山手東側隧道  最終回
北東北最長廃隧道?
岩手県釜石市
 
 かつて釜石の骨格であった製鉄業。
そこを流れる血流の如し、赤く燃えた鉱滓は、この隧道で海へと運ばれていた。

近年の鉱業の斜陽が、一度は街の灯を消しかけたが、今真剣に新しいまちづくりが話し合われている。
鉄の文化と、活きた漁業の街釜石に、再生の日が来るに違いない。

多くの遺産を、地下に隠したままに…。







 目測、あと200m。
出口は、まだ一つ。
地図には描かれている分岐する出口は、誤りだったのか?
また、出口の光は妙に歪で、崩落しているのか?!

長かった洞内生活の終焉が近づき、思わず足が速まる。
さっきの反則的な看板「酸欠注意」を見て以来、なにか息苦しさも感じていた。
心理的な物だと思うが…・。


 いや、あった!

残り100mで、唐突に右に分岐が生じ、正面の予め見えていた出口よりも傍に、緑色の光を漏らす出口が現れた。
まさに、地図の通りに、二つの坑門が存在している。
しかも、分岐に立ってみて初めて、本線側のレールは撤去され、右の分岐にのみレールが敷かれていることを知った。
分岐機の跡も見あたらず、廃止の前の比較的早い段階で、正面の出口は廃止されていた可能性がある。






 上と同じ写真を、限界まで明度を上げてみたのが左の写真だ。
ずっと洞内に並走し続けた水道管と思われる管の一部は、一度地中に潜り本線を横断した後に、右の隧道へと現れている。
洞内には、本線のレールを撤去した際に進入したらしいキャタピラや自動車の轍が付いており、瓦礫も散乱している。
雑多な感じで、良く探せばまだまだ遺物が出てくる可能性はあると感じた。

私は、レールに誘われるようにして、右の出口を目指すことにした。
あと50mほどで、脱出できそうだ。





 右にカーブした隧道は、最後にもう一度左へカーブし、坑門の向きが本線坑門と合わせられている。
驚いたことに、こちらの坑門にはフェンスはなく、その代わり草むらが押し寄せるようにして迫っている。
また、風がややあるのか、まだ坑門から出ていないのに、とても暑い。
どうやら、外気が押し入ってきている。
そして、レールには一台の金属製の台車が乗せられたままになっていた。
押せば走り出しそうに見えたが、しっかりと車止めが設置されていてビクともしなかった。

16時20分。
入洞から約31分で、踏破を果たした。






 背丈ほどの雑草に覆い尽くされた鈴子東側坑口の姿。(名称は反対側坑口にペイントされていた「平田側坑口」に対比して類推しました)

扁額はなく、無表情なコンクリの坑門だが、そこから覗く内部の様子は尋常ではない。
鉄道隧道の常識を完全に覆す、最近の高規格道路用のトンネルのような、極めて幅広の坑門だ。
ただし、出口がラッパ状に広がっているというだけで、よく見ると、内壁が段階的に狭まっていく様が見える。
おそらくは、この出口も二分岐になっていたと思う。
このまま坑門からさらに折れて東へ山際を進む路線と、正面の工場へと進入していく路線だ。
ただし、坑門の藪ですぱっとレールは消えており、その先には、今私が推定したとおりにアスファルトが敷かれているのみである。


 これは、地図にも描かれている坑門から真っ直ぐ伸びる線路の跡である。
一応舗装路だが、廃道さながらである。
森の向こうには稼働中と思われる青色の工場が近くに見えており、人目に付くのを避けたいので、ここで引き返すことにした。
二つの坑門は、おおそよ200mの距離を隔てて、並んでいるものと思われるが、リスクを負ってまで野外を歩くことは辞めた。
ここは完全に工場の敷地内なのである。

僅か地上滞在2分間。
再び、長い地中生活に逆戻りである。



 さて、洞内の分岐に戻り、今度は本線の方を見てみよう。
分岐点直前で隧道の幅は広がっており、そのままの広い幅のまま、出口へと一直線である。
この辺りにはレールはなく、代わりに縦横に轍が走っている。
レールやバラストを撤去した際に付けられた物だと思われる。

光を目指し、歩く。





 複線が取れたであろう大きな幅だが、レールは一本だった。
一度は撤去されたレールが、坑門に近づくと再び復活したのである。
レールが撤去されている区間は、僅か30mほどだけである。
写真は、出口へ続くレールの端点に設置されている車止めだ。
錆び付き、そこに何かのペイントがあったのかも知れないが、読み取れない。
背後の闇は、隧道の奥となり、フラッシュにも何も写っていなかった。
内空の大きな隧道にて、私のカメラではこの問題が起きるのだ。
もっとフラッシュが強力であれば、良いのであろうが…。




 出口が50m程に迫ったとき、以前から坑門のシルエットが歪に見えていた理由が分かった。
外からここまで、高さ2mほどの盛り土が成されており、完全にレールを埋めている。
そして、この上を歩くことは出来るだろうが、外には煙を吐き出し続ける白い工場が見えている。
先ほどの坑門とは異なり、出たとこがすぐ、現役の工場であるようで、雑草なども見られない。

悔しいが、これは断念である。
こちらの坑門を見ることは諦め、人目に付かぬように、闇へと今度こそ引き返したのである。

二つの坑門の現存することは、確認できた。





 写真は、本線側から、合流点を撮影。
このまま、真っ直ぐ平田側坑口目指し戻ることにする。
隧道が約2kmで結んでいる平田〜鈴子間は、地上の国道経由では約3.5kmある上に、峠となっており難所である。
しかし、地上を経由して戻ることも真剣に検討した。
先ほど、看板を見て以来感じていた「息苦しさ」の正体は、絶対に精神的な物であるとは言い切れなかったし、靄で3m先しか見えないような隧道を、またも30分間歩き続けるのは、いくら隧道好きと言え…苦痛である。

最終的には、地上を経由して戻ろうにも、会社敷地を通らねばならないことが最大のネックとなり、隧道を戻ることに決めた。
16時28分、出口傍の洞内分岐から戻り始める。






 肝試し連中の残したものと思われるゴミや足跡は、平田側の坑門付近の500mほどの範囲だけに集中していた。
僅かに鈴子側坑門付近に見つけたゴミは、“廃道ドリンク界の帝王”ジョージアオリジナルであった。
この旧パッケージのジョージアオリジナルは、なぜ各地の遠く離れた廃道にも、ほぼ間違いなく存在しているのだろうか?!
私は、コーヒーを余り飲まないし、隧道内では喉の渇きを感じることも余りないが(流石にこの長い隧道を歩く最中には、二度ばかりコカコーラを飲んだが…)、なぜジョージアオリジナルは、普遍的に落ちているのだろう。
昔の人たちは、仕事の最中でもジョージアオリジナルを飲み、洞内にポイ捨てするものだったのか?!

って、今の人たちの方が、捨てる物が多様になっただけで…マナーは改善されていないか…。




 時は既に夕暮れ。
さっき一時だけ見た外の光は、赤変を強めていた。
今私は、釜石にいる。
自宅からは、日本列島の反対側だ。
列車の時刻表に拠れば、日帰りを達成するには遅くとも、19時19分発の花巻行きの釜石線に乗らねばならない。
まだ時間はややあるが、この後もう一つ二つの市街探索が予定されており、時間に猶予は感じない。
それで、私は来るとき以上に早足で洞内を進んだ。
まるで、ビデオを巻き戻すかのように、先ほど見た景色が、順繰りに現れて、背後に消えていく。
靄が再び深くなり、カーブを一つ曲がると…。

再び、あの場所へ戻った…。






 気になる…

この分岐の奥には、一体何があるのか…。

私は、遂に、警告文の据えられた錆び付いたバリケードに、手をかけた…。


しかし、言い訳だが、衝動の赴くままにこうした訳ではない。
生きて帰ることを至上命題にしているというのは、本当だ。
私なりに、「安全の根拠」があって、条件付きで進入を自身に許可したのである。




 <(私の考えた)安全の根拠>
1.
 洞内には、微かだが空気の流れが感じられ、分岐の先がすぐさま酸欠状態ということはないであろう。
2.
 奥には本線隧道では一匹しか見られなかった蝙蝠が相当数存在することが、分岐に届くもの凄い鳴き声や羽音から予感され、蝙蝠も酸素を吸って生きていることを考えれば、安全なのではないか?
3.
 (マンホール)という表現は、果たしてこの隧道のことを示しているのだろうか?
おくに、さらにマンホールが存在するということなのではないか?
とすれば、本当に危険なのは、この隧道ではないはずだ。

 以上の根拠を持って、進入を決意した。
ただし、<条件>として、

入洞時間は5分以内、距離は200m以内。

とした。




 16時37分。
とうとう、私は、ふたつめのゲートを乗り越えた。
足跡は、全くない。

奥には、真っ直ぐ続く隧道があり、レールは敷かれていない。
見える範囲に崩落はないが、足元には、多数の廃棄物が散乱していた。
金属やら、材木やら、もはや形を留めていない物が多かった。

そして、その中に、一台の自転車を発見してしまった。

私は、胸に来た。
体を襲ったのは、嘔吐感だった

懸念していた空気のせい?

違う。

この自転車が、そうさせたのだと思う。
全体が煤で真っ黒に変色し、ゴムの部分は風化し消えていた。
骨だけになった、一台のママチャリ。いつ頃の物なのかは、分からない。
半身を灰色の土に埋もれさせた、亡骸のような廃車体。

なにゆえに、この持ち主は、地中700m以上のこの場所に、遺棄したのであろう。
どんな意味があったのか…。
何も分からないが、考えるだけで、痛かった。





 廃チャリを後にして、進んだ。
私には、もしかしたら時間がないのかも知れなかった。
酸欠死は、自覚症状がないという。
或いは、自覚したときには、もう遅いとも。

私は、自分の挙げた<安全の根拠>には自信があったが、極力酸素を使わないように、息を整えてゆっくりと歩いた。
蝙蝠達の不快な嘶きは、もうすこし奥から、聞こえている。
分岐洞内ももの凄い靄であり、フラッシュ撮影は全て失敗した。
地面は、レールは無く、バラストもない。
長い間に滴り落ちて堆積した石灰水が、歩くとパリパリと音を立てる、不思議な地面を形作っていた。

30mほど進んだだろうか。
緩やかな右カーブが始まり、そこで内壁が一回り狭くなった。
写真は、その断面部分が白く写っている。




 天井は無傷なのに、地面にはこんもりと土が盛られていた。
土からは、一本の金属の柱が天井へと斜めにかけられており、その意味は分からなかった。
蝙蝠達が天井を乱舞しており、いよいよ声の正体を確認した。
さらに、隧道は続いているのか…。

洞内には、現役当時の姿を感じさせる物は何もなく、廃棄物や廃材廃土が散乱する領域だった。
そもそも、地図にも描かれていないこの分岐隧道が、何用に使われていたのかは、今もって分からない。

土を乗り越え、さらに進む。




 水が堪った場所に出た。
そして、深さ5cmほどの地底湖の先に、異変が現れた。
これまでは馬蹄形だった隧道の断面が、突如四角になっており、その先には、土が充満しているように見えたのだ。

これは、閉塞点なのか?!
足が濡れるのも躊躇わず、地底湖を渡る。
蝙蝠たちの声は背後に消えていた。




 閉塞点だった。

まるで、崩落地のように、或いは掘っている途中の切羽のように、土が行く手を遮っている。
しかし、崩落でないことは、周囲の金属の足場のような施工からも明かである。
風はなく、確かに、閉塞している。
最後には扉などがあって、地上へと続いている事を予想したが、外れだった。
正確ではあり得ないが、この分岐洞は短く、約100m程度か。 分岐からここまで、2分程度で歩けていた。

これが、マンホールなのか?
意味が、分からない。
謎である。
何のための、分岐だったのか?

長居は無用と、引き返しに掛かる。





 蝙蝠の飛び交う中、引き返し始めた私が頭上に発見した小穴は、衝撃的だった。
天井に、ポカリと一つだけ空いた穴は、ハシゴもなく、どうやって辿り着くのか分からなかった。
そして、その穴(四方50cmほどの正方形)にLEDの光を向けてみて、全てを分かった気がした。

それは大げさであったが、少なくとも、「マンホール」というのが、此のことであろうということが、分かった。
天井からさらに3mほどの高さを持つ竪穴の天井に設けられた、一枚の蓋。
それは、まさしくマンホールの裏だ。
そして、その蓋の裏には、数十匹の蝙蝠が犇めいていた。

…きもい。


私は、納得して、引き返すことが出来た。
山手東隧道を、一応は納得できる程度の制覇をしたとの認識を得て、意気揚々と、私は引き返したのである。









 17時丁度。

元来た平田側坑口へと、脱出した。

往復1時間10分間を要した探索だった。









 最後に、全体の地図をご覧頂こう。

途中で見つけた“図中赤字のポイント”の位置は、あくまでも推定であるが、大きくずれてはいない自信がある。
今回の駆け足の調査で大きな謎が残ったのは、立坑の行き先と、マンホールの行き先である。
立坑については、地上部の精査で発見も出来そうだが、マンホールは難しいだろう。

地図上に各ポイントをプロットしていて気が付いたのだが、マンホールの行き先が、南リアス線の釜石トンネル内である可能性も、0ではないと思う。
その場合でも、あの閉鎖された洞内分岐の役割は、謎だらけだが…。
マンホールへのアクセスだけが目的であるならば、鉄道規格の大きな隧道を掘る必要はなかったであろうから…。
また、釜石トンネルは昭和50年代に完成しているはずで、分岐隧道はそんなに新しいものとも見えなかった。
かといって、隧道全体に於いて「昭和初年竣工」らしい部分はなく、果たして当初の姿がどのような物であったかは、机上調査を待たねばならないだろう。



一応踏破はした物の、まだまだ謎の尽きない山手東隧道のレポは、此にて一旦終了とする。


 


2004.8.18

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