在地 静岡県沼津市口野
探索日 2008. 2. 4
公開日 2008. 2.16

【mapion 現在地】

 8本もの隧道が口を向ける“隧道の辻”こと口野放水路交差点。
今回は、ここから派生する個性的な隧道達を紹介しよう。

まずは、予想外の遭遇となった口野トンネル脇の封鎖された坑口。その謎を解こう。





奇抜な双頭トンネル

 国道414号口野トンネル脇の謎の穴


 国道414号口野トンネルの脇に、車道にしては小さい坑口が口を開けている。
現道に平行する小さいトンネルといえば旧隧道だと考えるのがセオリーだが、もとは石切場だったらしい垂直な崖に鋼板アーチの簡易な坑門が飛び出している姿は、いかにも建設途中のトンネルである。

なお、口野トンネルの全長は約120mほどで、真っ直ぐ正面の小山を貫いている。
向こう側は伊豆の国市(旧伊豆長岡町)である。



 別のアングルから撮影。

昭和42年竣工の口野トンネルは、歩道の狭さが殺人級である。
肩を触れあわなければすれ違えないし、自転車同士などとなればもう、お手上げである。
にもかかわらず、半島内陸部から沼津・静岡方面への主要な幹線道路になっているために、昼夜問わず通行量は多い。
写真を見ていただければお分かりのように、車道を自転車で通行するのも怖い状況だ。

この状況には地元でも頭を悩ませているらしく、数年前に国道414号静浦バイパスが着工した。計画では、やがては口野トンネルも旧道になるようだ。しかし、まだ当分先であろう。



 この封鎖された坑口は、歩道用トンネルが建設途中に何らかの事情で中断している…。
そういう性格のものではないかと、私は考えた。



 いかにも工事途中といった風情の坑口。
高いバリケードが立ち入りを阻んでいるが、ニャンコにモーフィングすればどうと言うことはない。

正体不明の穴へ入るときは、いつも胸が躍る。
脳内にジョーズのテーマが鳴り響く。

辺りに人影の無いことを確かめた後、素早く内部へ侵入する。



 わーお…。

なんなんでしょうねー、この穴は…。

壁は一面のモルタル吹きつけで、岩盤の凹凸が感じ取れます…。

歩道トンネルとするにはぴったりだが、一台ずつならば車も通れるくらいのサイズ。

しかし、ちゃんとした覆工をしないで、工事関係者はどこへ消えてしまったのでしょうねー…。
出口が見えないのも、風が全くないのも、先を予感させますねー。




 数十メートルほど進むと、壁には鋼鉄製のセントルが露出するようになる。
路面は通常の舗装とは少し違う、土にモルタルを混ぜて硬度を高めたものだ。
コンクリートとは違うが土のように柔らかくもない独特の質感が、靴底を通じ感じられた。
洞内には特に目を惹くものもなく、ただ建設途中らしい光景が淡々と続く。
もちろん崩壊や亀裂もない。
ただ行く手に光が見えないことだけが、トンネルとして異様である。



 さらに進むと、壁にこのようなプレートが取り付けられているのを見つけた。

「平成16年度工事」「平成15年度工事」などの文字が見える。
放棄されてさほどの時間は経っていないと感じていたが、それにしても新しい。
この先にも、同様のプレートは数枚あった。



 いよいよ闇の濃度が濃くなる。

それだけ坑口から離れてきたということに他ならないが、未だ出口らしい光は見えない。
それどころか、行く手になんとなく壁があるような気がしてきた。
あえて照明をつけずに歩いているので、はっきり見えはしないのだが…。





 そして、案の定地中で行き止まりを迎えることとなった。


この出口のない隧道の、最後の景色は……






人形の染み?! 


 …って、 自分の影でしたー。

明かりを持たずに探索していたゆえ、こんな等身大の影絵を見ることとなった。
分かってしまえば何でもないが、暗がりの中から徐々に浮き上がって見えてきた壁に、黒い染みのような人形がくっきりと見え始めたときには、“そういうの”を一切気にしない私でも気持ちが悪かった。




 閉塞壁はコンクリート製で、もうそれ以上は一歩も進めない。
坑口からは、だいたい100mほどの地点である。
外まではもう30mほどの厚みしか無いはずだが、ここには平行する車道トンネルの音もほとんど届かず、“全ては終わった”かのように静まり返っている。
 そう、この終わり方は、かなり不自然である。
もっと先まで延ばす意志があるならば、行き止まりの壁をわざわざコンクリートで覆うだろうか。
となると、もともとはもっと先まで通じていた隧道を、こんな内部で閉鎖したということなのか?

 これは、山の向こう側を確かめる必要がある。



 というわけで、殺人的狭歩道の口野トンネルを突破し、やってきました伊豆の国市。

しかし、こちら側には一切歩道トンネルの準備施設らしいものはなかった。

現地での、“口野トンネル脇謎の未完成隧道”の調査はこれで終わったのだが、帰宅後にネットで調べたらポロッと出てきた。

 この隧道の真の意味が判明!




 実はこれ、建設途中の歩道用トンネルなどではなく、国道の口野トンネルを防災するために掘られた作業坑だったのである。

昭和42年に建設された口野トンネルは、もともと地中にあった石切場やその坑道を利用する形で建造されたために、完成後も外壁の外側に密閉された空洞(旧石切場の)が残っていたというのである。
そして、その空洞の存在が口野トンネルの強度に悪影響を及ぼしていることが数年前の調査で判明。
平成11年から16年までの計画で、改修工事を行った。
この方法が奇抜で、トンネルの作業坑を掘って地中の空洞までアクセスし、トンネルを通行止めにすることなく補強を行ったのだという。

なんという意外な結末か。
道理でどこにも通じていないわけである。最初から、そのつもりで掘っていたのだ。

しかし、入口を完全に塞いでいないところを見ると、もしかしたら将来歩道トンネルとして再利用する構想くらいは、あるのかも知れない。




 歩道と車道が洞内分岐?! 多比第二隧道


9:15
 それでは、本題である旧隧道達を求めて先へ進む。

まずは、珍しい洞内分岐が存在する多比第二隧道だ。
超大断面の坑門から約20m入った地点で、サイズが違う二つの坑門が現れる。
「道路トンネル大鑑(隧道データベース)」に記載されているのは、向かって左の車道トンネルである。
諸元は、昭和39年竣工、全長216m、幅6m、高さ4.5mと記録されており、増え続ける自動車交通に慌てて急造した雰囲気がありありと感じられる、2車線ギリギリの狭隘トンネルである。
そして、隣で歩道トンネルとして利用されているのが、その旧隧道だ。
もともとは別々の隧道だったが、どういう訳か改造されて一体化してしまった。(この大断面部分には土被りがない。)



 一般的な歩車分離トンネルと決定的に異なるのが、それぞれが別々の方角へ延びているということだ。
そして、その長さも車道トンネルが216mあるのに対し、歩道トンネルは約90mしか無い。
この辺りの不自然な構造も、旧隧道の再利用であることを物語る。

 なお、坑口直前の歩道上には、わざわざそれが歩行者専用道路であることを示す標識が立っている。
また補助標識に、軽車両も歩道を通って良いと明示されている。
ちなみに、車道側に自動車専用を示す標識はない。




 昨今の世情を反映してか、歩道専用トンネルにはまず例外なく監視カメラが設置されている。
この隧道にも、これ見よがしにカメラが設置されていたが、隧道というのは地中に独りという感覚がタマラナイのであって、誰かに見守られながら(←いや、リアルタイムで監視はしてないだろ)歩くものではないのだ。

 …まあ、一般的では無かろうが。この考え。


 そして、監視カメラの件はさておくとしても、内部を見通したこの時点で、本隧道が私の中で“ 死んだ ”ことは明らかだった。
何の面白みもないコンクリートべた塗りの壁が、出口まで淡々と続いていた。
旧隧道を発見して、最も残念なパターンだ。



 そして、歩道トンネルにはもはやお定まりとなっている、子供達の描いた微笑ましいイラストも、完全装備。

興味のある人もいるだろうが、私としては残念さの上塗りである。

上手い下手ではないのだ。

隧道の中というのはだな、日常の中にある非日常を体験できる貴重な場であってだな、ストレス社会に生きる現代人にとっては、知らず知らずのうちにストレスの発散が出来る場であってだな、それをわざわざ日常の延長のような色で隠そうというのはだな …くどくどくどくど…




 そして、高速道路トンネルにありがちな、竹割型の近代的坑門へ。

どうやら、この歩道トンネルを企画した行政官は、古い隧道の色は少しでも隠した方が人のためになると考えたようである。
まあ、世間的に間違っていないのだろうが、私は寂しい。
当初、どんな隧道がここにあったのかは分からないが…。
その姿を見てみたかった。



 コメントが難しくなってきたので、写真サイズも比例して縮小気味である(笑)。

戦前からここにあったろう歴史的隧道が、生まれ変わって公園の遊具のようになってしまった。
監視カメラだけでなく、異常が発生したときに明滅する回転灯や子供達の壁画を装備した、おそらくテーマを解説するにあたって“ふれあい”という単語が最低5回は出たに違いないトンネル。
下手したら、正式名称は「多比ふれあいトンネル」かも知れない。
(本来の名前さえ分からない状況が悲しい)




 ああっ!

 植え込みに隠されるように、旧坑門の跡が僅かに残っている! (泣)

 こんな立派な石組みの坑門を持ち合わせながら、なぜ破棄してしまったのだー。
植え込みを掘り返せば扁額が現れる気もしたが、それをやると通報されそうだったので、自重した。




 そんな残念な多比第二隧道だが、出た先は意外にも良い雰囲気だった。

考えてみれば、それも当然である。
ここは本来腑抜けた歩道などではなく、由緒ある主要地方道だったのだ。
そして、排気ガスと喧噪に包まれていた口野側坑口に較べ、こちらは嘘のように静かだ。
現道トンネルが、まだ地中にいるせいだ。


 これは盛り上がってきたのか盛り下がっているのか自分でもよく分からない展開だが、隧道2本を残してしまったので、別に後編を用意する。
なーに、朝まで待たせはしませんよ。旦那ァ。