国道16号 横須賀隧道群 後編 

所在地 神奈川県横須賀市
探索日 2007.3.23
公開日 2007.4.28

大都会の現役古隧道たち

大正・昭和の隧道大連荘 


 石碑を後に、いよいよ本格的な隧道群へと突入する。

まずは上り車線(読者さんからご指摘がありましたが、国道16号は東京の周辺を回る環状線ゆえ厳密には上り下りとは言わないとのことでした。本レポートでは分かりやすさとこれらの隧道群が完成した当時の路線が東京横須賀間であったことも踏まえ、東京行きを「上り」と表現します。)の逸見隧道へと進む。

 そして、入洞早々に驚き!

歩道が狭い!!

いままでも歩道の狭い隧道は色々と走ってきたが、ここは歩車分離のフェンスがあるために特に窮屈である。
しかも、山間部ならば別に自分以外通らないからいいのだが、ここはそういうわけにはいかない。
チャリ同士の離合は危険であり、相手が歩行者の場合は(申し訳ないことに)立ち止まってもらわねばならないくらいだ。
無論こちらも停止するつもりで進まねば接触してしまう。

 …そして、これも重要だと思うのだが… 壁(フェンスも)が汚くて触れたくない……。



 そして、向かいの出口にお婆さんの接近を見て、私は急いで隧道を通り抜けた。
これが、逸見隧道の東京側坑口である。意匠は横須賀側と変わらない。
私が写真を撮っていると、すれ違ったお婆さんが何故か振り返って私を見るではないか。
私は怪しいか? 軽く会釈するより何が出来るだろう。 ニコッ。



 これはいま潜った逸見隧道の下り線にある逸見隧道。その東京側坑口。
両者は20mほど離れており、その狭い隙間にも民家が建っている。
写真右に写る民家の裏に上り線がある。

 ここから先、たくさんあってしかも上り下り分かれた隧道を見た順に紹介していくので、どうしても分かりづらくなってしまうと思うが、出来るだけ工夫して案内しようと思うので、どうか着いてきて欲しい。



 下り線の新逸見隧道を遠目に見て、そこでUターン

するとすぐに視界に入ってくるのは新逸見の次の「吉浦隧道」である。
この写真だけを見たら「ここはアメリカ?」と勘違いしそう(車が右側通行)だが、ご存じの通り、この道は全部下り車線である。
沿道に住んでいる人も初めのうちは戸惑ったことだろう。




 煉瓦を模したタイルに飛翔するカモメのデザインをあしらった新吉浦隧道の坑門。
その竣工は昭和18年と先の新逸見よりも1年古い。
しかし、坑門だけではなく内壁の一部も白いプレートで覆われたこの隧道は、その古さを上手に隠すことに成功している。
全長は260mあり、一連の16本の隧道の中で最長である。

 この隧道には入らず、30mほど山側に平行する上り線の吉浦隧道へ進む。




 こちらが古い方の吉浦隧道である。

逸見と同じ昭和3年に開通した全長217mの隧道であり、幅員は5.9mと逸見より1.3mも狭い。
同時に進められた新道工事でありながら何故断面の規格が大きく異なっているのかは不明だが、逸見のみが特別に幅が広かったとも言える。
不思議である。
また、外見も異なっている。
新吉浦同様にタイルで飾られていることを差し引いても、親柱のデザインには逸見との明らかな相違が見られる。
御影石製の扁額(おそらく新造)が存在するのも大きな違いだ。

 それにしても、 この歩道は…。




歩道狭い!!

 逸見隧道も狭い歩道だと思ったが、幅員が1.3m減っている代償は路肩と歩道の減少となって顕れている。
実はこの隧道以降、入り口に「自転車は降りて通行してください」と警察署による掲示があるのだが、

 いいですか。 はっきり言いますよ。

降りたら壁に接触します。

しかも、自転車を降りてしまえばもう、人とのすれ違いは困難です。埃まみれの壁に体を摺り合わせなければ通れない。
自転車を降りろという前に、この歩道は一方通行にして欲しい…。
あと、隣に歩道トンネル掘ってよ… まじで。



 反対から人や自転車が来るのではないかという緊張感と、50cm側方をアホみたいにとばして走る大型車に煽られるという恐怖感に苛まれながら、隧道を突破。
少し大袈裟かも知れないが、全長217mの隧道をしてこの苦痛は、下手な廃隧道に勝る。
これを潜るくらいなら、カマドウマと仲良く匍匐前進した方が。(ウソです)

 隧道を出て振り返れば、そこには新旧吉浦の東京側坑門が仲良く並んでいた。
逸見・吉浦隧道間で少し離れていた上下線が、再びここで接したのである。
だが、隧道群はようやく中盤戦に入ったところだ。




 中央分離帯を挟んで上下線が一本となったのも束の間、次の隧道を前にして再び袂を分かつのである。
そして、この再び分かれていく地点には、悪いことに交差点と交番がある。
自然車の流れは悪く、渋滞が起こりがちなところである。
右折すれば長浦港へ、左折は安針塚駅へと向かう道である。



 そのまま山側の上り線を進むと、間もなく長浦隧道が現れる。
遠目に見ても、そして近づいてみてもやはり重々しい外見。
思わず襟首を正したくなるような隧道とはこのことである。



 先ほどの交差点には左の標語が。
そしてこの新長浦隧道の坑口には右の標語がでかでかと取り付けられてある。

 坑門は石組みであり、隙間を埋めるモルタルが溶け出し石灰の模様を描いている。
頭上にある大きな扁額の他に、小さな竣工年を示す銘板があるのに気付いた。
そこには昭和十八年八月竣工と刻まれている。



 サイバーな鎧を身に纏ったような坑門。
石と鉄とがどうにも馴染めぬ違和感を醸し出す、古くても現役バリバリの隧道にはありがちな光景である。
私の大好きな景色でもある。
この昭和18年竣工の新長浦隧道は、全長235m(2番目の長さ)ある。


 気付いた方も多いと思うが、新旧隧道と上り下り線の関係が先ほどの交差点で入れ替わっている。
逸見・吉浦までは山側が旧道(上り線)だったものが、ここから先は山側が新道(上り線)となるのだ。
次に模式図を示す。



 この道の利用する毎日数万人の多くが、現在上り下りと二本ずつある隧道が、まだ一本だけだった頃の姿を知らない。
無論私も想像することしかできないが、現地を注意深く眺めると昭和3年に開通した古いルートが浮かび上がってきた。
図中の赤いラインである。
何気なく通っていても気付かないが、それは当時の技術力を反映した「出来るだけ隧道を短くした」ルートだったと見えてくる。
一方、青いラインで示した複線化のために新設ルートは、全体で見ると大きなS字を描く無理のないルートである。
だが、結局“出来の良い”こちらのルートだけを通ることは、少なくとも車には、出来ない。長浦町で上り下りの新旧が入れ替わるからだ。
新旧ルート5本の隧道の総延長は、旧が772m、新が913mと大きな違いがある。
新ルートは、ある意味で“幻のバイパスルート”のようだ。



 あまりの歩道の狭さに戦慄さえ覚えた吉浦隧道と比べ、この新長浦隧道だが、やはり狭い。
幾分マシのようにも思えたが、それは慣れかも知れない。
この程度の長さの隧道(235m)としては異例のことに、非常電話が設置されている。
どっちに逃げても100mちょっとなのだから、さっさと外へ逃げ出してから通報した方が良い気もする。そもそもここまで狭い歩道は通行人が交錯してパニックが起きそうで怖い。

 皆様、くれぐれも安全運転でお願いします…。


 新長浦から次の新吾妻隧道までは約350mあり、この区間内では離れている方だ。(直線なので写真のように見通せる)
そして、上下線が最も距離を置くのもこの区間で、最大で150mほど離れている。
反対車線の騒音もここまでは届かず、2車線いっぱいに同方向の車が流れていくのは見慣れぬ光景だ。




 新吾妻隧道坑口付近から今度は振り返って撮影。

雪崩のように迫ってくる大量の車が、年老いた隧道達に一時の休みも許さない。





 吾妻隧道。

昭和18年竣工。全長151m。
殺人的な歩道の狭さは、その坑口部分で際だつ。
何度も言うが、自転車が降りれば誰とも擦れ違えなくなる。
とはいえ、乗ったままというのもオススメはしない。
なぜなら、私はここで写真を撮りながら狭い歩道を通行していてうっかり前ハンドルをガードレールに接触させてしまい、幸い転倒こそ免れたものの、手にしていたデジカメを再起不能にしてしまった事がある。(この日ではない)



 これらの隧道はもし仮に1kmもあったとしても、なんら換気装置は要らなかったのではないか。
ほぼ途切れることなく車が一方向に流れ続けているから。



 隧道達は、「堰を切った」という表現がピッタリな感じに次々現れる。
写真は新吾妻隧道を背にして撮影しているが、次なる新田浦隧道は間近だ。
ここはたった2km足らずに、短い隧道ばかりが5本が犇めく、横須賀市でも最大の隧道密集地である。




 田浦隧道。
昭和17年竣工、延長119m。

 この隧道は、横須賀〜横浜市金沢区間の8本の隧道中で一番はじめに複線化が竣工した。
とはいえ共用されたのは新逸見隧道が成った昭和19年で、このときに今話で紹介した5本がまとめて開通したのである。

外見その他について、特記すべきことはない。
標識によれば、横須賀隧道からここまでの各隧道は短いくせにラジオ再送信装置が設置されていたようである。



隧道の中も向こうも、クルマ・くるま・車!

それらを黙って通し続ける石の隧道。

彼らに安息の日は来るのだろうか。








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当レポートはもともとこれが「中編」で、このあとに「後編」を予定していましたが、少し変化の乏しいレポートになってしまうので、本編はこれで終了とします。
ただし、この一帯の隧道群に関するさらにマニアックなレポートを用意してございますので、そちらをご覧下さい。
 →隧道レポート 『横須賀市の明治隧道たち』
完結を期待して読んでくださった皆様にお詫び申し上げます。
2007/11/22 作者